タワーマンション・クライシス

元之介

プロローグ

Amadeus@amadeus. 50分

確かにそうですね。オリンピックの後、一気ですからね。技術云々以前に倫理が追い付いてないというか・・・。

ジャンキー@janky. 30分

私の家でもロボット買ったんですけど、もう何だか傍若無人で。

パンパカパン@panpakapan. 15分

やっぱりクッパーですか?

ジャンキー@janky. 14分

安かったものですから。

パンパカパン@panpakapan. 12分

メード・イン・コリア? (^o^)

ジャンキー@janky. 12分

(^_^)(^_^)(^_^)

西部劇@western. 12分

ロボットに倫理とは・・・。考えすぎでしょう。

ジャンキー@janky. 10分

いやいや。必要だと思いますよ。(^_^)

イチロー一番@ichirofirst. 7分

うちのマンションでも導入するそうです。やだねえ、ロボットとか。

Amadeus@amadeus.1分

職場にはRPAガンガン入ってきてますからね。家庭にだって入ってくるのは必然だと思いますよ。

ジャンキー@janky. 今

うんうん、ルーティン化できる家事は色々あります。(^_^)

パンパカパン@panpakapan.今

そういう時代なんでしょうねえ。(T_T)


 佐崎信介はTwisterの画面を閉じると天気予報を開いた。今日も快晴である。次に株式市況を開いて株価を確認する。安定的な価格だった。

『アマデウスさんは哲学的だな。』

そう独り言ちると信介はパソコンを落として、身支度を調えると廊下へ出た。

 高層階直通エレベーターを使って2階へ降りる。途中28階で停止した。この時間帯は中層階でも停止する。乗り込んで来たのは菊川肇だった。信介も顔だけは見知っている小学生だ。

「おはよう。」

「・・・。」

肇はいったん信介を見上げたがそのまま視線をそらしてしまった。何も言わない。

「小僧。挨拶されたら挨拶を返す。それが常識だ。親に習わなかったか?」

肇は年寄りの戯言と聞き流している。

「本当ならお前の方から挨拶するんだぞ。」

信介もムキになるでもなく、2階までの暇つぶしとでもいうのか、更に言い募った。

「・・・。」

が、肇はやはり無言のまま開いたドアから飛び出して行ってしまった。

「情けない奴だのお。」

信介は声高に走って行く肇に言った。

 「親が親ならって訳か・・・。」

今度は独り言である。肇の親はデジタルバンクの社員で、自治集会の時に会ったが横柄な物言いの男だった。別の言い方をするなら劣等感の塊みたいな男だ。デジタルバンクの社長は立志伝中の人物なのに。

 ただあそことの仕事は出来れば避けた方が健康には良い。そんなことを考えながら信介はエスカレーターで1階に降りた。

 マンションを出ると、すぐ斜向かいにあるパンケーキの店に入る。まだ朝の8時前である。

「もういいかな?」

信介はOPENと札の下がっているドアを開けると近くにいたゴスロリ風制服の明恵に尋ねた。

「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席へ。」

というわけで、信介は窓際の席に陣取るとメニューの中からパンケーキレギュラーとコーヒーを頼んだ。窓の外は通勤とおぼしき男女が続々と歩いて来る。駅まではこの道を通って10分弱だ。

 「お待ちどうさまでしたあ。」

明恵が注文のセットを信介の席に運んで来た。この2ヶ月ほど朝食をここで取るのが信介の日課になっていた。同居する妹が長期の海外出張で誰もいない。自分で食事の支度をするのが面倒だったのだ。

 「あれ? 加代ちゃんはお休み?」

信介が明恵に問いかけた。加代ちゃんはもう1人いるホールの女の子である。

「はい。加代さんは辞めたんです。」

「え? そうなの? 急だね。」

「うーん、ここだけの話ですけど。リストラなんですよ。」

「リストラあ?」

 信介は久しぶりに肝を冷やす単語を聞いた。何を隠そう信介もリストラ組だったのだ。58歳の時に勧奨退職を受け入れた。

「AIって言うんですか? あれを本社が導入して、注文の音声入力が可能になったんですよ。そしたら、加代さんの声がどうしても認識されなくって・・・。クビになっちゃいました。」

明恵は屈託なくそう言うとケタケタと笑った。

「そんなバカな・・・。」

信介は自分が担がれたとまだ気がついていない。自身の苦い思い出を辿っていた。

 「ホールは1人で大丈夫って事になったんですけど、トイレにもなかなか行けなくて。堪ったもんじゃないです。おしっこは貯まっちゃいますけど。」

明恵の下ネタはどうもいただけない。信介はこれから食事をしようとしていたのだ。注意しようと思うが、どうも肇に小言を言うようには出来なかった。いくつになっても女の子には弱いと言うことか。信介は苦笑いをすると先ずは熱いコーヒーを啜った。うまい。

 平日の朝、店は空いている。都内のオフィス街までは1時間かかる。勤め人にのんびりパンケーキを食ってる余裕はあるまい。何と言ってもここは東京のベッドタウンだ。早朝の飲食店の需要はそうはなかった。とはいえ、このパンケーキ屋がやっていけるほどには客がいるのだろう。

 朝食を済ませた信介はマンションに戻った。8時半ではTSUTEYAもやってない。信介はエスカレーターを上がってエントランスから共用のラウンジへ入った。窓際にいくつか並んでいるソファのひとつに座って、置いてある新聞を広げる。

 「だからあ、こんなDMがいっぱい入って困ってるのよ。」

「ですが、郵便物ですから・・・。」

「だって、こんなの頼んでないのよ、私。」

「そう言われましても・・・。」

困り果てているのはここタワーシティのコンシェルジュの男性である。スーツ姿の男性は胸にロゴを象ったバッチを付けている。詰め寄っているのは確か28階の三橋夫人だった。

 「それにしてもタワーシティはいただけないネーミングだったな。このスカスカマンションがタワーシティだなんてな。」

信介は新聞から目を離すと2人の会話を目で追いながら呟いた。

 そこへもう1人中年の女性が加わった。

「私の所へもね、最近多いの。あとメールも。凄いのよ、なんだか色んなメールが1日に何十通と。前までは1日に1通来ればいい方だったのに。」

「ほらね。これってあなたたちに何か原因があるんじゃないの?」

二人の中年女性に追い立てられてコンシェルジュはタジタジという感じだ。だが、この男性に答えられるような内容じゃない。

「三住さんや大場さんもね、急にDMやメールが来出したって言ってたわ。」

「そう言われましても。これは当マンションとは関係の無いことかと存じます。」

コンシェルジュはあくまで丁寧、慇懃に対応していた。

 「三橋さん、そのスマホちょっと見せていただけませんか?」

信介は揉めている3人の間に割って入ることにした。

「あら、おはようございます。これですか?」

「おはようございます。ええ、ちょっと見せて下さい。」

 信介は三橋夫人からスマホを受け取った。アプリにウィルス対策のはなかった。スマホも完全にウィルス感染する。なのに対策アプリを入れていない人は意外に多い。

 信介はメールアプリを起動し、メールのタイトルを見ていった。2週間前の履歴にいかにもコンピュータに自動生成されたとおぼしきメールアドレスがあった。

「これだ。」

「え? 何ですか?」

「三橋さん、このメール誰からでした?」

三橋夫人はスマホを受け取ると指摘のメールを無造作に開げた。記載されているURLにアクセスした痕跡が残っている。

「さあ、名前が無いじゃない。それで、ここへアクセスするとプレゼントが貰えるって書いてあるから・・・。」

「アクセスしたんですね。そうです、ここをポンッとやった・・・。」

「だって、普通そうするでしょ?」

「釣りメールですね。」

「釣りなんて私やりませんよ。」

「そうじゃなくて、欺しメールです。」

「え? どういうこと?」

 三橋夫人は急に不安になったようだ。信介はもう一度スマホを受け取ると、住所録を開いてみた。三住、大場の名前と住所、電話番号。メールアドレスの記載された住所も半分くらいあった。

 「失礼ですが、お名前は?」

後から来た女性に信介が尋ねた。

「有村ですけど。」

間違いない。有村の名前もある。住所とメアドだ。この情報が流出していると考えて間違いなかった。

「さっきのメールでこのスマホはウィルスに感染したと思われます。で、この住所録が外部に漏れたんですね。」

 さっきまでの勢いは消し飛んで三橋夫人はおろおろし出した。

「だって、え? どういうことですの? 私のスマホから? どうしましょう、どうしましょう。」

有村夫人はよく分かっていないらしく、きょとんとしている。

 「最近、オレオレ詐欺電話とか掛かってきた人はいなかったですか?」

信介が聞くと、有村夫人がおずおずと手を挙げた。

「先日自宅の電話に変な電話が・・・。」

「変な電話?」

「はい。税金が返ってくるからって・・・。」

 「税金が返ってくる?」

コンシェルジュも加わって来た。

 「ええ、何でも払い過ぎた税金があって、それを返したいって。」

「それでどうしました?」

「いや、だって税金とか分かりませんから、主人に代わりましたの。そしたら電話は切れてしまって・・・。主人曰く詐欺かも知れないって。」

「まあ、やだわあ。」

三橋夫人が大きな声を出した。だが、その原因を作ったのが自分であることがまだ理解できていない。

 「とにかく、このスマホは一旦初期化してメアドも変えた方がいいですね。」

「そうなんですか?」

「それと住所録にある人出来れば全員に声を掛けて詐欺電話とか注意するように言った方が・・・。」

「はい。そうします。」

三橋夫人は悪びれもせず勢いよく返事をした。

 「では、十分気を付けて下さいね。」

コンシェルジュが三橋夫人に言った。三橋夫人はスマホを娘の亭主に何とかして貰うと言ってその場を去って行った。

 スマホの普及は凄まじかったが、一般のリテラシーはあまりあがっていないと言っていい。

 信介は最上階へ行ったきりの高層直通エレベーターを諦めて中層階行きに乗った。20階で止まるとエレベーターを降りる。ここで各階停止のエレベーターに乗り換えて40階へ向かうつもりだ。

 廊下をホッパーが歩いていた。正しくは滑っていたと言うべきだが。ホッパーの足には小型のキャタピラが付いていてこれで動いているのだ。日本のベアリング技術は世界有数である、キャタピラと言いながらも高速でスムーズな動きを実現していた。まさに滑っている感じだ。

 「おはようございます、佐崎さま。」

ホッパーが信介に声を掛けてきた。

「・・・。」

信介はロボットに返事をすることもあるまいと、黙って行き過ぎる。が、行き過ぎてからはっと思い当たった。肇も自分のことをロボットくらいにしか思っていないんだろうと。だから挨拶を無視した。

「俺もロボットか・・・。」

 信介が声に出して言うと、

「何かございますか?」

ホッパーはすぐに反応してくるりと向きを変えた。滑らかな動きである。あらゆるセンサーを装備しホッパーは人工知能を有している。もちろんホッパーの愛嬌のある顔と頭はその場の処理のみでデータベースは中央コンピュータの中だ。

「いや、何でもない。」

「そうですか。早く妹さんがお帰りになるといいですね。」

ホッパーは情感まで込めた流暢な日本語で信介に言った。

「ああ、ありがとう。」

ホッパーは再び向きを変えると滑っていった。

 これらのホッパーは各フロアに基本1台が配備されている。警備と共用部分の清掃が主な仕事だが、住人からの要望を聞き本部へ連絡を入れることができる。ホッパーは住人全員の顔写真を記憶していた。名前も部屋番号も。

 40階の部屋に戻った信介は再びパソコンの電源を入れた。タワーシティからのお知らせを見る。さっそく、還付金詐欺電話に対する注意が掲載されていた。

 基本各部屋にあるタブレット端末にマンションからのお知らせが配信される。自治会からのお知らせもタブレットに来る。だが、信介のように日常からパソコンを使っている人にはそっちへの配信も可能だった。

 このマンション住人は東京オリンピック以降急激に減って今は1千人を切っている。実に新築販売当初の1/2以下だった。信介がスカスカマンションと言った所以である。東京オリンピック時の沸騰が冷めて本来の人口動態に戻った東京近郊T市のタワーシティも高齢者中心の過疎マンションと化していた。

 信介はTwisterを開くと、


Amadeus@amadeus. 30分

セバスチャン、近々飲みませんか? 面白い情報を得たのでお会いできると嬉しいです。


アマデウスからの書き込みがあった。信介は早速返信で、


Sebastian@sebastian. 今

ありがとう。是非お会いしたいですね。予定をお知らせ下さい。


と呟いた。

 ここから先はメールである。何しろここは公の場であって、内緒話は出来ない。信介のフォロワーたちはどこの誰かなんて誰も知らない。信介が知っているのはアマデウスだけである。

 また、Twisterのダイレクトメッセージ機能も信介は使わなかった。機能の利用状況も誰かに把握されているだろうし、気持ちが悪かったからである。

 SNS各社は広告収入を得ると同時に登録された個人情報で商売をしている。属性のみで個人を特定するデータは基本外には出さないとなっているが、どこまでそれが守られるのか状況次第だろう。

 マンションが使うホッパーとは別に個人でもロボットを買う人が増えていた。オリンピック前、ロボットは趣味の範囲を超えなかった。人工知能もスピーカーという形で個人宅へ入り込んだが、使えた代物ではなかった。ところが、膨大なデータをもとに人工知能もロボットも格段の進歩を遂げた。わずか数年の出来事である。

 信介の家にはロボットはいない。妹と2人暮らしで特に手が足りないこともなかったし、妹はどちらかというとアナログでロボットには興味を示さなかったからだ。

 唯一あるのがロボット掃除機のサークリンだけである。ただ作り付け家電や照明、カーテンの開け閉めなど音声認識の人工知能が機能していた。マンションの売りのひとつだったからである。

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