13.1 スイング
松浦は建物の縁に近寄って周囲を見渡した。そこからグラウンドで草野球をしているのが見えた。
「野球か」エウドキアは言った。
「一小隊と二小隊だ。行ってみようか」
建物の中へ戻って階段を下りる。階段下の掃除用ロッカーをいくつか開け、見つけた軍手の袋から新しいのを二つ取り出して持っていく。
「一小隊と二小隊?」とエウドキア。
「うちの中隊の二個小隊だよ。単に定員で分かれているだけじゃなくて、役割が違う。我々一小隊は機体の試験、二小隊は兵装の試験を受け持っている。開発の手順からいって一小隊の受け持っていたタスクを二小隊に引き継ぐことも多いんだけど、反対に二小隊の方が戦場慣れしているからお互いに対抗意識があるわけだ」
「勝つと何かいいことがあるの?」
「どうってことはない。勝って嬉しいだけだよ」
「遊びでやってるわけね。結構年上の人も混じっていたみたいに見えたけど」
「おじさんが野球やっちゃいけない?」
「おじさんたちも中隊の人なのね?」
「そうだけど……」松浦はエウドキアの意図を汲みかねていた。相手の顔を窺う。でもそこに参考になりそうなものは何もない。
「若い人たちばっかりの部隊だと思った」
「ああ、そういうこと。技術者やトラックの運転者は熟練だからどうしても九木崎だけじゃ回せないんだ。九木崎出だと一番年嵩でも俺のひとつ上だからね。特に法律の関係でトラックやトレーラはなかなか年数が足りない」
九木崎の表玄関を出る。目の前は駐車場。右手に回ると木々の向こうにバックネットが見えてくる。アスファルトから雪混じりの草地に踏み出し、人々が踏み分けた小道を上っていく。
「九木崎の子供はいくつで入隊するの?」
「まあ十八だね。十五まで学校、それからここに来て投影器の腕を鍛えて、十八から二年だけ兵士として別の兵科の部隊で生活をして、それから肢闘の部隊に配属される。もちろん元の部隊に残ることもできるし、トリナナ、つまり山林機動砲兵の部隊に送られることもあるし、九木崎に呼び戻されることもある。色々だ」
「松浦さんも二年は兵士をやっていたわけね」
「俺は歩兵だった。柏木は戦車、檜佐は砲兵」
「肢闘は砲兵部隊が扱うものだよね?」
「この国ではね」松浦は頷く。
「なぜ全員砲兵部隊で引き受けないの」
「単純に特科の枠がそんなに空いてないんだ。確かに組織全体では定員割れなんだけど、火砲の定数も減らしているところだから」
「ああ、そういうこと」
松浦はベンチの面々に軽く挨拶して持ってきた軍手を嵌め、草の上に投げ捨ててある木製バットを一本拾う。まずは自分で振って感触を確かめ、それからエウドキアに軍手を渡してバットを握らせる。
「結構滑るよ」とエウドキア。手の中でバットの柄を回したり滑らせたりする。
「きちんと握ってれば抜けはしない」
ベンチから少し斜面の下へ行って距離を取ってから素振りを始める。松浦がフォームを見せ、エウドキアがそれを真似する。
「松浦さんはどうして九木崎に入ったの?」
「九木崎の子供は大抵元々は親から引き離された子供なんだよ。死によって、あるいは法によって」
「法」
「行政が匿って親から引き離すということだよ。世話をしない、暴力を振る、その他諸々、育て方が子供の成長を著しく阻害する場合。その親には親になる資格や気力が欠けている。あるいは気力があってもその注ぎ方が間違っているか」
エウドキアは頷く。
「だから九木崎には二種類の人間がいる。自分の生みの親を忌み嫌う人間と、そうでない人間」
「あなたはどっちなの?」
「父親に対しては完全に前者だろうね。あの人のことはついに理解できなかった」
「母親は?」
「複雑だな」
「どちらでもないの?」
「うん……あえて言うなら、どちらかではない、かな」
「え?」
「母親としては決して尊敬できないけど、でも姉としてはとても好きだった」
「つまり?」
その時斜面の上のベンチで歓声が上がった。どちらかのチームがいいヒットを出したみたいだった。松浦は振り向いた。でも音に反応しただけのような目的のない振り向き方だった。しばらくベンチの方を眺めていたけど、どちらの得点なのか確かめようとする気配もない。エウドキアはバットの握り方を少し変えてスイングの軌道がどう変わるかゆっくり動かしながら確かめていた。歓声にはほとんど興味がないみたいだった。
松浦は薄く口を開いてゆっくりと息を吸った。
「つまり」彼はエウドキアの質問に答える。「俺の父親は自分の娘に自分の子供を産ませたんだよ。全く困ったことに俺の四分の三はその理解に値しない父親の血でできている。半分じゃない。四分の三だ」
「ああ、なるほど。あなたにとってはその割合がとても重大な問題なのね」いや、今までそれが重大なことだなんてちっとも考えたことがなかったけど。エウドキアの口調はそんな感じだった。エウドキアは素振りを続けていた。
「どうやらそうみたいだ」松浦はちょっと笑った。でもそれは荒野のハゲワシみたいに虚しい笑いだった。上着のポケットに深く手を差し込んで足元の雪を浅く削るくらいにちょっと蹴飛ばす。「それ自体は決して法的にいけないものではないんだ。六歳だかの頃に姉が独り立ちしようとして、でも俺を連れていくことができなかった。親権絡みだ。それで父親を子供のレイプで告発して、俺は行政に保護された」
「なぜ自分で引き取らないの」
「引き取れなかったんじゃないかな。引き取ろうとしなかったんじゃなくて、できなかった。未成年だったし、結婚しているわけでもない。親は父親だけだったから、だいたい姉自身の親権が誰にあるのか、というレベルだったみたいだ」
「行政が九木崎に引き渡すの」
「九木崎というか、出資元の樺太電信に養護部門があるんだ。まあ研究所が子供を引き取るというのも体面が悪いからそうなっているだけなんだけど」
「ふうん」
「姉と青藍さんが話していたのを憶えてるよ。憶えてる。その時はまだその人が誰かなんて知りもしなかった。何でもないただの女の人だった。いくらか時間が経って、後で思い出してみてようやくそれが彼女だったと気づくことになる」
「あなたの姉は九木崎にあなたを託したのね」
「多少は望まれてここにいるわけだ。悪くない。それは悪いことじゃない」
松浦は何度か同じような言葉を繰り返すようになっていた。まるでそうやって自分自身を確かめ、肯定していなければいけないみたいだった。彼はエウドキアの回りを歩いてスイングを様々な角度から眺め、時折自分の足元に目を落とした。その仕草もいささか不安そうに見えた。
そうして2イニングほど素振りとノックをしたあと、一小隊の打者が一巡したところで松浦はエウドキアを打席に立たせた。バッターボックスに入る前に義体への移行が無事に済んだことを全体に報告する。エウドキアがお辞儀をするとベンチや外野から拍手が起こった。攻撃側が一点でも入れたような感じだけど、両陣営から聞こえるのが違っていた。それから松浦はコーチよろしくピッチャーに指を差して「デッドボール禁止だからな」と凄んでおく。二小隊のピッチャーが榛原というやつで、サイドスローで変化球を投げるのが大好きという曲者だった。変化球といっても素人だから暴投が多いのだ。やっぱりボール球が多かったが、二,三球ボールが続いたあとにいい音がして緑色のボールが高く上がった。飛距離も出た。グラウンドが傾斜地にあるせいで内野より外野が高く、しかもスタンドがないので捕手は拾おうと思えばどこまででも拾いに行けた。この時もやっぱり外野がずいぶん走ってアウトになったけれど、本物の球場なら間違いなくホームランという当たりで、一小隊のベンチからは改めて歓声が上がった。
エウドキアは出塁せずに打席でバットを掴んだままボールを見上げていて、捕手のグローブにすぽっと収まるところまで見届けてベンチの方を振り向いた。やっぱり表情は変わらないのだけど、自分の打った球が遠くへ飛んでいったのが純粋に面白いようだった。
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