6 迂回した電話、爪先の血、シダを抜けて

 早来上空、偵察型のYS‐11が雲海の底ぎりぎり下の高度でゆっくりと旋回している。エンジンの回転を落とし、プロペラピッチもきわめて浅い。スピードと騒音を極限まで抑えた飛行。旋回半径も大きい。胴体下のフェアリングに収まったグラウンド・マッピング・レーダー、可視光カメラ、近赤外線レーザー測距儀、遠赤外線カメラ、超指向性マイクロフォンが機体の左下方に指向している。その収束点は機体の旋回円の中心とほぼ一致する。偵察機最大の探知感度を発揮する合成捜索モード。各種センサーが捉える情報を解析コンピュータが集約、モニターディスプレイに表示する画像を生成する。その画像の中心に縦長の楕円形のような像がぼんやりと現れる。そして頻繁にその像の手前を黒い縦線が横切る。楕円形の像はドルフィン9、縦線はスギの幹だ。

 ドルフィン9は人工林の中を進んでいる。近くには車道もあるがそれを辿ることはしない。斜面を上り、稜線を越え、また斜面を下りる。その速さは平均時速十キロに満たない。道の険しさ以上にドルフィンが音を立てることを嫌っている。それでも落ち葉や砂礫を踏み分ける音はしているのかもしれない。しかしそれもスギの厚い樹冠が遮っている。ドルフィンは人工林を選んで歩いているのだ。落葉樹の原生林だったら偵察機ももう少しはっきりとその姿を捉えることができただろう。

 偵察機は解析コンピュータとは別に各センサーごとの情報も記録している。特にレーダーと赤外線カメラの視野はもっと広角に地表を捉えている。ドルフィンの進路は必ずしも森の深い部分を辿っているわけではない。時にゴルフ場を掠め、集落から数百メートルの距離まで近づく。いくつかの民家には明りが灯り、道には自動車のヘッドライトが見える。

 でもそうした景色の中に軍隊の気配はない。兵士の姿もないし、どこかに車両が置いてあるわけでもない。幕僚部、あるいは師団は地上には警戒線を設けないことに決めたようだ。そもそもドルフィン9が野放しになっていることを幕僚部も防衛省も公表していない。表に出ているのは「苫小牧でドルフィンを回収した」という情報だけだ。それは確かに間違っていない。確かにドルフィン8は回収済みだ。それはある意味では賭けになる。ドルフィン9が無事に駐屯地まで辿りついてくれなければ困る。過信だ。でもそれ以上に不用意な出動・国内への展開を控えたいのだ。展開すればドルフィン9が野放しになっていることも明かさずにはおけない。メディアから大きなバッシングを食らうことになる。そんなことならドルフィン9が国内で暴れないことを祈った方がマシだという考えなのだろう。その損得勘定はわからなくもない。

 偵察機の解析コンピュータがやけにはっきりとしたドルフィン9の像を捉える。四肢の形状までくっきりと映っている。どうやら林の縁に到達したようだ。偵察機の位置もいい。ちょうどドルフィンの正面、西方にいる。

 ドルフィンはそこでしばらく立ち止まる。進路を見定めているようだ。ドルフィンの前には四角く区切られた田畑が広がっている。左手五百メートルほどに住宅地。平地の向こうにある林までは一・八キロほど。その中点くらいのところを川、国道、鉄道が横切っている。どこを踏んでいくか、どこに人目があるか、どこに光源があるか、考えなければいけない。闇の中ならば見られても気づかれない。でも背後に光を背負うとシルエットが浮かんでしまう。収穫の終わった畑には綺麗に雪が積もっている。足跡を残すべきではない。畦道には轍がある。

 ドルフィンは姿勢を低くする。膝を曲げて上体を引き付ける。スキーの直滑降に似た姿勢。首の仰角は大きく取れるようでほぼ前方を向いている。そのまま畦道に入り、時々地面に肘を突いて姿勢を保つ。慎重に進んでいく。

 後方にヘッドライト。ドルフィンは畦と畑の間にできた積雪の溝に飛び込み、雪山を崩して機体を隠す。軽トラックがその横を走り抜けていく。二つ先の十字路で左に曲がって遠ざかる。

 気づいていない。

 ドルフィンは体を起して周囲を確認、雪を均して道に戻る。

 そして国道。川の谷から交通を窺い、タイミングを見計らって飛び出す。踏み切って大きく跳躍。放物線を描いて道路の上を高く飛び越える。草むらに着地、雪の中に脚が深く沈み込む。手を突いて衝撃を分散する。犬の砂かけのように雪を均し、そこからは全速力で平地を抜ける。腕を畳んで上体を前傾させ左右の揺れを抑える。脚を大きく使って走る。最後にまた小さなジャンプをして林の中に飛び込んだ。

 あとには静寂が残る。民家は眠り、車は走る。

 偵察機は旋回の中心をドルフィンに合わせて少しずつずらしながら飛び続けていたが、しばらくして少し出力を上げルートを変えた。モニターにはただ樹海の闇が映っている。ドルフィンを見失ったようだった。


 ……


 我々の小隊は七時過ぎに駐屯地に戻ってきて点検を済ませた。私は寮に戻って石黒が四つに切っておいてくれたホイップあんパンをひとかけ食べ、部屋に入って先に帰ってきた檜佐がシャワーから出るのを五分くらい待った。長い五分だった。すぐにでも横になりたい気分だったけど、自分の体や服が微かな海の匂いに染まっていてそのまま倒れ込むのはあまりに気持ち悪かった。

 ボディソープをたくさん取って念入りに体を擦り、頭も洗った。方々の部屋で同じことをやっているせいだろうけど、シャワーのお湯が呼吸困難みたいに引っ込んだり勢い良く噴き出したりしていた。上がって歯磨きをしながら檜佐に髪を乾かしてもらって、それからしっかりとカーテンを閉めてさっさと部屋の明かりを落とした。周りからはまだ同僚の足音やドアを閉める音が聞こえた。そうした物音が聞こえなくなるよりも先に自分の意識がなくなるみたいな、普段にはあまりない眠りの入り方だった。

 三時間弱眠って食事を取らずに適当に支度して座学の二時間目に頭から出席する。国際情勢の講義なのだけど、語学と違って教場も広くて人数も多いから今回のことで補講にはならないだろうというのが小隊員たちの見解だった。でもいざ受けてみると我々のほとんどが半分くらい眠りながら座っていた。耳に入ってくるのは断片的な単語だけ。話を文脈で理解するのは到底無理だった。ちょうど三十分くらい過ぎたところで一度意識がはっきりしたのでノートを確認したのだけど、せいぜい二三行しか取れていないし、しかも同じ言葉を書こうとして何度も挫折した痕跡があった。檜佐は隣でがっくり首を落として手も止まっていたし、他にも点々とうつらうつら首を振っているのが見えた。なんだか教場全体にとても肌触りのよい薄い毛布がかけられているみたいな不思議な感じがした。

 そして正午前、講義終了まで十五分といったところで松浦の携帯に電話が掛ってきた。斜め前方の席からマナーモードのバイブレーションの音が聞こえた。彼はしばらく無視していたが、一度留守電に入って切れてからもう一度掛ってきたのでさすがにポケットから出して相手を確認した。そしてウナギのようにするりと席を立って後ろの扉から廊下に抜け出した。相当小さな声で話しているか教場から距離を取ったらしく、壁越しだと声は全く聞こえなかった。


 松浦は廊下を進みながら携帯を耳に当てた。

「もしもし」小声でマイクに吹き込む。

「この声に聞き覚えがある?」とドルフィン9は訊いた。

「ああ、わかってる」

「よかった。別の番号から掛け直すから少し待って」

 電話が切れる。松浦は足を止めて周りを見回し、消火ホースの赤い収納箱の横の壁にぴたっと寄って背中を預けた。壁には柱の張り出しがあるので遠くからだと彼の姿はその陰に隠れて見えない。

 別の番号から、というのはつまり追跡を怖れているのだ。たぶん方々の基地局を経由するような操作をどうにかしてやっているのだろう。いくら迂回したところで傍受も追跡も可能だが手間をかければその分時間は稼げる。

「もしもし」と再び松浦。

「最初は今みたいに韜晦したんだけど、知ってる番号じゃないと取ってもらえないかと思って掛け直したの。二度目のコールね」ドルフィン9は言った。

「要件は」

「迎えに来てほしい」

「どこへ」

「演習場の中にいる」

「演習場にも色々ある」

「肢闘の基地がある演習場」

「ここか、もうここまで来たのか」松浦はそう言って背中を浮かせた。

「森が深くて視界が利かない。ルートが正確なら駐機場から東北東に一キロくらいだと思う」

「わかった」

「じゃあ切るね。長話はしない方がいい」

 松浦は中隊事務室にかけて賀西を呼び出す。走りながら話す。

「ドルフィンが来てますよ」

「来てるって、どこに?」賀西は訊き返した。まだ寝ぼけている。

「ここに」

「機体ごと?」

「演習場の東側にいます。とりあえず俺が迎えに行く。車を貸してください」

 賀西は少し黙る。その情報がドルフィン本人ではなく松浦から齎された理由に考えを巡らせたのだろう。「わかった。二十分、いや十五分で迎えを出す」

「あまり大ごとにしないでくださいよ」

「わかってる」

 松浦は中隊の建物の入り口で守衛室から車のキーを受け取る。寮に戻って自分の車を出すよりずっと早い。表に駐めてある業務車を出す。あえてスピードを抑えて演習場の北辺を通る道を東へ進む。左手にフェンス、右手に草地。

「タリス、さっき言っていた方位と距離、どの道だと思う」と松浦。

「なぜ道沿いだと思うのですか?」タリスは例によって携帯電話から答える。

「降りて探す」

 舗装がアスファルトから砂利になり、やがて土に変わる。道の両側に灌木が広がり、細い木々が増え、だんだんと林の中へ入る。光と風が遮られる。

「この辺りでしょう」タリスが告げた。

 松浦は車を止める。エンジンを切って外に出る。小鳥の声が響いている。それが途切れると深海のような静寂が訪れる。見回しながら辺りに耳を澄ます。細かな石を踏む自分の足音も煩いくらいだ。

「こっちか」松浦は小さな声で呟く。そして落葉と下草の間に分け入っていく。ナイフを抜き、行く手を遮る細い枝を切り落としながら進む。道に置いた車が遠ざかり、木の幹や低木の枝の陰に入って見えなくなる。四方が同じ景色になる。小さな生き物の気配に囲まれている。姿を見せないし、音も立てない。だが感覚に捉えられないだけで確かにそれは息づいている。木の皮の内側に、土の中に。松浦は進んでいく。地面は平坦ではない。つるつるした土が剥き出しになった斜面に手を突いて登り、苔の生えた倒木を越え、じめじめした小さな谷を渡る。

 そうした窪地の一つの縁に立った時、彼はドルフィンを見つける。辺りには枯れた落ち葉に混じってシダが黒々としたぎざぎざの葉っぱを日除けのように広げていた。ほぼ本人の申告通りの地点だった。地形に沿って横向きに寝そべり、砂風呂のように落葉を被って肩と頭部だけを外に出している。肩の方は出しているというよりも隠せなかったようだ。機体に火が入ったような物音はしなかったがセンサーは生きていた。

「本当に見つけて……」ドルフィン9は非常に小さな声で言った。スピーカーの調節がいまいちだったのだ。言い直そうとしたが松浦が「聞こえてる」と遮った。

 彼は重たいシダの葉を膝で掻き分けながら窪地に下りてドルフィンの顔の前に立った。カメラのガラスや額の白い外板は煤の細かな黒い斑点で汚れ、杉の枯葉の破片など植物の屑が水気でたくさんへばりついていた。ドルフィンの様子は全体的に憔悴した感じを帯びていた。松浦はカメラのガラスに掌を押しつけてゆっくりと拭った。

「ありがとう」とドルフィン9。

「電池は」手を刀のように素早く一振りして水気を払い、上着の肩で拭う。

「四割八分」

「損傷は」

「ない」ドルフィンは機体にパワーをかけた。油圧ポンプとあちこちのモーターが低く唸る。「一人なの?」

「とりあえずは」松浦は答える。

 ドルフィンは上になった右手を松浦の前に差し出す。人差し指を少し内側に出し、松浦の耳の上に指先を当てる。彼の髪が指先の上にかかる。F12の手は九木崎の肢闘同様に火器を保持するような構造にはなっていない。付け根から指先まで一メートルほど、割と繊細な造りだ。その指先が一度松浦の頭を離れ、再び頬に触れる。そこで止まる。頬の柔らかさを確かめたいのだろうか? それにしては押し込まない。触覚があるとも思えないが、それなら関節に力をかけなければ対象の硬さは感じられないはずだ。傷つけるのが恐いのかもしれない。松浦はその指先に左手を添えて頬を押し付ける。ドルフィンは手を引く。ドルフィンの可視光カメラは松浦の顔をじっと見つめていたが、そのあと自分の指先に視線を移した。

「中隊に行こう。俺がついていれば大丈夫だ」と松浦。

 ドルフィンは先に頭を上げ、窪地の縁の高さで止まって巣穴から出ようとする小鳥のように辺りを警戒する。それから上体を支える腕に左足を引きつけて立て膝の姿勢に。機体を覆っていた落葉が舞い落ちて波のような音を立てる。改めて見ると脛の半分くらいまで泥汚れが跳ねて、爪先や踵は地の白が見えないほど泥に覆われていた。港で水から上がってきた時の姿とは全然違う。

 松浦は落葉を被りながら間近でその様子を眺める。まるで大きな動物の相手をしている飼育員のようだった。それくらい落ち着き、相手を理解し、愛情を向けていた。

 松浦の先導で来た道を引き返す。

「誰にも見つからなかったのか」松浦が言った。

「道路は通らなかったから」ドルフィンは答える。

「山を越え谷を越え」

「それでこそ肢闘でしょう?」

 松浦の誘導で道に近づいた時、置いてきた車の近くに一機のカーベラが見えた。それは私のカーベラだった。松浦は拍子抜けしたような顔をして手を挙げる。

「柏木」

 しかしすぐに違和感が彼を捉える。そのカーベラは武装していない。そして気付く。わずか数時間前、苫小牧に出動した私の機体はカーベラではなくマーリファインだった。

 私はそのカーベラには乗っていない。九木崎が無人化の検証に使っている一機だった。この時も演習場の中で無人走行の試験中だった。後ろにサーフが一台随伴していた。

 カーベラは何も装備していない両腕をドルフィンに向かってまっすぐ突き出している。射撃姿勢であり防御姿勢だ。砲を持っていれば砲剣で敵弾を弾く。それがなくても腕部で受ければ胴体へのダメージは軽減できる。

 ドルフィンはとにかく立ち止まった。

 カーベラの機体コンピュータは現状を演習中と認識している。敵味方の識別はできるが所属不明のオブジェクトに対する行動は指示されていない。そういった状況では周囲に危害を及ぼさない範囲で自機の保護を優先する。その結果としての防御姿勢だった。

 しかしドルフィンは思案の末解析した日本の識別信号で返答する。カーベラは今回の試験に際して同駐屯地全てのユニットを味方であると指定されていたが、ドルフィンはそこに含まれていない。さらに処理が混乱する。

 二機は互いの様子を睨んだまま瞬きもしない。カメラのレンズは深いトンネルのように貪欲な引力を湛えている。まるで種類の異なる二頭の肉食獣が遭遇したようだった。自分が捕食者なのか、それとも餌食なのか判断がつかない。しかし相手も同じように思案していることだけはわかっている。下手に動くことはできない。

 ドルフィンには先手を取るつもりはない。相手が何であれ暴力の発動はこの国に対する宣戦と同じだった。だがもし相手が先に手を出すなら最も効率的な手段で捻り潰す、その用意だけは万全に整えている。ドルフィンの姿勢だけでその意志は簡単に読み取ることができた。

 松浦は藪を掻き分けて道路に飛び出した。そしてサーフのフロントガラスにクモの巣状の罅が入っているのを見つける。カーベラを振り返る。その爪先に泥や植物の破片とは質感の違うものが張り付いている。赤黒い血液の染みだった。

 サーフの後部座席の窓が下がる。九木崎女史が顔を出して松浦を呼ぶ。

「大丈夫なのか」女史が叫ぶ。

「何が」松浦は訊き返した。

「敵対してないのか、ドルフィンは」

「問題ない。早くカーベラを退かせて」

「わかった」女史は首を引っ込める。後ろでカーベラが腕を下ろす。ドルフィンは動かない。

 松浦が車の横まで来ると煮雪舞子が助手席の方に身を乗り出して男の頭をタオルで押さえているのが目に入った。運転席のドアを開けて中を覗き込む。男は鹿屋だ。自分の左肩を右手で押さえていた。瞼をぎゅっと閉じている。意識が飛びかけているか、それとも痛みに耐えているのだろう。タオルは血に染まりつつあった。額や耳や、舞子が押さえていないところからも出血しているようだった。

「鹿屋、どこに当たった」松浦は訊いた。

「腕。骨に入った」鹿屋は上ずった声で早口に答える。フロントガラスの銃痕は一つだから額の傷はガラスの破片が当たったのだろう。

 九木崎女史は左後席でノートパソコンを膝に置いて木に登った豹のようにしばらくドルフィンとカーベラの様子を窺っていたが、動きがないのを確認するとパソコンを横に置いて前の席のヘッドレストに体を近づけた。

「舞子、いっぺん息を整えな」と女史。

「はい」舞子は答える。一拍置いて頷く。

 女史が止血を代わる。舞子は運転席のシートに収まって車の状態を確かめるみたいに一度ハンドルとハンドブレーキを握った。それから息をつく。大きく肩が動く。

「これって実戦?」舞子は唾を飲み込みながら訊く。

「だいたい」松浦はゆっくり頷く。「大丈夫。上手くやってる。少なくともこっちに死人は出てない」

 松浦は舞子の膝に手を置いた。彼の手が触れると舞子は短く目を瞑って息をついた。震えや緊張がぱたりと消える。

「カーベラの爪先の血は」松浦は後ろの席に向かって訊いた。

「そこを走っている時にカーベラが人影を捉えたんだ。こんなところにいるのはおかしいだろう」女史が止血の体勢のまま答える。「確認しようと近づけたら、それで向こうは追われていると思ったんだろうが、こっちへ逃げてきて発砲した。たぶん死んだと思うが、後続の牽引車レッカを残してきた。今頃収容しているはずだ」

「カーベラをこのまま泳がせとくのは恐いな」松浦は舞子の膝に手を乗せたまま二機の様子に目を戻していた。

「任せてもいいか。それならこの車は先に戻らせてもらう。制御を渡したら私が運転するから二人は後ろに移れ」と女史。

 その指示にそれぞれ返事、松浦はカーベラの足から背中によじ登って接続、制御系をオーバーライドする。ドルフィンに手で合図する。

 サーフはカーベラを避けて左の腹を茂みの枝葉に摺りながら走り抜ける。アンテナが枝に引っ掛かって猫じゃらしのように揺れる。

「一人怪我をしていた」とドルフィンからカーベラにレーザー通信。暗号方式は日本のもの。

「大丈夫だよ。あいつは頑丈だから」松浦は目を瞑って生身を休める。

「本当に?」

「本当に」

 松浦は機体を動かして道を進む。中隊の車庫に針路を取る。間もなく彼が乗ってきた業務車を通り過ぎた。カーベラと遭遇しなければ彼はそれに乗って戻るつもりだったのだろうけど、今はひとまずそこに置いておくしかない。

「それ、あなたの機体じゃない」ドルフィンは訊いた。

「無人化のテスト機なんだ」と松浦。

「肢闘を無人化してどうするの?」

「どうもしない。ただのテストなんだ」

「あの血」

「ロシア人がきっと君の電話を嗅ぎつけて出てきたんだ」

「だけどそれを撃てるの? そのAIは。それとも人が指示を出しただけ?」

「攻撃を指示されたから蹴り飛ばしたんだ。守るだけなら他にも方法はある。つまり、そうか、捕獲という選択肢はなかったんだよ。青藍さんだからこうなった。判断をした。そういう人だ。彼女は君の味方だ」

「九木崎博士ですか。彼女が動かしていた」

「いいや、動かしちゃいないよ。指示しただけだ。その責任を負うだけだ」

 森を抜ける。シダが消え、スギの枝葉の高い屋根の下を抜け、カエデの枝を掠り、サザンカの垣を越える。演習場の開けた草地に出る。私のマーリファインと檜佐のカーベラが護衛のために出てきていた。互いに百メートルほどの距離を保って走る。

「松浦、聞こえるか」賀西が無線を入れた。

「松浦、柏木機、聞こえます」と松浦。

「ドルフィン9をロ号掩体壕まで誘導してくれ。一度そこで匿う。放水車もこっちで待っている」

「ロ号掩体壕?」

 私はその掩体壕の座標を地図データに紐づけてレーザー通信で松浦に送信した。

「わかった」と松浦。受け取れたようだ。それから「エウドキア・ロプーヒナ」と呼ぶ。

「はい?」ドルフィン9は返事をする。

「これから洗浄を受けて一度掩体壕に入ってもらう。たぶん尋問だ」

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