封じられたモノ
これは、死んだ親父が生前、俺に語ってくれた話だ。
俺の親父は、とある地方の名士と言われる家の出だった。
祖先が豪農だったとかで、敷地には立派な屋敷の他に蔵がいくつもあったんだそうだ。
親父は六人兄弟の下から二番目で、若いころはかなりやんちゃ者だった。
小遣いを貰ってはすぐに使い果たして、遊ぶ金ほしさに蔵を漁るようなこともしていたんだとかで。金になりそうなものを見つけると、手当たり次第に質屋に売っぱらって金に換えていたそうだ。
その日も、夕方の黄昏迫る時分。親父は懐中電灯片手に、薄暗い蔵の中を漁っていた。
ふと、何度も漁り尽くした古ダンスの後ろ、蔵の壁との間に幾分スペースがあることに気づく。
なんだろう。古ダンスの後ろに何かが隠してあるように思えた。
こんな風に隠すとなると、これは価値のあるものかもしれない。
タンスの端に手をかけて身体を使って押すと、やっとの思いで大きな古ダンスをずらした。
その隙間から懐中電灯の光を差し入れると、そこには大きな桐の衣装箱が置かれていたんだそうだ。これは期待できるかもしれない。そう考えた親父は、意気揚々とその衣装箱の蓋をあけた。
しかし、中に入っていたのは古い着物の類いだった。
それを手に取り、親父はがっかりする。古着なんて二束三文にしかならない。期待した分、失望感も大きく、むしゃくしゃした親父は着物を乱雑に取り出すと、まとめて風呂敷に入れて質屋に持っていこうとした。
そのとき、親父が抱え込んだ古着の間から、何かが滑り落ちる。
それは縦二十センチ、横十センチほどの平べったい木箱だった。
かなり古いもののようで、木箱の表面には赤と黒の墨で何か書き付けてあるが、掠れてよくは見えない。
親父は木箱を拾い上げると服の袖で箱の書き付けを拭き、懐中電灯を向けてみた。
そこには、『禁』という朱書きの大きな文字。
そして、その禁の文字を挟むように少し小さめに黒墨で『虚』『口』とある。
「
木箱の蓋を掴んで開けてみる。開けたときに、パラパラとちぎれた紙のようなものが落ちた。何か、封のようなものをしてあったのかもしれない。
その箱の中には、手鏡が一つ入っていた。
手鏡といっても華やかなものではなく、青銅のような金属製の握り手には青錆が浮いていた。ひっくり返してみると、鏡の裏にも『虚』『口』と書かれてある。
大事そうに仕舞ってあったところをみると元は高価なものだったのかもしれないが、今は青錆が浮いている古ぼけた手鏡だ。
質に持っていっても、大した金にはならないだろう。
親父は妹にでもやるかと思い立ち、その手鏡を箱から出して手に持ったまま蔵から出た。外はまだ日が沈みかけたところで、空は赤く染まっていた。
と、そこに。本家の屋敷の方から頭に手ぬぐいを巻き、木桶を抱えた女性が歩いてくるのが見えた。近所に住む分家の女だ。本家に風呂を借りに来た帰りのようだった。
親父はその女と二言三言立ち話をしたついでに、ふと手に持っていた手鏡をその女にやることを思いつく。
こんな古ぼけた手鏡なんて、やっぱり妹は欲しがらないかもしれないと思い直したからだ。
女は手鏡ときいて、喜んで受け取ってくれた。
女は早速、風呂上がりで乱れた髪を手鏡を見ながら手ぐしで直し始めた。
親父は女と別れて屋敷へと足を向けたとき、背後でギャ――――!!!というもの凄い悲鳴が聞こえた。
驚いて振り返ると、さっきまで嬉しそうに手鏡を覗き込んでいた女が仰向けに倒れている。駆け寄ると、女は口から泡を出し、四肢はつっぱって痙攣し、眼は目玉が飛び出るんじゃないかと怖くなるほど大きく見開かれていた。
「おい! どうしたんだよ! おい!」
さっきまで普通に会話していた相手のあまりの変わりように狼狽えながらも声をかけるが、女はブツブツとよくわからないことを呂律の回っていない舌で捲し立てている。口元に耳を近づけると、どうやら「みえたみえたみえた」と言っているようにも聞こえた。
そこに騒ぎを聞きつけて屋敷から人が出てくる。
医者を呼んでこい、水をもってこいと騒ぎになるが、親父の祖母にあたる人が傍らに落ちていた手鏡に目を留めた途端、親父を激しく叱りつけてきた。
「お前、なんてものを持ち出したんだ! ああ、もうアレを見てしまったんなら手遅れだ……」
そう祖母は言っていたのだそうだ。そして、すぐに布キレであの手鏡を包むと、どこかへと持っていってしまったらしい。
それから数年後。
親父は家の用事で分家の家を訪れた。
その際、あの時の女を見かけたんだそうだ。
女は奥の灯りもついていない部屋で、一人ぼんやりと鏡台の鏡の前にだらしなく座っていた。
そして、ぶつぶつと絶えず独り言を言っていたのだという。
「みえたみえたみえたみえた」
と。
女はその後、どこか遠くの病院の隔離病棟に送られたと聞いた。
女はあの時、手鏡の中に何か見てはいけないものを見てしまったのだろうか。
それは見るだけで精神に異常をきたしてしまうようなものだったのか。
一度、祖母にあの手鏡のことを聞いてみたことがあったようだが、祖母はただ「あれは絶対に外に出してはならねぇ」とだけしか教えてくれなかったそうだ。
それから月日が経ち、祖母も亡くなり、あの時の事を知るものも少なくなっていった。そして、親父が亡くなる数年前、親父は一番上の兄の息子から本家の屋敷は蔵ごと全て売り払ってしまったと聞かされたという。
あの手鏡が、どこに行ってしまったのか。親父は死ぬ直前まで、そのことを気にしていた。
おそらく。代が変わり、本家の私物の管理をする人間が次々に変わったことで、あの手鏡のことも忘れ去られていたのだろう。本家を売り払った際、不要なものはまとめて骨董屋やリサイクルショップに引き取って貰ったのだそうだ。
あの手鏡も、もしかしたら中古市場のどこかを今も彷徨っているのかもしれない。
誰かが知らずに手にしてしまったおそれもある。
もし、青銅色の後ろに『虚口』と書かれた手鏡を見つけたら、絶対に鏡を覗き込まないでほしい。
アレを見てしまったら、取り返しがつかないことになってしまうのだから。
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