降りては、いけない。

飛野猶

降りては、いけない。


 これは、五年前の話。

 あれは、そう。今日みたいに蒸し暑い金曜日の夜だった。


 私は同僚と楽しくお酒を飲んだあと、都内にある自分のワンルームマンションへとご機嫌に帰ってきて、メイクも落とさずにベッドへ直行。そのままうたた寝していた。


 その日の、深夜。

 気持ちの良い眠りから私を引き戻したのは、携帯電話の呼び出し音だった。

 私は枕につっぷしたまま、手探りで枕元を探す。大体いつも、このあたりにスマホを置いているはずだ。ほら、あった。


 私はごろんと仰向けになると、通話ボタンを押した。


「ナナミ。何?」


 さっきちらっと見た画面に表示されていたのは、大学時代からの付き合いのある親友の名前。昔から、彼氏とケンカしたとか、仕事で上司に怒られたとか些細なことで落ち込んでは、私に電話をかけてくる彼女。

 きっと、今日もまたくだらない電話なんだろう、そう思ってぞんざいな口調で電話に出た。

 しかし、こちらが電話に出た途端、ぷつんと通話は切れる。


「……んー? なんなのよ」


 私は不機嫌にスマホの画面を睨んだ。いま、一瞬だが、たしかに彼女と通話が繋がったのだ。こちらの声が聞こえたタイミングで相手が切ったように思えた。なんだか、感じ悪い。


 しかし、そこに表示されたものを読んだ瞬間。眠気なんかふっ飛んでしまった。


【どこだろう】

【〇〇行きに乗ったはずなのに、こんな道知らない】

【なんでこんな田舎道とおるの?】

【お願い、ハルカ。気づいて! お願い!】

【助けて! ハルカ!】


 そんな文字でSNSの画面が埋められていた。


「え……ちょっと、何これ」


 私は背筋が泡立つような嫌な胸騒ぎを覚えて、ナナミにメッセージを返した。


『どうしたの? ナナミ。あんた、今、どこにいるのよ?』


 私が文字を打つと、すぐに既読表示に変わる。


【あ、良かった! ハルカ! まだ起きてたんだ!】


『あんたからの電話で起こされたのよ。あんた、さっき電話したでしょ? なんで切ったの?』


【うん。ごめんね。なかなかハルカ、気づいてくれないから。でも、あのね。電話、できないの。その、なんか声を立てるのが怖くて……。だから、お願い。このメッセージで会話してほしいの】


 うん? 何を言ってるんだ? と私は訝しく思った。声を立てるのが怖いって、もしかして……。


『あんた、今、誰かに追われてるとか。監禁されてるとか、そんな怖いことになってんじゃないでしょうね?』


【ううん。違うの】


 そこでナナミが教えてくれたことは、意外なことだった。

 飲食店に勤めている彼女は、今日もいつものごとく終電で帰ってきて、自宅の最寄り駅から終バスに乗ったのだという。

 今日は金曜の夜と言うこともあって、終バスはいつも以上に混んでいた。しかし、たまたま座席に座れたんだそうだ。


【そのときはラッキーって思ったの。そんで、バスに揺られているうちに眠っちゃって。どれだけ寝たのかわかんないんだけど。目が覚めたら、いつの間にかお客さんは私だけになってて】


 そこでナナミは異変に気づいたんだそうだ。

 バスが知らない場所を走ってる、ってことに。

 毎日朝夕と行き来する場所だもの、途中の景色を覚えていないはずがない。それなのに、バスは見たこともない景色の中を走っていた。

 住宅街の路線のはずなのに、周囲は真っ暗で。時折、古ぼけた街灯がぽつりぽつりと灯るだけの田舎道。

 良くは見渡せないが、周囲には田んぼしかないように見えたそうだ。

 ときどき通り過ぎるバス停も、普段目にするものとは違う。赤さびが浮いた古びたものだという。


【おかしいよ! このバス、どこに向かってるんだろう】


『とにかく。運転手さんに聞いてみなさいよ。誰も乗客がいないって言ったって、運転手さんはいるんでしょ?』


【うん。それは私も、さっきから考えてるんだけど。なんかね。すごく、怖いの。運転席に誰かいるのは、気配で分かるんだけど。見ちゃったらダメなような、すごく嫌な感じがするの】


 そう言って、ナナミは運転手のところにいくことを嫌がった。


【それにね。さっきからずっと車内アナウンスもないし。電光掲示板も電源が落ちたままなの】


『じゃあさ。バス停、今度通りすぎたらなんて書いてあるか教えてよ。ちょっと検索してみる』


【うん。あ……いま、通り過ぎた。えっとね。木暮町役場って書いてあった】


『木暮町ね、わかった。調べてみる』


 私はすぐにタブレットを開くと、木暮町という地名を探してみた。しかし、すぐに見つかると思ったその地名は、なかなか検索にひっかかってこない。色々調べたあげく、見つかったのは昭和30年頃の郷土史について書かれた記事だった。


 その記事によると、木暮町という町はあの地域にたしかに存在はしていた。しかし、昭和30年頃の市町村合併ブームで統合され、今は存在していない。

 さっと、血の気が引く思いがした。

 ナナミの乗るバスは、本当にいま、この時代に存在しているの?


【ハルカ! ハルカ! どうしよう!】


 慌てた様子の字面に驚いて、はっと我に返った私はすぐに返信する。


『どうしたの?』


【私ね。勇気を出して、運転手さんとこに行ってみたの。そしたら、さっきまで人の気配がしてたはずなのに、誰もいなくて。バスも止まっちゃった】


『えええ!? どういうこと???』


【私も、わかんない。どうしよう。どうしよう】


 そんなこと言われたって、私にだってわからない。きっと、ナナミが見てないうちに何かの用事で降りちゃったのよ。すぐ戻ってくるよ、そう打とうとしたがそれよりも早くナナミから返信があった。


【ハルカ。バスの外に誰かいる。霧みたいなのが出てて、よく見えないけど。おーい、って私を呼んでるみたい。私、ちょっと行ってみる】


『えええ? やばいって! ダメだよ! ナナミ! 行っちゃダメ!!! 降りちゃだめ!!!』




 けれど。それっきり彼女から返信が返ってくることはなかった。

 それを最後に彼女の行方は分からない。

 ご両親が警察に捜索願も出したが、現在も何の手がかりもないという。

 まるで神隠しにでもあったかのように、彼女は忽然と消えてしまった。


 彼女は、どこでバスを降りたんだろう。

 あのバスは、今もどこかを走っているんだろうか。




 あなたが乗るバスも、もしかしたら……。








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