進藤 歩美(24)


 5-①


 ……まさかこんな事になるとは。


 昔から本が好きだった。本を作る仕事がしたくて、出版社の面接を何十社も受けまくり、遂に私のもとへ念願の採用通知が届いた。

 届いた採用通知は二通、超科学学習社と明民めいみん書房からだ。

 超科学学習社は参考書や学習書、子供向けの図鑑などを出版している出版社だ。私の通っていた小学校の図書室には超科学学習社出版の『世界の動物図鑑』が置いてあった。私の本好きは、この一冊から始まったと言っても過言ではない。

 もう一方の明民書房は……面接を受けておいて大変失礼な話なのだが、どんな本を出していたのかイマイチ思い出せずにいた。

 しかしながら、筋トレマニアの格闘技オタクで、本と言えばマンガくらいしか読まない男友達の来田きだが、明民書房の採用通知を見て、『むうっ……これは!!』と唸っていたので、『知ってるの、来田!?』と聞いたら、明民書房について暑苦しく語ってくれた。

 明民書房というのは、主に世界各国、古今東西の武術や格闘技についての本を出版しているらしい。来田の通っていた小学校の図書室には明民書房出版の『世界の珍拳秘拳』が置いてあったらしく、彼の格闘技オタクっぷりはこの一冊から始まったと言っても過言ではないらしい。


 ……来田の話が終わった瞬間、私は明民書房の採用担当に採用辞退の電話をかけた。


 こうして、超科学学習館で働く事になったのが今から約一年半前の事だ。

 私は燃えていた。そう、私の作った本で、子供達に新たな世界を知る事の喜びと感動を伝えるのだ……と。

 だが、そんな私の情熱とは裏腹に、私が配属されたのは、『月刊レムリア』の部署だった。

 幻の大陸の名を冠するこの雑誌は、『脳汁沸騰!! 世界の知られざる真実に迫る、ハイパー謎解明Magazine!!』という、怪しげなキャッチコピーからも分かるように、いわゆるオカルト雑誌だった。

 よりにもよって、超科学学習社が出版している本の中で、私の理想からもっとも遠い一冊ではないか。まさかこんな事になるとは。

 ちなみに、来月号に掲載される予定の主な記事は、


『妄想が止まらない!? 原因不明、中学二年生を襲う奇病!!』

『新説!! サッカラのピラミッドは古代人の闘技場!?』

『追跡!! I市に暗躍する謎の秘密結社を追え!!』


 ……そして、今回私が担当する記事のタイトルが『扉はあなたのすぐ側に…異世界へのいざない』だ。なんとも胡散臭い内容だが、それでも初めて自分に任された記事だ。

 私は張り切って「自称」異世界研究の第一人者、吉田氏の自宅に取材に向かった。


 5-②


「あなたは……異界の存在を信じますか?」


 吉田氏はいかにも温和な好々爺という感じの老人だった。


「いかい……ですか?」


 異界というのは、私達の住む世界とは異なる世界の事を吉田氏がそう呼んでいるらしく、そこに棲む未知の存在による異界からの侵食は既に始まっているという……そのあまりにもオカルトじみた内容に、私は話を聞いている間、ぎこちない笑顔を浮かべて、なんとも言えない曖昧な相槌を返すしか出来なかった。


 ……ハッキリ言って到底信じられる内容の話ではない。


 そんな私の内心を悟ったのか吉田氏は言った。


「やはり……信じてはもらえんでしょうな」

「あっ、いえそんな事は……」


 しまった……先輩から『オカルト研究者は普段から疑われてばかりだから、疑う素振りを見せると怒って話をしてくれなくなる場合がある』とアドバイスをもらっていたのに……

「良いのです、こんな荒唐無稽な話をいきなり信じろと言う方が無茶というものでしょう」

「すみません……でも、そのなんと言うか、証拠と言いますか……異界の存在を裏付けるようなものって無いのでしょうか?」

「分かりました、少し待っていて下さい」


 そう言うと、吉田氏は応接間を出て行き、数分後、風呂敷に包まれた一抱えほどある箱を持って来た。


「これです……」


 そう言って吉田氏は箱を覆う風呂敷を解いた。


「ひっ!?」


 中に入っていたものを見て、私は小さく悲鳴を上げてしまった。ガラス製の箱の中には人間の腕が入っていた。

 大きさから言って、小学校低学年くらいの子供のものだろうか。右腕、肩から先の部分が「く」の字に折り畳まれた状態でケースに収まっている。


「よ、吉田さん……これは一体!?」


 戸惑う私に、吉田氏が質問した。


「進藤さん、貴女は二週間前の小学生転落事件を覚えていらっしゃいますか?」


 吉田氏の問いに、私は頷いた。

 それは、二週間前に起きた事故で、小学二年生の男の子が、通っていた塾があるビルの非常階段、5階の高さから転落したという痛ましい事故だった。しかし、この事件には不可解な点が一つあった。遺体が……見つかっていないのだ。転落した少年の名前は確か……吉田……!?

 そこまで思い出して、私はハッとした。まさか……これは……


「孫の良樹よしき……いや、良樹に化けていた何かの一部です」


 ……あまりにもショッキングなものを見たのと、軽い嘔吐感で頭が上手く回らない。ウチのキャッチコピーじゃないけど、脳汁が沸騰しそうだ。

 お孫さんの腕? 化けていた? この人は一体何を……?

 吉田氏は語る。


「あの日は……急な仕事が入った良樹の母親に代わって、私は車で良樹を迎えに行きました。塾のあるビルに到着したら、非常階段の所で二人の子供が揉み合っているのが見えました……良樹と、良樹の親友の翔太君でした。最初はふざけてじゃれ合っているのだと思いました。しかし、場所が場所なので、危ないぞと注意しようと車を降りた瞬間、良樹の体が手すりを越えて落ちたのです」


 淡々と語る吉田氏に私は違和感を覚えた。自身のお孫さんが…それもわずか二週間前に亡くなったばかりなのだ。普通だったら思い出したくもない事のはずなのに、こうも淡々としていられるものなのか?


「私は慌てて良樹が落ちた場所に向かいました。そこにあった良樹の体は、それはもう酷いものでした。頭がひしゃげ、手足はあらぬ方向に曲がり、右腕に至っては完全に捥げてしまっていました。私は、一目で良樹の死を確信しました……」


 いくら何でも平然とし過ぎている。そもそも、遺体は未だ発見されていないはずではなかったのか。頭の中で渦を巻く疑問を断ち切るように、吉田氏が言った。


「でもね……良樹は立ち上がったんですよ。良樹は何もない空間に穴と言うか、裂け目を作り出して、逃げるようにその中に入って行きました。良樹を追いかけて裂け目に片足を踏み入れようとした瞬間、背後から『入っちゃダメ!!』と言う声がしました……翔太君でした。彼は言いました、『あれはよっちゃんじゃない!! その先はおばけの国だ!!』と……」


 そこまで言って、吉田氏は溜息をついた。


「普段なら子供の戯言たわごとだと一笑に付す所ですが、目の前で起きた事も相まって、私には翔太君が嘘をついているようには思えなかった。良樹を追うか逡巡しているうちに、穴は閉じ、消えてしまいました。そして、このケースの中に入っているのが、現場に残された右腕です」


 私は、吉田氏がどことなく不気味な存在に思えてきた。温厚な好々爺だと思っていた目の前の老人は、実はおかしな妄想に取り付かれているのではないか? いくらなんでも話の内容が現実離れし過ぎている。


「この右腕……おかしいと思いませんか?」

「……え?」

「あの日から二週間以上経つのに、全く腐敗しないのです。それに、断面を見て下さい……」


 見たくもないのに、吉田氏が腕の付け根をこちらに向けた。

 ……ゴム手袋にゼリーを流し込んで固めたようなと言えば分かってもらえるだろうか。断面には骨も筋肉も無かった。皮膚の内側には不気味な黒いゲル状の物体が詰まっている。


「これは……人間の腕ではありません、何かが…良樹に成りすましていたのです。あの後、翔太君から聞きました。良樹が謎の生物に裂け目の向こうへ連れて行かれた事、裂け目の向こう……翔太君は『おばけの国』と言っていましたが、彼が語った風景と、あの時私が裂け目を通して見た風景は一致しています」


 不意に、吉田氏が私の手を取った。先程までとは打って変わって吉田氏は哀願するような表情を浮かべていた。


「進藤さん、私はどうしても向こうの世界に渡って、良樹の安否を確かめたいのです。オカルト雑誌として名高いレムリアに掲載されれば、読者の方から異界に関して何らかの情報を得られるかもしれない。何とぞ……何とぞよろしくお願い致します!!」

「は……はあ……わ、分かりました」


 私は挨拶もそこそこに吉田氏の自宅を出た。


 5-③


 私は会社への帰りのバスに揺られながら、スマホの画面を見ていた。画面には、吉田氏が見たという、裂け目の向こうの風景を描いた絵を撮影させて頂いた画像が映し出されている。

 赤黒い空、手前に広がる黒々とした森と、遠くに佇むビル群、そしてキャンバス中央に描かれたいびつな巨塔。

 どうやら……吉田氏には絵の心得があるらしい。不気味だが、見ていると引き込まれそうになる不思議な絵だ。

 吉田氏が言うには、異界の住人達は、良樹君のように、人間になりすましてこちらの世界に徐々に侵入してきているに違いないとの事だ。話の真偽はともかく、これは反響のある記事が書けるかもしれないな。

 そんな事を考えているうちに会社の最寄りのバス停に着いた。バスを降り、レムリア編集部に戻る。


「進藤です、ただいま戻りま……」


 扉を開けて、私は言葉を失った。

 身体が黒いゲル状の物質で構成された人型の怪物達が、編集部のみんなを次々に空間の裂け目に投げ込んでいる。そして私は見た、裂け目の向こうに、吉田氏の絵と同じ風景……異界が広がっているのを。

 怪物達が、逃げようとした私の腕を掴んだ。


 ……まさかこんな事になるとは。どうやら……吉田氏との約束は果たせそうにない。

 

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