第24話 マクガフィンとリドルストーリー

「ふーむ。ある人は見たといい、ある人は知らないという。ある人は地味だと言い、ある人の話では顔立ちが整っている。それでいて、何処から来て何処に行ったのかははっきりしない、か。なるほどね」


 翌日、僕は図書室の隣の空き部屋で星原に演劇部員たちから聞きこんだ内容を語った。彼女は僕の話をひとしきり聞いたあとで、状況は把握できたとばかりに頷いてみせた。


「仙川さんの方は、前は厳しくて固い感じだったけど、最近は親しみやすくなったとかそういう声が多かったんだ。あと、部長の烏山さんと高井戸くんが付き合っているそうだ。以前は部内恋愛禁止だったらしいけどな。……あまり役に立たない情報だけど」


 だが星原は僕の言葉にいやいやと首を振りながら応じた。


「部内の人間関係がこの件に何らかの影響を与えている可能性はあるもの。一見なんてことない情報でも無駄とは言い切れないわ。それに人間の評価は意外と陰口に現れるのよね」

「そんなものかね」

「ちなみに私は人生の大事なことはだいたい女子の陰口トークから学んだわ」


 殺伐とした人生だな。


 眉をしかめる僕をよそに星原は考察を始める。


「部員にも他に『佐藤』という名前の人がいて、それどころか一年C組にも『佐藤』という名前の別人がいる。これまた迷彩か煙幕のように話を分かりにくくしている。というよりも、この状況を利用している誰かがいると考えるべきなのかもしれないわ」

「利用している?」

「つまり、その私たちが探している『幽霊部員くん』の本当の名前は『佐藤』ではないのかもしれない。だからこそ、いざというとき誤魔化しがきくように、部内や学校内に同じ名前の人がいる佐藤という名前を名乗っている」

「なるほどな」


 僕は「一年C組に在籍していない佐藤という謎の部員は、部外者が演劇部に入り込んでいたのではないか」と考えていたが、そもそも佐藤という新入部員は存在せず、内部の人間が新入部員の佐藤を演じていたという可能性もあるわけだ。


 が、僕がこの考えを話すと星原は指を立てながら「それもあり得るけれど私はもう一つの可能性を考えているの」と答えた。


「もう一つの可能性?」

「例えばタクシーの運転手が使う暗号で『大きな忘れ物』というのがある」

「……」

「これは文字通りの意味ではなくて、重大な事件を起こした犯人が客として乗ってきたときにそれを無線で外部に知らせるときに使う隠語なのよ」


 指名手配中の強盗犯が客として乗ってきたときなどに、そのことを犯人の前でそのまま口に出して知らせるわけにはいかないから、そういう言い換えを使うということなのだろう。


「つまり、こう言いたいたいのか。演劇部で呼ばれている佐藤というのは実は特定の人物のことではなくて何かの隠語だと」

「ええ」

「人前で口に出せないような言葉の言いかえか。そういえば僕も聞いたことがあるな。デパートとかで商品を買わないで万引きする客を見つけた時に『川中さんが出た』とか言い換えたりする、と。……まさかとはおもうが、佐藤くんも犯罪的な行為を意味しているんじゃあないだろうな」

「流石にそれは発想が行き過ぎだと思うけど。それだと頻繁に部内で非合法活動をしていることになってしまうわ」


 星原が肩をすくめてみせる。


「そうじゃあなくて私が考えていたのは、佐藤というのは本当は個人の名前ではなくて演劇部内に存在する非公式な『称号』とか『役職』みたいなものなんじゃあないかってこと」

「ああ。つまり演劇部には何か表ざたにできない役割を引き受ける立場の人間がいて、その人間を仮に新入部員の佐藤と呼称している。でもその事は部長を含む演劇部の一部の人間しか知らない。……しかし普通なら姿を見せない幽霊部員で済むはずが、彼の所在にこだわって気に掛ける人間が現れた。それが仙川さんだった。それで彼女に佐藤の正体を暴かれることを恐れて、退部したことにした、とか」

「ええ。大体私が想像しているのはそんなところなんだけど。でも結局それが事実だったとしてもそれを確かめようがないのよね」


 彼女はため息交じりに呟いた。


「私たちからすればマクガフィンみたいなものだもの」


 僕は彼女が何気なく口走ったその言葉を聞きとがめる。


「? ……この間もそんなことを言っていたな。それって何なんだ?」

「え? ああ、そういえばあまり一般的な名詞でもないわね」


 星原は場違いなことを言ってしまったという様子で気まずそうに頭を掻いた。


「いや、単純に気になっただけだけど。どういう言葉なんだ?」

「話しが脱線するけど構わない?」


 僕は頷いて彼女に話の続きを促した。


「マクガフィンというのはね。映画監督ヒッチコックが定義した登場人物や話を動かすための小道具のことなの。例えば冒険映画だったら『遺跡に眠る伝説の財宝』かもしれないし、推理小説だったら『正体不明の凶器』とかね。言ってしまえばそれ自体は他のものにも置き換えられる空っぽの器みたいなもの」

「物語を動かす小道具。いまいちピンとこないが」

「例えば、海賊たちが富と名声と力をひとつなぎにした大秘宝を争って冒険を繰り広げる話があったとします」


 ものすごくどこかで聞いたような話だ。


「でも、仮にこの話に登場するのが『ひとつなぎの秘宝』ではなくて『どんな願いも叶えてくれる龍を呼び出す七つの玉』だったとしても物語としては成立するでしょう?」


 またも、ものすごく聞き覚えのある話だ。


「確かにそうだな。読者が読みたいエンターテインメント的な部分は、主人公たちが目的のものを巡って悪役と戦って繰り広げる冒険活劇であって、その目的のもの自体は別に他の何かであっても成立はするわけだ」


 星原は僕の言葉に同意するようにゆっくり頷いてみせた。


「ところが最近ではそのマクガフィンというのが、少し別の意味合いで使われることがあるの」

「別の意味合い?」

「ええ。マクガフィンが特定の物ではなく他の何かであってもいいという、その特性を突いてマクガフィン自体を敢えて曖昧にしたまま、内容を完結させる話がある。つまり読者に想像力を刺激させて、物話に神秘性をもたせる演出をするわけ。それで、そういうストーリーそのものも『マクガフィン』と最近では呼んでいるみたいなの」


 つまり、主人公たちの目的がわからないまま話が終わるということなのだろうか。変な話だ。 


「まあ、必然的にそういう話はリドルストーリーのジャンルになってしまうけどね」

「リドルストーリー……」


 そういうジャンルの小説があるのか。聞き慣れない単語の連続に頭がうまくついて行かないな。


「結末や作中の重要な出来事をわざと明示しないで、読者に解釈させるスタイルの小説のことよ」


 彼女の言葉を咀嚼しつつ、僕は首をひねる。 


「……それってオチがない、投げっぱなしエンドじゃないのか?」

「いえ、あくまでも話の演出として、描写されないの。……そうね。じゃあ例を出しましょうか。私が即興で考えた話だけど、こんなのはどう?」




 * * *



 ある男が一人暮らしをしていたが、ある日、彼を恋人の女が訪ねてくる。


 彼女は感情を押し殺した真剣な表情で男に一つの箱を渡した。


「何も言わずにこの箱をしばらく預かってほしい。ただし、箱は絶対に開けないで」


 男は女の言う事に素直に従った。


 その箱は厳重に封がされていて、箱の蓋に薄紙が貼りつけられているので一度開封したら元通りにはできないようだった。つまり一度開けて元に戻したら、そのことは相手にわかってしまうのだ。


 好奇心に揺れながらも男は箱を開けようとはしなかった。


 一週間が過ぎたころに、女がまたやってきてこう言う。


「また箱を預かってほしい。今度も箱は絶対に開けたりしないで」


 女はさらに大きい別の箱を男の家に運んできた。またも箱は厳重に閉じられている。


 男はまたも引き受けるが、箱の中が一体何なのか、だんだん気になってくる。


 その後、男はふと思い出す。恋人の実家は古い歴史ある家柄で、血族と名誉を重要視していた。そのために一族にとって恥となるような人間を表に出さず監禁し、場合によってはそのまま存在しなかったことにしてしまう事すらあるという噂を聞いたことがあった。


 そういえば恋人の女には兄がいると聞いたことがあったが、最近その兄の姿を見ていない。


 以前仕事で失敗して、無職になったと聞いていたが。


 前に預かった箱にしても人間の頭くらいなら入ってしまいそうな大きさだったし、この箱にしても寸断された人間の手足くらいなら入りそうだ。


 男は不安に駆られながらも箱を開けることはしなかった。


 一週間後、また女が現れて「これで最後だから、あと一週間だけ箱を預かってほしい」と別の箱を置いて行った。 


 今度は人間の胴体くらい入りそうな大きさだ。


 しかし男は何とか好奇心を抑えて、そのまま箱をただ一週間預かった。


 期限が過ぎた後、女は再度現れて男を自分の実家に招待する。そこで男は女の両親や家族に歓待され正式に結婚を認められることになった。女の父親が男に告げる。


「君に箱を預かってもらったのは一種のテストなんだ。娘と結婚させるのなら忍耐強く、自制心のある者であってほしいのでね。箱を開けずに我慢できるかを試す、我が家に代々伝わる結婚相手の審査なのだよ」


 聞けば、女の兄も最近姿を見ないのは、海外に留学しているからとのことだった。


 胸をなでおろした男が女に尋ねる。


「それで、あの箱の中身は何だったんだい?」


 しかし女は微笑を浮かべ「それは秘密よ」と答えるだけだった。


 ふと男が壁を見ると名家らしく家系図が飾られていた。そこに記された「本来いるべき家族の人数」は、「目の前の確認できる人間の数」よりも圧倒的に多かった。


 疑惑が胸の中に湧き上がってきたが、男はそれを口にはしなかった。


 まだテストは続いているのだ、これから一生続くのだと男は納得した。




 * * *



 星原の即興小説を聞き終えて、僕はため息をつくように声を漏らす。


「ふうん。この話の中のマクガフィンは箱の中身ということか」


 物語を動かすための舞台装置だが、それが何なのか最後まで明示されない。


 ただ、忍耐強さと自制心を試すものであり、開けてしまった人間を殺害する類の仕掛けが施されているということなのだろうか。


 物語の最後は、女の家族の中でも我慢できずに開けてしまった人間が少なからずいたということを暗示しているのか、はたまた存在しなかったことにされた家族がいたということなのか。


 箱の中は毒か、病原菌か、はたまた主人公の男が予想したようにかつて開けてしまった者のなれの果てなのかもしれない。


「私自身も箱の中身が何なのかは考えていないわ。きっとこの話を聞いた人間にとっての恐ろしい何かなのかもしれないし、あるいは『見たな。根性なし』と書かれた紙が入っているのかもしれないわね」

「なるほどね。こういうのがリドルストーリー……」


 星原は「わかってもらえた?」と微笑する。


「わかったけど、僕たちが今直面している問題までそんな曖昧な終わらせ方をするわけにはいかないな。佐藤というのが『個人』じゃあなくて『何かの記号』だったのだとしても、それを演じていた誰かがいるのには変わらないんだから」

「そうだけど、それを演劇部員ではない私たちがどう確かめるの?」


 星原の指摘は正しい。


 演劇部員ではない外部の僕らが正面から訊いても、そうそう教えてもらえるとは思えない。やはり入手可能な情報に限度がある。藪の中で起こっている事件を人づてに想像するようなものだ。


 いや、待てよ?


「現在演劇部に所属している人間から聞き出すのは難しい。でも以前に演劇部員だった人間から聞き出すことはできるかもしれないな」


 僕の言葉に星原は目を丸くする。


「そんな心当たりがあるの?」

「ああ。一人だけ」

「……誰の事?」

「どえらくぶっ飛んでいる元演劇部トップ女優だよ」

「はあ?」


 彼女はぽかんと口を開けた。

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