第19話 廃病院にて

 夕暮れの山道は不気味な雰囲気を漂わせてはいたが、もうすでに何度も通った道なので迷うことなく僕と明彦は先導して歩き続けることができた。


 フクロウか虫か何かの声が響く中、懐中電灯で足元を照らしながら山林を歩く一団。


 初めてここに来るクラスメイトたちは「へえ。こんな場所があったのか」「すげー。すげー」「もりあがるわ」とがやがやと声をあげながら後をついてくる。


 平井はゴミ処理場の方へ向かう分かれ道を通るとき一瞬心配そうに振り返ったが、誰も気にすることはなくそのまま通り過ぎるのを見てほっとしたようだった。


 やがて山道を抜けて僕らは国道へ出た。






 国道を歩くこと数分。


 それは開けた土地にポツンと取り残されたかのように建てられていた。


 灰色の鉄筋コンクリートでできたその病院は古びているうえに、薄い月明かりの下ではより一層不気味な雰囲気を醸し出す。当然だが窓ガラスは明かりが全く見えず、何もかも飲み込んでしまうかのような暗闇がたたずんでいた。


「ここがその病院なのか?」と三鷹が尋ねる。


「そのはずだよ。だいぶ前につぶれたから看板も取り外したみたいだけど」


「お、おい。向こうに見えるのは霊園じゃあないのか? 霊園の近くに病院って。……建てたやつは何を考えていたんだよ」と住吉が呆れ半分、怯え半分の声を漏らした。


「それを僕に訊かれても困るんだが。それじゃあ行こうか?」


「ああ行こうぜ。なかなか雰囲気あるじゃん。面白くなってきた」と三鷹がへらへら笑いながら頷いて見せる。


 他の生徒たちも建物が漂わせる独特の雰囲気に呑まれながらも、それを誤魔化すかのように「いや、すごそうだわ」「これなら、本当に出たりしてな」と軽口をたたきあう。


「入り口はあそこみたいだ」


 僕は建物の横側にある通用口と思われる扉を指さした。先陣を切って入り口に近づいてドアノブを引く。ギイとかすかな音を立ててすんなりとドアは開いた。


 中は入るものを拒もうとするかのような暗黒がただただ広がっている。


「入るよ」


 僕は準備してきた懐中電灯を点けて、辺りを照らした。学校の教室ほどではないがそこそこ大きな部屋だ。床には多少埃が積もっているが、目立つほどではない。


 正面には受付として使われていたらしいカウンター。


 待合室とロビーを兼ねていたのか、いくつか椅子が置かれているがどれもボロボロだった。


 奥の方には二階へ続いているらしい階段も見える。


 僕の後に続いて明彦や平井、三鷹や他の生徒たちもぞろぞろと入ってきた。


「うおおー。雰囲気あるう!」

「面白そうだな。おい。奥見てみようぜ」


 三鷹が「そんじゃあ、せっかくだから二手に分かれようぜ。片方は一階を探検、もう片方は二階を探検だ」と呼びかけた。


「えっ。別れて行動するのか」と住吉が顔をしかめる。できるだけ大勢で行動したいのだろうか。だが、三鷹は意に介さず壁を指さしながら話を進める。


「ああ。ここに案内図があるだろ。建物の反対側の非常口の手前にも階段があるはずだから、そこで合流な。全員で三階に向かうってことで」と仕切り始めた。


 男子連中も「了解」「ういーす」とそれに応えて、動き始めた。


「真守。どうする?」と明彦が暗がりの中で僕を肘で軽く小突いた。


 周りのクラスメイト達の動向を観察しながら僕は考える。


「……どっちでも同じだと思うけど、二階に行きたがっている奴が多いみたいだし。僕らは一階にしようか」


「ぼ、僕も一緒に行ってもいいか」と平井が話に入ってきた。


「いいけど。……声、震えてないか? もしかして怖いの? この間は幽霊よりも人間の方が怖いとか言ってなかったか?」


 平井は若干震えながらも眉を吊り上げて応える。


「あの時は人間の方が怖いといっただけだ! 幽霊は怖くないなんて言ってない!」

「……まあ、夏の暑さがつらい人間が冬は寒いと文句言ってもおかしかないけど」


 恐怖でテンションが半分おかしくなっているらしい。


 結局、三鷹たち体育会系部活グループの面子と住吉は二階の方に行ったので、必然的に残りの文化系男子と何となく参加した野次馬が一階を探検するグループになった。


 一階の廊下の薄暗がりを僕と明彦を含む何人かの男子が徘徊する。 


「なあ。明彦」

「ん」

「おかしくないか?」

「何がだよ」

「床が綺麗すぎる気がするんだよ。誰かが掃除でもしたみたいに」

「よせよ。この間の住吉の怪談じゃあるまいし。誰かがここに入り込んで生贄の儀式でも行っているってか? はたまた俺ら以外のお客が時折ハロウィンパーティーでもやらかしてるってか? 病院がつぶれたとはいってもこの建物の所有者はいるんだろ? きっとたまに建物の管理もかねて掃除しに来るんじゃないのか?」

「だけど、それにしては廊下の隅とか、ほら。そこの病室の中とかは結構埃まみれなんだよ」


 昨日今日、急に誰かが大雑把な掃除をしたみたいな感じとでもいうべきなのだろうか。


「確かに、掃除業者とかがやったという感じではなさそうだな」


 僕と明彦は訝しんで首をかしげる。しかし考えを巡らせる間もなく今度は後方から喧騒が聞こえはじめた。


「何だよ。これ」

「おかしいだろ。なんでこんなものがあるんだ?」


 一緒に来ていたクラスメイトの何人かが途中の病室の中でなにやらもめているようだった。


「どうかしたのか?」


 僕と明彦が廊下を引き返して部屋を覗き込むと、びくりとした顔で全員がこっちを見る。


「これ、見てくれ」


 平井が青ざめた顔で『それ』を指し示した。そこにあったものは歯医者などで使う歯科治療椅子に少し似ていた。ただ肘掛らしきものが左右についていて、奇妙なことにその肘掛と足の部分にベルトがついていたのだ。


 それがこの椅子に座ったものの四肢を拘束するためのものであることは想像に難くない。


 しかも椅子には黒ずんだ染みとカビが付着しており、異臭を漂わせている。


 平井は引きつった顔で自分の肩を抱いて震えていた。


「さ、さっきから気になっていたんだが。この施設、ナースステーションとか診察室らしいものが見当たらないような気がするんだ。まるで医療施設というより集団を生活させるための設備というか……」

「何が言いたいんだ?」

「ここは普通の病院ではなくて、精神病院だったんじゃないか?」


 明彦も僕の横で顔をこわばらせた。


「じゃあ。これは症状の重い暴れまわる患者を縛り付けて、違法な脳手術をしていたとか」


 僕は動揺しながらも明彦の言葉を否定する。


「ば、馬鹿いうなよ。ホラー映画の見すぎだろ。仮に精神病院だとしても、現代日本でそんなことしたら大問題だ」

「じゃあこの拘束椅子みたいなのは何なんだ?」


 改めて尋ねる平井に対し、僕は返す言葉がでてこない。


 一瞬その場に静寂が下りたその時、空気を切り裂くような声が響き渡った。


 文字にするなら『ウアアアアアッ!』という感じだろうか。さながら怪鳥の断末魔、いや。


「お、女の声?」

「今日参加したのは男だけだったはずだよな?」


 僕と明彦はぎょっとして顔を見合わせた。


 続いて地の底から響くような怨嗟の声がどこからともなく聞こえてくる。すすり泣くような、怨念がこもったうなり声。


「な、何だよ? これ?」とクラスメイトの一人が呟くのを背に僕らは廊下に飛び出した。


 すると廊下の向こうから何人もの足音がダダダッと響いてきた。三鷹や住吉たち、二階へ探検に行ったグループである。


 住吉は完全に取り乱して、目を見開いて泣き出しそうな表情だ。あの三鷹でさえ顔を引きつらせていた。


「で、出た! やばい! ここ本当にやべえよ!」

「……な、何かの間違いだ。あんなの」

「どうした。何があったんだよ?」


 三鷹たちを含む二階を回っていた七名ほどのクラスメイト達は僕らを見ると、とりあえず安堵したのか、ぜいぜいと息をつきながら立ち止まる。


 住吉が息もたえだえに、苦しそうにしながらも声を漏らした。


「この病院、何かおかしいんだ。階段を上がったところが、木の格子で区切られていた。まるで、……動物を通さないようにする檻みたいだった」


「じゃあやっぱり、ここは精神病院なのか?」と平井は震え声で訊く。


「せ、精神病院。……そうなのかも。それで、上を探索していたら、急にうなり声みたいなのが聞こえて」

「……」

「そしたら廊下の向こうから、顔が半分ただれた女が……白衣の女が現れて」

「白衣の女?」

「バラバラの足や生首を台車に乗せて運んできたんだ。それで俺たちの方を見てニタアと笑って、血の付いた包丁を取り出して『見たな』って」


 住吉はそこまで説明すると、自分が見たものを頭から振り払って追い出そうとするかのようにブルブルと首を振って「なあ。逃げよう。この建物やばいよ」と訴えた。


「……どうする?」と僕は明彦に振り返って尋ねた。


 が、明彦は答えない。ただ凍りついたような表情で遠くを見ていた。


「明彦?」


 明彦は無言で指さしていた。三鷹たちの後方の辺り。二階からの階段のところ。


 そこには顔の半分を赤黒い血に染めた色白の女の顔があった。


 前髪の下から恨みがましい目がこっちをギラリとにらんでいる。


「ひっ!」


 僕は思わず声をあげて後ずさる。


「見・つ・け・た」


 看護師の服を着ているが、手に持っているものは明らかに異様だ。それは血塗られた鉈だった。


 三鷹たちも僕らの目線に気づいて振り返り、固まっていた。


「アハハハハハハ!」


 その白衣の女は哄笑をあげる。その不吉な声に我に返ったのか、住吉が「わあーっ!」と悲鳴を上げて出口への方で一目散に駆け出す。


 恐怖が伝染して空気を一変させる瞬間があるとすれば、まさにこの時であっただろう。


 住吉に続いて五、六人ほどのクラスメイトも逃げ出し、「おい。待てよ!」「置いていかないでくれ!」とさらに何人かのクラスメイトが後を追い、僕自身もこの集団心理に飲み込まれ気が付いた時には走り出していた。




 僕らはそのまま、病院の入り口から飛び出して、国道に出てからもしばらく走り続けた。一息ついたのは最寄りのコンビニエンスストアの前までたどり着いてからだった。この近くで唯一明るく、人の気配がある場所だ。


 クラスメイトたちの半分くらいは軽いパニックに陥り「何だよあれ何だよ」「あり得ないあり得ない」とぶつぶつ呟くばかりだった。


「おい、全員いるな? 誰もいなくなってたりしないよな?」


 三鷹たちがクラスメイトたちに確認をとる。


 いくつかのグループに分かれていたクラスメイト連中は不安そうに「いや、いるよな?」「他には来てなかったべ?」と声を掛け合う。


「今日、俺たちは何も見なかった。肝試しになんて行かなかった。そういうことにする。いいな?」


 誰もが反論しなかった。ただただ青ざめた表情で頷くとやがて一人、二人と誰からともなく去っていき、その場でなし崩し的に解散になった。


 僕と明彦も静かにその場を去り、駅まで互いに無言で歩き続ける。


 繁華街の明かりが見えてきたところでおもむろに僕は切り出した。


「あれ。何だったんだろうな?」


 あの建物はただの廃病院にしては奇妙なところが多すぎた。それにあの白衣を着た不気味な女。幻覚などではなく僕らははっきりと見たのだ。


「俺にだってわかるかよ。そんなの。……とにかくこれで肝試しは一応済んだ。俺たちは当初の目的を達成した。忘れよう。な?」


 明彦はうつろな目で力なく笑って僕に答えたのだった。

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