第7話 動機をすり替える

 そして、それからまた二日後の放課後。つまり荻久保に絵を描いてもらうようになってから四日が過ぎた日である。


 今日も僕と星原、そして荻久保は再度星原の家の前に集まった。


「これは、……ちょっと変化があったみたいね」

「そうだな」


 星原の家の壁には荻久保が描いた和服の女性のグラフィティ。そしてその他に首が長い恐竜のグラフィティが描かれていた。ブラキオサウルスか何かのつもりかもしれないが正確なところはよくわからない。


 しかし描かれていたのはそれだけで、他の落書きはもう見当たらなかった。


「へえ。……でも何で落書きが減っていっているのかな?」

「単純な話だよ。最初に悪口や罵倒の落書きが消えたのは、僕の設置した張り紙と荻久保が描いたグラフィティのおかげで、程度の低い落書きがしづらい雰囲気になったから」

「つまり、単に悪戯書きがしたかった人たちね。でも自分たちよりも高度な落書きをされて興ざめしちゃったわけ」と星原が口を挟む。


 何事も自分よりも格段に上手な人間の技術を目の当たりにすると、打ちのめされてやる気を殺がれるということはあるだろう。


「それとマークとかメッセージを描いていた人が描かなくなったのは、二日ごとに評価するってことで、僕たちが落書きを消していたからだ」

「ああ。なるほど。つまりその人たちからすれば、人に見てもらえないなら意味がないわけだ」と荻久保が頷く。


 星原が看板の横に設置された箱を探りながら考察を述べる。


「そういうこと。要は自分で考えたマークやメッセージ性をアピールして広めたかったんでしょうけど、いくら描いても二日で消されると理解して、それならもうここで描く意味はないと悟ったんでしょうよ……っと」


 彼女は箱の中から紙切れを取り出して、内容を確認する。


「あった。えっと今度は『タイトル:トラディション・イーター』ですって。描いた人は前と同じみたいね。『ライター:ALLEY WOLF』。連絡先も前と同じメールアドレスだわ」

「ふうん。じゃあ、今も落書きをし続けているのはその人だけなんだな」

「そうね」

「じゃあ、そいつにコンタクトを取ってみるか」


 僕はそのメモに書かれていたメールアドレスを自分の携帯電話に登録した。


「コンタクトを取るって何するつもりなの?」


 荻久保が首をかしげる。


「『今回はあなたの書いた作品が選ばれました』って連絡するのさ。うまくすれば賞金を渡すという名目で相手を特定できるかもしれない」


 僕は今回アリーウルフとやらが描いたグラフィティの写真を張り紙の下に貼る。今度も『第二回表彰作品』と注釈をしてある。


「ふーん。でも賞金は?」

「一応、表彰作品として名目上選んだ形になっているから、渡してはおくさ」

「ああ。……お金を渡す名目で呼び出せば相手の面も割れるものね。そうしたらもう落書きはしづらくなるかもしれないし」

「待って」と星原がそこで口をはさんだ。

「そういうことなら、月ノ下くんではなくうちのお父さんがやり取りをした方が効果的だと思うわ」

「それは構わないが。……相手をどういう風に扱うかは説明してあるのか?」

「ええ、大丈夫。……何より、うちのお父さんの美術商という肩書を生かした方が効果的でしょう」


 そんな僕らをよそに、荻久保は手持無沙汰な様子で壁のグラフィティを眺めている。


「それはいいけど、お二人さん? 今日は私は何をすればいいのかな」

「今回は、このカエルの絵を頼む」


 僕は事前に荻久保に描いてもらっていたサンプルの一枚を指し示す。


「ええ? あの、でもさ。言いづらいんだけど、これ私があまりグラフィティのデザインに慣れていなかったから練習のつもりでインターネットから拾った画像をアレンジしたやつなんだよね」

「それでいいんだ。それから、今回はOHPを使わないで描いてみてくれないか?」

「OHPを使わずに? でも前も言ったけど私大きい絵を描くのに慣れていないから、線を投射してなぞらないで描いたら歪んじゃうかもしれないよ?」

「つまり、前ほどはうまく書けないかもしれないってことだろ? それでいいんだよ、今回は」

「どういうことなの?」

「荻久保がグラフィティを描くようになって、この壁は高度なストリートアートを描くスペースというふうに雰囲気が変わった。それでもなおこのアリーウルフとかいう人は自分のグラフィティを描いてきた。二日で消されるということがわかっても描き続けている。つまりそれだけ自己顕示欲が強いんだ」

「うん」

「そこにつけこむんだよ。それには

「うーん。まあ頼まれればやるけど、何がしたいのか私にはよくわかんないなあ」


 荻久保はぼやきながらも絵を描く準備を始めた。





 そしてさらに二日後。


 その日も一応荻久保に絵を描いてもらうつもりで僕ら三人は星原の家に集まろうとしていた。


 これで四度目くらいだろうか、星原の家の最寄り駅から住宅街の方へ足を向ける。


「結局、星原さんのお父さんはその落書き犯にコンタクトは取れたの?」


 荻久保が星原の隣を歩きながら尋ねる。


「取るには取れたわ。お父さんからメールで連絡したの。美術商をやっていることを明かしたうえで、あのストリートアートを美辞麗句でもって誉めそやして、賞金を直接手渡したいといったんだけどね」

「その感じだともしかして……」

「ええ。やっぱり身元を知られるのは嫌がったみたいで、賞金はネットバンクの口座に振り込んで欲しいと言ってきたわ」

「じゃあ、結局相手と対面することはできなかったの?」

「そういうこと」

「それだと、落書きを止めることはできないんじゃあない? むしろ表彰されたことでさらに図に乗って書き続けるかも」


 顔をしかめた荻久保の危惧に僕が答える。


「いや、実はここまでは想定の範囲内なんだ」

「そうなの?」

「この間、荻久保にカエルのグラフィティを描いてもらっただろう」

「ああ。……あの月ノ下くんが指定してきたありきたりなモチーフのやつ」

「あれをあえて今回の表彰作品として選んだんだ。そうだろ? 星原」


 星原が難しそうな表情で言葉を返す。


「ええ。昨日すでに家の前の壁に張り出して発表しておいたわ。そしてアートスペースとして使うのはこれが最後だということもね。……これで相手からリアクションがあればいいんだけど」

「それってどういう……」


 荻久保が何やら問いただそうとしたとき、星原が唐突にそれを遮った。


「……待って。うちのお父さんからメールが入っているわ」

「何だって?」

「えーと、『例の常習犯が今回の表彰発表にクレームをつけてきた。文句があるなら直接言いに来ればいいと伝えたら実際に押し掛けてきたところだ』ですって」


 どうやら相手がこっちの計画に乗ってきてくれたようだ。


 それにしても星原のお父さん、か。会うのは初めてだがどんな人なのだろう。


 そんな僕の気持ちをよそに星原の方は獲物を追い詰める猟犬のように鋭い目になるやいなや、急に早足になった。


「面白いものが見られるかもしれないわ。急ぎましょう」


「了解」と同意して僕も歩く速さをあげる。


「何がなんだかさっぱりわからないよ」と困惑した荻久保が後に続いた。

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