第4話 星原家にて

 翌日、僕は普段下校する時とは違う路線の電車に乗って何駅か移動し、静かな郊外の駅で下車した。


「こっちよ」と星原が僕の少し先を歩いて案内する。


 見慣れないビルや雑貨店、ブティックなどのショーウィンドウの前を僕らは通り過ぎる。


 この道を歩いて彼女は普段通学しているのか。


 僕がいないところでも彼女は彼女の生活を送っているのだ。


 当たり前と言えば当たり前のことなのに、僕が知らない彼女の生活空間に踏み込もうとすることになんだか変な感慨を感じる。


 僕と星原は駅前の商店街を抜けてやがて静かな住宅街に入った。


「結構便利な立地なんだな」

「そうかもね。もっとも私のお父さんが買ったときにはバブル崩壊後で若干値段が下がっていたみたいだけど」

「へえ」

「ほらここよ」


 星原が指さした先にはちょっとしたモデルハウスのような白い壁に囲まれた邸宅が建っている。ただしその壁の右半分には、けばけばしいスプレーで落書きがされていた。


 バブルレターというのか、もこもこして読みづらい書体で描かれたアルファベットの羅列。


 星マークやハートマーク。


 カートゥーンに出てきそうなキャラクター化された猫のイラスト。


 あとは「バカ」とかの定番の罵倒。


「あーあ。また増えてる。……うちの家は住宅街だけど家の前の道はそこそこ広くて駅に近いでしょう? だから人通りが多いんだけど、そこに白くて大きい塀があるものだから、落書きして自己顕示欲を満たそうとする人にとっては格好の獲物みたいなの」

「なるほどね。……ひどいな、こりゃ」

「それじゃあ、中に入って」


 彼女は門扉を開けると、さらにその先の玄関のドアを開き「ただいま」と足を踏みいれる。


「お邪魔します」と僕もそれに続いて中に入った。


 フローリングの床に清潔感のある白い壁。左右に続く廊下の右方向にはキッチンがあり、左側にはバスルームやトイレ、二階に続く階段が見えた。


 そのキッチンの方から「はーい」と返事があり、パタパタと足音を立てて妙齢の女性が現れる。肌は色白で、長い髪を後ろで結んでいる。目は大きめで人懐こそうな笑顔を浮かべていた。


「あら。こんばんは。あなたが咲夜ちゃんが連れてくるって言っていたお友達? 初めまして。咲夜の母の美咲みさきです」


 小柄な体格はなんとなく星原と共通しているような気がする。


「どうも、初めまして。星原……咲夜さんと同じクラスの月ノ下真守です」

「あら。……へえ。さあ上がって、上がって」

「は、はい」


 なんだか容姿はともかく表情に関しては星原のお母さんとは思えないほどにくるくる変わるな。もちろん星原だって感情表現を見せるときは見せるのだが、どちらかと言えばおとなしめな雰囲気だし。


 僕はキッチンのテーブル席に案内されて、言われるままに席に着いた。


「はい、お茶とクッキー。よかったらどうぞ」

「……いただきます」


 星原も僕の隣の席について紅茶をすすっていた。


 一息ついたところで僕は話を切り出すことにする。


「あの、今日お邪魔したのは、お話ししたいことがありまして」


「お話? あれ、遊びに来たんじゃあなかったの」と美咲さんは怪訝な顔をした。


 星原はまだ僕が落書きの問題を解決するために来たことを話していなかったらしい。


「あー……。実はですね。昨日星原から、……いや咲夜さんからこの家庭内の話をきいて、まだ高校生の僕なんかがこんなこと言うのはなんですが、もし良かったら力になりたいと思って」

「ははあ。……つまり要約するとこういうことね。『娘さんを僕にください』と」


 ブフォッと僕は思わず茶を噴き出してむせた。


 横目で星原の様子をうかがうと顔を真っ赤にしてうつむきつつ、手をぶるぶると震わせていた。


「どう要約したらそうなるの。誤解される言い方やめてよ。私が月ノ下くんを呼んだのに、これじゃまるで私がそういう流れにもっていこうとしているみたいに思われるじゃないの」


 星原が牙をむいてうなる猛犬のような目でにらみながら美咲さんに反駁した。


「あら、違うの? 残念」と美咲さんは頬に手を当ててのんきに答える。


「いや、あのですね。咲夜さんから聞いたというのは壁に落書きされて困っているという話でして」

「ああ。その事?」

「はい。それで、もし良かったら落書きを止める方法を思いついたのでアドバイスさせてもらえたらと思ったんです」

「落書きを止める方法?」

「はい。ただ費用が少しかかるんです。もちろん、もし実際にやってみて上手く行かなかったらその分のお金はお返しします」


 美咲さんは「うーん」と難色を示すような顔になった。


 無理もない。娘の友人とはいえ初対面の人間、それも高校生の男の子が思いつきのアイデアを勧めてきたのでは不安にもなるだろう。お金を出す話となればなおさらだ。


「お母さん。月ノ下くんは人を騙すようなことはしないし、私も何度か助けてもらっているの。信用できるから」


 星原がきっぱりとまっすぐ前を向いて断言して見せる。嬉しいこと言ってくれるなあ。


「まあ、私の部屋に入ってみたいという下心があったのかもしれないけど」


 何をいってくれてんだ。しかも自分の母親が居合わせているところで。


「いや、私も人を見る目はあるつもりよ? でも、とりあえずどんな方法なのか聞かせてもらえる? そのうえでお父さんにも相談しないといけないから」

「はい。あのですね。まず張り紙をするんです」

「張り紙? ああ『落書きをしたら罰金一万円』みたいなもの? でも結局現場を押さえて犯人を捕まえないとそういうのは意味がないんじゃあないかしら?」

「いえ。その逆です」

「逆?」

「『この家の壁に落書きをしてください。最も芸術的なものには賞金を出します』という張り紙を出すんです」

「えっ?」


 美咲さんは目を見開いて僕を凝視した。

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