第2話 後輩のトラブル

 数日後の昼休み。


 昼食を済ませた僕は、教室に戻るべく空の弁当箱を片手に廊下を歩きながら、いつものように友人の雲仙明彦うんぜんあきひこと益体のない雑談に花を咲かせていた。


「ああ。金が欲しい。どこかの石油王が俺に一目ぼれして、お金を分けてくれないかな」

「……貧しさは、人から品性はおろか知性まで奪うものなのか?」

「お前からそんなとがった突っ込みが来るとは怒りを通り越して新鮮味すら感じるな」

「そりゃ、どうも。それで何だってそんなに金が欲しいのさ」

「俺、今欲しい服があってさあ。買おうかどうか迷っているんだが。手持ちの金だとどうしても足りない。貯金を下ろせば買えなくはないんだがなあ」

「下ろせばいいじゃないか」


 明彦は腕を組んで悩ましそうに顔をしかめる。


「それだと本当に金を使いきって、他に欲しいものがでてきても次の小遣いまで我慢しないといけなくなる。買うために貯金をしたくとも、つい目の前に欲しい漫画があるとなあ」

「そういうことなら」

「何か名案があるのか?」


 明彦が藁をもすがるような目で僕を見る。


「『貯金したつもり購入』っていうのはどうかな?」

「なんだそりゃ」

「欲しいものがあったら買ってしまえばいいんだ。でも自分は買ったんじゃない、その分貯金したんだと自分に言い聞かせるんだよ。そしたら物を買っても貯金したつもりになっているから、暗い気分にならないし」

「欲しいものも買えるから生活も豊かになる。おいおい天才か」

「完璧だろ?」

「全く金が貯まっていないという点に目をつぶればな。大体それをいうなら『買ったつもり貯金』じゃあないのか?」


 気づいてしまったか。


「いや、買ったつもりで我慢できる忍耐強さがあったらそもそもこんなことになってないだろ」

「馬鹿言うな。こう見えても俺は忍耐強いぞ。何かと厄介ごとに巻き込まれるお前と付き合っていられるくらいだからな」

「ひどいことをおっしゃる。人のことを始終トラブルに首を突っ込んで周囲をひっかきまわす超ド級の問題人物みたいに」

「みたいじゃなくてそのものズバリだがな」


 僕らがそんな軽口をたたきあいながら校舎の上り階段に足をかけた、ちょうどその時だった。


「ええっ!」


 誰かが声をあげるのが廊下の方から聞こえた。


 何事かと目を向けると二人の少女が立ち話をしているのが目に入る。一人はセーラー服を着たボーイッシュですらりとした体形の女の子。同じクラスの日野崎勇美ひのざきいさみだ。


 もう一人は知らない顔だが、一年生の女子のようだ。髪はセミロングで背は低いが、その体つきは女性的な曲線を描いている。顔だちはあどけない子供っぽさが残っているが、まあ可愛らしい部類だろう。


「それじゃあ、かえって問題がこじれちゃった感じなの?」

「あ、いえ先輩のせいではないですよ。悪いのは結局断り切れない私の方ですから」

「そう。いやでも、さあ」

「そんな責任感じないでください」

「ああ。うん。でもごめんね。井荻いおぎ


 察するに何かあの井荻と呼ばれた一年生の少女は何か問題を抱えていたが、それが悪い方向に向かったということなのだろうか。


「おーい。日野崎。どうした? 何かあったか?」


 明彦が何の躊躇もなく声をかける。


「雲仙、月ノ下。ちょうど良かった! ちょーっとこっちに来てくれる?」


 らしくもない猫なで声で僕らを手招きした。


「あの、先輩。あの人たちは?」と隣のトランジスタグラマーな少女は首をかしげる。


「あたしのクラスメイト。困ったことがあったときよく相談に乗ってもらうんだ」

「その言いぶりからして、またも何かトラブルに巻き込まれたのか。この全自動トラブル製造機」


 僕が呆れた声でぼやくと日野崎はきまりが悪そうに手を振ってみせた。


「いや。違うんだよ。トラブルに巻き込まれているのはあたしじゃなくてこの子。いや、あたしも若干関係しているけどさ」

「つまりはその子を助けようとして何か問題を起こしたわけか。お人好しも大概にしろよ」と明彦もからかうように言う。

「そういわずに、ね? お願い! ちょっと知恵を貸して!」


 日野崎は他の奴にはめったにしないであろう、甘えたような表情でウインクをして手まで合わせて見せた。


 なんだかんだ悪態はついたものの、この少女の根っこの方が善良そのものなのは間違いないので邪険にできない。


 僕は明彦を横目で伺うと、彼もまたとりあえず口ではあれこれ言いながらも本心では迷惑がってはいない様子だ。


「とりあえず話を聞こうか」


 明彦が困惑しながらも、日野崎に話を促した。




「一応紹介するね。この子は井荻藤花いおぎとうか。あたしのサッカー部の後輩なんだ。井荻。こっちの二人は月ノ下と雲仙」

「どうも初めまして」


 井荻さんはぺこりと頭を下げた。


「あ。ああ、こちらこそ」


 初対面の女子との会話に若干緊張する僕をよそに、隣で明彦は髪をかき上げつつ伊達男を気取って声をかける。


「それで何があったんだ? 君のような愛らしい女の子の心を曇らせるような奴がいるなら、放っちゃおけねえ。俺がすぐ相手を返り血まみれにしてやるから」


 相手の方が『返り血』にまみれるんなら、やられているのお前じゃん。


「あ、いえ。そこまで大げさな問題でもないんです。……ただ、私はクラスの友達に態度を改めてほしかっただけで」


 井荻さんはおずおずと僕たちに事情を説明した。




 井荻さんの話はこうだった。


 彼女たち一年生のクラスで英語を担当している先生は、授業とは別に週二回、英語の長文を訳す宿題を課しているのだという。それも授業のはじめに翻訳した文章を部分ごとにクラス全員にランダムに当てて、読み上げさせるのだそうだ。


 当然どこが当てられるのかわからないので、みな自宅で辞書を引きながら見慣れない単語や構文と格闘する羽目になるわけだ。


 しかし、彼女の隣に座っているクラスメイトがいつも宿題を済ませず、彼女の訳した文章を見せてくるよう頼んでくるのだという。


 最初は「たまたま忘れてしまった。お願いだから見せてほしい」と言われて、彼女も人助けのつもりでつい断ることができずに見せてあげた。しかし、それでそのクラスメイトは楽をすることを覚えてしまったようで、次の時も「昨日は忙しくてできなかった」その次も「家の手伝いをしていてできなかった。見せてほしい」と何かと理由をつけては彼女を頼るようになっていった。


 彼女自身「宿題なんだから自分でやらないとだめだよ」と何度か彼をたしなめたのだが、その場では「そうするよ」と言いながら、結局英語の授業がある日の朝になると見せてくれるよう頼んでくるのだった。




「それで、困っているのを部活の合間にあたしが小耳にはさんでね。何とかしてあげたいと思ったんだよ」とここで日野崎が口をはさんだ。


「なるほど。つまり一年生のクラスに殴り込みをかけるから俺たちに加勢してほしいということか」と明彦が頷いた。


「でもいくら後輩を助けるためでも犯罪に手を染めるのはまずいんじゃないか」と僕は横で眉をひそめる。


「違う! あんたらは人をどういう目で見とるのかね」


 僕らの言葉に日野崎は露骨にむくれた顔をした。


「だいたい、流石に後輩のクラスで騒ぎを起こしたら迷惑かけちゃうでしょうが。私はただアドバイスしたんだよ」

「アドバイス? 何て?」

「そういうことなら、今度から彼に宿題を見せるときにお金を取るようにすればいいんじゃあないかって。つまり罰金のつもりで」

「ああ。なるほど。それ自体は悪くない意見だな」


「いいえ」とここで井荻さんは首を振る。


「それが完全に裏目に出てしまいまして」




 井荻さんは日野崎からのアドバイスで「今度から宿題を見せるときに百円取りますよ」とそのクラスメイトに宣言した。しかし、それは逆効果になってしまったのだという。


 彼は「え? 百円払えばいいの?」と言って、それ以降毎回百円を払うと何の遠慮もなく宿題を見せてもらいに来るようになったのだ。



「うーん。要は宿題をするために労力を費やすよりは百円を払った方がいいと考えるようになったわけか」


「百円というのは安すぎたんじゃないか? 千円に値上げしたらどうよ?」と明彦が提案した。しかし、その言葉に一年生の少女はうつむきながら首を振る。


「一度、百円でいいと言ったのに今更理由もなく前言を翻して『やっぱり千円にさせてくれ』なんて言えませんよ」

「そっか。そうだよなあ。でも、週二回の宿題ってことは一か月で千円近い収入が入るってことだろ? それはそれでいいんじゃあないのか」

「良くないですよ! クラスメイトから宿題を見せて何度もお金を取っているなんて人、先輩方ならどう思います? お金にがめつい守銭奴みたいに思いませんか?」


 井荻さんは目に涙をためんばかりの剣幕で明彦に詰め寄った。


「あ、うん。悪かった」

「私は別にお金が欲しかったんじゃなくて、ただ戒めたかっただけなのに。でも今更止めることもできないし。どうすれば丸く収まるのか」


「話はわかったよ」と僕は井荻さんをなだめるように、おだやかに声をかける。


「とりあえず少し考えてみるよ。そのクラスメイトが井荻さんにこれ以上頼らないようにする方法を」

「はい。……正直あまり期待していませんが、よろしくお願いします」


 はっきり言うなあ。先輩に似たんだろうか、と僕は日野崎を横目でにらんだ。

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