放課後対話篇3

雪世 明楽

金の価値と「落書きの止め方」

第1話 金と信頼

 貨幣は、文明社会において最も長く使われている価値を測る物差しだ。


 物質的なものはもちろん、形のないサービスだって値段が付いているし、裁判では「精神的苦痛に対する慰謝料」なんてものが争われるくらいで、感情ですら金額に換算できてしまうくらいである。


 その本質は他のものに換えられる交換価値にあるといっていいだろう。


 だが、僕は常々疑問に思っていることがある。


 貨幣の材質として古来より使われているのは「金」「銀」そして「銅」なわけだが「金」が一番価値があり、その次に「銀」「銅」に価値があるということになっている。これは洋の東西を問わずおおむね世界共通である。


 それなのに、漢字では「金より良い」と書いて「銀」。「金と同じ」と書いて「銅」となっているのは一体どういうわけなのだろう。


 もっともこの事を、いつもマイペースで変なことに詳しい色白の女友達、星原咲夜ほしはらさくやに尋ねたらこう答えが返ってきた。


「そうはいっても『金より良い』とか『金と同じ』とか、結局基準になっているのは金なのだから、やっぱり金が一番価値があるんじゃあないの? ほら、少し前に戦国武将を主人公にした小説で『徳川家康が最も恐れた男』という謳い文句が乱発されていたけど、つまりは天下を取ったのが徳川家康だったからこそ、そのキャッチフレーズに意味があるわけでしょう? それと同じよ」

「ほほう。一理あるな」

「ちなみに銀のつくりになっているのは『良い』という字ではなくて『艮』。これは『こん』とも『うしとら』とも読むけど、それとは別につなぎ目とか不変という意味があるらしいわ。つまり変わらない金属という意味ね。銅のつくりになっているのは確かに『同じ』だけれど、これは洞窟とかの『同』で穴を意味しているの。つまり穴をあけやすい柔らかい金属ということ。……ただこれにも諸説あって、意味ではなく音をあらわしているとか、白い金属、赤い金属という意味だとか、実際のところはこれが定説というのはないかもね。……そんなことより、ほら勉強」

「……はーい」


 窓からは夕暮れ時の赤い空が見える。時刻は十七時を少し回ったところだろうか。 


 僕、月ノ下真守つきのしたまもるは数か月前にある事件で彼女を助けたのをきっかけに話すようになり、それからは一緒に放課後を共に過ごすようになった。今も僕は星原と図書室の隣の空き室で放課後の勉強会をしていたわけである。


 今日の分のノルマを終わらせなくてはと僕が参考書をめくりかけた、その時。


「あーっ!」と星原が唐突に声をあげる。


「何だ? どうした?」

「いや、あのね。ほら、明日の調理実習の授業で使う材料を各自持ってくることになっていたじゃない」

「ああ……そういやそうだな」

「お金を用意するのを忘れちゃった。……私、今手元にある持ち合わせだと足りないわ」


 星原にもそういうケアレスミスがあるんだな。たいていの物事はそつなくこなすイメージだったのでちょっと意外だ。


「そんなことか。じゃあそれくらい僕が貸すよ。千円で足りるだろ?」

「いいの? ……申し訳ないわね。それじゃあ借用書を書くわ」

「へ? いや別にいいよ。そんなことしなくても」


 星原が僕に借りた金を踏み倒すとは思えない。


 が、星原は僕の言葉に頑として反論した。


「駄目よ。もしも私がお金を借りたことを忘れてしまったらどうするの?」

「どうするって?」

「万が一私が借りたことを忘れて、あなたから『金を返してくれ』と言われたら『まあ、よく覚えていないけど返すわ』とか言って、何か釈然としない気分でいやいやお金を返すことになるでしょう」

「……」

「それで貸してくれたあなたはせっかく親切にしてくれたのに、感謝もしてもらえずにお金を受け取って後味の悪い思いをすることになる。お互いに嫌な思いをすることになるわ」

「まあ、そうだな」

「こういう金銭が絡む話はちゃんとしておかないと人間関係に亀裂が入りかねないのが世の常よ」

「わかった。……わかったよ」


 星原はこういうところしっかりしているなあ、と僕は感心する。


 星原はノートを一枚破ると、今日の日付と自分が僕からお金を借りたこと、返却期限を簡潔に書いて、ご丁寧に親指にボールペンで色を付けて拇印まで押して見せた。


「はい」と彼女は借用書を僕に手渡す。


「どうも」と僕は受け取る。


 少なくとも彼女は僕との人間関係を壊したくないと思ってくれているらしい。そこのところは素直に喜ばしいな。


 しかし僕がそういうと、彼女はちょっといたずらっぽく笑ってこんなことを言い出した。


「そういえばイギリスのリットンとかいう劇作家がこんな格言を遺しているわ」

「……ん?」

「『貸すよりは与えてしまえ。そうすれば金はなくても友情だけはとっておける。貸すとなると、まずその金を取り戻したとたんに友情を失うことになるだろう』とね。……どう? ここはひとつその格言に従ってみるというのは」

「何かの貸しでケーキをおごるのならともかく、さすがにタダで千円与えるつもりはないよ」


 高校生の僕にとっては千円だって安くはない金額だ。


「……でも変わった格言だな。なんで貸した金が返ってくるのに友情を失うんだ?」

「たぶんだけど、友達にお金を貸すという時点で当然戻ってくることを期待しているわけでしょう。でも世の中に絶対なんてないし人の心なんてわからない。もしかしたら返ってこないかもしれない」

「うーん。僕も『友達に金を貸すときにはあげたと思え』って、うちの親にも言われたことはあるなあ」

「でも、その後ちゃんとお金が返ってきたら安堵するわよね?」

「ああ」

「でもそこで安心するのって、つまり心のどこかで相手のことを信じていなかったことにつながるんじゃない?」


 星原の言いたいことはなんとなくわかる。


 最初からもし、相手を信頼してお金を貸したのであれば、貸したお金が返ってくるのも当然のこととして受け止めて、いちいち安堵などしないはずだ。


 友人からお金が戻ってきて「ああ。ちゃんとお金が返ってきてよかった」なんて思わないはずなのだ。


「つまり、自分の中にある疑心暗鬼を自覚してしまうわけか」

「そういうわけ」

「でもそういうことなら、僕は一〇〇%星原ならお金を返すものと信頼しているから問題ないよ。そういうわけで千円をあげたことにはし・な・いからな?」

「やれやれ。私のことを信頼しすぎるのもどうかと思うわよ?」


 そういって彼女はおどけるように舌を出してみせた。

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