第9章 ── 幕間 ── クリストファ

「本日は、わざわざお越しいただきまして誠にありがとうございます」


 クリストファが慇懃いんぎんな態度で目の前に座っている人物に挨拶をしている。


「何を。飛ぶ鳥を落とす勢いのクサナギ辺境伯殿の腹心たる行政長官殿のお呼びなら、いつでも参るよ」


 ルイス・エマードソン伯爵がニコやかに答える。

 クリストファはケントの指示を受けて、直ぐに親書を書いて使者に持たせて、伯爵の住まいのある都市モーリシャスに向かわせていたのだ。

 たった三日で伯爵自ら出向いてくるとはクリストファ本人も思わなかったのだが。


「君には以前会ったことがあるな?」

「はい。お恥ずかしい話で何ですが、以前、私の養父とともに伯爵閣下の園遊会に出席させて頂いたことがあります」


 エマードソンが少々考える顔をするが、直ぐに思い出したようだ。


「お、そうか。前領主……アルベール男爵のご子息だったな……養父ということは君は養子だったのだな」

「そうです。幸い、あの事件を解決してくれたケント……領主閣下にご助力頂けたので、こうして命永らえております」


 その言葉にエマードソンは反応する。


「ふむ……クサナギ辺境伯殿と深いよしみを築いていたのだな。なかなかさいに長けているようではないか」

「いえ、それほどでもありませんが……領主閣下が養父に捕らわれていたところで脱出の手伝いをさせて頂いたえんとでも申しましょうか……」


 エマードソンはクリストファが言いづらそうにしているのに気づき、直ぐに話の方向を変えた。


「それで、親書を読んで火急の要件のように思ったのだが……良い知らせと考えてよいのかな?」


 クリストファは話の筋が元に戻ったことに安堵する。下手をすればケントが反逆者の身内をかばったと喧伝けんでんされて、ケントの足を引っ張られる可能性もあるからだ。


「そうですね。以前、行政庁舎に商店の出店を申請されておられたのを見つけまして、早速、その許可証を発行したいと考えております」

「それはそれは……誠に良い知らせだ。何分、あの時は祭の前日でもあり、夜会においては辺境伯殿が刺客に狙われるという事件も起きたので、ゴタゴタしてしまいましたからな」

「そうですね。私もあの時は肝を冷やしました」


 確かにあの暗殺騒ぎでトリエンの行政は一時混乱した。しかし、ケントが持ち直して次の日の祭初日に顔を出したことで、何の問題もなくなったのだ。


「して、クサナギ辺境伯殿はご壮健なのだろうね?」

「もちろんです。今回の出店許可に付きましても、領主閣下自らのお声掛りでして……」

「おお、それは重畳ちょうじょう。私の挨拶は無駄ではなかったようだ。辺境伯殿は見る目をお持ちだ」


 エマードソンが嬉しそうにケントをヨイショしている。


「付きまして、領主閣下よりエマードソン伯爵閣下にご提案がありまして……」

「提案……?」


 エマードソンがいぶかしげな顔をする。


「はい。伯爵閣下に損になる話ではない……と領主閣下も申しております」

「して、その提案とは?」


 クリストファはケントから預かった魔法の蛇口を取り出して、ソファ・テーブルの上に置く。


「これは……魔法の蛇口ではないか」

「はい。実は以前の領主……ブリストルとこの地方が呼ばれていた時の領主です。ご存知かと思いますが……」

「知らないわけがあるまい。王国の魔法道具文化を花開かせた偉大な人物だ。ブリストル大祭が今でも行われているのはその為だろう」


 エマードソンは魔法の蛇口を見せられて、少々興奮気味になった。


「実は……ここだけの話にしておいて頂きたいのですが、現領主閣下が魔法の蛇口の在庫を見つけまして」


 エマードソンがソファ・テーブルに両手を突きつつ立ち上がる。


「何!? 魔法道具文化の遺産を手に入れたと申すか!」


 突然の大声にクリストファはたじろいだ。しかし、何とか平静を保つことに成功する。


「そうですね。魔法の蛇口だけのようですが、在庫を手に入れたのは事実です。遺産かどうかはわかりませんが……」

「それで……その在庫なのだが」

「ざっと五万個……」


 その数にエマードソンが驚愕する。


「五万……すごい宝だ……」

「領主閣下はこの在庫をエマードソン商会で扱ってもらってはどうかと申しております」

「私の商会で!? それが本当だとすると、相当の見返りを期待してだな……?」

「いえ、領主閣下は、一度に世に出しては値崩れしてしまう。エマードソン伯爵に相談してみたいと申しておりました」


 その言葉にエマードソンが嬉しそうな顔になる。


「クサナギ辺境伯殿は、それほど我が商会の力を信頼して下さる訳だな」


 本当の在庫は一〇万個だが、五万個は少ない数ではないのでエマードソンが嬉しがるのも不思議ではない。


「現在の魔法の蛇口の流通価格は金貨六枚程度です。領主閣下はこの値段をあまり下げたくないようです。五万個の在庫を単価金貨六枚で販売し、価格の変動を抑えられるのはエマードソン商会しかないだろうと私も考えています」

「そうだな……流通量を抑え、少しずつ放出すれば問題はあるまい。なんせあの魔法の蛇口だ。新規で建築された建物にはどうしても必須になる魔法道具だ。今でも引く手数多あまただが」


 上手く乗ってきたとクリストファは心の中でほくそ笑む。


「そういった市場価格の調整もエマードソン商会なら何の問題も無いと存じますが……」

「う、うむ。こういった価値の高いものなら尚更そうだな。その五万個の在庫は即金で払わねば駄目なものかね?」


 しめた。伯爵の心の秤が方向に傾き始めた。


「いえ、即金で金貨三〇万枚など国家予算に匹敵する大金です。そのような取引はどこでも行うことは出来ません。そうですね。一〇個単位でお引渡しして、その都度代金を頂くという形でいかがでしょうか? もちろん五万個の在庫全てをエマードソン伯爵に扱ってもらうことは念書にして残します。いかがですか?」


 エマードソン伯爵が頭の中で計算を始めている。


「市場価値が下がるのも悪手だが、一〇個単位では少々心もとないな。おまけに何度にも分けるだけで手続き料がバカになるまい」

「それでは、在庫五万個をエマードソン商会に最初に預けておき、一〇個……いえ、一〇〇個販売した都度つど料金をお支払い頂くというのは? もちろん、預り証や販売数の報告などを義務付けさせて頂くことになりますが」


 エマードソン伯爵の顔がみるみる柔和にゅうわになる。この条件はそれほど美味しい条件だ。普通の商人なら諸手もろてを上げて喜ぶはずだ。


「そんな条件でいいのかね? 少々、私の方に有利すぎると思うが?」


 確かに、そうだ。何か裏でもあると思ったのかもしれない。美味しすぎる話には大抵の場合、裏があるものだ。


「そうですね。この条件に預り金を頂くというのはいかがでしょうか。金貨五〇〇〇枚ほど頂きたいところですが」


 金貨五〇〇〇枚は相当な金額だ。ただ商品を預かるだけであり、商品が売れようが売れまいが、最初に払わねばならないのだ。


「ふむ……五〇〇〇枚か。よかろう。その条件を飲もう」


 余分に金貨を五〇〇〇枚払おうとも自分の手元に魔法の蛇口五万個を置いておきたい。エマードソンはそうに判断したようだ。

 もう二度と作られることがないと判断してのことだろうとクリストファは思う。

 ケントの話では、再生産はいくらでも可能らしい。しかし、それを知った時にはもう遅いし、在庫を返却したとしても金貨五〇〇〇枚は返ってこない。

 エマードソンは必死に売らねばならなくなるだろう。まあ、それだけの価値のある商品なのは変わりないので、エマードソン自体には損はないはずだが。


 クリストファは、ケントの指示もあったし、そういった事を踏まえた上で在庫を五万個見付けたとしか言わなかったのだ。後々それ以上の数が出回ったことが判っても、また発見したと言い逃れできるし、この手は何度も使えるだろうから。


「取引は成立ということで、よろしいでしょうか?」

「うむ、私には異存はない」

「それでは、この契約書に署名頂けますでしょうか? 在庫の引き渡しに付きましては、後日改めてということでいかがでしょう?」


 クリストファはソファ・テーブルの上に書類を広げて羽ペンとインク壺を置く。


「そうだな。預り金の用意もある。五日後に再度お伺いするとしよう」


 そう言いながら、エマードソンは書類にサインをした。


「いや、今日は良い日だ。こういう日は旨い酒が飲みたくなるな」


 意気揚々といった感じでエマードソンはサインを終えた。


「いかがでしょう……こちらで一席設けましょうか?」


 一応、トリエンで最高級の酒場は抑えてある。


「いや、今日はよしておこう。至急モーリシャスに戻って預り金の準備を始めねばならん」

「さようでございますか」


 クリストファに抜かりはなかった。


「それではこちらをお持ちください。エルフの里のワインです」

「おお! これは……ビシュタール・エルフィンではないか!」

「はい。こちらは伯爵閣下と商談が済んだらお渡しするようにと領主閣下から預かっておりました」

「何から何まで嬉しいお心遣いかたじけない。クサナギ辺境伯殿にはよろしくお伝え願えるかな?」


 エマードソン伯爵はワインのボトルを小脇に抱えて立ち上がった。


「はい。そのように申し伝えます」


 応接室の外へ繋がる扉に歩き始めたエマードソン伯爵が、ふと足を止め振り返る。


「良き商談で伝え忘れたのだが、時に辺境伯殿は自分を暗殺しようとしたものの情報は調べておるようかね?」

「い、いえ。ドラケンの盗賊ギルドが実行犯というところまでは調べたようですが、主犯までは……」


 エマードソンが何を言おうとしているのかクリストファも掴みかねた。


「そうかね。私が聞いた情報によると、その報を聞いて王宮で歓喜した者がいたそうだ」

「そのような人物が……?」

「うむ。君も聞いたことがあると思うが、ロスリング伯爵というそうだよ」


 ロスリング伯爵。その名前はクリストファは忘れようもない。自分と男爵の養子縁組を無効にしてくれた貴族だ。


「では、私はこれで。五日後にまた会おう」


 そういうとエマードソン伯爵は応接室を出ていった。


 クリストファは最後に残されたこの事実をどう扱うべきかを考えて頭を抱えた。

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