7.ドアを叩いたのは

 ピュン!


「まったく、よくこんな荒っぽい仕事で殺し屋なんて務まるなぁ」


 最後の守衛を撃ち殺したバレルは、ポケットから優雅にハンカチーフをとり出す。それで薬莢をつまみとると、傍らで震えを押しころす少年へ視線を落とした。


「怖いかい?」

「こ、コワくなんかねぇよ……」

「立派だねぇ。度胸のある男は大成するよ」


 バレルはにんまりと笑うと、少年の手を握りこんだ。

 マロウは弾かれたように、メッセンジャーを見上げる。

 その手に、おもい鋼鉄の感触があったからだ。


「こ、これ……」

「興奮するだろ? 男って好きなんだよね、銃。ボクもつい熱くなっちゃうんだよなぁ」

「そうじゃなくて……」

「君はさ、人を殺す覚悟ある?」


 バレルはあくまで笑顔を崩さない。しかしそこには、濃い影をおとす妖しい色気が立ちこめる。


 マロウは愕然とするより、茫洋として色男を見た。


 鋼鉄の感触が燃えるように熱かった。まぎれもなく人を殺す道具だ。膂力では勝てなくとも、これが火を噴けば人など簡単に殺せるのだ。この色男が実際にやってのけたように。あのクソったれの大人たちも、この手で地獄へ叩きおとすことができる。


「殺し屋も独りじゃなかなか務まらないんだ。特に彼の仕事はこの通り、荒っぽいしね。でも、ボクは飽きちゃってさ。そろそろ退職したいんだ。だから君にもしその気があるなら、死神の使いになってみない?」


 マロウはバレルと銃を交互に見つめる。

 死神の使い。メッセンジャー。

 依頼人と殺し屋をつなぎ、ときに自らも人を殺める悪魔となる者。


 その暗い邪道が眼前にある。


 けれど、それは果たして邪道だろうか。苦しむ者のために執行する殺しもあるはずだ。憎む者から逃れられず、苦しみに耐えるしかない弱者の気持ちを、マロウは嫌というほど知っている。


「……オレにもやれるのか?」

「テストに合格すればね」

「テスト?」

「そのための銃さ。やると決めたら即行動だよ」


 銃は重い。

 この男や死神が、息でもするように使っていたものとは思えないほど。

 けれど子どもの自分にだって、狙いを定めることくらいできる。引き金をひくことくらいできる。人を殺すことくらい――できる。


「幸い、今回のテストは簡単だ。ここにいる連中は、憎い奴ばかりだろう?」


 そうだ。ここにいる連中はみんなクズだ。子どもを殴り、唾を吐きかけ、女子なら蹂躙して――。死んで然るべきクズしかいない。殺すなんて簡単だ。


「……ああ、やってやる」


「よく言った。それでこそ男さ。まだパーティは終わってないはず。死神さんも、一人分のランチくらい分けてくれるよ」


                ◆◆◆◆◆


「な、なんなんだ……! なんなんだ、お前はァ!」


 食堂には赤いスープが散らばっている。人の口にはあわない鉄臭いスープだ。

 肉の調理も、こいつでいよいよ最後。首を落とされる前のブタはよく吼える。


 死屍累々の食堂で、それでも声を殺して縮こまるガキどものほうが、よほど物分かりがよく殊勝だ。ハッと我にかえって、仲間たちを抱きよせに行った少女など、きっとイイ女になるだろう。


「死神、って呼ばれることが多いな。歩けば人が死ぬんでね」


 死神と名乗るその男は、最後の職員へ歩みよりながら引き金の指をしぼりこんだ。


「あんたは天国と地獄、どっちへ行きたい?」


 訊ねると、男はひきつった顔でかぶりを振りながら後ずさった。


「イヤだ、どっちも! 死んでたまるか! ここが俺の楽園だッ!」


 男は目を血走らせると、懐へ手を押しこんだ。間もなく現れたのは、冗談みたいに小さな拳銃だった。ガキは脅せても死神は動じない。


 ドム!


「あがあああッ!」


 銃声とともに拳銃がはじき飛ばされ、その手は醜いジュレへと変わった。男は床の上をのたうち回る。


「質問が聞こえなかったか? 天国か地獄。AかBだ。Cはねぇ」

「あ、ああぁ……いだい、いだいよぉ」


 男は相当に頭が悪いらしい。またも質問に答えなかった。ルールを守れない奴には罰が必要だ。


 残った手へ銃口を定め、


「アアアアアアアァッ!」


 しかし戸口から轟いた咆哮へ向きなおった。


 駆け出してくるのは見知ったガキだった。その手にはサプレッサー付きの拳銃がある。一目見ただけでバレルのものと判った。銃口は大きくブレながら、けれど男へ狙いを定めようとしていた。


「オレにやらせろォ! そいつは、オレがぶっ殺してやる!」


 死神は薄く笑って、戸口にもたれかかるバレルを見た。

 感心する。ずいぶん大胆な退職届だ。


「好きにしな。デザートくらい分けてやる」


 道をあけると、鼻息あらくマロウが職員の前に立った。その目がブタの痛みもだえ苦しむ様を睥睨した。震える手で狙いをさだめながら。


「オレたちは、ずっと痛かったんだ……! お前が今苦しんでるよりもヒドく! お前が失ったその手より、オレたちはたくさんのものを失った! 奪われた!」


 男は少年を見上げ、痛みのあまり涙を流した。そしてこれ以上の痛みがあるはずなどないと思った。


「その償いを、地獄でしやがれ……。地獄の一番深いところで、光なんか射さない場所で……一生悔いて苦しみやがれ……!」


 男は呻きながら忙しなくかぶりを振った。

 マロウの中の炎が爆ぜた。暗いくらい絶望と怒りの炎が。


 そして引き金はひかれた。


 ガチ。


「えっ……?」


 しかし弾は発射されなかった。


 ガチ、ガチガチ。 


「おい、おい……。なんでだよ!」


 マロウは糺すようにバレルをふり返った。しかし色男は眼鏡を押しあげ、小さく肩をすくめるだけだ。


 代わりに答えたのは、死神のほうだった。


「……ジャムったな」

「え……?」

「お前に死神の使いなんざ務まらねぇってことだよ」


 ドム!


 死神は無感情に引き金をひいた。無論、リボルバーにジャミングは起こらなかった。彼は死に愛されていた。男の頭はすでに潰れたトマト同然、悲鳴のひとつも上げないクズと化している。


「なんでだよ……。なんで……」


 マロウはその場にくずおれた。虚しさと屈辱に唇を噛みながら。

 死神はその傍らで、ふっと硝煙をとばす。


「お前はどうしたかった?」

「なんだよ……?」

「自分たちを虐げてきたクズどもを、満足いくまでいたぶりたかったか?」

「当たり前だ……」

「そうかい」


 死神はそう言うと、不意に子どもたちへ歩み寄った。

 床が苦しげに軋んだ。

 すると、子どもたちはみな震えあがり後ずさった。泣きだした子どもも少なくなかった。中には失禁してしまった子どももいた。


 死神は無感情にふり返った。


「お前はこうなりたかったのか?」


 マロウは俯いた顔をあげ、死神が床を踏むたびに怯える義兄弟きょうだいたちを見た。皆が、縋るようにこちらを見返していた。その震える指先を伸ばしながら、義兄あにを求めていた。


 マロウはハッと息を呑んだ。


 あの時、銃が火を噴いていたら。

 オレもこうなってた……?

 あいつらを、この手で苦しめたら。

 オレもあいつらと同じになってたのか……?


 マロウは震える足で立ち上がり、義兄弟たちの許へ歩み寄った。

 みんなその様を見ていた。かすかに怯えがあるけれど。

 決して後ずさりはせずに、その様を見ていた。


「みんな……」


 そしてマロウは、守りたかった者たちの許へたどり着く。本当に視線を交わし合うべき者たちの許へと、温かな肩を寄せ合い、今ふたたび交わった。


「みんな、遅くなってゴメン……!」


 マロウは義兄弟たちの肩を抱く。

 サヘラが真っ先に「ホントに遅い!」と歓喜の涙を流した。「コワかった!」と義弟おとうとの声がして。「兄ちゃんだ!」と別の声がある。

 頬と頬が触れあい、温もりがたしかにあって、絶望が晴れていく感触を味わっていた。


 そこへ遠慮がちに触れる小さな手があった。

 マロウはそれを掴み、痛々しい相貌を見て顔をしかめた。


「おニイちゃん……おかえり」

「ああ……ただいま」


 ただ子どもたちは泣き崩れた。再会を喜び、解放を祝う想いだけがあった。

 マロウはしかし、もう一つだけ祝わねばならないことを思い出す。

 傷ついた義妹いもうとの手をとって、ポケットから解れたそれをとり出した。


「一日遅れだけど、誕生日プレゼントだ」


 毛玉だった。まだ何物にも編まれていない、ただのピンクの毛玉だった。

 マロウには、プレゼントを用意する時間も金もなかった。だから、せめてできることと言ったら、バレルに頭を下げて、こんなつまらないものを譲ってもらう、それだけだったのだ。


 けれど彼女は欠けた歯をみせて、笑うように泣いた。

 マロウは彼女をぎゅっと抱きしめた。その小さな肩が失ったたくさんのものについて思いを巡らせた。


 遅すぎた。遅すぎた。あまりにも遅すぎた。

 けれど、これで地獄は終わったのだ。その達成の証が、守りたかったものの存在が、こんなにも温かかった。


「……マロウ」


 しかし温もりはすぐに、刃のような声に凍える。

 しわがれた死神の声だった。


「これで依頼は達成した。そうだな?」

「ああ……」

「解ってるとは思うが、俺は哀れなガキどものためにタダ働きするほど優しくねぇ」

「それが解らないほどバカじゃねぇさ……」


 マロウは仲間たちに微笑み、意を決して立ちあがった。

 死神は殺しの代償を、対価を求める。

 魂を刈りつくした今、それを支払うときがやって来たのだ。


「なんでもくれてやる。オレの眼でも耳でも、心臓でもいいぜ」


 マロウは強いて胸を叩いた。

 死神は残忍にわらった。


「イイ覚悟だ。人殺しなんかより、よほど立派だぜ」


 ブーツの足音。その巨躯に床が悲鳴をあげる。

 灰のロングコート。それがすぐそこにまで迫って。

 弾けそうな心臓の絶叫を置いたまま、マロウの傍らを通りすぎた。


「ああっ……!」


 そして無数の悲鳴があった。

 マロウは咄嗟に振り返った。

 死神の冷徹な視線と交わった。


「俺はお前の大切なモンを貰う」

「おニイちゃん……!」

「――!」


 義妹を呼ぶ声は、声にならなかった。

 ただ死神の抱きあげた、可愛いかわいい義妹の姿が絶望的だった。自分の命を投げうってでも守りたいと思った家族が、もう手の届かない場所にいた。


「いいんですか? それだけで」


 戸口からバレルの問いかけがある。

 死神は「充分だ」と頷いた。


「お前も文句ねぇよな? 覚悟決めた男ならよ」


 マロウは義妹を見上げ、はっきりとその姿を、涙にゆがむ視界にきざんだ。大きな目、頬骨のうえに浮いたそばかす。小動物のような愛らしい鼻筋に、欠けた前歯まで。


「クソっ……」


 逡巡の末、しかしマロウは震える顎をひいた。


 地獄の終わりは旅の始まりだ。子どもたちの居場所はなくなり、ゆえに立ち止まることはできなくなる。果てしなく続く光の世界は、あるいはこれまで以上に険しい試練の始まりかもしれない。


 死神の道は、暗くふかい陰鬱なところだろうけれど。

 マロウに死神と争う力はなく、無限の地上を生き残る術もないのだった。


「……結局、オレには何の力もなかった」


 しょせん、子どもだ。誰かに頼らなければ生きていけない。独りでは何もできない子どもだった。ありふれた善意を信じられるだけの。後先なんか考えられない、バカな子どもに過ぎなかった。


 そして死神はわかりきったことを言う。


「ガキに力なんかあるはずがねぇ」


 と。


 もはや怒りも湧かなかった。あるのは、胸のなかを灰へと変えていく悔しさばかりだった。


「だがな、死神のドアを叩いたのは、お前だ」


 マロウはハッとして偉丈夫を見上げた。ウエスタンハットのツバの下から、その鋭い双眸が、はっきりとこちらを見下ろしているのが判った。


「報酬は大事にするさ」


 それが死神の残した最後の言葉だった。


 逞しい腕に抱かれ、愛しい彼女が遠ざかってゆく。

 涙に濡れた双眸を揺らし、マロウたちへと手を伸ばしながら。


 マロウたちも、逡巡や辛苦のなかで手を伸ばした。


 しかしそれらは、決して触れあうことがなく。

 彼らの叫びは、ひとつとして言葉にならなかった。

 誰もがこうするしかないと、すべてを理解し。

 濁流のように押しよせる感情が、涙と嗚咽ばかりを吐きだしてゆく。


 その中で。

 ふいに一人の少女が立ちあがった。少女は死神に挑むような眼差しを向けると、すぐに義妹へ視線を移した。瞳に様々な感情がよぎり、滴となって流れ落ちた。かすれた吐息は声にならなかった。


 それでも少女は、少女にできる最善を尽くした。


「エヘヘ」


 笑ったのだ。

 悲しみが胸を裂き表情を歪ませても、少女は努めて笑い続けた。


 マロウたちはその様に悟らされた。

 義妹の門出に、これ以上相応しい祝福はないと。


 そして皆が長女に倣った。

 満面の笑みを浮かべたのだった。


 たとえそれが今は悲しい偽物だとしても。

 いつか本物になることを信じて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る