2.つまりは、そういうことだ

 蝋燭の明かりに浮かぶ室内はせまく、夜の暗闇をより陰鬱に受けいれる。

 天井から下がった裸の電球は割れたまま放置され、投げだされたスツールは足が折れ倒れている。窓には蜘蛛の巣状のヒビ。ガムテープが風の侵入を防いではいるが、悪霊のいたずらめいて断続的にガタガタと揺れる。パトカーのサイレンやチンピラの叫び声も喧しい。


 一方その中央、燭台をおいたオーク材のローテーブルは小奇麗に磨きあげられている。それを囲う形で設置されたソファーも無骨なデザインではあるが、決して薄汚れた印象は受けない。


 そして今まさに、そのソファーに腰かけながら、葉巻のヘッドを切り落とす男の姿がある。彼は室内にありながら目深にウエスタンハットをかぶり、灰色のロングコートで四肢を隠している。何故なら、幅広のツバの下の双眸は残忍な殺意に彩られ、コートの下にはその象徴たるリボルバーが収められているからだ。


 彼こそは、この猥雑なる街ローケンクロゼにひそむ影。

 影ゆえに真の名はなく、ある者はかれを殺し屋と呼び、ある者は悪魔と呼び、ある者は死神と呼ぶ。


 ただ一人、


「たっだいまー! 帰ったよ、ストック!」


 あのクソガキを除いては。


「……もうちっと静かに入って来られねぇのか。お前の声で火が消えたらどうする」


 ストックは露骨に顔をしかめ、しわがれた声で悪態をつくと、玄関に現れた少女をツバの下から睨みつけた。

 しかしそこにある影は一つではない。二つだ。灰色の夜を負うようにして佇む、もう一つの影がある。


「マグ、そちらさんは?」


 訊ねると、少女は「そうそう!」と口許を手で隠し、次いで「エヘヘ」と意味不明な笑いを返した。後ろ手にドアを閉め、当惑する相手の手をひいて、無理矢理ストックの許にまで駆け寄ってくる。


「今日の依頼人さんだよ。ほら、カーターさん?」

「……コウナーです。コウナー・ハーセン」

「ああ、そうそう! コウナーさん!」


 マグはペロリと舌を出すだけで、まったく悪びれた様子がない。蝋燭の明かりを受けて薄ぼんやりと浮かび上がったコウナーの表情は、心底あきれた様子だった。


「アホなガキで申し訳ない。まあ、座ってくれ。紅茶のひとつも出せねぇが」

「アホじゃないもん!」

「うるせぇ! お前は銃の手入れしてこい」

「……はーい」


 マグは不服そうにストックの背後のドアをひらくと、闇のなかに消えていった。

 残されたコウナーは、時代遅れの風貌の偉丈夫を前に、すっかり委縮しながらソファーへ腰をおろす。


「あんたは客だ。そうビビる必要はねぇ。リラックスしてくれ。多少横柄な態度とられたって撃ちやしねぇからよ。タマもタダじゃねぇんでな」


 ストックはそう言うと喉の奥でククッと笑ったが、コウナーはますます委縮して「はあ」と深い息をはいた。相槌なのか吐息なのか。次第にストックは面倒になってくる。人と話すのは苦手なのだ。


「それで?」

「はい?」

「誰を殺して欲しいんだ?」


 ストックは単刀直入に訊いた。

 彼はローケンクロゼの殺し屋であり、必然、ここを訪れるのは「殺して欲しい奴」のいる人間だけだったからだ。


 コウナーはやや逡巡したように目を泳がせると、不意に決然とした殺意をその瞳に燃えあがらせた。


「……夫です」

「そうかい」


 ストックは特別興味なさそうに、葉巻を蝋燭の炎へ近づけた。切り口をゆっくりと炙り、じりじり炭化させる。焦らすように、苦しめるように葉巻を回しながら、至福の瞬間を待つ。コウナーの瞳からは殺意がぬけ落ち、それを当惑しながら見ている。


「一応訊いておくが」


 ストックはまだ葉巻に口をつけない。こいつはそこらのシガレットとは違う。一級品のシガーだ。じっくり育ててやらなくてはならない。一級品を燃えカス同然の味におとしてしまっては笑い話にもならない。あのクソガキは笑うだろうが。


「何のためにる?」


 依頼人とはまったく目を合わせず、ストックは尋ねた。

 対するコウナーは、殺しを頼みに来たこんな段階になって今更、苦虫を噛みつぶしたような表情をする。それでも彼女の酒臭い口は、しっかりと答えた。


「お金が必要なんです」

「ふん、金ねぇ。まさか保険金か?」

「……ええ」


 ストックは愛想もなくその口端に笑いをいた。

 そして、いよいよ仕上がってきた葉巻を笑みの中に突っこみ、ゆっくりと、それはそれはゆっくりと煙を吸いこむ。

 刺激的だ。鼻腔を撫で肺のなかで踊る、焼けるような匂いが、酒よりも濃い酩酊を生みだす。


 その余韻を味わいながら、ストックは大きな紫煙を吐きだした。


「切羽詰まってるみてぇだな。金を得るために、殺し屋を雇うなんざ本末転倒だぜ。自分で殺そうとは考えなかったのか?」


 コウナーは煙の匂いに顔をしかめながら俯いた。


「もちろん、考えましたとも。でも、それができないと思ったからここへ来たんです。〝コッキング〟は安く殺しを請け負ってくれると、小耳に挟んだものですから」


 ストックは片眉をつりあげ目を眇める。

 だが、噂の出所はあえて訊ねなかった。


「……ふん、たしかにウチは安いぜ。報酬が金とは限らねぇしな。この葉巻だって、前の依頼人からの貰いモンだ」


 瞬間、コウナーの瞳が希望にきらめき、まっすぐに殺し屋を見つめた。


 気にくわない目つきだった。

 殺し屋はぴしゃりと言い放った。


「ただし、報酬の多寡を決めるのは俺だ。あんたの金以上に大切なモンを貰うかもしれねぇ。それでもいいのかね?」


 これで多少は小さくなるかと踏んでいたのだが、コウナーはなお爛々と目を輝かせるだけだった。すぐに逡巡ない頷きが返ってくる。


 つまりは、そういうことだ。


 ストックは呆れかえって、葉巻の灰を落とした。


「……まあ、そういうことなら仕事させてもらうぜ。ところで、保険がからんでくると、いろいろ面倒だ。あんたもサツには怪しまれたくねぇだろうし……とにかく準備が必要だ。多少ズレるかもしれんが、希望の日時があれば聞くぜ」


 依頼人の目許に安堵と不安、同時に相反する感情がにじんだ。付随するのは苛立ちだ。それが見る間に大きくなる。夫が殺されることに関しては、今や一抹の憐憫も感じないらしい。まったく、仕事のしやすい相手ではある。


「遅くても半年後までには……」


「ふん、半年ね。構わねぇがリスクは高いぜ。一応、こっちでも足がついてねぇか調べさせてもらうが」


「それ以上は無理なんです……。ご迷惑おかけしますが、どうか」


「べつに迷惑じゃないがね。それも含めての仕事だからな。殺し屋ってのは、誠実な生きモンなのさ」


 ストックは再び葉巻を吸い、鈍った酩酊へと浸る。最初より随分味が落ちたように感じる。この女に対する印象にも似て。


「それより一つ覚えておいたほうがいい事があるぜ」


 ストックは紫煙を吐きだし、微睡むように燃える葉巻の先端を突きつけて言った。


「ウチは殺しを安く請け負う。だが、安い殺しなんざどこにもないんだぜ」


 それを聞いたコウナーは、心底不明をあきらかにした。その様を見て、ストックは苦く笑った。


 次に吸った煙は、いっそう不味く感じられた。

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