さよなら世界

坂ノ下

第1話

 どうやらあと数日で世界は終わるらしい。



 結構前から言われていたことだった。あと半年もすれば世界が滅ぶ、と伝えられた時の混乱っぷりったらなかった。世の中はもうしっちゃかめっちゃかになってしまっていた。ヤケになった人々が犯罪に手を染めたり、心中したり、地獄絵図。

 けれども、しばらくすればそれも無くなった。人間は、前と変わらない穏やかで絶望的な日常に戻っていった。みんな、このどうにもならない状況に馴染みきってしまっていたのだった。

 澄みきった青空はここしばらく見ていない。頭の上はどんよりとした雲に覆われ、辺りには霧が漂っている。ぼやぼやと白く染まったこの世界とも、あと少しでお別れなのである。



「どっか行こう」

 私がそう彼を誘ったのは、ただの気まぐれだったのだと思う。

 いいよ、と彼が頷いたのも、また気まぐれだったのだろう。多分。

 白黒のビルの合間を走る電車に乗って、彼と私は二人だけでどこへとも知れず旅に出た。

 旅と言ったって、この星に残されている場所はもう限られている。私たちがいるこの地域、ここが人類最後の場所だった。



 電車に乗る人は意外と少なくて、彼と私の他には数人だけしかいなかった。ゴトンゴトンと揺られる感覚はいつもと同じで、どこか心地よかった。

 ご飯どうしよう、彼が小さく呟く。

「ファミレス、近くにあったよね」

 そこに行くことにした。

 世界が滅ぶとわかったずっと前からある、全国チェーンのファミレス。値段も安くてメニューも豊富で、学生の味方みたいな店だ。

 あと数日で世界は終わるっていうのに、贅沢もせずにいつも通りの昼食だなんてアホらしいとも思った。でも、そのアンバランスさになぜだか心が落ち着いた。

 ビルの中のその店に行くと、見知った顔があった。彼と私のクラスメイト。

 仲のいい男子四人で、最期だから、と一緒にご飯を食べに来たらしい。くだらない話をして、ゲラゲラ笑いあって、いつもとまったく変わらない様子だった。

 楽しそうだ、私が言うと、彼も愉快そうに笑った。



 残りあと数回であろう昼食は何事もなく腹の中におさまった。少し違うことといえば、彼と二人きりでご飯を食べたということぐらいで。

 クラスメイトとも別れて、彼と私はまた街へと繰り出した。相変わらず白くて色味のない街。



 どこか遠くへ行きたいというのは、彼と私の無意識の欲求らしかった。行くあてもなく、ただただ隣り合って座ってゴトンゴトンと揺られていた。たまに肩が触れそうになって、ぶつかることはなくまた体は揺れる。



 結局そのまま一言も喋らずに、電車は終点に着いた。



 終点とは言うけれど、その向こうへ線路だけは続いている。この先にも一応駅はある。なんでこれ以上行かないのかって、それは世界が端から崩れていっているからだ。この先へ電車を進めても何もありはしない。

 彼と私は口を開かないままに歩き出した。

 この際だから世界の果てまで行ってやろう。私はそう思っていた。世界がまだ丸くて広かった頃にはできなかったことだ。その時は果てなんてなかった。でも今なら行ける。文字通り、本当の意味の世界の果てへ歩いて行ける。気が遠くなりそうな心地だった。

 きっと彼も同じように思っていたのだろう。そうだと嬉しかった。



 白黒の建物の間を縫うように歩く。人の気配はほとんどなくて、静まり返っていた。街の中心地に逃げたのか、ここでひっそりと最期の時を待っているのか。多分どちらかなのだろう。




 世界の果ては、案外近くにあった。

 一言も言葉を交わさずに歩き続けていたら、いつの間にか辿り着いていた。

 そこはまさしく世界の果てだった。

 地面の端が、なにかに侵食でもされているかのようにぱらぱらと崩れていっている。

 足元に気をつけながらそっと下を覗き込んだ。何もかもを飲み込んでしまいそうな真っ暗闇の中で、一つだけ真っ赤な光が煌々と燃えていた。眩しくて、神々しくて、美しい。どこか生き生きした色だった。私たちはきっと、あれに吸い込まれて死ぬのだろう。そう思った。



 どうしようか。私は言った。

 どうしようか。彼は言った。

 どうしようもなかった。

 目の前に突きつけられた死を前にしても、私は不思議と怖いとは思わなかった。

 諦めの感情が体を支配していたのかもしれない。隣に彼がいたからかもしれない。どうしてなのかはわからなかった。

 それでも、しばらくこの終焉の景色を眺めていたかった。



「どこか座ろう、疲れた」

 彼は賛成してくれた。

 世界の端から少し離れた、安全そうな場所に腰を下ろす。そこからでも、地面が少しずつ崩れていく様子は確認できた。



「……ねえ、私このまま死んでもいいや」

 ぽろりと言葉が零れていた。

 きっと私はこのまま死んでもいいのだろうな、と思った。彼と一緒に死ねたら幸せなのだろうな、と思った。だから私は彼とこの場所へ来たのだろう。もしかしたら私には破滅願望があったのかもしれない。このどうしようもない世の中への絶望感から、心のどこかに自殺願望を潜ませていたのかもしれない。

 でも、そんなことはもうどうでもよかった。

 滅びゆくこの世界で彼と二人、一緒に死ねたらどんなに幸せだろうかと願っていた。

 彼がどう思っていたかはわからないけれど、

「……俺も」

 そう、一言だけ返してくれた。

 それだけで十分だった。



「一緒に死ぬ?」

「いや、それはもう少し先にしておこう。世界が終わる、そのちょっと前くらいに」

 それまでは一緒にいよう、彼はそう言って笑った。

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さよなら世界 坂ノ下 @sakanoshita

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