標本

海百合 海月

【思い出】

 

 たいせつに磨いて、飾っておきたい思い出といえば、やっぱりあの夏のことでしょう。


 わたしがまだあなたのことを知らなかったあの夏、代わりにきみは、わたしのことをすきだったそうですね。お祭りの夜、浮かれて鼻緒ずれを起こしたわたしとあなたはすこし不思議な距離感で、出逢いました。

 わたしとあなたは「最後の夏」にかまけて、受験勉強なんて放って、夏の風物をたのしみつくしたのではないでしょうか。お祭り、花火、海、プール、水族館、はあまり夏の風物という感じはしないかもしれませんが、すいかを食べて、種を飛ばして、かき氷をたくさんつくってお腹を壊して、そう、それと、触れあいそうな距離で肩をならべて課題と闘ったり。たくさんのこと、ふたりで、しましたね。

 あなたが過去になってしまったあとで、わたしはあなたと撮った、あなたとみたものの写真が一枚もないことに気づきました。わたしたち、瞬間を切り取るシャッター音のこと、あまり好いていなかったから。目でみて、瞬間感じたことを、たいせつにしていればいいって、褪せていく思い出のことなんて考えもしませんでしたね。

 わたしたちはたくさんのところへ出かけたけれど、ひとごみのことが最後まで好きになれませんでしたね。ひとりでいるのはいやなくせに。代わりに、月曜日の早朝だとか、木曜日の深夜だとか、そういう時間のこと、たいせつにしていました。もちろん、いまもたいせつですけれど。

 こんなふうに、あなたとの思い出をきれいなもののように語るのは、あまりいいことではないのかもしれません。なぜならあの夏は、あなたが過去になった夏でもあるのですから。

 この思い出が褪せていくことが、どうしようもなくって、覚えていたいのに、覚えていたいのに、だめみたいなんです。最後の夏の一頁が、たいせつにしてもたいせつにしても、褪せていってしまうんです。

 

 わたしあなたのことひとかけらだって忘れたくない。


 けれど人間は忘れなければ生きていけません。……あなたへの想いもあなたの笑顔もずっとたいせつにしていたいのに、こわいの、溺れてしまいそうなの。

 わたしまだあなたのそばにいきたくはないんです。



 だからわたしは、この記憶を、すてきじゃないところも余すところなくすべて、あの夏の【思い出】の標本にしてしまって、棚の上にでも飾っておくことにするね。

 こころのなかに仕舞っているあなたが、なみだに侵されて、これ以上褪せてしまわないように。

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