中年ブタ野郎はおっさんJKの夢を見る

くにすらのに

第1話

 思春期症候群―――それはオカルトじみた出来事についての噂話。

 「他人の心の声が聞こえた」とか、「誰々の未来が見えた」とか、「誰かと誰かの人格が入れ替わった」とか、そういったにわかには信じがたい都市伝説の類。

 

 「はあ、羨ましいねえ」 

 中山年雄 40歳。峰ヶ原高校の国語教師はコーヒーをすすりながら思春期症候群の特集ページを眺めている。

 「俺が学生の時にも都市伝説はあったけど、当事者の体験談みたいのはなかったなあ」

 マウスを操作する右手の近くには数冊のライトノベルが置かれている。

 「なりたかったな。主人公にさ」

 ふぅっとため息をついて年雄はパソコンを閉じてベッドに入った。翌日自分の身に事件が起こるなんて夢にも思わず。


 「あーはいはい。ラノベに対する憧れが強すぎて夢見ちゃってるのね」

 年雄の目の前にはいかにも女の子らしい部屋が広がっていた。

 テディベアに化粧台。壁には女子の制服が掛けられている。ただ一つ気になるのは、

 「うちの制服じゃないんだよな。俺が通ってた高校のやつでもないし。どの記憶から夢が形成されてんだよ」

 「ねえ、おじさん」

 下方向から声を掛けられてようやく自分の置かれた状況を理解した。浮いているのだ。部屋の雰囲気からもだが、物理的に。

 「ははは。こりゃすごい夢だ」

 「おじさん。人の話聞いてる?」

 高校生くらいの女の子は警戒したり慌てる様子もなく再び声を掛ける。

 「あ、ああ。どうした? ってか、お前がどうしたって感じだよな」

 自分の部屋に見知らぬおっさんがいたら普通叫ぶか声が出なくなるものだ。ずいぶん肝の座った子だと感心する。

 「おじさんが私の背後霊なの?」


 見知らぬ女子高生(どちらかと言えば年雄が見知らぬおっさんなのだが)の名前は夢原礼美。都立高校一年生だそうだ。

 友達からおっさんと言われる系女子で、この前行った占い屋で守護霊はモテないおっさんと言われたのを気にしているらしい。

 それで俺をその背後霊だと思って声を掛けたそうだ。

 「そんなにモテなさそうに見えるかい?」

 「うーん。顔はそこそこだけどオタクくさい」

 「なかなか男を見る目があるじゃないか」

 人をオタク呼ばわりする夢原さんの部屋に今流行りのアイドルアニメグッズが少しだけ置かれていることを見逃さない。

 「オタクかどうかはひとまず置いといて。背後霊なの?」

 「おそらく答えはノーだ。俺は死んだ覚えはない」

 「じゃあ何? 不法侵入?」

 「不法侵入じゃないと思ってるから助けを呼ばないんだろ? 他の人に俺の姿が見えない可能性も考慮してる。なかなか頭のキレる子じゃないか」

 うっさいわね。と頬を赤らめる夢原さん。わかるよ。理想的じゃないかもしれないけど、こういう非現実的なシチュエーションって憧れるよな。ああ、そういう夢か。

 ここは俺の夢の中。ラノベシチュエーションをすんなり受け入れる女子高生が出てくるのも納得だ。

 「で? どうすんの? 着替えを覗いて現役JKライフを間近で観察する?」

 「お陰様でおじさんは来る日も来る日もJKに囲まれる生活をしてるんだ」

 着替えとかは見たことないけど。そういう点はあえて言及しないことにする。

 「ふーん。私は恥ずかしいからあっち向いててほしいんだけど」

 「りょ」

 言われた通り壁の方を向く。

 「りょってJK気取りかよ」

 「モテないオタクのおじさんよりJKと一緒の方がいいだろ?」

 「JKのマネをするモテないオタクのおじさんはつらたん」

 他愛のない言葉を交わしつつ布の擦れる音が聞こえる。ラノベならラッキースケベが起きるシチュエーションだけど年齢差と職業的にマズい。

 ラノベの世界に憧れてたくせにこの年で当事者になると何も起きないことを願うばかりだ。どうせ夢なら若返りたかったな。

 「おじさんは付いていっていいのかい?」

 「もし離れられないなら仕方ないよ」

 「親御さんにも姿が見えてたらどうしよう」

 「ダメージがあるのおじさんだけだし、私は別にいいよ」

 「おじさんはよくない」

 

 順応能力が高い夢原さんは淡々と階段を降りて食卓に着く。

 「おはよう」

 「おはよう礼美。高校生になってからずっと一人で起きて偉いじゃない」

 「私だって成長してるのよ」

 夢原家の食卓を見守る40歳独身男性の姿はどうやらお母様には見えていないようだ。

 テレビはちょうど朝の占いコーナーだ。

 「あ、おとめ座1位だ。素敵な出会いがあるかもだって」

 「よかったじゃない。出会いがあったらお父さんは複雑かもしれないけど」

 「何度か素敵な出会いがあるかもって言われたけど、そういう日に限って男子と一言も喋らなかったりするんだよ」

 「待ってても出会いはやって来ないわよ。自分から探しに行かなきゃ」

 「うーーーん」

 夢原さんは生返事をしてこの話題を終わらせた。

 「あ、俺は12位だ」

 「ラッキーパーソン ポニーテールの女子高生ってほとんどのおっさんには縁なくない? あ、だから12位なのか」

 「12位の星座って11位よりも丁寧にアドバイスをもらえるけど、なかなか厳しい条件を出してくるわよね」

 「どういう占いをしたらこんなラッキーパーソンが出てくるんだろうね。ごちそうさまでした」

 朝食を終えた夢原さんと一緒に部屋へと戻ると支度の続きが始まった。

 遅刻した女子生徒から話は聞いていたけど本当に準備に時間が掛かるんだな。校則違反もあるから今後も大目には見れないけど。

 「おじさんは着替えて顔洗って歯磨いて寝癖直したらそれで終わりでしょ?」

 「ちゃんとデオドラントスプレーも使うぞ」

 「偉いじゃん。私なんか今日はポニーテールにしなきゃだから一手間増えたよ。頭皮も引っ張られるし」

 「夢原さんがおじさんのラッキーパーソンになってくれるの?」

 「素敵な出会いを引き寄せるためだよ」

 度が過ぎると困り者だが、女子高生はちょっとひねくれてるくらいが可愛いと思う。

 「おじさんはさ」

 「ん?」

 「思春期症候群って知ってる?」

 「心の声が聞こえたとか入れ替わったとかの都市伝説だろ?」

 「背後霊でも不法侵入でもなければ思春期症候群なの?」

 「さあ、思春期症候群かの答えは夢原さんの中にあるんじゃないかな」

 「そうだよね」

 メイクに集中してるのか、触れてほしくない話題なのか、夢原さんはそのあと無言で支度を続けた。


 「いってきまーす」

 「いってらっしゃーい。気を付けてね」

 初対面なので普段を知らないが、夢原さんは普段通りに登校する。さすがは東京。人の往来が多い。

 「学校までは1時間くらいかな。すれ違う人にもおじさんのことは見えてないっぽいね」

 「なんたってラッキーパーソンがいるからね」

 ゆらゆら揺れるポニーテールを見ながら言うと「バカ」と返されてしまった。

 その後は無言で学校へと向かう。

 傍から見れば夢原さんが独り言を喋っているように感じるのではという懸念もあった。

 「おーい! おはよー!」

 「彩、おはよう」

 「今日ポニテ? 珍しいじゃん」

 「うん。占いで素敵な出会いがあるかもって言ってたから気合入れてみた」

 「おじさんだと思っていた礼美も色気付いて、私は嬉しいよ」

 わざとらしく泣き真似をする彩さんを見つめる夢原さんの顔は少し曇っていた。

 「まあほら、背後霊がおじさんだから私が女らしくしないとなって」

 「はっはっは! なにそれ謎理論」

 たしかに謎理論だ。女子高生の考えることはよくわからん。

 「あ、着いた」

 二人は電車を降りて、もし俺はこのまま車内に残ったらどうなるんだろうと考えて夢原さんの後を追った。

 夢にしては長いと思い始めていたから。離れちゃいけない気がしたから。


 授業中、夢原さんは居眠りすることなくノートを取っていた。

 学生時代は妄想にふけっていた俺も、他の教師の授業を見学できる機会ということで意外と退屈はしなかった。

 休み時間に喋ったり、友達と一緒に弁当を食べたり、いつもとメンバーが違うだけで見慣れた光景だ。

 ひょんなことから俺の姿が周りに見えるようになったり、順応性の高い高校生がもう一人現れるといった事件もなく無事に下校時刻を迎えた。

 「夢原さんは部活入ってないの?」

 声を出さずに首を横に振るとスタスタと教室を出ていく。

 「バドミントン部だよ。今日は休みの日。おじさんが背後にいるんじゃ気になって練習できないからよかった」

 「おじさん要素のない部活じゃん」

 「おじさんも私をおじさん扱いするの?」

 「しないよ。1日見てたけど自分と共通する点はなにもなかった。女の子として誇っていい」

 「現役のおじさんが言うんだから信ぴょう性は高そうね」

 「マジ卍だから」

 「そうやって無理してJK用語を使うところがおじさん臭い」

 「やだ。ショック」

 生徒にウケると思ってたことが実は裏でおじさんと臭いと思われていたっぽいことを知りマジでショックだ。

 「おじさん見てると、おじさん臭いのも悪くないかなって思えてきた」

 「いやいや、夢原さんは女の子だよ。そのポニーテール……」

 「だからこれはおじさんのためじゃなくて」

 「その髪を止めてるリボン、お母さんとお揃いでしょ? なんか女の親子愛って感じで素敵だよ」

 花柄で淡いピンク色の大きなリボン。特徴的だったので印象に残っている。

 「まあ素敵な出会いはなかったみたいだけど」

 「うっさい! でも、ありがと」

 「どういたしまして」

 「気付いてるならもっと早く言ってくれても良かったのに。そしたら朝からテンション高めで過ごせたと思うよ」

 「今の時代はそういうの指摘するとセクハラ扱いされることもあるんだぞ。夢原さんは大丈夫な人間か見定めてた」

 「確かにおじさんに言われるとセクハラ認定したくなるかも」

 にひひと笑いながら髪を揺らす姿は俺が夢見たラノベのヒロインのようだった。やっぱりおじさんじゃなくて女の子じゃないか。

 「もしおじさんが成仏するなり、元の世界に帰るなりしてさ」

 「うん」

 「私みたいに女の子らしいポイントに気付いてほしい子がいたら、できる範囲でいいから誉めてあげてほしいな」


 


 「その子はきっと勇気をもらえると思うから」

 夢原さんの言葉が頭の中に響いて目を覚ますと外は夕焼けに染まっていた。

 スマホを確認すると学校から大量の不在着信。

 長い夢っていうか、夢を見てる時間が長すぎだろ。気絶じゃん。

 やっぱり星座占い12位だわ。

 あーあ、夢原さんみたいな子と仲良くなれる主人公が羨ましい。マジでラノベの世界に逃げたい。

 つーか電話するだけで様子を見に来ないって真剣に心配はしてないだろ。

 よしわかった。女子高生の気持ちになろう。説教を聞き流すんだ。俺ならできる。

 丸1日女子高生に密着……いや、同行していた。どちらにしても人聞きは悪いな。

 思春期症候群を体験した子供たちはこんな気分を味わっているのだろうか。

 自分だけが世界から隔離されたような、人に話しても信じてもらえない孤独感を。

 いや、そんなことはないと信じよう。

 だって夢原さんはあんなに清々しい笑顔だったじゃないか。

 俺が夢の中で勝手に思春期症候群を体験させた夢原礼美さん。

 モテなさそうなオタク臭いおじさんの代わりを務めてくれた夢原礼美さん。

 母親とお揃いのリボンを褒めたら素敵な笑顔を見えてくれた夢原礼美さん。

 学校にお詫びの電話を入れて、説教を聞き流している最中に聞き流せない言葉に遭遇した。

 

 「来週は転入生も来るというのに」

 

 ははは。まさかね。思春期症候群じゃあるまいし。

 夢原礼美さんは俺の夢が生み出した架空のヒロインなんだから。

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