筒井康隆風SS集
紫縁
最後の放送
1.
「――ですから、マス=メディアというのは既に我々人間身体の中にすっかり取り込まれてしまったということなのです。少し前のことですが、政権を取った右翼政党が我々人民の身体にICチップをねじ込んで管理をしようとしたことがあったでしょう。ああ、それはまるで昔の、オーなんとかというSF作家がいましたが、その人の書いたディストピア……まあ、その話は置いておきます……ともかく、それに似たようなことです。いまの我々はもはやテレビやラジオ、かつて最新鋭のメディア技術と呼ばれていたインターネットですら必要としていない。そう、いま、まさにあなたが私の話を頭の中で反芻することが出来ているのがその証拠です。これは全くもって我々人類の最終進化系、昔で言うところのテレパシー能力を拡張し、頭脳内で世界中の人々とTPN、つまりテレ=サイコ=ネットワークを形成することができたおかげであります。しかも、この能力の優れていることは完全にみずからの意志で情報の取捨選択が可能であるということ。これは些か倒錯的な表現かもしれないが、脳内に棲み着いたコンピュータがまるで優秀な秘書官の如く、我々の思考が及ばぬような部分に至るまで情報のチャンネル選択の可能性を適切に広げてくれているということでもあり――」
番組の終了間際、雑談風に喋り続けながらなお、向井太郎はみずからのネオ・頭脳を稼働させ、世界中に散らばっている情報を掻き集めていた。彼が欲している情報は、もちろん、脳内で演算可能な経済系の数値に変換できる情報でも、政界におけるニュースや芸能界のゴシップといったアクセスが容易な情報でもない。
そんな価値が低い情報は、いまの時代、一銭の価値にもならないのだ。太郎が頭脳をフル回転させて集めているのは、もっと貴重な情報の束だった。
太郎はテレ=サイコ=ネットワークにおける情報番組のパーソナリティとして活躍中の売れっ子・情報屋である。情報屋――かつて雑誌や新聞という紙媒体のメディアが覇権を握っていたように、テレビのワイドショーが流行したように、あるいは、一昔前、インターネットで情報収集のまとめサイトが需要を高めたように、テレ=サイコ=ネットワーク全盛の現在でも、情報を一箇所に収集し提供する取次業的な仕事はなくなっていなかった。
人間関係が上手くいかず高校を自主退学した彼がテレ=サイコ=ネットワーク上でニュース番組の放送を初めてもう十年ほどになる。彼は彼の半生をほとんど番組運営に費やしてきた。仕事が生き甲斐――彼にとってはニュースキャスターという職はまさに天職だったといえよう。彼は確かに人間関係において不器用だったが、類稀な天才であり、幸運なことに脳のキャパシティ、情報処理能力が人並み以上だった。そして何より、人気者になるにあたって最も欠かすことのできない自己顕示欲の塊のような人間であった。
こうした要素が積み重なり、世界中で彼の情報番組を脳内で受信している人々は既に十億人にも上っていた。個人の放送で十億人というのは、幾多の人口爆発を経て世界人口が二百億を突破した現在でも恐ろしい数字だった。彼の番組には既に国内外の大手企業がスポンサーとして名乗りを挙げている。その金を使って彼は自宅で悠々自適の生活が送れていた訳だが、彼にとっては金よりもよほどみずからの欲を満たすことの方がよほど重要だった。
一日に三十二回行われる放送の三十一回目を終了し、彼は自室のベッドの上でほっとため息をついた。彼は全裸であった。その方が、頭がよく回るからだった。
情報番組と言っても、当然のことながらみずからの頭脳から世界中に発信を行うのだから、昔のメディア放送局のようにマイクもなければ、カメラもない。太郎はただ自身の考えやみずからがまとめた情報を言語という形に一応変換してやり、発信するだけで良かった。後は、それを受信した人々が各々好きなヴォイスとヴィジュアルに変換して情報を享受するだけ……ある人の脳内で太郎の声は若手声優の痺れるような美声に変換され、またある人の脳内でその姿は水着を着た妖艶な女性タレントにでもなっていることだろう。
「お疲れ様でした」
独り身の彼にはマスコミ関係者に付き物だったという可愛らしい女性アシスタントもいなかったが、個別に製造されたシリコン皮の美しい機械人形が、彼の隣で寝そべりながら彼を労った。
――ああ。コーヒーを一杯淹れてくれ。
「承知しました」
そう言うと彼女はベッドから立ち上がり、キッチンへ向かった。
この時代、みずからの腹を掻っ捌いて食品や飲料をえぐり出すタイプの機械人形がなかった訳ではなかったが、太郎は旧式のものを好いた。最近の機械人形は当然人間とテレ=サイコ=ネットワーク上で会話できるのだが、旧式のものは受信することしかできず、発信の際には現実で声を出す。しかし、その点も太郎は好ましく感じていた。
そちらの方が、よほど人間らしいからだ。
太郎は情報番組のパーソナリティとして仕事をしていく上で、人間らしさというものを大事にしていた。日進月歩で科学技術が発展し、ついに人間の遺伝子までもが科学の進歩という名の麻薬に浸ってしまった現代でも、人間の本質は無駄なものを求める心にあると太郎は信じていた。
――現実主義者という奴らは、これだけ効率化された世の中でもなお、効率といったものを叫びたがるようだが、おれはそうは思わないぞ。
太郎は脳内でテレ=サイコ=ネットワークの集計機関にアクセスし、通算で97951回目となる、本日三十一回目放送分の視聴率データを表示した。
「Bravo!」の文字と共に「1,356,127,089」という数字が叩き出される。太郎は自分でその数字がどのくらいのものか考えるのが面倒になったので、脳に指令を送って増加率と今回の視聴率の総評をイメージで変換させた。その間コンマ0.001秒。どうやら、順調な伸び幅らしかった。
太郎はほくそ笑んだ。
――ほら、見たことか。単調に人々に世界の最新情報を与えるだけのつまらない番組よりも、雑談やジョークを交えて多種多様な情報を教えるおれの番組の方が高い数字を叩き出している。これは人々の需要の最大公約数だけでなく、彼らの心理変化や需要の度合いを巧みに見定め、情報が持つ本当の価値を見出している、おれ自身の洞察力と日々の努力の成果なのだ。
「コーヒーをお持ちしました」
――ありがとう。
太郎は機械人形の彼女に脳内できちんと礼を言ってコーヒーを受け取った。彼女は樹脂テクスチャのおしとやかな笑みを浮かべ、再び彼の隣に寝転がった。
太郎はコーヒーをすすりながら考えた。
広く知られている情報、新しい情報が価値を持つ時代というのはとうの昔に終わっている。なぜなら人々は既に脳内に最強の情報収集ツールを持ってしまったのだから。
もはや情報はエンターテインメントだ。かつてのように小説や映画といったフィクションが売れなくなったのも、この現実がほとんどフィクションと似たりよったりのものであるということにみなが気づいてしまったからに違いない。
となれば、これからは更に、みなが知らないような、そして、それを知ってみながあっと驚くような情報収集へと舵を切らねばならないだろう。
しかも、再来月には太郎の番組が開設されてから記念すべき十万回目の放送を迎えることとなる。そこでは必ず十億余り、あるいは更に増えているであろう視聴者の心を、更に惹き寄せるような、出来る限り離れさせぬような放送をする必要がある。
決意を新たにした太郎はコーヒーを一息に飲み干し、ベッドの上で専用の自動糞尿処理機に放尿しながら本日三十二回目となる放送に向けて構想を練り始めた。
2.
そうして、一ヶ月の月日が流れた。
彼は十万回目の放送を迎えるにあたり、彼は思い切ってビジネスや政治にまつわるマクロな話題の一切を遮断し、巷の噂程度のミクロなものへとみずからの脳内チャンネルを絞って情報収集と選別、合成と発信を行った。価値がない情報を仕入れるキャパシティは彼の中にもはや残っていない。日常のありふれたニュースよりも、非日常の珍しい出来事。いまは常識よりも、非常識だ。
ただし太郎は嘘だけは吐かないことに決めていた。それは彼が変に生真面目な性格だったというのもあるが、そんな必要がないからだった。世界中の情報が彼の脳内に集まってくる今、想像力を必死に働かせて吐いた嘘よりも面白いことは山のようにあった。
彼はあくまでも現実の情報を集め、整理し、符合を発見し、粋な風体に仕立て上げることに専念すればよかった。そして幸いにして、彼はそうした作業が大の得意だったのだ。
そして、その成果は信じられない勢いで数字に顕れた。人々は世界情勢よりも、彼の流すいつどこで起こったのか分からないようなニュースに熱狂したのだ。彼の放送の人気は更に右肩上がりとなり、テレ=サイコ=ネットワーク上のSNSを覗いてみても、かつてサブカルチャーを愛したような人々を中心にファンは増え続けているようだった。
太郎がその日の最後の放送回で記録したリスナー数は、ほぼ六十億。一ヶ月で六倍という、十年間で最も大きな伸び率を記録した。
彼は思わず存在するはずのない神に感謝した。もはや情報はエンターテインメントだ、という彼の読みは当たっていた。
太郎の頭脳にこれまで見たことのない発信元から個別の通信が入ったのは、月末の夜、最後の放送回が終わった後のことだった。
――TAROさん、こんばんは。
一日をベッドの上で寝転がったまま過ごす彼も、このときばかりは飛び起きた。
発信者はなんと、世界中のニュースを統合する情報機関・WTSことワールド=テレパシー=サテライトの放送局だったのだ。
WTSは世界のメインストリームとして、ビジネスや政治、犯罪や芸能ゴシップといったマジョリティの情報ばかりを放送している米国の放送局だった。太郎はその放送がいかにも単なる情報を垂れ流すだけのつまらない番組に思えて一度も視聴したことはなかったのだが、しかし、彼らの番組の視聴者数は太郎の番組が抱える六十億というリスナーよりも遥かに多い、百五十億という数字だった。そのことが太郎にとっては歯がゆく、WTSはある意味で彼の仮想敵とも呼べる存在であった。
そんな奴らが一体、おれに何の用だろうか。彼は一旦通信を切断し、考えた。
よもやおれの番組の人気に対する嫉妬から起こったクレームではあるまいか。個人番組主のおれとは違って奴らは政治権力を握っているから、ちょっとした情報操作でおれは国家転覆を狙うテロリスト扱いされてしまう。
慎重に話をしなければなるまい。
そう思い、彼は通信を再開し、いつもの風に気さくな調子で挨拶を返した。
――やあ、こんばんは。天下のWTSさんが私のような個人番組主に声を掛けてくださるなんて、驚きましたよ。一体どういう風の吹き回しですか?
太郎としては若干の皮肉を込めたつもりだったのだが、返事はすぐに返ってきた。
――この度、貴方の番組が記念すべき十万回目の放送となると聞きましてね。心よりのお祝いと……一つ、提案をさせていただきたいなと。
――提案? なんです、それは。
――是非とも、我々にも貴方の記念放送を作り上げるお手伝いをさせていただきたい。
――なんですって?
「なんだって!?」
彼は仰天の声を上げた。しかし彼が実際の肉声を発するのは二ヶ月ぶりくらいのことだったので、その声はまるでとどの呻き声のようにしかならなかった。
――つまり、共同放送です。我々は、我々の抱える情報量は世界一だと自負しています。それだけの数字を出していますからね。しかし、人の心を掴む情報の質では、貴方に敵わないとも思っている。素直に感服しているのです。数々の情報番組をリサーチしてきた中でも、間違いなく貴方が一番だ。ですから、節目である十万回目の放送を一つの試金石として、一緒に放送をしてみませんか。もしこの放送が上手くいけば、今後も一緒に仕事をしてもいい。そうすれば我々は無敵です。世界の情報の量と質、それが一つになれば、どれだけ大きなことができるでしょう。
太郎の脳内で美女のヴォイスとヴィジュアルに変換されたWTSの放送局員は、そんな甘い言葉を続けて誘惑をする。
――なるほど、少し考えさせてください。
彼は冷静に言って通信を一旦遮断したが、その実、彼の身体には汗が滲んでいた。
確かにそれは太郎にとって願ってもない話だった。十万回目の放送が記念すべき放送とはいえ、そう簡単に視聴者が増える訳ではない。しかし、仮にWTSと共同放送をするとなれば、そのリスナーの数は単純計算で合わせて世界人口を超える。もちろん両方の番組を視聴している者も多いだろうが、それを差し引いても世界の八割方以上の人間が太郎の言葉に耳を貸すこととなるかもしれない、という絶好の機会だ。
太郎はその興奮に思わず失禁しかけたが、なんとか踏みとどまって通信を再開した。
――お待たせしました。いくつかお伺いしてもよろしいですか。
――ええ、もちろんです。どうぞ。
――もし記念放送が上手くいって、貴方がたと一緒にお仕事をすることになったとして、私の番組は吸収合併という形で消えてしまうのでしょうか。
――いいえ、そんなことはいたしません。ただ、出来る限り多くの人々が耳を傾けやすいよう、我々の番組と共同で放送することにはなると思いますがね。我々の持ってくる大衆向けのニュースと貴方の持ってくるニッチなニュースのコラボレーションが上手くいけば、それこそ万々歳です。
――つまり、看板は降ろさなくてもいい、と。
――ええ。あくまでも共同放送という形で貴方の権利は保証しましょう。国際テレ=サイコ=ネットワーク条文に書かれている方式で誓約いたします。
――では、私は今まで通りのやり方で放送をしても良いということですね。例えば、今回の共同放送でも、私はマイノリティの情報を、私のリスナーに向けて放送を行う。いつものように、雑談交じりに。
――もちろんです。むしろそうしていただかなければ困る。我々は貴方の情報番組の価値を認めている。その価値を我々自身が貶めるような真似は決していたしません。
声の主ははっきりとした口調で言った。それは視聴覚上ヴァーチャルな存在だったが、その言葉の裏に嘘はないように思えた。
――当然ながらこれらは仮定の話です。実際に共同放送をやってみて、貴方がもし違和感を抱いたならばその一回限りで止めてもいい。これも誓約しておきましょう。……如何です、決心のほどは?
彼の思考は一瞬返事をためらって通信を一旦切ろうとしたが、それよりも先に太郎自身の心の奥底から言葉が溢れていた。
――ここまで来ては断る筋はありませんね。それはもう喜んで。
――良かった。誓約文書は今日中にお送りいたします。では、また来月。
そうして通信は切れた。
太郎は再び決心を固め、来るべき日へ向けて改めて情報収集を始めたのだった。
3.
更に一ヶ月の時が経った。太郎は相変わらず自室のベッドの上で、家の外に一度も出ることなく、ローカルな情報収集と選別を続けていた。幸か不幸か、二ヶ月前には産業ニュースやスポーツ関連の雑談があって多少知的に聞こえていた彼の放送も今ではこんな風に変わっていた。
「――それでは本日最後のニュースに参りましょう。昨日、エチオピアの都市ディレ・ダワの外れに住む独身五十二歳女性の家の隣にちょうど二ヶ月前、引っ越してきた三十一歳の女性と三十七歳の男性の夫婦の子供が遂に“散弾銃”という言葉を覚えました。それだけではありません。隣の家に住む五十二歳の女性が三十五年前、アファール州の実家から通信制の高校に通っていたときのこと、かつてその地域に地質調査の手伝いをしに来ていた三十四歳の男性と話をしたことがありました。そしてその三十四歳の男性が二十七歳のときに付き合っていた愛人との間に作った子供が散弾銃という言葉を覚えたのもまた、三十一歳の女性と三十七歳の男性の間に出来た子供が散弾銃という言葉を覚えたのと同じ日、同じ場所だったのです。更に共通点が。三十一歳の女性と三十七歳の男性の間に出来た子供は三歳で左利き。三十四歳の男性が二十七歳のときに付き合っていた愛人との間に作った子供が散弾銃という言葉を覚えたのも三歳のときのことで、彼もまた左利きだったのです。こんなレアな情報、膨大な情報が集まる現代に生きる普通の人だったら絶対に見逃してしまうでしょうが、貴方は幸運だ。なぜなら、私の放送を聴いているからです。価値のある情報をその手に収めているからです。わはははは。次回もお聴き逃しなきよう――」
こんな具合でも、彼の番組の視聴率は落ちなかった。貴重な情報を得たいという誰もが持つ欲望、つまり、この情報社会で他の人間と差別化を図りたいという思いが人々を突き動かしていた。かつての世の中で人々がブランドのバッグを持ちたがったように、あるいはソーシャルゲームで希少性のあるjpegデータを求めたように。
そしてリスナーが増加するにつれて彼が持っている情報を持っていることが社会的ステータスとなる現状を呼び、差別化を図る目的の欲望は周囲から外れたくないという共同体への同化を求める欲望へと変わっていった。こうした傾向はとりわけ太郎の住む日本において顕著だった。もはや彼の放送を視聴していない日本人は一人もいないと言っても過言ではなかった。
4.
そこに変化が訪れたのは、まさに、放送十万回目を迎える当日の朝であった。
「おはようございます」
――おはよう。朝食を用意してくれ。
「かしこまりました」
いつもと全く変わらない朝。彼は機械人形が持ってきたオート・ミール・クッキーを頬張り急いで飲み込むと、本日第一回目の放送の原稿を頭の中で組み立て始めた。
「おはようございます。今朝も皆さまに最高級の情報をお届けします」
第一回目の放送で、彼は三つの情報を披露した。一つ目はフィヨルドに新種のタカラガイが流れ着き、その学名にこの十数年タカラガイの学名に使われたことのなかったアルファベットが用いられたというニュース。二つ目はチェスのオセアニア・チャンピオンが交通事故に遭い、轢かれた車のナンバー下四桁が、かつて彼の出場していたチェスの大会で別の選手が二度目の優勝を果たした日付と一致したというニュース。そして三つ目は本日最後の放送で彼の番組が記念すべき十万回目を迎えるというニュースだった。
普段通りの放送を終え、彼は例のごとくテレ=サイコ=ネットワークの集計機関にアクセスし、視聴率データを表示した。
そこでおや、と彼は思った。「What's up?」と黄色く点滅する虚像の文字盤の下に表示されたのは、昨日の最終放送よりも十億人も少ない六十億という数字だった。
――ニュースの内容がそんなに面白くなかっただろうか。確かに今日は十万回目の放送回に向けて人々が最も面白がりそうなニュースは最後に取っておくつもりではあったが、しかし、これまでの傾向からいくと視聴数がここまで落ち窪む理由もないはずだが……。
彼は、これも何かの間違いだろうと思い、気を取り直して第二回目のニュースへ臨んだ。
しかし、間違いではなかった。二回目で更に三億、三回目で更に五億と数が減り続けた。
そうして十万回記念放送の直前、その日三十一回目の放送を終えた後の彼の驚きようといったらなかった。
彼はまるで昨日のニュースで彼が紹介した、バヌアツの村で密かに行われる祝祭で首を締められたガチョウのような声を出した。
「どうされましたか」
その声に驚いた機械人形が彼の隣で飛び上がるのも目に入らぬといった様子で、彼は何かの見間違いではなかろうかともう一度意識を集中させた。
しかし何度見ても、彼の脳内で踊る電子の文字盤はいかにも不吉な色味の「unbelievable」。その下に書かれた数字は、なんと一万にも満たなかった。
彼は叫び声を上げながら、自動糞尿処理機を稼働させていなかったにもかかわらずベッドの上で失禁を繰り返し、身体中に汗をかいた。「お止しください」と悲痛な声を上げて彼を静止しようとする機械人形の両腕を掴み、暴れまわったものだから、哀れにも彼女は顔から部屋の壁にめり込んだ。彼女の股間から漏れ出すオイルが彼の涙と汗、そして尿と混じり合って合成樹脂のベッドを汚しまくったせいで部屋にはたまらなく酷い匂いが充満し、彼は思い切りむせ返り、今朝のオート・ミール・クッキーを吐いた。
何かがおかしい。
そう思ったときには、もう遅かった。
太郎の頭脳に、通信が入る。彼は救いの手が差し伸べられたとまで思って、通信が入った音が脳裏に響き渡るなり、相手が何かを言う前に精神波に乗せて大声で喚き散らした。
――ああ、助けてくれ! おれの番組の視聴率がなんとこんなにも落ちてしまったのだ。このままでは、おれが十年かけて作ってきたものがすっかりパアになってしまう! 一体どういう訳なのだ、おれのニュースはこれまで完璧に奴らの需要を満たしているはずだったのに!
返事はしばらくなかった。おいおいと泣き始める太郎に対し、一時的に通信が切れる。向こう側では何やら相談の場が持たれているようだった。
5.
「どうも自分の番組の視聴率が落ちたことを嘆いているらしいぞ」
テレパシー能力を使っているのは、緑色の皮を被った、人間とはまた別の種族。エビのような形をした、ミドリエビ族とでも呼ぶべき彼らの正体は、地球外生命体のパビロン星人であった。
「呆れたものだ、一体今更何を言っているんだ」
血を抜かれたWTS局員の腕関節をぽりぽりと齧りながら、別のエイリアンが言った。WTSの局内は既に血みどろの海。あたりに漂う腐臭は彼らにとって、最高のアピタイザーだった。
「今朝から我々パビロン星人が地球を征服し始めたという大ニュースを知らないらしい。あれだけ世界中で話題となっていたというのに」
世界中の情報発信拠点を制圧する係を任されていたエイリアンが神妙に言う。
「おいおい、さっき奴が流していたニュースを聴いたか? 今朝、オーストラリアのポテトチップスメーカーがパッケージにミスプリントをしたんだとよ」
笑いながら扉を開けて入ってきたのは、また別のエイリアンだった。
「この世界的放送局に次ぐ情報通と聴いていたから多少使える奴かと思ったが、これでは他の人間同様殺すしかあるまい」
制圧係のエイリアンが些か残念そうに、しかし口の端に不気味な笑いをたたえながら言った。
「虐殺だ」
「そうだ、殺せ」「殺せ」「殺せ」
色めき立つ緑色人種たち。
「待て」
地獄絵図と化した局内に、一際重々しい声が響き渡った。パビロン星人の親玉である。周囲のエイリアンたちは水を打ったように一斉に静まり返った。
「情報によると、この通信局と奴の間でテレパシーを使った大規模な世界的共同放送が予定されているらしいな」
「ええ、そうですが」
「隠れた人間の残党どもの戦意を削ぐチャンスだ。おい、テレパシーで奴と通信しろ」
通信が再開される。ヴァーチャルなヴォイスで太郎に投げかけられる優しい言葉。
彼は涙を流しながら、何も知らないままに自身十万回目の記念すべき報道について思いを巡らせる――。
6.
命からがら恐ろしいエイリアンの襲撃から逃げ仰せた人々は、必死の思いで彼らの目から隠れていた。地球上に残ったわずかな森林の中、うず高く積み上げられた産業廃棄物の影、廃ビルの中――あまりにも急すぎる世界の破滅に、人々は動揺を隠せなかった。
唯一の希望はテレ=サイコ=ネットワークがもたらす情報のみだった。バルカン半島でイタリア軍がなおもエイリアンたちと奮闘中だとか、彼らの皮膚の成分をNASAの情報局が究明中だとか、たったそれだけのニュースでもいい。それだけの情報があれば、人々は最後の望みを捨てずに生きられるのだ。
そして天啓――ここに、久方ぶりの通信チャンネルが開かれる。
しかも、そこに表示されたのはWTS、世界の重大情報を握る情報機関だった。人々は天から降りた一本の蜘蛛の糸に縋る思いで、そのチャンネルへのアクセスに殺到した。
リスナーは世界中に生き残った全人類、総勢1,293,022,193人。
「こんばんは。本日最後のニュース、皆さまに最高級の情報をお届けします。今回は記念すべき十万回目の放送ということで、やはり最初はいま最も世界中を賑わせているこちらのニュースから」
世界中の人々の脳裏に映し出される、希望という名の虚像。
その実は、まさに人々を絶望のどん底へと叩き落とす悪魔の触手。
「ブルキナ・ファソ在住の七十歳男性が飼っているカンガルーに赤ちゃんが生まれました……」
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