暁の道標
森山たすく
暁の道標
旅立ち
旅立ち 1
「待ってよ、サリュートア~!」
サリュートアと呼ばれた少年は、その声に立ち止まり、振り返った。白銀色の髪がさらり、と揺れる。
そこに、声の主である、赤毛の小柄な少女が小走りで追いついて来た。大きな琥珀色の瞳が、猫のようにくるくると動く。
「一緒に帰ろ!」
「いいよ」
少年は少女の方を見もせずに、素っ気なく答えてから、歩幅を狭くし、少女に合わせた。少女は軽く跳ねるようにして少年の隣に並ぶと、陽気な声で話し始める。
「サリュートア、メルのことフったんだって? メル、すんごい落ち込んで、今日学校来てなかったってよ。あの子真面目だから、なかなか立ち直れないかも」
「そう」
少年の返答はにべもない。少女は、少し眉根を寄せて、少年に詰め寄る。
「そう、って冷たすぎない? サリュートアは、まあ見た目もいいし、頭もいいし、スポーツも出来るけど、人間味に欠けるっていうか、優しさとか面白みとかがないよね」
「それはどうも」
少年は小さく肩を竦めると言う。
「それなら、そんな人間味に欠ける僕なんかと一緒に帰らなくても、こないだ出来た彼氏とでも帰ればいいじゃないか」
すると、少女は口を尖らせ、大げさに手を振る。
「あ~、リューシェ、あんなのとはもうとっくに別れたの。ちっとも面白くないんだもん、アイツ」
「何日続いた?」
揶揄するような少年の言葉に、少女は小首を傾げ、答える。
「え~と……一週間くらいかな?」
「まあ、アストリアーデにしては続いた方じゃない」
「まぁね。なんか引き延ばされた、ってカンジだけど」
少女――アストリアーデはそう言いながら、朗らかに笑う。
日差しは強く、明るく、肌をじりじりと暖めた。時折吹く風が、心地良い。
「あ~あ、つまんない。明日から夏休みなのに。なんか面白いことないかなぁ」
そう言ってため息をつくアストリアーデに向かって、サリュートアは静かに笑みを浮かべる。
「面白いことなんか、自分で作ればいいんだよ」
「そうは言うけどさぁ……ねぇ、サリュートアは夏休み、どうするの?」
「別に」
「ふーん……」
涼しげな顔で歩くサリュートアを横目で見ながら、アストリアーデは視線を空に向けた。
空は青く、高い。
◇
「サリュートア、起きてる?」
その日の夜遅く、アストリアーデはサリュートアの部屋を訪れた。小さなノックの音が、廊下に響く。辺りは静まり返り、虫の声だけが聞こえる。
「何?」
ドアの向こうから、やや不機嫌そうな声が聞こえる。いつものことだった。しばらくすると、ドアがカチャリ、と小さな音を立てて開く。隙間から漏れた明かりが、廊下を淡く照らした。
アストリアーデは、にこりと笑みを浮かべると、ドアの前に立っているサリュートアを押しのけるようにして、躊躇わず中へと入った。そしてすぐに、部屋の中を興味深げに見回す。
「……だから何?」
サリュートアは無愛想な声を出しながらも、ドアを閉め、アストリアーデを部屋に招き入れる意思を示した。すると、彼女は部屋の中を物色するのをやめ、サリュートアに向き直ると、またにこり、と笑う。
「夏休み、どこに行くの? 何をするの?」
「どういう意味?」
「だって、サリュートア、何か企んでる時の顔してたもん。お父さんの日記盗み読みした時も、ベルデさんのところに仕返しに行ったときも、同じ顔してた。夏休みにも、何か面白いことするんでしょ?」
サリュートアは、しばらくアストリアーデの顔を無言で眺めていたが、やがて観念したようにため息をついた。
「旅行に行くんだよ」
すると、アストリアーデの顔が、パッと華やぐ。
「それって、お父さんやお母さんには内緒でってことだよね? どこに行くの? サン・モーメンス? それとも、マイルストア? もちろん、あたしも連れてってくれるよね? ね?」
「いいよ」
サリュートアがあっさり頷いたので、アストリアーデは何だか拍子抜けするが、すぐにいつもの笑顔を取り戻し、サリュートアに抱きついた。
「いや~ん、サリュートア大好き! チューしてあげる、チュー!」
「やめてくれる?」
「……そういうマジな顔で否定するのやめてよ。傷つくじゃない」
アストリアーデは口を尖らせ、サリュートアから離れると、スカートのすそを整えてから、ベッドに腰掛けた。
サリュートアは、本棚から地図を取り出すと、床に広げる。
「でも、行くのはリゾート地なんかじゃない。サマルダだ」
「サマルダ? 聞いたことないなぁ」
アストリアーデが首を傾げると、サリュートアは地図の上の指をすう、と滑らせた。首都マイラより、ずっと北へ。
「ファンサーレ地方にある町だよ」
「ファンサーレ? ド田舎じゃん!? 何にもないよ!? ――行ったことないけど」
それを聞き、アストリアーデはあからさまに不満の色を表した。サリュートアは、再び地図に視線を落とす。
「僕も行ったことはない。……でも」
「でも?」
「昔、この辺りが、あの計画にかかわった科学者たちの住まいになっていたんだって。だから、もしかしたら、その科学者の子孫が残っているかもしれない」
ミレニアム・プロジェクト。
それが、計画の名だった。
サリュートアは、今は開放されている旧宮廷図書館や古書店、自宅の図書室などで、集められるだけの情報を集めていた。そして得られたのが、サマルダに何かがあるかもしれないという情報。
「そんなトコ行ってどうすんの? もし科学者の子孫がいたとしても、あたしたちには何の関係も、何の得もないじゃない」
「そうかな?」
ベッドにひっくり返ったアストリアーデを見て、サリュートアは続けた。
「アストリアーデは知りたくない? 僕たちが何者なのか」
しばしの沈黙の後、呟くような声が届く。
「それは……興味がないって言ったらウソになるけど」
父の日記を盗み読んだ時、自分たちの祖先が普通の人間ではなく、兵器としてつくられた生命だと言うことを知った。自分たちが生まれる少し前に、人知れず世界の運命を左右するような戦いがあったことも、そしてそこに、自分たちと同じ名前の少年と少女がかかわっていたことも。
『生き写しのようだ』と書かれていた。その時に思ったのだ。自分たちは何者なのだろうか、何故生まれたのだろうか――と。
でも、二人とも、父にも母にも、ジェイムにさえ聞けなかった。
それならば。
「僕たちが自分で知るしかない」
また、沈黙が流れた。
「まぁ」
それを破ったのは、アストリアーデの軽い声。
「いいんじゃない? パーッと行って、パーッと解決して、スッキリ帰って来ましょうか!」
そして元気良く起き上がり、白い歯を見せて笑った妹に、兄も頷き、微笑み返す。
「……で? どうやって行くの? 夜中にこっそり? お父さんもお母さんも――たぶんジェイムも気づくと思うけど」
アストリアーデの言葉を聞き、サリュートアは小さく鼻を鳴らした。
「バカだなぁ。そんなの、日の出ているうちに抜け出すに決まってるじゃないか。父さんも母さんも仕事なのに」
「でも、ジェイムはいるじゃん」
「ジェイムは僕たちには甘いから、『ちょっと出かけてきます』って言えば分からないよ」
口を尖らすアストリアーデに、サリュートアはそっけなく言い返す。
「まあ、そっか……じゃあ、どうやってサマルダまで行くの? 馬? でも、馬なんか使ったら、足がついちゃう。買うには高すぎるけど、借りるにしても親の許可が必要だもん。流石に盗むわけにもいかないし……やっぱり、馬車が無難かな?」
「無難だけど、マイラからは乗らないよ。通行証が必要だし、門番にも、父さんたちのことを知っている人がいるだろうから」
「じゃあ、どうやって行くのよ?」
少し苛立たしげに体を揺するアストリアーデに向かい、サリュートアは口の端を上げてみせる。
「ニルズさんの馬車さ」
「ニルズさん? ……ああ、野菜とか売りにくる人?」
「そう。あの人は、ラウストスに住んでる。そして、ラウストスからはファンサーレ方面への長距離馬車が出てるんだ」
ラウストスとは、マイラの北西にある町である。
「つまり、こっそり荷に紛れるってこと?」
「その通り」
「え~っ。そんな古典的な方法で上手く行くのかなぁ……?」
不満気に声を上げるアストリアーデに、サリュートアは口の端を上げてみせる。
「バカだなぁ。有効だから古典的なんだよ。人間なんて大して進歩してないんだから」
「ちょっと、さっきからバカバカ言うのやめてくれない? サリュートアのそういうとこがムカツクの!」
「悪い悪い」
アストリアーデが声を大きくすると、サリュートアは悪びれる素振りを少しも見せずに、謝罪の言葉を口にする。
だが、アストリアーデも、いつものことだからと気にすることはない。立てた人差し指を唇に当てると、首を傾げながら尋ねる。
「あ……でも、荷物は? 流石に大きな荷物を持って家を出たら変でしょ?」
「それは、もう少しずつ運んで用意してある」
それを聞き、アストリアーデは長い睫毛を瞬かせた。
「でも、あたしのはないじゃん」
サリュートアは、大きく肩を竦めて見せる。
「どちみちついてくると思ったから、多めに用意してあるよ。後は必要なものは買い足せばいいだろ?」
「流石。抜け目ない」
「それは、お互い様でしょ」
そう言って二人は顔を見合わせて笑う。
夜は、静かに更けていった。
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