第6話 子羊ちゃんと狼くん


 藍晶宮で暮らしているのは上帝とその伴侶と子、それから彼らの世話をする女官や侍従たちである。また、一時的に客人が留まることや夜警の兵士が滞在することはあるがあくまでも短期間でだ。


 その中で例外的に部屋を与えられているものがいた。

 悠の君と呼ばれている、少女だった。

 古くから続く明科あかしな家に、強力な力を持ち生まれた。家の長となるべくして生まれたのだと両親は大いに喜んだが、喜びは長く続かない。

 成長するに従って少女のおかしなところに気づいたのだ。力を持っているはずなのに、発現しない、と。


 力にも適性がある。

 基礎的なことであれば、修練を積めば問題ないが、極めるとなると適性のないことを修めるのは不可能に近い。そのことを幼いうちから理解しているのか、神の力を持って生まれた者は自然と適正に沿った力の使い方をする。

 六白であれば悲しい時に雨を降らせたし、ラディは怒りを持って雷を落とした。


 しかし、少女は何も起こさなかった。起こせなかったのだ。森羅万象あらゆるものに力を拒絶されて、有り余る力を使うことが出来なかった。


 そんな少女がただ一つできることは、視ることだった。


 “未来を視る”


 それは長く続く神々の世界でもほとんど現れたことがない、手に余る力だった。


 ほんの少し先の未来が視える少女の言葉は、今を生きる者たちには理解できない。

 そうして見えた先を更に視ようとして、心を飛ばし、どこかにしばしば行ってしまう彼女は何日も眠り続ける。視えるだけ視た未来は少女の中でも整理されずに絡まり続けて、支離滅裂なことしか言えなかった。


 誰とも意思疎通出来ない彼女を持て余し、ただ生かすだけの日々が続いたある時、上帝がその身をお引き取りになったのだ。それ以来、この御所で未来視の少女は暮らしているのだった。


 「うーん、話はできるんだけどな……」


 ラディが出会った頃には、会話自体はそれなりに成り立つようになっていた。しかし予言めいた言葉や不可解なことが多すぎるあまりに会話を楽しむことは出来ず、それ故に受けた印象はイマイチ苦手だなあというものだった。


 でも、悠の君が原因だと思うんだけど。


 一度、帝の私的なお茶会でお会いしてから、どうも気に入られているようなのだ。その頃から、ラディの動向を探る動きを感じるようになった。そして、偏執的な集団と言われた人々が過激になったのも。


 俺の香りにヤラれて惚れちゃうのは仕方ない。けど、そうなってる人をけしかけるのは勘弁してほしい……。


 礼儀正しく口説いてくるならば、こちらも誠意を持って対応できるが、そうでないならばそれ相応の対応をしなければならない。しかし、男相手ならまだしも、女性には乱暴できるはずなく、口で勝てるとも思えなかった。


「雷牙」

「うん? ああ、おはよう」

「おはよ〜さん」


 話しかけられて振り返る。同僚であり、部下でもある男だ。

 いつも眠そうにしているが気のいい奴で、上下関係の枠を超えて仲が良い。故に、上官と部下というよりも、悪友に近いと認識していた。


「雷牙、微妙に機嫌わるい?」

「あ〜、そう見えるか?」

「いや、分かりやすくはない。けど、なんとなくいつもと違うかな〜〜と」


 独特の間延びした話し方が彼の特徴だった。ぼんやりしているのに観察眼が良い男に苦笑する。


「悠の君の所へ参ろうかと」

「とうとう諦めて食べられちゃうの〜? 可哀想な子羊ちゃんだあ」

「子羊には絶対なりません!」

「ふうん? じゃあ、子羊を食べちゃう狼さん?」

「お前なあ〜! 人ごとだと思って楽しんでるだろ」

「冗談だよ〜。まあ、何故か雷牙宛の封書が開封されてたり、汗を拭いた後の手拭いが盗まれたり、その他諸々……流石に目に余ると思ってるよ?」


 事情を知る男は細い目を更に細くして面白そうに笑った。そして過去にあった様々ないや〜なあれこれを思い出させられて、ラディは呻く。


「思い出させないでくれよー。……ともかく、これ以上被害が広がらないようにしたいわけだ」

「そうだね〜応援してるよ。……そういえば、幼馴染殿もういるんだろ」


 突然の話題転換に首を傾げる。リクと彼は面識がないはずだし、興味を持つことが何かあるのだろうか。


「ああ。 どうかしたか?」

「いや? そのうち会えるといいなと思って〜」

「宴の時に会えるだろ?」

「そーだね。楽しみにしとく」


 何を考えてるのか分からない気の抜けた顔だった。たまに考えていることが分からない男の思考を読むことをあっさりと放棄して、目下の重要課題に取り組むこととする。


「ああ。じゃあ行ってくる」

「はいよ〜。ご武運を」

「おう」


 それにしても。

 襲われちゃう子羊、なんて的確かつ嫌な表現だった。そうならないように力を尽くすつもりではあるが、そうなってしまう予感もある。


 「なんかやな感じがするな……」


 励ましにならない励ましを受けて、なんだか気が重くなりながらラディはその場を後にした。

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