拓海千秋(10)審判の印

 目が覚めたら、すべてが夢であってほしい。


 漂流してから何度も何度も願ってきた。

 けれど、今度は目を開ける間もなく僕の顔は黒い頭巾で覆われていて、何が現実なのか。考えるまでもなかった。


 僕はまだそこ(世界)にいた。


 固く平な床の上に寝かされていたから、ひょっとしてという一縷の希望があったものの頭巾の外から聞こえる声は聞き慣れた、聞き飽きたクラスメイトの声ばかりだった。


 身体を揺り動かす。

 手足は自由で鎖も、足枷も外されていた。

 指で手首を触ると鎖の跡がくっきり残っていて、やはりこれも夢ではなかったのだという残酷な実感を手助けした。

 頭巾に手を伸ばし、そっと目元までめくってみる。

 ぼんやりと上空にオレンジ色に揺れる光源があって、床の上に無造作に倒された男女の身体を照らしていた。光源はおそらく松明だろう。

 真上に円を描くように八つ。

 煌々と燃えながら巨大な塔のような形をした真っ暗な空間に光を齎している。


「千秋か?」


 僕の目の前で大きな身体がぐらっと動いた。

 屋島だ。

 長い足を立てて、身を起こすと頭を打ったのか。

 しきりに後頭部を掻いて辺りを見回した。


「ここ、どこ?」


 自分でもバカな質問だと思ったけど、わかるわけないことでも言葉にせずにはいられなかった。


「わかんないよ。みんな、いるか?」


 屋島の声にそこここから安堵とも不安ともつかぬ声でいくつも返事が起った。


「屋島くん?」

「屋島か」

「ヤッシーじゃん」


 そうして屋島を呼ぶ声がさらに「その声は」という反応を生み、聞いては答え、あるいは発声して声を待つという動きが連鎖的に広がっていった。声を聞くだけでも最初のキャンプ地に残ったメンバーはもちろん、川の上流にいた第二離反組もいる様子だった。


「拓海……おるんか?」

「先生」


 時生先生の声が足下で聞こえて、僕は急いで駆け寄った。

 顔色は真っ青。

 汗は玉のように溢れ、息も絶え絶えだった。

 時生先生の足には急いで引きちぎったような白い布きれが巻かれていて、止血の役割を果たしてくれていた。とはいえまとも応急処置もなく、こんなところに放置されていてはろくなことにならない。


「みんな……おるんか」

「ええ、多分。お願いだから喋らないでください。今すぐ誰かに治療してもらえるように」


 立ち上がろうとする僕の手をぐっと掴んで時生先生が引き止めた。

 重傷者とは思えない力でぐっと引っ張ると、僕を引き倒して、


「無駄や……あいつら、うちを殺す気や」

「そんなことさせませんよ」

「なんや、えらい頼りになるようなことゆうやないか……今のお前やったら瀬名波も惚れるかもな」

「ふざけてる場合じゃないでしょ」

「たっくん?」


 止血用の布をきつく結び直していると、背後から瀬名波さんがそっと近づいて時生先生の様子を伺った。横には江藤もいる。


「先生はどう?」

「……よくない。これのおかげでなんとかなってるけど」


 と、振り返ると瀬名波さんのブラウスの裾が破れて、彼女の白いおへそが顔を出しているのが見えた。

 僕は顔を背けた。

 そうか。

 先生の足に巻かれていた布はきっと彼女が巻いたものに違いない。

 僕は赤く染まりつつあるその布からそっと手を離した。


「ここ、どこなんだろう」

「僕らを捕まえたやつらのアジトとか、そういうのなんだろうけど」


 様子がおかしい。

 目が暗さに慣れて次第にこの塔の内部が見えるようになってきた。

 塔の壁面には左右からバッテンを描くように回廊が設置されていて遥か上層まで続いている。

 その上に白い布を被った像のようなものがこちらを見下ろすように何十体も並んでいる。

 揺らめく松明の光のせいか。

 ひとつひとつの像がまるで生きているように見える。


「……なんだ、あれ」


 でも、この非常時に建物の上部に目を凝らしているのは僕くらいのもので、この円形の広間の端っこで目を覚ましたサッカー部の渡利隼(出席番号40番)は、壁際で並んで憔悴しきっている一団を見て声を荒げた。


「お前ら、なんでここにいるんだよ!」


 僕らのいる場所から距離を置くようにして、最初にキャンプを離れた離反組の夏見梨香と大庭晃をはじめとした十人が、そこにいた。

 見知らぬ建物内で目を覚まし、恐怖と混乱を隠しきれないでいる僕らにまるで目が合わせられないといった感じで、いつもは喧しい夏見と大庭が気まずそうに壁にもたれて座っている。 


「おい、大庭! こっち向けよ!」


 渡利が怒りに満ちた声で不良グループのリーダーの大庭に怒鳴りつける。

 確か大庭は一年のころサッカー部で、渡利とはチームメイトだったはずだ。問題児の大庭はすぐに上級生とトラブルを起こして退部したが、渡利に対しては未だに悪ふざけをしたり、ちょっかいを出したりして渡利をからかっていた。

 教室内での関係性がまるで逆転したかのように、今は大庭が黙り、渡利が何か確信したような態度で彼に迫っている。


「なに無視してんだよ!」

「……」


 大庭は答えない。

 渡利に息を合わせるように第二離反組の藤宮杏も夏見梨香を名指しして、


「ねぇ、なっち! あんたさぁ、助かったらレスキュー隊呼んでやるって言ってたよね。いったいどういうことなの、これ! ねぇ?」


 しかし、夏見も答えない。

 答えないことが、答えを持っている証拠と言わんばかりに、みんなが二人の態度を訝しがって、疑念は一気に各々の口から吐き出た。


「いつからここにいるんだよ!」

「俺らの居場所、連中に教えたんじゃねぇだろうな!」

「どうして何も言わないの?」

「何か答えろよ!」

「ねぇ、あたしたちどうなっちゃうの?」


 それでも大庭と夏見はおろか、第一離反組の他のメンバーも何もしゃべらない。

 よく見るとだいぶ疲弊している。

 顔はこけて、目の下には隅ができ、汚れてくたびれた制服の隙間から見える肌には痛々しい痣のようなものも見える。

 手首と足首には僕らについているよりもずっと赤くて、生々しい枷の傷が残っている。

 目からは生気が消え、唇はカサカサに干からびている。


 彼らに何が起きたのか。

 想像することしかできないが、他人の痛みを想像する余裕はそのときの僕らには微塵もなかった。

 しびれを切らして渡利が大庭に詰め寄り、そのよれた胸倉をつかんだ。


「黙ってねぇで答えろ。ここはどこなんだよ!」


「エアリースだ」


 塔いっぱいにその女の声は響き渡った。

 怒号の坩堝にあった二年八組の面々は一様に声のする方へ顔を上げた。

 左右から伸びた回廊がはじめに交わる場所。

 八つの松明の北のひとつの真下に、あの黒衣の男たちを束ねる隻眼の女が立っていた。


「おはよう、少年少女たち」


 女が頭上の松明を手に取る。

 彼女の両脇にある扉から黒衣の男たちが次々と流れ込むように入ってくる。

 男たちは一糸乱れぬ体系で回廊を降りると、壁際にいた夏見たちを僕らのいる広間に突き落とし、周囲を取り囲むように並んだ。

 大庭と渡利も問答無用で引き剥がされ、それぞれ広間に突飛ばされた。


「おいおい、なんなんだよ!」


 半径五メートルほどの円形の広間の中で、咄嗟に身を守りあうように八組の面々は身を寄せ合った。

 屋島や吾郷が率先して女子たちを庇うように前に出て身を呈するなか、僕は瀬名波さんの不安な息づかいを背中に感じながら、じっと固まっていることしかできなかった。


「お前ら、何する気だよ!」


 渡利のあげた怒号は、男たちが一斉に抜いた剣の鈍い刀身の光で断ち切られた。

 湾曲した剣の切先が地面に突きたてられる。

 石畳の上でバッチと火花が散り、短い悲鳴とともに八組の面々は押し黙った。

 階下に降りてきた男たちは一六人。

 いずれも屈強な体躯の持ち主で黒い外套の奥から覗く眼には冷たい暴力の意思だけが宿っている。

 怒っても、笑ってもいない。

 まるで住む世界の違う人間の目。かつてネットで見た遠い国の、ベールを被ったテロリストたちの目に似ている。

 見ただけで、こちらの話は通じないとわかった。

 言語の違い、ということではない。

 住む世界が違うのだ。


「長らくお待たせして申し訳ない。残りの奴隷の確保に手間取っていた」


 隻眼の女の言葉とともに一際大柄な体格の黒衣の男が頭巾を被った二人の男女を引きずりながら現れ、広間に向かって放り出した。


「きゃっ!」


 飯塚たちにぶつかりながら倒れた二人の頭巾を側にいた屋島が外した。


「森末、篠原!」


 僕は二人の顔を見て、心臓が止まりそうになった。

 あのとき、危険が迫っていることも告げず、黙って逃げて行った篠原と森末が惨めな姿でそこにいた。篠原は手枷をはめられたまま、睨むように周囲を見渡した。


 僕は咄嗟に顔を伏せた。


 彼らはきっと気付いている。誰が二人の逃走経路を漏らしたか。

 そっと背後を振り返る。

 篠原の視線に気付いていないのか。瀬名波さんは蹲る時生先生の手を握りながら、成す術なくこの場に君臨する隻眼の女を見上げていた。


「これで異世界人計四十人が契約通りこの場に集ったことになる」


 隻眼の女は、言った。


「諸君らはある者の手によって異世界から我々のいるこのエアリースに飛ばされ、非情に価値の高い奴隷としてこのブラックフードの下に引き渡された。これより諸君らの運命を決めるオークションをはじめるがその前に――」

「――あの、すみません」


 八組の学級委員である飯塚茉莉が律儀に挙手をして立ち上がった。

 陸上部出身で、成績も優秀で品行方正。

 クラスのマドンナである彼女はこんなときでも相手に発言の許可を求める一定の礼儀を忘れなかった。

あまりに予想外の行動に、隻眼の女は面を食らったように呆然とした。


「あなた方はいったい何者なんですか。私たちをこんなところに集めて……奴隷っておっしゃいましたよね。いったい、何が起こってるのか。私たちにはさっぱり」

「はぁ……」


 冷静に言葉を紡ごうとするも、次第に不安と恐怖で早口になる飯塚の言葉を隻眼の女の深い溜息が一瞬で塞いだ。


「一〇日以上も時間を与えてやったのに、まだ自分たちの状況が理解できていないのか」

「状況って、そんなの……」


 困惑する飯塚の額から冷や汗が伝うのが見えた。

 戸惑い、互いに顔を見合わせる八組の面々の反応は隻眼の女の言葉が図星であることの動かぬ証拠だった。いつか林田が言ったように僕たちは自分たちがどこか余所の国の無人島に漂流したくらいにしか考えていなかった。

 この期に及んでなお……。


「全員、そうか」


 隻眼の女はまた深い溜息を吐くと、吸い込んで、辛抱強く続けた。


「お前たちはお前たちの知る世界からゲートを越えて、こちらの世界にやってきたのだ。島とか外国とか、大陸とかいうレベルではない、まったく違う『世界』という意味でだ。すべては我々に狩られて、売られるために。お前たちがよく知る人間によってな」


 女がおもむろに右手に持っていた松明を僕らの方に放り投げた。


 広間のちょうど中央に目掛けて投げられた松明から逃げるように、その場にいた沢代善美や祠堂和也が慌てて外円に散った。

 松明は落ちてなお燃え続け、広間の床に広がる巨大な模様の全体像を顕わにした。


 全員が、息を飲んだ。


 赤い線で描かれたのは大きな円とその中に曼荼羅のように展開された八芒星ともいうべき八つの角を持った星。その意匠は忘れようにも忘れられない。


 かつて、校庭に兎の血で描かれた真紅の魔法陣。


 それが時を越え、場所を変えて、僕らを飲み込むように足下に広がっていた。


「嘘……だろ」


 篠原智彦の声が震えていた。。

 魔法陣の色とは対照的にその顔は血の気が引いて真っ青に見えた。

 それは大庭晃や夏見梨香も変わらない。

 佐々木俊や松島貴之、森末紗耶、藤宮杏に、西山可奈も。


 おおよそ『彼』を死に追いやったと思わしき者たちは目の前に広がる光景に言葉を失い、ただ漠然と罰の訪れをその身体の震えで知った。


 でもその罰は彼らだけのものではない。本質的には八組全体のものだ。


 だから、僕らは全員そろってここにいる。


 このとき、僕は理解した。

 あの春の事件とその後に起こった出来事のすべては、この瞬間に向けて繋がっていたのだと。


「ようこそ、エアリースへ。救世主(セイバーズ)たちよ」

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