救世主戦争

@nuberinian

序章:僕のいる現実 彼女の見た夢

バッシュ・ガルシア(1)

「初陣ですわね」


 セイラ・ノーマッドは緊張する僕の顔を覗き込んで言った。

 彼女の碧い瞳がいつもよりやや真剣な様子で僕を見つめる。


「何事も最初が肝心です。この任務の如何であなたがこの世界に残り、陛下の私兵としての役割を果たし続けるか、はたまた元の世界に問答無用で帰らされるかが決まるのです。わたくしとしては……」


「わかってるよ。僕だって前の世界には戻りたくない」


 夜の街道を駆ける馬車の中。

 震える手を抑えながら装備の最終確認を済ませた僕はセイラに改めて宣言した。


「彼女を見つけだして、元の世界に還す。必ず、この手で」


 向かいに座るセイラは窓の外に目をやった。


「できますとも」


 まるで夜会にでかけるような派手な唾広帽と赤と白のドレスが目を引く。

 絶世の美女、とまではいかないが白い手袋で頬杖をついている彼女の横顔には元の世界では決して接点を持てないような気品と気高さ、そして、同時に儚さも持っている、到底誰の手にも届かない存在。

 住む世界が違う、とはまさしく彼女のような女性を言うのだろう。


 セイラ・ノーマッド。


 セイラは淑女であり、大陸で名を馳せるサーカスの興行師であり、サントレア王国女王に忠誠を誓う間諜でもあった。

 歳は僕らと同じ十七歳。

 若さに反して常に冷静沈着。礼儀正しく、雄弁で、頭の切れる女性だった。

いかなる状況下においても取り乱すことはなく、穏やかな物腰と機知にとんだ話術で事態に対処し、野蛮な敵に対してはときに剣を手に容赦なく対峙した。

 女王が絶対の信頼を寄せる臣下。


 それがセイラ・ノーマッド。

 彼女が女王から授かった命令はひとつ。


『世界中に散った異世界人三十八人を探しだし、元の世界に還す』


 この異世界人三十八人というのは、僕の同級生たち――安芸東高校二年八組の三十八人のことだ。


 僕らは半年前、突如としてこの世界――エアリースに迷い込み、奴隷として狩られ、世界中の権力者たちの下に売られていった。


 僕もその一人だったが、ほんの一か月前。

 あわや買い手に引き渡されようとしていたところでセイラによって救われた。

 女王の命ですぐさま元の世界に戻されようとしていた僕だったけれど、異世界人として「ある能力」に目覚めたことで僕の処遇は一変。

 前の世界の名前を捨て、姿を捨て、セイラ率いる女王の諜報部隊『サーカス』に同行することになった。


 今の名前はバッシュ・ガルシア。


 セイラによってスカウトされたサーカスの新しい団員で流浪のナイフ使い、ということになっている。

 世界中に散らばった同級生を見つけだし、元の世界に還すために僕はセイラの下であらゆる潜入技術や格闘術、魔法の類の基礎を叩きこまれた。


 一か月の訓練期間を経たころ。

 異世界人について新たな情報が入ったため、今はこうして馬車に揺られ、同級生たちがその能力を酷使されているというキャバレーに向かっている。

 事前に潜入した間諜の情報に寄れば、異世界人は二人。

 両方とも女だそうだ。


 僕は懐にしまった一枚の紙片を取りだした。

 こちらの世界で手に入れた古紙。そこには一人の少女の肖像が描かれている。


「また、ですか」


 窓の方を見ているようで、窓ガラスにはしっかり僕の姿が写っていたらしい。

 セイラは呆れたように笑って、僕をちらっと見た。


「か、確認してただけだよ。ちゃんと描けてるかどうか。こっちの世界には写真とかないし、彼女を探し出すにはこれしか」


「バッシュ様同様顔も変わってらっしゃるかもしれませんよ」


「でも、何もないよりマシです」


 いつまでも凝視しているとまたいつかのようにからかわれるので、僕は折り目通りに紙を畳んで懐に戻した。セイラの任務に同行し、自らの能力を提供する見返りとして、僕がセイラと女王に提示した条件はふたつ。

 僕に縁のある四人の同級生を助けた時点で協力体制を解消すること。

 そして、以後は僕の行動に一切干渉しないこと。

 これを言ったとき、執政官は陛下と平民風情が交渉など恐れ多いと憤慨した。

 だが、当の女王は別の意味で僕の提示した条件に異を唱えた。


 何故四人だけなのか。

 他の仲間のことは心配ではないのか、と。


 それに対して僕はこう答えた。


『クラスメイトであっても、仲間ではありません。それに僕にできる精一杯はその四人を助けることぐらいだと思うから』


 同じことをセイラに言ったとき、彼女は驚きもせずこの条件を受け入れた。

 僕にしてみれば女王の反応こそごく普通であり、セイラの反応こそいささか不可解なものだった。

 まるで僕らのクラスのことを知っているような。

 そんな感じだった。


「着いたようですわね」


 蹄の音がむきだしの地面を蹴る音から、石畳を叩く音に変わり、また柔らかい土の地面に戻った。

 門を潜った証拠だ。

 情報通りならここはサントレアと言われる王国の中の、ジン家と呼ばれる名家が治める内陸部の城下町だ。町の灯りは見た目には温かく、長閑な町に思える。

 だがその実状は暖炉の火ほど温かくはない。

 女王の意に反して異世界人を匿い、己が欲望のために酷使するものたちが掬う、悪徳の町だ。


 御者が手綱を引き、馬車が止まる。

 白いフードで顔を隠したこの馬車の御者はラヴィという名の剣士で、小柄ではあるが過去の戦の英雄であり、セイラと同じ『サーカス』の一員だ。腰に差した二本の剣の鞘を馬車の籠にガラガラとぶつけながら、小さな着地音とともに地面に降り立った。

 籠をノックする音が中にいる僕らに準備を促す。


「平気ですか」


 セイラが聞く。

 何故か、今頃になって自分の境遇に自虐じみた笑いが零れ出た。


「……おかしなもんだよな」


「何がです」


「僕がみんなを助けるために戦うだなんて」


 クラスでは、一人だった。

 放課後の美術準備室を除けば、僕はあのクラスではぼっちで、存在感もなくて、これといって取り柄もない。

 ただの一生徒。

 クラスメイトとの絆なんてこれっぽっちもない。

 どちらかといえば、嫌い。

 かもしれない。

 それでも僕がセイラ・ノーマッドの口車に乗り、一国の女王に交渉と称し、この任務への同行を申し出たのは、どうしても遂げたい、ある目的のためだった。


 目的は手段を正当化する。

 今になって僕はこの言葉に強く共感する。

 目的のためなら、おおよそ自分とは正反対の人間になることも、クラスメイトを助けることも苦ではない。

 目的のためなら。


「お先にどうぞ」


 セイラに促されるように馬車を降りると今度は彼女に手を貸し、降車をエスコートする。


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


 こんな紳士な振る舞いも、バッシュである今ならできる。

 テンガロンハットにポンチョ。その裏に隠した六つの武器。ブーツの踵が雨上がりの道に浅く沈む。店じまいした向かいの散髪屋の窓ガラスにかつて僕が憧れたガンスリンガーの姿が映る。僕が首を傾げるとガンスリンガーも同じように首を傾げる。帽子を直し、ガンベルトに手をかける。すべての動作が寸分違わず同期する。

 当然だ。

 これが今の自分なのだから。

 拓海千秋という名の、元いじめられっこの少年はもうここにはいない。

 そう自分に言い聞かせる。

 ブーツの音を通りに響かせ、産業革命直前のようなローテクな町並みには不釣り合いなオルガンの旋律が漏れる大きな館の前に立つ。


 愛用のパラソルを手にセイラが僕の横に並び立つ。


「ラヴィ殿は先に入られました。戦いの前に一杯ひっかけられるのだとか」


「相変わらずだな。酒浸りの剣士様は」


 皮肉を言って緊張を紛らわせる。

 もう後には引けない。


 すべてはかつて想いを寄せていたクラスメイト――瀬名波結依を見つけだし、元の世界に戻してあげるために。


「では、参りましょうか」


 セイラの合図とともに僕は長く険しい戦いのその最初の扉を開けた。

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