閑話祭り 『聖女 ユニス・ロディナ』『剣聖 リリィ・マレッド』『勇国 玉座の間にて』『魔王を目指すモノ』
『聖女 ユニス・ロディナ』
「そろそろ行かなきゃ。……またね、ユニス」
「……エル姉様。本当にもう行ってしまうのですか?」
目の前で名残惜しそうに別れを切り出したエル姉様に、私は思わずそう問いかけていた。
その声に僅かに咎めるような調子が混ざってしまったことに、私自身気が付いたけれどそれもしょうがないだろう。
三日前に来た時から今日には去ると聞いていたが、その短さにはどうしようもなく寂しさが残るのだから。
半年ぶりに会えたのにという思いを押し隠すことは難しかった。
「ごめんね。ここからだと勇国まで帰るのに二週間くらいかかっちゃうからさ」
「……それでももっとお話ししたかったです」
「うん、そうだね。私も、もっと話したかった」
そう言って困ったように笑いながら、私の頭を撫でてくれるエル姉様。
相変わらずその手は暖かくて、私は無性に泣きそうになってしまう。
エル姉様の前では未だに子供になってしまう自分が、恥ずかしくてそれと同じくらい安心できたから。
「……次はもっと話そうね」
「……」
そんなエル姉様の言葉に私は黙って頷いた。
喋ろうとしたのなら、しゃくりあげてしまいそうで、言葉を続けることができなかった。
「……」
「……」
少しの時間が流れて、ようやく落ち着いた私はエル姉様へ声をかける。
「……次はリリィ姉様と喧嘩してくるのは無しですよ」
「……あはは。気を付けるよ」
困ったように頬をかくエル姉様。
私はそんな態度に少しだけ頬を膨らませる。
エル姉様とは言えそのはっきりと約束しない態度はどうかと思ったからだ。
「そもそも、昨日までエル姉様の治療に集中してた所為であんまり話せなかったんですからね!」
「……うん。そうだね。ごめんね」
「反省してください、本当に! 大体、半年ぶりに会ったら左腕の肘から先が無いってどういうことですか!?」
言葉にしながら、三日前の再開を思い出す。
うん。
アレは本当に意味が分からなかった。
「いやぁ、その……喧嘩じゃないんだよ? ほんとだよ?」
「……」
「いや、あのね? 私もあと多分リリィもそんなつもりはなかったんだよ? あくまでも腕試しというか、お互いの武術の為というか」
「……」
「そ、それに切り飛ばしたのはリリィの方だからね! 私は被害者な訳で――」
「……」
「――うぅ。ごめんね、ユニス」
「……許さないです。ほんとだったらリリィ姉様にも一言、言いに行きたいくらいです」
「あー。それは今は止めた方が良いかなぁ。……リリィ。今、私の所為で機嫌悪いし」
「やっぱり喧嘩じゃないですか!」
「ちちち違うよ! 喧嘩じゃないよ! リリィからみて私が腑抜けたっていう話な訳で――」
――わたわたと体の前で手を振るエル姉様を見て、しょうがないと笑いながら私は思う。
ああ。やっぱりこの人は違うんだと。
私を聖女として見てこない。
そんな事実に私が安堵していたその時。
「――聖女様。そろそろ政務の時間で御座います」
そんな声が幸せの終わりを告げた。
「あ、これは失礼致しました。つい話に花が咲いてしまいまして」
「いえ、勇者様。私こそ、三百年も前からの英雄様のご歓談をお邪魔して申し訳ございません。ですが、これも全てこの国の信徒が為に必要な事。お許しを頂けましたら幸いです」
「ああ、本当に申し訳ありません。……長く引き留めちゃってごめんね、ユニス」
また来るね――、そんな声が酷く遠くに感じられる。
慌てたように身を翻したエル姉様はそのまま走り去ろうとして――
「――待って下さい」
私は思わず、引き留めていた。
そんな私の態度を見て、声をかけた神官の顔が焦りに歪む。
そんな変化に気づきもしないエル姉様は、ただただ不思議そうにこちらへ振り返った。
「ん? 何か忘れたかな?」
とぼけたようなそんな調子に縋るように、私は言葉を続けようとして。
――続けようとして。
――飲み込んだ。
彼女は勇者として自身を強く律している。
自身の父親との誓いを、勇者として国を見守るという誓いを果たし続けている。
それは始めて会った三百年前から変わりなく。揺るぎない。
エル・アルレイン・ノートという人物の根幹にして、骨子。
そんな彼女に対して、言える筈が無かった。
『この国から私を連れ出して』
――なんて。
「……エル姉様は危なっかしいから、御守りです」
「え? あ、ああ。ありがとうね」
俯いたまま私は黒い石を渡す。
この世界の中でも無視できない価値を持つその魔法石を。
「……それには私が全力を込めた結界魔法が入っています」
「ええ……それじゃあ、ルーエの全力魔法と同じくらいじゃないか」
貰えないよ、と言って返そうとする彼女の手を抑えながら、私はお願いを口にした。
「あげるなんて言ってません。私の全力が込められる魔法石なんて、そんなに取れるものじゃないんですから、ただ」
「ただ?」
引き継ぐように残した言葉に被せて、質問してくるエル姉様。
エル姉様はエル姉様でずっと勇者という重責と向き合い戦っている。
そんな彼女の重荷にはなれなかった。
だから、私は心を偽って、せめてものお願いを口にする。
これくらいなら、許される筈だから。
「貸してあげます。……だから、また返しに来て下さい」
「……そういうことか。わかったよ、ユニス。有難く借りさせてもらうね」
そうやって嬉しそうに笑って、エル姉様は去っていってしまった。
――もう、どれほど手を伸ばそうとも、声を張り上げようとも届かない。
「では、聖女様。そろそろ神殿内へお戻り下さい。俗世の穢れが付きますので」
「……ええ。そうね」
その事実を受け止めながら、振り返った私は背後で閉まるドアの音に、内心で耳を塞いだのだった。
『剣聖 リリィ・マレッド』
――切り続ける。
一つ倒れる魔物の死体。
何も変わることはなく、流れるように体を捌く。
――斬り続ける。
二つに分かれた魔物の遺体。
何と思うこともなく、暴れるように剣で捌く。
――斬り飛ばし、切り刻み、斬り捨てて、切り倒す。
有象無象が如く群がりくる魔物の群れを、諸行無常が如く無駄なく切り伏せ止めていく。
その動きに一切の迷いは無く、その剣に一切の躊躇いは無い。
それは一つの嵐のような勢いで、魔物の群れを蹂躙していた。
数多もいた魔物とて有限の存在である事に変わりはない。
それは一刻も経てば誰の目から見ても分かる程に、ただの事実であった。
「……」
最後の一匹の首を撥ね、返す動作で心臓を突き、自然な動きでもって後ろへと飛び退く。
一息の残心の後に、どこからも追撃が無いことを確認し、少女は一つ息を吐いた。
「……」
きっ、と睨みつけるような視線で周囲を睨むが、彼女にとっては残念な事にこの場にその視線を受け止めるモノはいなかった。
「……」
黙したまま剣を払い、少女は刀身に付いた血を払う。
そのまま懐から取り出した布で剣を拭う。
どこまでも無言ながら、それでも彼女は雄弁だった。
動作の、所作の、その一つ一つが彼女の持つ苛立ちを語っていたのだから。
「ヒャッハハハハハハハッッッ!! 随分と殺したなァ、おィ!!」
そんな沈黙をぶち壊して、突如として嘲笑が辺り一面へと響き渡った。
愉快だと、痛快だと、そう歌うように。
愉悦だと、爽快だと、そう謡うように。
「ご機嫌じゃネェか、えェおィ!! お気に入りの剣術や体術はどうしたよ、なァ?」
「……」
少女しかいない草原で、少女以外には死体しかない草原で、その声は確かに響いていた。
幻聴などではなく大気を揺らし、幻想ではなく鼓膜を揺らし、――その声は高らかに響いていた。
「こりゃ虐殺ってヤツだゼ? お前が嫌いな筈の無意味で無価値な殺戮行為だ。らしくねェなァ? 剣聖様よォ?」
「……煩い。本当に」
そんな声に対して、少女は手に持った剣を地面へと突き刺し固定した上で、その刀身を思いっきり殴りつけた。
大気が爆ぜたかのような衝突音。
激しい衝撃が剣を貫き、振動だけで地を抉る。
刺さっていた場所が掘り返されたことで、剣は抵抗もなく地面へと転がった。
そのままソレは楽しそうに、本当に楽しくて仕方がないとでもいうように笑う。
「ヒャハハハハッ!! ひでェなぁ、おィ! 抵抗も出来ない無機物をいたぶって満足かァ? ああン?」
「……はぁ」
笑い続ける剣に応えることもなく、剣聖は剣を拾い、そのまま鞘へと差し込んだ。
「おぃ、ちょっとま――」
――瞬間。
沈黙が草原へと戻る。
それを確認するように少女は頷き、短く言葉を吐き出した。
「……剣は剣としてだけあるべき。魔剣も私も」
苛立ちのみを込めて紡がれたその言葉。
幸か不幸か、そんな彼女の呟きは誰の耳に届くこともなく、ただただ空気へ溶けるように消えていった。
『勇国 玉座の間にて』
「ありえませんわっ!!」
玉座の間にて叫声が響く。
普段であれば透き通るような声だと修辞される少女の声も、怒りという感情を伴えば評価も変わる。
少女特有の高めの声が、力に任せて吐き出されるかのようなその台詞は、聞く者の鼓膜を必要以上に震わせるに十分な威力を持っていた。
だが、なんとか気合と根性という精神論でもって、震える鼓膜もそのままに直立不動の体勢を維持した兵士は、そんな少女へ報告を続けていく。
涙ぐましいまでのその実直な職務姿勢は、第三者的な視点からしても好印象を受けるモノだろうけれど――
「庶民が……アリアへ手を出したですって……!!」
「はっ! ……ですが、報告によればそれは護衛の際の事故であり、男に他意は無かったと――」
「――黙りなさい」
――どうやら少女のお眼鏡に敵うものではなかったらしい。
兵士の言葉を止めたのは差し込まれた言葉ではなく、喉元へと突き付けられた刃だ。
ぴたり、と薄皮一枚の処で止められたそれは、唾を嚥下することすら許さない程の圧力に満ち満ちていた。
「他意が無ければ……悪意が無ければ……王族の肌に触れて良いとでも?」
「……」
先ほどまでの激昂が嘘のように、静かに冷たく問いかける王女は、さながら幽鬼のようであった。
歴戦の兵士をしても『狩られる』と感じる程に。
兵士が衝動的に喉元の刃を忘れ、否定を口にしようとしたその刹那――
「――止めよ。アネリア」
諫めるような声が場に響いた。
その声を受けて、兵士は感謝の念を強く覚える。
もし仮に衝動的に動いていたのなら、今頃自分の喉は赤く染まっていたのかもしれないのだから。
「……お父様」
「私は止めよ、と言ったぞ。アネリア。疾く剣を降ろしてやれ。そもそも彼は伝令の職務を全うしたに過ぎん」
「……はい」
しゅん、と少女が肩を下げる動作と共に、刃は兵士の喉から離れていった。
ほっと胸を撫で下ろしている兵士を下がらせて、男は少女へ言葉を続けた。
「相変わらず……アリアのことになると視野が狭くなるようだな」
「妹を心配するのは姉にとって当たり前ですわ」
「まぁ、お主たちの関係性が良好であるのは私としても喜ばしいことだ。派閥争いで国が割れるなど、我としても国としても望ましい事では無いからな」
「……お父様はまるで他人事のように仰いますのね。自分の娘が辱めを受けたというのに、気になりませんの? それに……聞きましたわ。お父様はその庶民を赦すと賢国へ伝えたそうじゃありませんか。どういうつもりですの?」
責め立てるように、声に確かに怒りを載せて少女が問う。
徐々に熱量を上げていくその声色は、分り易く彼女の感情の昂ぶりを表していたが、それを受けた男は動じることもなく答えを返す。
「可愛い娘のことだ。無論、わだかまりが無いと言えば嘘になる。……で、あればこそ、彼の者には直接確認が必要だろう」
「……どういう事ですの?」
「簡単な話だ。報告によれば、その庶民は我が娘の命を救ったというではないか。――ならば、王族として礼をせねばなるまいて」
紡がれた男の言葉を受けて少女は黙考し、――にやり、と口角を釣り上げた。
「此処へ呼ぶのですね?」
「うむ。その時の話次第では――」
首肯を返した男を確認した時点で、しゃらり、と剣を鞘へ納めながら少女は男へ背を向ける。
続く言葉には興味が無いと言わんばかりに。
「――アネリア。まだ話は終わってないぞ」
「終わりましたわ、今ここで」
そう言い捨てて去っていく娘の姿を、男は少し疲れたような視線で見送った。
「……あれで一国の王女なのだがな」
「失礼ながら陛下。アメリア様はあれで良いと思いますよ」
呟いた王の横。
先ほどまでは居なかった黒衣のローブを身に纏った男が、言葉を引き継ぐようにそう言った。
唐突にかけられた言葉に王が僅かに眉を上げる。
「……いたのか、ヨヤミ」
「勿論で御座います。陛下の御側に仕えることが私の仕事ですので」
そう言うと男はローブをずらし、その顔を露わにした。
年の頃は若く見積もって四十の半ばといったところであろうか。
とくに特徴らしい特徴が無く、そのせいでどこか印象が薄く、第三者的視点からして覚えていることが難しいような凡庸な顔立ちであった。
そんな男に対して、よく言うわ――、と吐き出しながら、陛下と呼ばれた男は言葉を紡ぐ。
「それで? お前はどう思う?」
「そうですねぇ。洗脳がどうとか、黒幕がどうとか言ってましたが、報告の内容も少し突拍子が無いというのが正直な感想でしょうか。……場合によっては王女の暗殺に失敗した賢国が無理やり作り上げた捏造という可能性も視野に入れるべきかと」
「これまでは三百年も友好を築き上げてきた隣国がか?」
「政に絶対はありませんよ。……実際、剣国ではきな臭い動きも出ているようですし」
「……レアメタルの独占か」
「ただでさえ採取量が限られてるアダマンタイトやオリハルコンですが、この数年は一切市場へ出回っていませんからね。これでは邪推をするなという方が難しいでしょう」
「なんとも……悩ましい話よな」
「それで? ……此度の件、王はどうするおつもりで?」
「その少年をこの場へと召喚する。精神魔法でもかけてやれば、真偽の程は測れるだろう」
「……なるほど。それならば確かに事情はハッキリするでしょうな。恩人に対して礼を失していると言われる可能性は有りますが」
「確かに『賢国』の報告を疑う事と同義であるからな。如何に必要とはいえ醜聞は悪かろう。まぁ、露見しなければ問題にもならんであろうがな。……さて、となると一月より前から我が城の書庫を独占している『賢者』殿にはそろそろお帰り願う必要があるか」
「成る程、確かに。……畏まりました。では、賢者様へは私からそれとなくお伝えしておきましょう」
「……兵士ではなく自らか? 来た時からそうであったが、よっぽどご執心のようだな?」
「それはもう。かの四大英雄ともなりますれば、私の田舎にまでその武勇は轟いておりましたから」
そんなやり取りを最後に、黒衣の男は再び闇に溶けるようにその姿を消した。
そうして誰もいなくなった玉座の間にて、残された王はぽつり、と独白を零す。
「……果たして、きな臭いのは他国だけか?」
その王の疑問に答えるモノは無く、苦々しく作られた王の表情を知る者もまた無かった。
『魔王を目指すモノ』
「……7Gか。確か初期に作った人型キメラの出来損ないだよね。生きていたのは予想外だったなぁ。思考誘導も変な方向に暴走したみたいだし」
人気の無い王城の廊下を歩きながら、黒衣の男はそう呟く。
自身の耳にすら届くかどうかというその声量は、考えを纏めるための独り言だという証だろう。
だが、何よりも奇異なのはその声量ではなく、声質であった。
四十も五十も年を重ねてきたかのように低く、重かった男の声が、次第に歳を巻き戻すように、軽く高く変化していくのだから。
「あーあ。何もこのタイミングで事件を起こさなくても良いのになぁ。僕の<ステータス>はまだ勇者と同じくらいなのに……」
ため息と共に、男は首を左右に振る。
その仕草に連動するように、男の身長が縮んでいく。
「んー。でもまぁ、考え方によっては好都合かな? 幸い今なら勇者はいないし、賢者さえ取り込めば、僕の方が<ステータス>は上回るはずだし」
異様な光景ではあるが、それを観測しうる第三者はこの場にはいなかった。
言葉を締めた男――否。
もはや少年と言える程に小さくなったその存在は、うんうん、と頷くとフードを下ろし、顔を露わにした。
「精神魔法まで使われたら無実を証明するのは無理だしね。ほんとは後、数年は先の予定だったけどそろそろ本格的に――」
そうして、無邪気に笑う少年の笑みは、待ち望んだプレゼントを前にした子供のモノに相違なかった。
「――魔王を始めようか!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます