第81話 「お前が信じる、お前を信じろ」

「――それは本当ですか?」

 夕日が差し込む教室で、俺は静かにそう聞き返していた。

 目の前にいる老人が教えてくれた衝撃的な事実を前に、俺に出来ることはそれだけだったからだ。

「……師匠からの話を聞く限り、信憑性は高いと言えるじゃろうな」

「……」

 僅かに躊躇いを見せながらリッジが語った言葉に、俺は沈黙を選ぶ。

 少し。

 ほんの少しだけ予想していたとは言え、その答えを受け入れるには時間が欲しかったから。

「……そんな……それじゃあ、私たちは何のために」

「……ノワール。動揺は分かるのじゃ。……妾としてもなかなかに複雑な心境じゃからのぅ」

 そして、それは同じパーティであるノワール、ナイアも同じようだった。

 ……しばらく。

 教室には静寂が流れる。

 俺たちにはその答えを受け止めるだけの時間が必要だったし、リッジもそれは理解していた。

 彼は癖なのか、本来であれば髭がある筈の顎を摩りながら、俺たちが落ち着くのを静かに待っていた。

「……分かりました、理事長。教えてくれて有難う御座います。出来れば、ルーエさんにもそう伝えて頂けますか?」

「うむ。分かったのじゃ。……しかし、やはりノゾム君たちにとっては衝撃的だったようじゃのぅ」

 理事長は優しく頷きながら、そう声をかけてきた。

 彼からしても俺たちの動揺は予想以上だったのだろう。

 だが、それも仕方ないだろうと俺は思う。

 まさか――

『第二王女なんだけどね? ……評判を聞く限り、凄く良い子みたいだよ?』

 ――だなんて。

「まぁ、俺たちとしては『勇国』を出た理由ですからね」

「そうですね。少なくとも私は身の危険を感じてましたし」

 うん。

 凄い勢いで俺の体を駆けあがっていったもんな、ノワール。

 身の危険を感じたという言葉に誇張は無いだろう。

 仮にこの猫がジャングル育ちなら、躊躇なく火を焚き始めたんじゃないかと思うほどに。

「ううむ。妾としても『勇国』での態度を思えば、その評判には納得がいかんのじゃがのぅ」

「……うむ。確か、ノワール君を狙っていたんじゃったか?」

「ええ。初対面でいきなりノワールを連れていこうとしましたからね」

「あれには驚きましたね。弱らせる前にボールを投げられた気分でしたよ」

 しかも、人の<スキル>であるにも関わらずだ。

 そう考えると、やはり常識人がする行動では無いだろう。

「ふむ。思い出すと苛ついてきたのぅ」

 あ、ヤバい。

 ナイアがシャドーボクシングを始めだした。

 これ以上思い出すと、精神衛生的に良くなさそうだ。

 ちょっと話を変えておこう。

「でも、ルーエさんからの報告だとそれは違うんですよね?」

「うむ。師匠が聞いた話じゃと、身分にこそ煩いが、基本的に口調がキツイことを覗けば心根の優しい子というのが城内の評価らしい。命令無視の護衛に休息を与えたり、偶に使用人に手作りの菓子を振る舞うことすらあるようじゃ」

 おおう。

 それを聞くと確かに優しそうだ。

「……まぁ、その為か、城の中では異常に可愛がられて、何でも与えられる環境だったらしくてのぅ。特に可愛い物には歯止めが効かなくなるらしいのじゃ」

 ……ああ、なるほど。

 そう言う事か。

「という事は、ノワールが原因という事か」

「かわいくてごめんねー」

 やけくそ気味にそう言うノワール。

 うーむ。

 冗談のつもりだったんだが、割といじけた感じで返された。

 気にしていたんだろうか?

 まぁ、最初の町は良い人ばっかりだったしなぁ。

 悲しいすれ違いで無駄に恐れてしまったが、『勇者』さんも話せば分かる人だったっぽいし、『第二王女』にしてもこちらの勘違いということなら少し惜しくはある。

 ……メイさんもいたしな。

「ふーむ。……じゃが、あの第二王女は確かに『首を撥ねる』とか『殺してあげる』とかほざいておったぞ? それはどういうことなのじゃ?」

「ふーむ。儂としても明言は出来んが……まぁ、不自由せずに暮らしてきた貴族などに見られる傾向じゃろう。とりあえず、権力と武力をチラつかせれば相手が折れると思っておったのじゃろうて」

 成る程なぁ。

 となると、あの台詞にした所で、言葉通りの意味では無く、中学生がすぐに言う『殺す』みたいなモノだったのか。

 ……自分の権力を考えてから、発言してくれよ。第二王女様。洒落にならんて。

 ――ああ、でも。

 洒落にならないから、今まで好き放題出来てたのか。

 そこで俺は思い出す。

 ――食堂で見た彼女の泣き顔を。

「……なんというかなぁ」

「……私としては何とも複雑な気分ですよ。ジャイアンだと思っていた相手がまさかのスネ夫だったなんて」

 ――と俺とノワールが話していると、眉間に皺を作りながらもナイアは頷いていた。

 そうして、零すように言葉を漏らす。

「ふむ。……まぁ、そう言う事なら腑に落ちる部分も確かにあるのじゃがのぅ」

 そうして、俺の耳に入ってきたその言葉はそのまま聞き流すには、些か興味を引く内容だった。

「ん? ナイア。腑に落ちることってなんだ?」

「……妾としては予想外だったんじゃがのぅ。そもそも、この二日間であの『第二王女』から殺気を感じたことは無いんじゃよ」

「殺気ですか?」

「うむ。加えて、連れておる『護衛』がアレじゃろう? ……殺しを目的にするには余りにも不向きじゃて」

 そう言うと、ゆるりと首を左右に振るナイアさん。

 やたらと含みがある言い方だが、俺にはその理由は分からない。

「ナイア。カリエさんが殺しに向かないってどういうことだ? 正直、俺はまだまだレベルが低いし、魔法に至っては対策なんて無いに等しい。カリエさんが役者不足ってことは無いと思うんだが……」

「確かに。ご主人は魔法に対しては、やわらか戦車も良いとこですからね」

 うん。

 少し静かにしような、ノワール。

 自分で言うのと人に言われるのは違うのである。

 まぁ、実際問題その通りなんだけどさ。返す言葉も無い。

「……ステータスの問題ではないのじゃ、ノゾム。実際、年齢を考慮に入れるのならばアレは中々の腕じゃよ。少なくとも『新月』が近い今の妾であれば、正面から勝ちを狙うのは厳しいじゃろうて」

 じゃが――と。

 そこで息を吸って、言葉を溜め、ナイアは続きを紡いだ。

「そんな妾に対して、アレは無駄に数合も拳を打ち合わせてきた。ハッキリ言って『王族』の『護衛』としては甘いと言わざるを得ないじゃろう……お主もそう思わぬか?」

 そう言うと、ナイアは首を教室の入り口に回す。

 そこには――

「そうですね。私が止めた一撃にした所で、寸止めを視野に入れたモノでしたし」

 ――僅かな微笑を湛えた我らが担任であるトリスさんが居た。

 そのまま教室へと足を進めるトリスさんに、ナイアは言葉を投げる。

「やはり、そうであったか」

「ええ。ナイア君。でなければ、いくら服と身体に『強化魔法』をかけていたとしても、無傷とはいかなかったでしょう」

 トリスさんはナイアへそう返答をしながら、理事長の傍へと立った。

 気のせいか、少し焦っているように見える。

「……して、トリスよ。浮かない顔じゃが、どうかしたのかの? 放課後、お主にはナギ君を監視するように言っておった筈じゃが……」

「ええ。その点でご報告があって来たんですよ。理事長」

 悪い報告です――前置きとしてそう言うと、彼は軽く息を吐き、一息で言い切った。


「ナギ君を見失いました」



 ――思えば。

 俺たちは甘く見ていたのだろう。

 事態を。現状を。現実を。

 対応が遅すぎた。対処が悪すぎた。

 遡るのなら、俺たちがこのクラスに転入した時。

 俺たちは何を置いても、『ナギ君』に接触するべきだったのだ。

 彼と『友人』とはいかなくても、『ナイア』を連れて、もっと会話をするべきだったのだ。

 俺たちは――いや責任を周りに振るのはよそう。

 俺はそれを怠った。

 居心地の良いナンバやローゼさんやメグリさんとの関係に甘え、同じクラスの一員である彼との関係を甘くみたのだ。

 ……だから、これはある意味では当たり前の帰結ツケなのだろう。

 結果から言うのなら、結論から述べるのなら。

 ――この後。

 どれほどの後悔をもってしても――償いきれない程に。

 どれだけの懺悔をもってしても――贖いきれない程に。


 ――俺は、この手を汚すことになる。

 『ナギ・フィーロ』から『アリア・アルレイン・ノート』を守る為に。



 『閑話 ナギ・フィーロ』


 ――ズキンッ!!

 痛む。

 ああ、頭が痛む。

「……間が無……時……無い……」

 ――ズキンッ!!

 がりがりと、頭を搔き毟る。

 それでも痛みは引かない。

 ああ、ああ。

 頭が――イタイ。

「時間が無い……時間が無い……」

 俺はそう呟きながら、剣を担ぎ部屋を出る。

 あのトリスとかいう教師は俺に謹慎を言い渡したが、それに従う通りはない。

 俺が従うのはただ一人。

『やぁ。気分はどうだい? 7G』

 あの人だけだ。

「証明しないと……証明しないと……」

 だからこそ。

 だからこそ、今しかないのだ。

 『勇国』の『第二王女』が手の届く場所に居る今しか。

 だが、迂闊にも焦った俺は殺気を漏らしてしまった。

 あれでは今後、王女に近づくことは難しくなるだろう。

 ――少なくとも、俺にはすでに監視が付いているのだし。

 今後、王女の方にも『護衛』が追加で付けられることも考えられるし、俺自身がこの『大学』から追い出される可能性だってある。

 チャンスは刻一刻と遠ざかっているのだ。

 あるとするのならば、俺の処分を決めかねている今。

 そして、何故かは分からないが、『第二王女』も大学から警戒されている今しかない。

「時間が無い……早く証明しないと……」

 俺はそのまま家を出る。

 大丈夫だ。

 昨日、貴重な時間を使ってまで、今日の準備を進めたのだから。

 そう思いながら、俺は玄関のドアノブを握り、その扉を開く。

 そして、完全に家を出た時に、一度軽く匂いを嗅ぐ。

 ――次の瞬間。

「……ギャッ!!」

 ――スパッ。

 剣を滑らせ、宙の一点を切り裂いた。

 すると、何も無かった筈の空間から血飛沫が舞い、地面へと零れ落ちる。

 彼が何気なしに見やったその場所には――

「イビル・アイか。良い使い魔を使うな」

 ――蝙蝠によく似た生物が一匹、翼を切られ倒れていた。

 血を流すその生き物を見ながら少年は口を開く。

「早く主人に助けて貰うんだな。そうすれば死ぬことはないだろう」

 そう言うと、少年は地面を蹴り、自身が今出てきた家の屋上へとその身を飛ばす。

「さて、ここからがスピード勝負だ。待ってろよ、『あの人じいちゃん』」


 痛む頭に急かされるように、俺は獲物を求めて夕暮れの町へと飛び出した。


 その行動が一人の少年の将来を閉ざすことに繋がるということなど、夢にも思わずに。



 『閑話 マーリー』


 ――トクンッ。

 ああ、まただ。

 俺は高鳴る胸を抑えながら、そうひとりごちる。

 先日、この学生寮にて『ターゲット』を目撃したその時から、この胸は脈動を続けている。

 ――トクンッ。

 跳ねるのは期待からか。好奇心からか。

 どちらにした所で変わらない。

「……絶対に手に入れる」

 俺はそう言って、拳を握る。

 感じる手の熱は明らかにいつもよりも高いものだった。

 分かりやすすぎる自分の体に、思わず苦笑を漏らす。

 ――と同時に。

 それで良いと感じていた。

 分かりやすく、正直に、愚直にある自分自身を。

「……人は常に自分を殺して生きている」

 独白。

 誰かに言うでもなく。誰かに聞かせるでもなく。

 自らに落とし込むように、自らが落とし込んだ言葉を紡いでいく。

 あの日の悪魔からの教えを思い出すように。

「幸運にも俺はノゾムさんに出会えた。教えて貰えた。……嘘じゃない。偽りじゃない。本当の、本来の自分って奴を」

 ああ。

 思い出せる。

 あの日の感動を。感激を。感謝を。

 ――人は本来はあんなに『自由』なんだと。

「……次は俺が教えるんだ『皆』に。俺が開放するんだ『皆』を」

 ――その為にも、俺は高みに登る必要があった。

 今以上に、高く。人を導ける存在として。

 だから――

「俺が高みへと至るそのために、手に入れさせてもらおう……神々の愛した天の羽衣ブラジャーを」

 ――抱えきれぬ程の夢を掲げながら、もはや待ちきれないとでも言うように、少年は獲物を求めて夕暮れの町へと足を繰り出した。


 その行動が一人の少年の将来を閉ざすことに繋がるということなど、夢にも思わずに。

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