第70話 「良いから、ミーティングだ!」

「……ううむ。頭が痛いのじゃ」

「……僕としたことが……呑み過ぎた……」

 あの飲み会の翌日。

 俺たちは理事長室に集まっていた。

「まぁ、あれだけ呑めばこうなるよなぁ」

「ご主人はそうでもないみたいですね?」

「さすがに昨日の惨状の中で、酒を楽しめるほど俺は自分を信じちゃいねぇよ」

「……賢者様の誘惑もありましたしね?」

「その悪意を持った質問は止めろ」

 ……。

 まぁ、実際。

 俺が飲めなかった理由の九分九厘はそれなのだけれど。

 酔った賢者さんは、子供の俺には刺激が強すぎた。

 間違いは起きてからでは、遅いのである。

 俺たちがそんな話をしていると――

「……のぅ。何故か儂は背中が痛いんじゃが、誰か理由を知らんかの?」

 ――後ろから老人が話しかけてきた。

「いやぁ、ご主人!! 楽しい宴会でしたね!!」

「ああ、ノワール!! お酒も無くなってしまったからな……」

 それを耳に入れた俺とノワールは、全力でその質問を逸らしにかかった。

 彼の背中を痛めた犯人は、俺たちの味方であるナイアだ。

 無礼講にも程があるが、せっかく忘れているなら思い出させることも無いだろう。

「ううむ……何があったのじゃ……」

 理事長はそんな俺たちを見ながら、背中をさすっていた。

 ……うん。

 ナイアの拳は、地上最強の生物のような綺麗なフォームでもって、地震を止めそうな勢いで、理事長の背中に吸い込まれていったからな。

 そんな彼を見ていると、黙っていることへの罪悪感が湧いてきた。

「……初日の空気椅子の件と合わせて、これでチャラにして下さい、理事長」

「ご主人。さすがに割に合わない気がします……今度、何かで返しましょう」

 俺とノワールはその罪悪感を抱えながら、小声でそう言葉を交わすのだった。




「さて……それじゃあ、俺たちはそろそろお暇しますね」

「ナイア、立てますか?」

「……ううむ。歩くだけなら、なんとかのぅ」

 それからナイアの二日酔いが落ち着くまで、のんびりとしていた俺たちだが、時計の針が正午を刺した辺りで、流石に移動することにした。

 そもそもここは理事長室なのだから、生徒の俺たちが長居するのは良くないだろう。

 賢者さんは起きたけど、未だに理事長とかは二日酔いで寝てるしな。

 あんまり生徒に見せたい姿では無い筈だ。

「……ああ、いやちょっと待って欲しい」

 だが、そう考えての退室は、賢者さんによって止められた。

「せっかくの機会だから、前に話してたことをお願いしても良いかな?」

 賢者さんは、そう言うと何枚かの紙を取り出して、俺に渡してきた。

「賢者さんにはお世話になっていますし、何かお手伝い出来ることがあれば、喜んでやりますが……これは何でしょうか?」

「何かの資料みたいですが……」

「そう言ってくれると、嬉しいね。……これは、三〇〇年前の『魔王討伐』の時の資料だよ。ここにあるのは、この『賢国』の物だけ、だけどね」

「――っ!? ということは!!」

「そう。――もしかしたら、僕たち『勇者パーティ』を使って、魔王だったナイア君を殺した存在に関する情報が、その中にはあるかもしれない」

 先入観を与えたくないから、それ以上は言わないけれど――、と言いながら、賢者さんは席を立った。

「それなりの文量がある資料だし、読むならゆっくり腰を落ち着けた方が良いと思う。僕はちょっと紅茶を入れてくるね」

 彼女はそう言うと、理事長室を出ていった。

「……とりあえず、資料を見てみるか、ノワール」

「ええ。そうしましょう、ご主人。……ナイア。もう少し休んでいても大丈夫ですよ」

「おお……正直、助かるのじゃ……帰る時に起こして欲しいのじゃ……」

 俺が資料を机に広げた所で、ナイアはソファーに戻り、また眠る姿勢に移行した。

 その後しばらくは、俺が紙をめくる音だけが、部屋に流れるのだった。



「おや……読めたかい?」

 少しして、書類から顔を上げた俺の耳に、そういう声が聞こえてきた。

「ええ、拝見しました」

「私も確認させて頂きました」

 声の方をみれば、賢者さんが紅茶を飲みながら、こちらを見ていた。

 そんな、彼女に俺とノワールはそう言葉を返す。

「うん。すぐにでも、意見が聞きたい所だけど……その前に紅茶を入れ直そうか」

 そう言うと、彼女は机のある一点を見た。

 その視線で、俺はいつの間にか紅茶が二つ準備されていたことに気がついた。

「あ、すいません!! 新しいのは大丈夫です、これを頂きますので……」

 俺は、慌てて一つを手に取りながら、賢者さんに向き直る。

 彼女は少しだけ楽しそうに口元を歪めながら、言葉を紡いだ。

「ふふふっ。やっぱり、気づいてなかったかい。凄い集中力だったね」

「……お恥ずかしい限りです。本当にすいません」

 俺はそんな彼女に頭を下げながら、少し赤くなった顔を隠すのだった。

「まぁ、良かったら、ノワール君も飲んで欲しい。冷めてしまったかもしれないけど、これから長い話をするなら、水分は必要だろうからね」

「賢者様、お心遣い大変有り難く思います。……ですが、無作法をお許し下さい。私は、<ユニークスキル>でして、飲食が出来ませんので」

「おや? そうだったのかい。それはこちらこそ、失礼をしたね」

「いえ、スキルである私にまで気を遣って頂いて、本当に嬉しく思います」

「……話は変わるけど、ノワール君。僕のことは『ルーエ』と呼んでくれないかな?」

「有難いお言葉ですが、それは流石に――」

「元々、僕は『賢者』っていう呼び名が好きじゃないんだ。僕を助けると思って……お願い出来ないかな?」

「……分かりました、ルーエ様」

「有難う、ノワール君。――ついでに君のご主人にも、その辺りを上手く伝えて欲しいんだけど」

 そうしていると、ノワールと賢者さんの会話が始まった。

 俺はそこまで二人の会話を聞いて、下げていた頭を上げる。

「俺ですか?」

「うん。結構、お願いしてるんだけどね。……ノゾム君は間が空くと、僕のことを『賢者さん』って呼ぶからね」

 俺の質問に対して、賢者さんは息を吐きながら、そう答えた。

「……もしかして僕、嫌われているのかな」

 そして、ボソリと呟いた。

 最後の方は、多分聞かせるつもりは無かったんだろうけど、俺の耳にはバッチリと入ってしまった。

「……すいません。ルーエさん。以後、気をつけます」

 そんな言葉を聞いた俺は、そう言葉を返した。

 俺の中では、『賢者さん』のイメージが出来ているから、気を抜くとそう呼んでしまうけれど。

 それで、賢者さんが嫌な思いをしているのなら、反省しよう。

 『ルーエ』さんが良い人なのは、もう知っているし、呼び方一つで仲良くなれるならそれは改善するべきだろうから。

「なんだか、気を遣わせたみたいで悪いね。……でも、お願いしたいかな」

「ええ、ルーエさん。こちらこそ、すいませんでした」

 俺がそう言うと、彼女はどこかホッとした表情で、手元の紅茶に手をつけた。

 うーん。

 割と本当に心配してたっぽいな。

 今後は気をつけよう。

「ご主人、せっかくですから、この紅茶も飲んでもらって良いですか?」

「ああ。有難うな、ノワール」

 そのタイミングで発せられた黒猫の提案を、俺は喜んで受け入れた。

 温度こそ冷めてしまっている紅茶だが、飲みやすい味で好みだったからだ。



「さて、話が逸れてしまったね。戻そうか」

「ええ。分かりました」

 それから少しの間を置いて、賢者さんはそう言った。

「それで、資料を読んでみて……二人はどう思ったかな?」

 彼女はそこで、先程までのどこか柔らかい雰囲気を消して、真面目な顔でこちらを見てきた。

 それを受けた俺とノワールは――

「「『勇国』が怪しいですね」」

 ――声を揃えて、そう答えるのだった。

「……やっぱり、そうだよねぇ」

 そんな俺たちの回答を確認したルーエさんは、肩をがっくりと落としながら、そう呟いた。

「……一応、理由を聞いても良いかな?」

 彼女はそのまま、姿勢を変えずに言葉を紡いでくる。

「ええ。……まぁ、いくつかあるんですけど、大体この資料が原因ですね」

 そういう彼女の目の前に、俺は一枚の資料を差し出した。



 『賢国歴 〇〇年 国家間における伝令記録』


「発伝。『勇国』より『賢国』へ送る。

 この度、こちらで『魔王』なる存在からの戦線布告を確認せり。

 『魔王』は新大陸への調査に赴きし我らが同胞を、例外なく惨殺せしめた後、その身に下記の如く文を刻みけり。

 『魔王の名の下に、この大陸を支配下に収めん』

 我が国が送りし、千をも超える調査隊は、いずれも一騎当千の冒険者なり。

 故に、此度の件から予想される『魔王』の戦力、残虐性は計ることすら能わず。

 此れは比類無き人類の危機である。

 故に、我、提案す。

 四国の連盟により、『魔王』なる存在の討伐を行わん――と。


 同文を『剣国』『聖国』へも送る。

 人類の未来のために、貴国の色好い返事を期待する。

 ――『勇国王 フォンス・アルレイン・ノート』 より 親愛を込めて」




 文面だけを素直に捉えるのなら、『魔王』という人類の脅威に対して、立ち向かうことを決めた一国の王の伝令文だが……。

 前提として、『魔王』であるナイアが人間を一人も殺していないという事実を知った上で、この伝令文を見ると――

「もう、真っ黒ってレベルじゃ無いよな」

「ええ、ご主人。シャボンなランチャーでも、ここまで真っ黒に感光させることは出来ませんよ」

 ――むしろ、怪しさMAXである。

 怪しさしかないと言っても過言ではない。

「その後の資料でも、四国会議の主導権を握って、『魔王討伐』における作戦行動の提案も行ってるし――」

「――作戦終了後に魔大陸へ再度、調査隊を送っているのも『勇国』だけですしねぇ」

 いやぁ、見事に真っ黒である。

 仮にこの『勇国王』さんが、全身黒タイツであったとしても、俺は違和感なくそれを受け入れるだろう。

「あれれ~。おかしいですよ? ご主人、この国王様、なんでこんなに魔王に怯えてるんでしょうか?」

「バーロー、ノワール。そうでもしねぇと、『勇者パーティ』を動かす正当性が無いだろう」

 どうやら、その思いはノワールも一緒だったようだ。

 俺たちは静かに拳をぶつける。

「……やっぱり、そうだよねぇ」

 そして、ポツリと紡がれたルーエさんの言葉で俺は確信した。

 うん。

 思いは皆一緒か。

「まぁ、推測でしかありませんけどね」

「それはそうだな。……極論『勇国王』だって、誰かに操られてた可能性だってある」

「はぁー……やっぱり、君たちが見てもそういう結論に成るみたいだね」

 そこでルーエさんは、姿勢を直して、俺たちを見てきた。

「……うん。有難うね、二人とも。参考になったよ」

 そう言葉を紡ぐと同時に、彼女は疲れたように頭を抱えた。

 俺は、そんな彼女の態度が気になって、声をかけた。

「何か、お悩みですか?」

「……実はね、この三〇〇年前の資料なんだけど、この『賢国』ではこれ以上の情報は手に入りそうにないんだ」

 彼女はそこで一度、首を左右に振って言葉を続ける。

「……これ以上、詳しく調べるなら、問題の『勇国』に行って、当時の資料を見る必要があるんだよね」

「それは……『賢者様』でも難しいんですか?」

 俺はそんな彼女の言葉を聞いて、そう言葉を挟んだ。

 他国の資料とはいえ、彼女は英雄である『勇者パーティ』の一員なのだ。

 内容も当時の『魔王戦』に関するものであるのなら、閲覧を求めても良いと思う。

 だが俺のそんな考えは、続く彼女の言葉で否定された。

「僕は『賢者』ではあるけど、他国の人間だからね。お願いすれば見れなくは無いだろうけど……その場合、同じく英雄である『勇者』のエルを通さないといけないのさ」

「……なる程」

 俺はそんなルーエさんの言葉で、彼女の悩みを理解した。

 彼女からしたら、『勇者エル』は友人なのだが、今回調べたいのは、彼女の父であった『勇国王 フォンス・アルレイン・ノート』についてなのだ。

 そんな人物を調べるのなら、理由を話さない訳にはいかないんだろうが……。

「『魔王殺し』について、貴方の父親である『勇国王 フォンス・アルレイン・ノート』を調べたい――、なんて言えませんよねぇ」

「……そうなんだよねぇ。まず、僕はエルに対して、『魔王』が悪い奴じゃなかったっていうことも説明してないからねぇ」

 仲間出る『勇者パーティ』たちから、『魔王』の信頼を得るために、三〇〇年前の真相を探るっているのだが、その情報を掴むためには、魔王が信頼に足る存在だと証明しないといけない。

「ジレンマですね」

「本当に」

 俺は彼女にそう返すしか出来なかった。

「……まぁ、そういう訳で、今日の所はここまでかな。とりあえず、上手いこと言い訳を考えたら、『勇国』に申請してみるよ。また、情報が入ったら、見てもらっても良いかな?」

「ええ、喜んで」

「ルーエ様もご無理はなさらずに」


 そうして、この日は何事もなく過ぎてゆくのだった。


「……ううっ……なんじゃぁ……この揺れは……うえっっぷ……」

「ノワールっ!! ストップだ!! それ以上、揺らすんじゃない!! このままでは、リバースカードがオープンしてしまう!!」

 主に激流葬とかが。

「分かりました、ご主人。……しかし、困りましたね。ナイアが起きません」

「……困ったな」

「……ええ、本当に」

「転移魔法で送ろうか?」


 強いて言うのなら――帰る時まで、ルーエさんは良い人であった。

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