第66話 「今日のポピー」

「うごぉぉぉぉ……。いてぇぇっ……体がぁ……」

「はっ!! ざまぁないですね、ご主人。私を見捨てようとしたからですよ!!」

「ぐはぁっ!! 止めろ、ノワールっ!! マジで死ぬっ……」

「反省して下さい、本当にっ!!」

 実技訓練の後、俺は医務室で目を覚ました。

 そして、そんな俺の横では不機嫌そうに背中を向けた黒猫が、ベッシベッシと俺の体に対して、尻尾をぶつけているのだった。

「まったく、本当にあり得ないですよ、ご主人。聞いてます?」

「くぅっ!? 本当に、痛いから止めろ、ノワール……!!」

「私が人質に取られているのに、無視して保身に走るなんて……まさに外道!!」

 こんな調子で、ずっと俺に向かって尻尾をぶつけてくるノワールさん。

 普段だったら少し痛いくらいで済む攻撃だが……ボロボロの状態で医務室に運ばれた俺の体には少々堪える。

 なので、俺はノワールを説得することにした。

「いや、仕方ないだろ? 俺は臆病で、弱っちいただの人間なんだから」

「完全に初期の頃じゃないですか!? 大魔導士としての覚醒はどうしたんですか!?」

「……ほら、俺にはアバンの証が無いからさ」

「開き直らず、反省をして下さい!!」

「たわばっ!!」

 だが、そんな俺の行動は、むしろこの黒猫を怒らせたらしい。

 尻尾の勢いは更に増すのだった。

 ……うう。

 まずい。

 そろそろ、本当にノワールの機嫌を取らないと、痛みで死ねる。

「ノワール……すまんかった。反省するから、マジで止めてくれ」

「……むぅ」

 不満そうにしながらも、ノワールはピタリと尻尾を止めた。

 そのまま、ジト目でこちらを見てくる。

 どうやら、俺が本当に反省しているのかを伺っているようだった。

 ……これは、チャンスだ。

 畳みかけるなら、今しかない。

「『俺が悪かった。お願いだ――ノワール。俺に罪を償う機会を恵んでくれ』」

「……本当ですね? 今度こそ。今度こそ、今度こそ、今度こそ、今度こそ、今度こそ、今度こそ――本当ですね? ご主人」

「『ああ……ノワールだけは俺のことを信じてくれるよな?』」

 俺は軽く泣きながら懇願し、ノワールを見つめた。

 黒猫は少し黙って、息を吸った後――

「全然反省してないじゃないですか!!」

「ぐわばらっ!!」

 ――今までで、一番強く尻尾をぶつけてきた。

「まさか、括弧をつける余裕があるとは、思いませんでしたよ、ご主人!!」

「いや落ち着け、ノワール!! 思わず、やってしまっただけなんだ!! 真面目に謝るから!!」

「いや、貴方だけは許しません。――食らいなさい、ご主人!! 飛鳥で文化なアタックーッ!!」

「お腹痛ーッ!!」

 台詞と共に、ノワールは飛び上がり、空中で体を丸めると、回転しながら、自由落下でもって、俺の腹に着地した。

「ぐぅぅ……なんて、恐ろしい技を使うんだ、ノワール。仮に俺が法隆寺なら崩壊してたぞ」

「反省してないのが原因じゃないですか。……というか、まだ余裕がありそうですね? ご主人」

 そう言うとノワールは、俺の腹の上で、再び跳躍しようと体勢を低く構えた。

「やっ、止めろぉ!! ノワール!!」

「思い出させてあげますよ、ご主人。金銀時代の『ころがる』の恐怖を!!」

 そうしてノワールが、もう一度飛び上がろうとした瞬間――

「さっきから、五月蠅いぞ!! お前らっ!!」

 ――いきなり横から、そういう声がかけられた。

 見れば、一つ隣のベットで、俺と同じように横になっているクラスメイトの姿があった。

「あれ? ナギ君じゃないか」

「ああ、そうでした。先ほどまで静かでしたから、他に人が居たのをすっかりと忘れていました」

 こちらに怒りの眼差しを向けてくる少年を確認した俺たちは、のんきにそう言葉を漏らす。

「お前らなぁっ!! ここは医務室なんだよッ!! 騒ぐなら余所でやれ!!」

 そんな俺たちの様子が癪に触ったのか、ナギ君はさっきよりも更に口調を強めて叫んできた。

「あぐっ!!」

 そして、次の瞬間。

 彼はあばらを抑えて、蹲ってしまった。

 ……うん。

 彼も俺と同じく……というか、それ以上にボコボコにされてたしな。

 恐らく、俺以上の激痛がその体には流れている筈だ。

「えーっと、大丈夫か、ナギ君? 体に響くから叫ぶとかは、あんまりしない方が良いぞ?」

「ええ。とりあえず落ち着いて、呼吸を整えて下さい」

「誰の所為だとっ……!!」

 そうやって、彼を心配した俺たちだが……どうやら、彼はご立腹のようだった。

「ううむ。……とりあえず、騒ぐのは止めようぜ、ノワール」

「……そうですね、ご主人」

 そんな彼を見て、俺たちは反省した。

 実際、医務室で騒ぐなんて人間失格だよね。

「ごめんな、ナギ君」

「申し訳ありません、ナギさん」

 俺たちは、迷惑をかけた彼に対して、揃って頭を下げる。

「……分かれば良いんだよ。静かにしろよ」

 彼はそんな俺たちを見ると、そう言葉を返した。

 そのまま背中を向けて、完全に眠る姿勢に移行する。

「……なぁ、ナギ君」

 だが、俺はそんな彼に声をかけた。

 失礼だとは思ったが、これは良い機会だと思ったからだ。

 彼は休み時間や放課後などは、気付けば居なくなっているし、今まで、なかなかコミュニケーションを取れる場面が無かったのだから。

「……なんだ?」

 そう思いながら声をかけた俺に、彼は面倒そうにしながらも、起き上がって応えてくれた。

 俺と同じく、全身に激痛が走っている筈なのに。

 ……口調は乱暴だが、案外良い奴なのかもしれない。

「いや、用があった訳じゃないんだけど、あまり話したことが無かったから、なんか話そうと思ってさ」

「下らん。そんな内容なら、俺は寝るぞ」

 だが、彼は俺の言葉を聞くと、逆再生のようにベットに戻ってしまった。

 ううむ。

 どうやら、彼は無意味な雑談というのが嫌いらしい。

 だが、さっきの態度を思い出すと、話に中身があれば会話をしてくれそうだった。

 そう思った俺は、少し考えてまた彼に呼びかけた。

「なぁなぁ、ナギ君」

「うるさいな。……なんだよ?」

 そう言うと、再び体を起こしてくれるナギ君。

 ……うん。

 何度もごめんな。

「さっきの試合なんだけどな。あの下から上に登っていった『雷』はどうやったんだ?」

 そんな彼に、俺は質問を投げてみた。

 疑問符を付けた言葉なら、返事が期待できると思ったし、実際、かなり気になっている内容だったからだ。

 ナイアとの試合の後半で、彼が放った『雷魔法』は、明らかに『中級』を越えているように感じた。

 だが、本来ならその規模の魔術行使をするのには、呪文の詠唱などが必要に成るはずなのだが、彼は予備動作を一切見せずに、大規模な『雷魔法』を使ってみせたのだった。

「ああ、アレか。……魔法石だ」

 そんな俺の疑問を受けた彼は、少しだけ間をおいて、答えを教えてくれた。

「試合中に<雷魔法・上級>が籠った魔法石を埋めてたんだよ」

 魔法石。

 確か、使い捨てだけど、本人の資質に関係なく、籠められた魔法を使える魔道具だったか。

「成る程な。それで、あのクラスの魔法をいきなり撃てたのか。……でも、凄いな。全く気付かなかったけど、いつの間に埋めたんだ?」

「最初の攻防が終わって、ナイアが後ろに下がった時だな。俺の空ぶった攻撃とアイツの土魔法で、地面は緩んでたし、難しくは無かったさ」

「……凄いな」

 そんなナギ君からの答えを聞いた俺は、感嘆の声を漏らした。

 俺とノワールは離れた所から、剣や魔法に驚いているだけだったが、その試合の裏でこんな知略戦が繰り広げられていたとは。

「そう言えば……ちょうど良いか。なぁ、今度は俺が聞きたいんだが」

 俺がただただ感心してると、彼はそう言ってこっちを見てきた。

「ん? ああ、良いぞ」

 俺はそんな彼に快く答えた。

 ナギ君は先に俺の質問に答えてくれたし、誠意は返したい。

 更に、これをきっかけに、仲良くなれるかもしれないと考えたからだ。

「お前は、アイツがどうやって、俺のその雷を避けたのか知ってるか?」

「いや、分からん」

 しかし、悲しいかな。

 彼の質問は俺が応えられる内容じゃなかった。

「……分からん、ってことはないだろう。俺の奇襲を避けた後にアイツは、『誇るが良い。妾をして『ノゾムの知識』を使わせた己が実力を』って言ったんだぞ? お前には、その知識が有る筈だ」

 だが、俺の答えを聞いたナギ君は、諦めることなく詰め寄ってきた。

「うーん。それはそうなんだけどなぁ……」

 そして俺は、そんな彼を前に、頭を抱えるのだった。

 なぜなら、少しややこしい事態になっているからだ。

 まず実際に、俺がナイアに教えた知識というのは確かにある。

 それは、『原子論』だったり『重力』だったり『引力』だったりという、この世界ではまだ発見されていない知識だ。

 恐らく、ナイアはそれらの知識を利用して、雷を避けたのだと思う。

 それはナイアの発言からしても間違いはないだろう。

 ……だが、ここで問題になるのが、俺にはその方法が皆目見当もつかないことである。

「俺がナイアに教えた知識はいくつかある。……だけど、その知識からどうやれば、あの雷を回避出来るかが分からないんだよ」

 なので、俺は素直にそう言った。

「……なんだそれは」

 そんな俺の言葉を受けて、ナギ君は少し不満そうにしていたが、やがて息を吐きながら頭を振った。

「まぁ、良いか。知識だっていうなら、無理には聞かないさ」

 そして、彼は諦めたように、口を噤んだ。

 ううむ。

 せっかく彼から話しかけてくれたのに、結果を見れば、回答を断る形で話が終わってしまった。

 俺たちは、何となく気まずくなる。

「そう言えば、ナギさんはお昼時間などはどちらにいらっしゃるんですか?」

 そんな空気が堪えたのか、今まで黙っていたノワールが、いきなりそんな質問を投げた。

 おい、馬鹿!

 焦り過ぎだろう!!

 聞かれたく無い質問だったら、どうするんだ!!

 そんな黒猫の質問に俺は内心焦りまくったが――

「資料室だ」

 ――ナギ君は平然と答えた。

「資料室?」

「ああ。あそこなら、静かだし、勉強が捗るからな」

 予想外の答えに、俺がオウム返しで聞くと、ナギ君はそう言った。

「ってことは、昼もずっと勉強してるのか?」

「当たり前だ。そうでもしないと、首席で卒業なんて出来そうに無いからな」

「……もしかして、帰りがいつも早いのも?」

「それは、迷宮に潜るためだな。魔法や剣術の実技訓練も出来るし、モンスターの素材を売れば金も入る」

「は~」

「へ~」

 そんな彼の答えに、俺とノワールは思わず、そう言葉を漏らしていた。

「凄いな……ナギ君は」

 何というか、理想の学生という感じだ。

「ええ……ご主人も見習うべきですね」

 ノワールに対して、オモエモナーという言葉を飲み込んで、俺はそんなナギ君に質問を重ねた。

 どうしても、気になることが出来たからだ。

「ナギ君は『首席』に強い思いがあるみたいだけど、何か理由があるのか?」

 それは、この彼を動かす原動力だった。

「……お前には関係無い」

 だが、そこで彼は初めて、明確に拒絶を示した。

 更に起こしていた上体を寝かせ、こちらに背中を見せることで、会話の終了を伝えてくる。

 その背中は、この質問が彼にとっての鬼門であることを明確に語っていた。

「俺はもう寝る――迷宮に潜る前に体力を回復したいからな」

「なっ!? 今日も潜るのか!?」

「……浅い階層なら、どうにでもなるからな」

「さすがに、今日は止めておけよ!! 試合のダメージが出てる筈だろ!?」

 俺は叫ぶように、言葉を投げたが――


 ――その後、彼がこちらの言葉に返事をしてくれることは無かった。



 そして、その日の夕暮れ。

「ぐがぁぁぁ……なんで、邪魔をするんだ……お前っ!?」

「ぐぅぅぅ……っ!! こんなに弱ってる奴を……ダンジョンに行かせられる訳がないだろうが……っ!!」

 ベッドから離れ、愛用の剣で地面を突きながら、医務室を出ようとする彼を、俺は後ろから羽交い締めをすることで、なんとか止めていた。

「がががっ……!! これ……くらい……うぐっ!! もんだい……ないっ!!」

「嘘を……つきやがれ!! 寝てるだけなら、いざしれず……立って歩いてるなら、分かるはずだ!! この全身の痛みが……!!」

 俺たちは全身を襲う痛みに堪えながら、全力で戦っていた。

 実際、立っているだけでも、激痛が走っているのだ。

 筋肉痛だとか、正座の後の痺れだとかを、何百倍にもしたような痛みが。

 こんな状態で、モンスターが沸く迷宮に行けば、彼が死ぬことは間違いないだろう。

「俺の……勝手だろうがっ!!」

「ふざ……っけんなっ!! クラスメイトの……自殺を見逃すとか……トラウマ待ったなしだわ!!」

 俺たちは、組み合ったままそう言葉を交わし合っていた。

 そして、この部屋にいる最後の一人であるノワールはというと――

「ううん。お二人とも必至なのは分かるんですが――なかなかに酷い絵面ですね」

 ――そんな俺たちを少し離れた所から見ていた。

「ノワールッ!! ……お前も……止めるの手伝えよっ!!」

「それは分かってるんですが、ご主人。その……プルプルしながら、一歩もその場から動かず、叫んでいるお二人を見ると、まるで老人みたいでして。ちょっと混ざりづらいんですよねぇ」

「阿保なことを……言ってる場合かっ!!」

 俺は若干引いた感じで、そう言った黒猫を怒鳴りつけた。

「コイツが……迷宮に潜って死んだら……ナイアは絶対に……自分を責めるぞ!!」

「……っ!! それは、確かに」

「そうなってからじゃ遅いんだ……!! 俺もろともで構わんっ!! 殺れっ!!」

「ご主人……。そこまでの覚悟をっ……分かりました!!」

 ノワールは俺の言葉を受け取ると、一瞬沈痛な顔をした後で、覚悟を決めたように頷いた。

「なっ……何をするつもりだ……っ!? お前らーっ!?」

「早くしろ……ノワールっ!!」

「待ってください、ご主人。……今、私の全身の気を一点に集めています」

 そう言うと、ノワールは俺が羽交い絞めしているナギ君に向けて、膝を曲げ、飛びかかる構えを取った。

「大事なのは気を一点に集中すること……そして、螺旋のエネルギー」

 ノワールはしばらく、俯いていたが、やがてカッと顔を上げ、言葉を紡いだ。

「待たせましたね、ご主人。……覚悟は良いですか!!」

「やれーーーっ!!!」

「まっまてーーーっ!!!」

 俺たちの叫びを契機とし、ノワールはその体に溜めた気を開放させた。

「貫けーーっ!!!」

 言葉と共にドリルのように体を回しながら、ノワールは高速で、俺が抑えているナギ君の胸へと飛び込んだ。

「……ちっちくしょーっ!!」

「……へへっ……」

 その一撃の持つ衝撃は、ノワールの叫びの通り、俺たちの体を貫いた。

 それは既にボロボロになっていた俺たちを倒すには、十分な威力だった。


「……貴方たちは、何をしていますの?」


 少し後で、医務室に来たローゼさんは、床に倒れている俺たちを見ながら、呆れたようにそう呟いた。

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