第44話 「争いは同じレベルの者同士でしか発生しない」

「……さて、ついにこの時間が来てしまったな。ノワール」

「ん?……どうしたんですか? ご主人。そんな無駄に深刻な雰囲気を作ったりなんかして」

 放課後の教室。

 俺がそう言葉を掛けると、ノワールが珍しく俺の頭から降りて、机に着地しながらそう言った。

 ……今の俺から距離を取るとは、やはり野生の感というものはあるんだろうか。

「いやいや……知らないふりは良くないぞ、ノワール。無知とは罪で、無知とは悲劇なのだから。お前ならこれから俺がどうするのかは分かっている筈だ」

「……」

 俺がそう言うと、ノワールは黙りこくってしまった。

 ……やはり、察していたのだろう。

 これから起こることを――


「これからお前には……殺し合いをしてもらいます」


 ――俺はそう言って、机の中から丸めた紙を取り出した。

 この時の為に、こっそりと準備しておいたものだ。

「……ご主人。今なら、まだ引き返せます。争いなんて馬鹿らしいことだと思いませんか?」

「俺を戦いに駆り立てたのは貴様だ! そんな事が言えるのかよ!!」

 言葉と同時に、俺はノワールに向けて握っていた紙を振り下ろした。

 ノワールもそれを分かっていたかのようにひらりと躱す。

「昨日、散々いたぶってもらった分、借りは返させてもらうぞっ!! ノワール!!」

「感情を処理できない人類は、ゴミだと教えたはずですが……」

「あれほどコケにされて、頭に来ねぇヤツはいねぇッ!」


 ――そうして、俺たちの鬼ごっこが始まった。


「ええぃ!! すばしっこい奴だ」

「ふっ。戦いの全ては怨恨に根ざしています。当然のこと。しかし、怨恨のみで戦いを支えるご主人に、私は倒せません」

「言うじゃないか。ノワール。……だが、その程度の瞬歩で逃れられると思ったのか?」

 そう、俺は感情に任せ、襲い掛かっているように見せながら、実はノワールを教室の隅に追いつめていた。

 廊下へ続く窓なんかはこれまでの講義や休み時間にさりげなく閉めておいたから、そこからの脱出は不可能だ。

「貰ったぞっ!! ノワール!!」

 俺はそう言うと、持っていた紙を投げ捨て、右腕と左腕を両方向から包み込むようにノワールに向けて伸ばした。

 両腕を伸ばしながらも、右腕は大きく右回転、左腕は大きく左回転させる。

 その二つの拳の間に生じる真空状態の圧倒的破壊力はまさに歯車的砂嵐の小宇宙だった。

「……甘いですよ。ご主人。その程度の瞬歩で捕らえられると思ったのですか?」

 ――だが、ノワールはそう言うと不敵に笑った。

「逆に考えるんですよ。ご主人が私に近づきたいなら……近づいても良いさと」

 そう言うと、ノワールは一気に俺の懐に入り込む。

 ……その速度は俺が想定していたものより早く、砂嵐の小宇宙が出来上がるより前に俺の胸に飛び込んできたのだった。

 予想していなかった黒猫の行動に、俺は思わず目測を見誤ってしまう。

「くそっ!!」

「ふっ。ご主人。やはり貴方には速さが足りない」

 慌てて、抱きしめるように腕を動かしノワールを捕まえようとするが、そのころにはノワールは肩まで駆け上がり、空中で宙返りを決めながら俺の後方へ着地していた。

「……やるじゃないか。ノワール」

「ご主人。……やめて下さい。本気で喧嘩したら、ご主人が私に敵うはずないじゃないですか」

 そう言うと、ノワールはどや顔でこっちを見ていた。

 くっそ。無駄に可愛いのが腹立たしいな。

 やっぱり、猫ってずるいわ。

「いや、俺はお前を掴まえてみせるさ」

「何故ですか、ご主人。今の一連のやり取りで私たちの実力差は分かったはずです」

 ああ。しっかりと分かったさ。

 まぁ、実際問題、速さのステータスはコイツの方が上だしな。

 ……だけどそれは諦める理由にはならない。

「俺は絶対にお前を捕まえてやる。そして必ず、この手で貴様を裁くっ!!」

「人が人を裁くなどどっ!!」

「うるせぇ!! 正直、お前に何かやり返さないと、俺の気が収まらないんだよ!!」

「……生の感情丸出しで戦うとは。これではご主人に品性を求めるなんて絶望的ですね」

 俺たちが教室でやいのやいの叫んでいると、不意にナイアとナンバの声が聞こえてきた。

「なぁ、アレは止めなくて良いのか?」

「見てれば分かるじゃろう。アレもじゃれ合いの一種じゃよ。手は出さぬが吉じゃ」

 さすが、ナイアさんは良く分かっていらっしゃる。

 今日と言う今日こそは、この猫畜生に上下関係と言うものを正しく教えねばならんのだ。

 勿論、俺が『上』ノワールは『下』だ。

「今度は逃がさねぇぞ!! 『必中』!!」

「甘いですねっ!! 『ひらめき』!!」

「くっそっ!! ならこれだ!! マスターボール!!」

「ご主人。こういうものには使い時があるのです」

「さぁ、ご主人を苛める子はしまっちゃおうねぇ」

「私は悪い猫ではないですよ?」


 それからの攻防は激戦であった。お互いが持てる技術の全てを駆使して戦った。


「……やる……じゃぁねぇか……ノワール」

「……ふふ。……それは……こっちのセリフですよ。」


 結果として、俺たちはお互いが限界まで疲労していた。

「次で最後だ……。覚悟しろよ、この猫野郎」

「ふふ。……やって見て下さいよ。私のバトルフェイズはあと108までありますよ?」

 俺は、今にも倒れそうな自分の体をおして、初めに落としてしまった紙を拾う。

 少し、広がってしまっていたそれを改めて丸め直しながら、ノワールに向けて構えた。

「行くぞ……ノワール」

「ええ。……ご主人」

 そう言うと、ノワールもこちらに向けて、拳を固めていた。

 ……あのアッパーが世界を狙えることを俺は経験から知っている。

 だが、怖気ることはない。

 こちらには獲物がある。その分リーチも。

 俺は自分を奮い立たせるために心で呟いた。

 己の心を細くせよ。川は板を破壊できぬ。水滴のみが板に穴を穿つ。

 ――今から俺がすることは、相手の拳よりも早く、この紙をノワールにぶつけることのみ。

 俺は全身の関節を連動させ、加速させるイメージで持って、手元の紙をノワールに突きだした。

「喰らえ、ノワール!! 『ゲイ・ボルグ』っ!!」

「アンサラーっ!!」

 ……しかし、ノワールはそんな俺の攻撃を紙一重で躱し、俺の顎に拳を叩きこんでいた。

 衝撃が脳を揺らし、俺は意識がゆっくりと落ちていくのを感じた。

「……なっ。私は確かに躱したはずなのにっ……」

 だが、薄れ行く意識の中で、

 ――俺は確かにその声を聞いた。


 不思議だよな。ノワール。

 俺自身が驚いてるんだ…当てることだけを考えてきた技が…

 最後に辿り着いた最終形態が…あろうことか…当てない打撃だったなんてな…


 俺の突きは確かにノワールに躱されたが、俺は殴られる直前に紙を鞭のようにしならせていた。

 あまりにも高速で撓り、戻された紙は周りの空気を豪快に揺らしていた。


 音速の壁を破ったことによるソニックウェーブ。

 それがノワールの顎を揺らした正体だ。



 今夜の勝負の結末はダブルクラッシュだった。

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