黒巫女の神は風に唄う
午前
第1話
その神が魔の物として封印されたのは、百年以上前の話だった。
◆
とある地域の、とある山の麓にある少し高めの丘。
かつて、村があった場所から少し離れた場所にあるそれ。
そこにある朽ち果てた神社に、少女の形をしたものがいた。
歳のほど十五、六の若い少女の外見を持つモノ。
黒装束に茜の袴。
黒い巫女服を纏った黒髪の彼女は、崩れた社の柱に複数本の刀剣と槍をもって縫い留められていた。四肢を縫い留められたその姿は、磔刑のようにも、生贄のようにも見えた。
しかし、血は流れていない。
また、死んでもいない。
彼女は人ではないのだから。
それが証拠に見るがいい。
俯き気味の虚ろな顔に灯る二つの紅い瞳の炎は消えていない。
彼女の頭にあるのは、ただひたすらなる恨みだった。
憎い、と。
――ああ、この我を封印した者共が憎い。
――ああ、己を神として崇めず、魔に堕とした人共が恨めしい。
この土地の神として在った彼女がこの境内に縛られてより百年間。
神にも寿命はある。
信仰。つまりは畏怖と敬意によって保たれるその存在は、無人の場所に居れば、本来二十年と保たず、死に果てる。
が、彼女は未だ熾火のように燃え盛るその執念によってその存在を保っていた。
――憎い。
――ただただ憎い。
――この楔が解き放たれた暁には、人の世全てを焼き尽くしてくれよう――
そう、心に誓い、ここまで生存して来た。
そう、心に刻み、ここまで形を喪わずに在った。
最早彼女の身は神に非ず。既に魔性に堕ちたものと成り果てた。
堕ちたから封印されたのか。
封印された果てに堕ちたか。
実際の事実は過去のものであり、今に伝わるものではない。記録などは残っていないし、彼女を信仰していた村も遥か昔に消え失せた。
だが、彼女は真実など最早気にしていなかった。
そんなものは過去の話である。どちらにせよこの身、この存在は人間に対する慙愧の念によって保たれている。
それこそが少女の形をした神にとっての唯一の真実であり、存在証明であった。
◆
「――おや、どうしたんだい、君」
シン、と霜が降りるように冷たい空気が震える。
夜の丘。空に光る月の下。
闇に染みわたるような、声がした。
黒巫女の神は、百年ぶりに聞く声に、渾身の力を込めて顔を上げた。錆びついた関節をゆっくりと動かし、空気を震わす元に目線を向ける。
「……これは凄いな。相当な力を持った魔性だ。こんなのをお目にかかるのは流石に初めてだ」
紅の瞳に映ったのは、一人の青年だった。
腰に一本、刀を差した和装の男だった。
どこか、胡散臭い雰囲気を持つ男だった。
夜に浮いているように見えたのは彼が死装束のような、真っ白な着物を纏っていたからだろう。
黒巫女の少女は、その姿を一瞬の驚愕と共に認識し。
そして、すう、と目を細めた。百年ぶりにまともに機能する意識で考える。
さあ、どうしようか、と。
「んー」
「…………」
「――痛そうだね、それ」
と。
そう、言われた瞬間、今度こそ神の思考は停止した。
「魔性とは言え、女の子の姿をしたものが磔刑にされてるのを見るのは少しヤだなあ」
軽い口調でそう言った彼は、黒巫女姿の少女が口を開くよりも先に、彼女の腹と両腕、両脚に刺さった計十八の刀剣と槍を引き抜いて丘の斜面の方にぽいっと、無造作に捨ててしまった。
がらん、かららん、と金属が斜面を転がる音がした。
「な――――」
「これでよし。他に刺さってる部分はあるか? 見て分かるヤツは全て引き抜いたつもりだけれど。ははは、実は中にも刺さってたり?」
この者をどう唆して自分を解放させようかと様々な策や言葉を考えていた彼女は、封印が解かれた嬉しさよりも驚愕の方が勝り、ただただ呆然としていた。
白装束の青年はそんな黒巫女の少女の反応を見て軽く笑い、顎に手を当て彼女の顔を覗き込んだ。
ふむ、と頷き一言。
「……あんまり可愛くないな」
「貴様ぁ――――っ!!」
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