月の天使 ~空色の翼~

あいあい

【遠賀の国】

出逢い

第1話

 道長みちなが遠賀おんが国境こっきょう近くを視察していた。

 国のさかいに沿って山道を三日間馬で歩き、四日目の今日も陽は傾いてそろそろ空が橙色だいだいいろに変わり始めた。まだ春も始まったばかりのこの季節。陽が落ちるのは早い。

「今日もそろそろ時間切れか。」

 道長は肩まで届く真っ直ぐな黒髪をなびかせて振り返る。端正に整った顔は夕焼けにあかく染まり、妖艶ともいえる雰囲気を醸し出す。


 道長の隣でそれを見ている二人の従者は彼のことを、男の目から見ても美しく魅力的な人だ、と思う。

 美しくはあるが、女性のそれとはまるで違う。

 切れ長の目はきりりと涼やか。細く形のいい鼻。薄く引き締まった口。濃いめの眉。室内の仕事が多いため肌は白く、それが顔の配置の良さを浮き立てる。

 バランスよく鍛えられた全身は男らしく逞しく、懐の深い人柄と相まって、どんなことがあっても頼ってしまえるような包容力を感じさせる。

 国内の姫君たちが放っておかないわけだ。道長の身分の高さから受ける恩恵を抜きにしても、彼の腕に抱かれてみたいと願う姫君は後を絶たない。


「はい。では、宿は桂木の町ですね。」

 この辺りは山賊の類いが潜んでいて、旅人がよく襲われる。道長のようなきちんとした身なりの――といっても旅のために準備した標準装備で、前合わせの上衣と袴、防寒の羽織、とあまり目立たない物を着てはいるが、体に染み付いた所作や品というものは隠しようもない――人物が行き来するにはかなり物騒な所だ。


 だが供は二人だけ。

 一人は冷静沈着な政次まさつぐ

 腰まである黒髪ストレートを首裏でひとつに括り、色白細面といういかにもな理系で、恐ろしく頭が切れる。細身の体に似合わず、剣の腕も切れる。

 そしてもう一人は、若くて少々お調子者っぽい兼良かねよし

 明るい茶色の短髪に、日焼けした童顔。という見た目の軽さに反し、忠義心篤く一途だ。仕事にも、女にも。

 遠賀の国中から剣豪を集めても勝てる者はいないだろう、ぴか一の剣の腕を持つ二人がいれば、他の供をぞろぞろ連れて歩くより余程心強い。


「今日も何事もありませんでしたね。」

「何かあったらあったで文句を言うくせに。」

 うーんと伸びをしてちょっと物足りない様子の兼良に、政次が返した。

「まったくだ。」

 あはは、と笑う道長の透る声が招いたように、やわらかな風が林の中を駆け抜けて消えた。



 三人は旅人の行き交う街道から少し外れた裏道、国境の谷川に近い林の中を桂木に向けて馬で歩く。陽は完全に落ち、細い二日月もそろそろ地に届く頃、薄暗くなった裏道にはまったく人の姿は見えない。

 もし誰か潜んでいるとしたら、他人に顔をさらしたくない後ろ暗い人物か、やましい企てを持った悪党か・・・。と・・・?


「政次、何だ?あれは。」

 道長が何かを見付けた。政次が道長の視線を辿り目にしたのは、

「はあ。若い女のように見えますが・・・。」

 きょろきょろと辺りを見廻しては、うろうろしているその女は、身体中が土に塗れ、衣はぼろぼろに破れている。一見して唯事ではないと判った。

 道長達三人が近付くと、女がこちらの気配に気付いた。近くにあった木の枝を手に取り、身構える。

 枝は細く、とても護身には役立ちそうにないのだが、女はそれをしっかり握り、道長を大きく強気な瞳で見た。

 目自体も大きいが、その中の濃い茶の瞳が大きい。

「ほう。これはなかなか・・・。」

 土で汚れてはいるが、それでも肌は透ける様に白く、小さく赤い唇が際だって見える。

 道長の胸が『とくん』とときめいた。

「恐れることはない。何もしない。」

 道長が馬上から優しく声をかけると、言葉や姿から大丈夫だと判断したらしい。女は警戒を解き、へなへなとその場に座り込んだ。


「名は?」

「・・・香絵かえ・・・。」

「山賊にでも襲われたのか?」

 香絵は少し考えて首を横に振った。

「では、その格好はどうしたんだ。」

 香絵は首を傾げ考えている。小首を傾げる姿は童女のようでなんとも可愛らしいのだが、どうも様子がおかしい。

「どこか具合が悪いのか?怪我でもしているのか?変わったころもを着ているな。何処から来た?」

 次から次へと畳み掛ける質問に、香絵は不安気に両手を胸の前で組み、じっと考えて、首を振った。瞳に溜まった涙が薄暗い中でわずかな光を反射している。

 それを見た道長の胸が『つきん』と痛んだ。

「よい。とにかくここは物騒だ。町へ行こう。一緒に来なさい。」

 道長は馬を降り、座り込んでいる香絵の脇に手を入れて抱えると、その勢いのまま自分の馬へと乗せた。

 自身も香絵の後ろへ乗り込み走り出した道長に、供の二人は『また道長様の気紛れか。』と顔を見合わせ、後に続いた。

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