僕の嫌いと七分間

井上 未憂

結論、僕は満員電車が好きなのだろうか?



僕は満員電車が嫌いだ。


いや、大抵の人は満員電車が好きでは無いはずだ。

密閉された暑苦しい空間。自分のテリトリーなんか皆無のこの場所も、誰も一言も発さない殺伐とした雰囲気も僕は嫌いだ。


朝がやってくる。物憂げに駅のホームに立つとそんな憂鬱も少しはマシにしてくれる彼女がやってくる。


「おはよう、稔也くん」


「おはよう」


今日は体育があるから、いつもは下ろしている髪の毛はひとつに束ねられている。

僕の高校の女子とは違う、真っ白なセーラー服は涼しげで眩しい。

まだ少し眠そうな彼女は僕のご近所さん。

小中と学校が同じで数少ない友人の一人でもある。


「また一週間が始まるね〜」


「月曜日の満員電車が一番憂鬱だよ」


「私はそんなに嫌いじゃないけどね」


嫌味ったらしいくらいに晴れ晴れとした空を見上げ彼女は言った。数秒経ってホームには無機質なアナウンスが流れる。

ゆっくりと迫ってきた電車が僕たちの目の前に停まる。

彼女を先に進めて後から僕も電車に乗り込む。これ以上人が乗れるのか? 小柄な彼女は肩身狭そうに小さくなっていた。

女性専用車両を作ればいいのに

そう考えているうちに多くの人を飲み込んだ生き物はゆっくりと動き出した。


「大丈夫? きつくない?」


彼女の耳元で小さく問うと、小刻みに数回首を縦に振った。

暑いのか耳が真っ赤で可愛らしいかった。

夏に向かう季節。冷房は満員電車の中ではそよ風同然。彼女は支えが欲しいのかいつも僕の制服のシャツをちょこんとつまむ。


汗ばんだ身体も早く動く鼓動も、原因は彼女であって。友人の彼女と、いや好きな相手と唯一近くなれるこの場所。恋愛に疎かった僕も、これが恋と気付いてからは彼女の言動に振り回されてばかりだった。


たった二駅。時間にすれば七分弱で都心部に着く電車。そこからはそれぞれの通学路につく。彼女の近くにいれるのは二十四時間分の七分しかない。


「わっ」


不意に足元が大きく揺れバランスを崩した人たちが一斉に右に倒れる。彼女も同じように僕の方に倒れこんできた。

反射的に彼女の肩を掴んで支える。

鼻孔をかすめた花の香りの正体は、きっとこの前僕に自慢してきた彼女のお気に入りのヘアミストだろう。


「大丈夫?」


「うん、ごめんね?」


肩を押し返して体制を直してあげた。

扉の開く音と背中にかかる圧迫感。

一つ目の駅に着いたらしい。

さらに乗り込んできた人たちに押され、彼女との距離はまた近くなる。


あと一駅。暑苦しくて居心地が悪くて、

早く出たいようで出たくなくて。


嫌いな空間は皮肉なことに、僕に一瞬の幸せすら与えてくれる。

次の駅に着けば都市部の高校に通う彼女は電車を降りてしまう。


なんとなく彼女を見下ろすと、何故か彼女もこちらを見ていて目が合った。すぐに俯いてしまった彼女はまだ耳が赤い。

言葉に表すことの出来ないもどかしさとむず痒さが僕の感情を支配した。


電車が減速してゆく。都会が近付いている気配がする。停車まであと一分も無いだろう。

僕のシャツを掴んでいた小さな手はいつの間にか離れていた。


「やっとついたね」


「もう一生電車には乗りたくないね」


「明日も乗るんだよ〜」


楽しそうに肩を揺らして笑った彼女。

扉が開くのと同時に息苦しさと窮屈さから次第に解放されていく。

次々とホームに降りていく人たちに流されるように彼女も少し前に出た。


「じゃあまた明日ね」


急かされるように小さく手を振った彼女。


「うん。気をつけて」


僕の言葉に柔らかく微笑んで頷くと電車を降りていった。出来る限りその後ろ姿を目で追っていたが、小柄な彼女は大きな影達に隠れすぐに見失ってしまった。


車内にはまた無機質な声が響く。

人が一気にいなくなった車内は自分のテリトリーと居心地の良さを僕に与えてくれた。


ひとつ、息をついて窓の外に視線を移した。彼女がいる街が遠くなっていく。

彼女は今何を思っているのだろう。


どのようなクラスにいるのか

どんな友達といるのか

…誰に恋をしているのか


僕は彼女のことを何も知らない。


彼女がいなくなった車内は

一種の嬉しさも苦しさもない、良くも悪くも平和な空間に変わる。

それが居心地が良いような物足りないような。

結論、僕は満員電車が好きなのだろうか?


よく分からなくなって僕は考えるのをやめた。そんなことどうだっていい。明日になれば彼女に会える。


それがどこであっても、僕はそれだけできっと満足するのだろう。

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