その延長線上

たき

その延長線上

 実家へ帰省する車の中、私は正直イラついていた。

 原因は他にあるのだが、一度イライラし始めると不思議なもので古い車特有の臭いや揺れ、車窓からの青々とした風景、母の話すくだらない地元トーク、全てに嫌気が差していた。


 事の発端はツレにある。単純明快に言ってしまえばケンカして、そのままこっちに来てしまったというだけの話だが、ヤツの言い分はこうだ。

 もっともっと俺に尽くして、俺だけのことを考えてほしい。俺はお前のことはあんまり考えないし、自由に生きるけど。こんな風にはっきりは言われていないが、ニュアンス的にはこんなものだろう。


 当時は呆れてモノが言えなかったが、本人がいなくなって時間が経つと腹がたってくるものだ。そのイライラのタイミングで祖父が倒れたと、母親から連絡があった。嫌な顔を見ることもなくなるし、いい機会だと思って帰省しているというわけだ。

 なのに考えることといえば、むかつくアイツのことばかり。気分転換と思っていたのに、何をするのにも付きまとう。もちろん悪い意味で。


「もうすぐ着くよ。倒れたっていっても全然元気だから」


 私は祖父が苦手だった。

 昔気質な人で、酔うと背中をパーンと張ってくるような快活な人で、低血糖な人間である私とは相性が悪かった。

 成長するにつれ会う機会も少なくなり、就職のために上京してからは今回が初めて会うことになる。こちらのイベントも回避できるのであればそうしたかったが、天秤にかけたときにまだマシだと思える方を選んだだけだった。


 広い門をくぐり、砂利が広がる庭に停車した。相変わらず大きい家だ。

 詳しくは知らないけど、このあたりでは祖父は有名な資産家らしい。確かに幼少期から我が家はお金に困ったことはなかった気がする。贅沢もしなかったけれど、それは親がきちんと分別をわきまえていたのだろう。

 車を降りると、母が庭から家に上がりこもうとしていた。「お父さん、由美連れてきたよ」と履物をぽいと脱ぎ捨てつつ、膝歩きで中に入っていく。似てるなあと思うが、私は似なくてよかったとも思った。


 玄関から「お邪魔しまーす」と入る。すぐに祖母がゆっくり急いで駆け寄ってきてくれて、久しぶりねえと朗らかな笑顔を浮かべた。

 ごめんね来られなくて、と申し訳なく笑い、祖母のペースに合わせて広間へ向かう。


 祖母はずいぶん小さくなったように思えた。

 私が大きくなったせいもあるだろうけど、少し腰が曲がったからか。

 少し胸がチクリとした。


 広間に行くと、先に上がり込んだ母と、少し起き上がった介護用ベッドに横たわる祖父がいた。

 祖父は、小さくなってはいなかったけど、萎んだようだった。言い方は悪いけど、それが的確な説明だと思う。

 もっと早く来ればよかった、と後悔の念を抱いているところに祖父が言った。


「どこの誰かと思ったわ!」

 変わらぬ大きな声だった。心の何かが晴れたような気がして、すんなりと「久しぶり、おじいちゃん」と声が出た。


 それからは何だか楽しかった。私が変わったせいか、変わらぬ場所と人が、なんだか心地よかった。

 昔の写真を見て話したり、今何をしていて、これからどうするのか。そんな話を誰かとして楽しいと思えたのは久しぶりだった。


 祖父は確かに元気で、立ち上がったり歩き回ったりするときは補助がいるが、言葉はハキハキしゃべるし、言うこともしっかりしていた。


 夕食が終わったあと、祖父と二人きりになる時間があった。

 お互い何をするでもなく、祖父は庭を眺め、私は携帯をいじっていた。

 ふと「お前、旦那は連れてこないのか」と言われた。


「旦那なんていないもの」

「もういい年だろ、早くひ孫の顔見せてくれ。くたばっちまうぞ」

「まだ全然元気だから大丈夫よ。いい人捕まえたら連れてくるから」

「しょうもないの寄こしたら、引っ張りまわして突き返すからな」


 あまりの言い分にくすりと笑ってしまった。ヤツも一緒に連れてきて、祖父に引っ張りまわしてもらえばよかったと。


「おばあちゃん、おじいちゃんとよく一緒に生きてこられたね。大変そう」

「そりゃあ俺が大事にしてきたからよ。俺の貴重な時間を分けてやってんだから」


 その祖父の発言に既視感を覚えた。まるでどこかの輩と似たような発言をしなかっただろうか、この人は。

「分けてやってるって、どういう意味?」


「いいか、人生ってのは自分の時間なんだ。他の誰のものでもない、自分の為のもんなんだ。誰にも渡さねえ、誰にも奪わせねえ。全部自分のもんなんだ」


 失望、というのはこういうことなのだろうか。一気に気分が落ち込んでしまった。時間が経ってもやはり自分とは合わない人だったのだ。

 思わず「最悪」とぼそりと呟いてしまったかもしれない。それほどの嫌悪感を抱いてしまったようだ。


「その顔は、納得いってない顔だな」

「当たり前でしょ。自分勝手に生きてる人が誰かに愛されるわけないじゃない」

「今生きてるやつらはあっちこっちにいい顔しすぎなんだよ。誰かに利用されて嫌な思いしたり、いらぬ世話やいて報いがなかったら落ち込んだり」

「そうやって生きていけたらそりゃ幸せかもしれないけど、社会じゃそうはいかないんだよ。知ったような口聞いて!」


 しん、と私の声が響き渡った。

 やってしまった、と思ったが一度出たものはもう引っ込みがつかない。

 奥の方からバタバタと母と祖母が様子を見に来たが、空気を察してか遠くの方から見守っているようだった。


「なあ由美、俺ぁ確かに友達は少ねぇよ。こういう性格だからな」


 何も口に出せなくなってしまった。何かを言うと、どうしようもなく泣き出してしまいそうだったから。


「自分でもわかっちゃいる。でもどうしようもねえ、これが俺だ。誰かに自分を譲りたくねえんだ」

「わかった、もういいよ」

「よくねえ。お前はわかっちゃいねえ」

「何が、わかってないのよ」

 ぎりぎりのところで声を絞り出す。こんな話で、こんな状況で決壊させたくないという思いが食い止めているだけだった。


「そんな俺がだ、貴重な俺の時間をだ、分けてやりてぇって思ったやつらが一生の人なんだ。恋人だろうが友人だろうが、男だろうが女だろうが、一生のやつらだ」


 すうと、一筋の涙がこぼれた。崩壊するかと思われたダムは、凝縮した何かになり、優しく頬を撫でた。


「お前も、お前の時間を分けてやりたいって思ったやつにだけ分けろ。いい加減なやつらには分けるな。俺の貴重な時間を分けた、そのお前の時間だ、もったいねえ」


 その後はもう止まらなかった。大人でもこんなに涙が出るものかと自分でも驚きながらだったが、声も嗚咽も、涙も尽きる様子がなかった。

 そのうち母と祖母がそばにやってきて、優しく頭を撫でてくれていたのを後から思い出した。こんなの恥ずかしすぎるが、でも、本当にありがたかった。


 ◇ ◇ ◇


 翌日、朝早くに帰ることにした。有休はもう少し長く取っていたが、やりたいことが出来たのでそうした。

 祖母は見るからに、祖父は照れくさそうに残念がっていたが「またすぐ来るから」と約束をして帰りの電車に乗った。


 やりたいことというのは、いうまでもないかもしれないが、ツレと別れること。

 朝一でインターホンを連打して叩き起こしたヤツに別れを告げると、ヤツは「なんで?!」と声を荒げて不思議がっていたが、私の時間を分けるに値しないから、と言うと更に錯乱していた。

 そのまますぐに帰ってきたが電話の通知がすでに数件。ブロック先に指定して、連絡先は削除した。


 高校時代からの付き合いの友人に彼氏と別れたと連絡をした。すでに始業時間だとは思うけど、すぐに返信が来た。何があったと、大丈夫かと心配をしてくれている。

 大丈夫だよと返信すると、連勤中で疲れているはずなのに「今夜は飲もうね」と可愛いスタンプ付きでまた返信をくれた。今日はお言葉に甘えて、彼女の時間を分けてもらおう。


 自宅最寄り駅を降りる。時刻はまだ十一時。雲一つない快晴だ。

 東京という街は、こんなにも広く、すがすがしいところだったろうか。

 さあ、これからどうしよう。何をしてもいいのだ。だって、全ては私の時間なのだから。



 了

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