カラス

 影はものすごい速度で落下してきている。

 両端に羽根のようなものをはためかせて、一直線にこちらに向かってきている。

 聞き馴れない音が耳を塞いだ。

 あの影が空を切る音だ。

 ふと、アヤが震える声で言った。


「カラス――?」


 きっとアヤは叫んだつもりだったのだろうが、息が漏れて、ため息まじりの呟きにしかならなかった。

 だが「カラス」という言葉は、鮮烈にジウの意識に突き刺さった。

 直後、影がジウと砂嵐の間の地面に到達した。

 長い棒のような物を地面に突き立て、風を巻き起こして見事に着地した。

 ふわりと黒髪が揺れた。

 一瞬の間を置いて、黒い影が立ち上がる。

 人間だ。

 背丈はジウやユキよりも大きく、がっしりとした体型の大人の男だ。

 羽根のようにはためいていたのは、動物の毛皮のような、ふわふわの黒い上着だ。

 細身のパンツも、頑丈そうなブーツも、手袋まで、全てが完璧に真っ黒だった。

 黒い上着と、黒い髪が僅かに揺れて、男がこちらを振り向いた。瞳も真っ黒だ。

 鋭く空を睨み付けて、整った眉を眉間にきつく寄せている。

「エトランゼ」

 低い声で呟くと、男は砂嵐に向き直り、躊躇うことなく歩を進めた。

「あっ」

「ち、ちょっと!」

 シノとユキが慌てて声を出したが、男は聞こえてすらいないようで、そのまま前進していく。

 全く、一分の躊躇もなく、男は砂嵐の中に足を踏み入れた。


 瞬間、風に砕かれた硝子の粒子達が、男を粉々にしてしまうのではないかと、四人は身構えたが、男の背中は数秒前と何ら変わらず、悠然と前に進んでいく。

 男が歩いている軌道だけ、全く砂嵐が吹いていない。

 まるで、砂嵐が男を避けているかのようだ。

 何が起こっているのか全く理解できない四人は、すっかり呆けていた。

 空気を一変させたのは、砂嵐に怯えていたはずのシノだった。


「今だ! 今だよ!」

 鋭く叫ぶと同時に走り出す。

 ジウの隣まで来て、男の背を指す。

「見て! あの扉だよ!」

 シノの言葉にハッとして見ると、小さくなった男の背の向こうに、記録書に描かれていた扉と、同じような図柄が見えた。

 男が取っ手に手をかけたように見えた時、さらりと音がして、ジウの目の前で途切れていたはずの砂嵐が、僅かに流れ始めた。

「早く! 今しかないよ!」

 必死の形相で叫ぶシノの、赤銅色の瞳が一瞬、ぎらりと光ったような気がした。

 アヤが弾かれたように立ち上がる。ユキが駆け出す。アヤが続く。

 ジウはシノに腕を引かれ、よろめきながら砂嵐が途切れて出来た道に足を踏み入れた。


 ああ。もう。

 きっと戻れない。

 ジウはぼんやりとそんなことを思った。

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