輝きのエトピリカ

foxhanger

第1話

「『エトピリカ』の調子はどうだい?」

「はい。今のところオールグリーン。異常は発見されていません」

 オペレーター、林田の返事を聴き、プロジェクトリーダーの佐藤は、満足そうに頷いた。

 ここはセナ・コーポレーションのコントロールセンター。

 恒星系探査を専門とするベンチャー企業である。

 林田は佐藤へ陽気に笑いかけた。

「あと3分で、ショートカットに突入する予定です」

「楽しみだな」

 佐藤は頬を緩めた。


 人類が宇宙に進出して、1世紀以上の歳月が過ぎた時代だ。

 光速を超えるような技術が未だに存在しない頃から、人類は宇宙に探査機を飛ばしていた。

 太陽系の惑星、衛星、そして小惑星。そして22世紀初頭、人類は太陽系の外縁部、オールトの雲を探査しているときに、奇妙に重力の歪んだ空間を発見した。さらに探査機を送って、詳しく調査したところ、それは一気に数百光年を跳び越える時空の抜け穴であるワームホールであることが判明したのである。

 星々への扉が、突然に開かれたのだ。

 オールトの海の探査が進むにつれ、おなじようなワームホールはいくつも見つかり、おのおのが宇宙の違う場所につながっていた。

 この発見で、人類は広大な恒星間宇宙に進出することができるようになったのだ。ワームホールは、いつしか近道――ショートカットと呼ばれるようになった。

 ショートカットを通り抜けて、探査機が数千、数万光年も離れたほかの星系へ飛んで行き、還ってくる。

 探査機は星系を綿密に調査する。資源の有無、どんな生物がいるか。人間が住むのに適した惑星があるか。

 人類は莫大な知的資源を得ることになった。

 この探査機「エトピリカ」も、そんな一機だった。

 太陽系外の惑星を探る宇宙探査機であり、日本に本社を持つベンチャー企業が飛ばしているのだ。

 地球を周回する静止軌道のステーションから放出された探査機は、太陽光による加速とスイングバイを繰りかえしながら海王星軌道を越え、ショートカットのある太陽系外縁部に飛び出そうとしていた。

 日本の星系探査機は、伝統的に鳥の名前を付けることになっている。地球表面の小さな島から片隅から化学ロケットで打ち上げていた頃からの伝統だ。

「順調だな」

 佐藤は満足そうに頷いた。

 林田は問うた。

「このショートカットはどこにつながっているのですか」

「ボイドだよ。地球から見て2億光年離れた、北ローカル・スーパーボイドと言われる宙域だ。それも、ほぼ中央部」

 即座に返ってきた答えに、林田は怪訝な表情をした

「そんなところに送って、どんなデータが取れるのですか? 何にもないのでしょう?」

 ボイド――超空洞は、宇宙に拡がる巨大な空隙である。

 宇宙の構造についての観測が進むにつれ、数千億もの星の集まりである銀河は、宇宙空間に均質に散らばっているわけではないことが判明した。

 それを模式化すると、ちょうど洗い物をしたあとのキッチンシンクで、洗剤の泡が押し合いへし合いしているような構造が見られる。泡の表面が銀河の集まっている空間、泡の中が、ボイドだ。

「そんなところに、探査機を送る意味なんてないんじゃないですか?」

 傍らにいた、若い研究員が混ぜっ返す。

「いや」

 佐藤はかぶりを振った。

「何故そこに何もないのかを、調べることはできるよ。それに、ボイドは宇宙の成り立ちにとって重要な場所だしね」


 しばらくして。

「エトピリカ」から、ショートカットを経由した通信回線で、データが送られてきた。それを確認した林田は、小さく声を上げた。

「おや」

「どうした」

 佐藤に林田が応える。

「星系があるようです……G型の恒星に、惑星が周回しています。どうやら、地球型のものもあるようです」

「意外だな」

 何もないはずのボイドに、恒星があるというのだ。

 ボイドでなくても、銀河間空間には、銀河の重力を逃れて飛び出した星が漂っていることはある。しかしたいがい、その手の星は種族IIという宇宙の初期に生まれた年老いた星で、水素以外の物質が少なく、生命が存在可能な地球型の惑星も存在しないというのが定説だ。

 だが、この恒星には惑星があり、その惑星にはどうやら液体の水があるようなのだ。

「これは、すごい発見だ」

 佐藤はひとりごちた。

「ものすごいラッキーなことなのか、それとも、従来の惑星系に関する理論を覆すことなのか……」

 地球から2億光年離れた場所。光や電磁波で観測しても、地球やその周辺から判明するのは2億年前の情報である。

 この宙域の「現在」の状態を知ることが出来るのは、光速を超えることが出来る探査機だけだ。

 貴重な機会を逃すべきではない。佐藤は決断した。

「接近できるか」

 林田は即答した。

「可能だと思われます」

「よし、データを採取しよう。できればサンプルも……」

「エトピリカ」は、惑星にさらに接近した。

 いちばん地球に似た、生命が存在する可能性の高そうな惑星をフライバイし、プローブを投下した。ショートカットを経て、太陽系に戻ってくる。すべてのミッションを終えるまでには、3ヶ月ほどかかるはずだ。

「それにしても」

 佐藤は言った。

「この惑星から見上げる夜空は、さぞやさびしかろう。他の惑星が数個、ほかには時折彗星が見えるだけで、恒星は全く輝いていないのだから」

「知的生命体がいたとしても、太陽が沈んでしまえば、あとはただ闇があるだけなんですね。星座や星の神話はあるのかしら」

「うむ。賑やかな星空はわれわれのような、銀河に所属している星に住むものの特権かも知れないな」

 そのとき、正午を告げるチャイムが鳴った。佐藤は伸びをした。

「じゃあ、一区切り付けてランチにしますか」

「安い割に美味しい店を知ってるんですよ。案内させてください」

 林田の先導で裏通りを少し歩くと、ざっかけない造作の食堂があった。のれんをくぐる。

「いらっしゃい」

 カウンターの向こうから挨拶が返ってくる。お茶を持ってきたおばちゃんが注文を取る。

「どうぞ、こちらへ」

「今日のAランチはなに?」

「白身魚のムニエルですよ」

「うまそうだな。それにするか」


 それから太陽系の時間で3ヶ月後に、ショートカットをくぐって「エトピリカ」は帰還の途についた。

 抱え込んだカプセルには、惑星周辺から採取したサンプルが搭載されている。

 各種機関で分析、調査され、有益なものと判断されれば、さらなる探査、その先には本格的な惑星開発のスタートがあるのだ。

 カプセルは直ちにラボに運ばれ、厳重な隔離体制の中、開封された。

 映像を見た林田は声を上げた。

「……おや」

「どうした」

「なんだろう、キラキラ輝いてるぞ」

 たしかに、カプセルの内壁に光を当てると、不自然なきらめきが見える。

「どれ……」

 カメラの倍率を拡大してみる。

「なにがあるのか」

 光る粒のようなものが付着している。輝きの正体は、これだった。

「こんなもの、あったか?」

「なかったはずだ……こいつも分析に回さなきゃ、な」

「ますます興味深くなってきたぞ……」

 林田は顔がほころんでくるのが押さえられなかった。


 数日後。

 研究の合間にラウンジで一服していた林田に佐藤が話しかけてきた。

「なにか面白いものは見つかったか?」

「……それがですね。観測結果を精査しましたら、海に溜まっている水は、ほぼ純粋なH2Oなんですよ。超純水なみの」

「塩もないのか……となると、生き物の存在も望み薄だな。惑星自体に有機物が極端に少ないのかな」

「考えられる」

 宇宙に存在するヘリウムより重い元素は、そのほとんどが巨大な星の中で合成され、最期に起こす超新星爆発で宇宙に飛び散ったものだと言われている。極端に星の少ないボイドでは、そのようなものが起こらなかったのか。銀河系の星とは、別のプロセスで生まれたのだろうか。

「そちらのほうは、いかがですか」

「エトピリカに搭載した観測機器が収集したデータを解析しているんだ。その結果、興味のある推測が得られた。ボイドが、拡がっているようなんだ」

「?」

「地球で観測できる値より、はるかに大きくなっている。体積ではおよそ数倍の差がある」

「むむむ……理由は、想像できますか」

「いや……ボイドは宇宙初期のわずかな揺らぎが、インフレーションで大きく引き延ばされたものだと考えられている。しかしだな」

「それが、現在までの定説ですね……。それともこのボイドは、成因が違うのですか」

「いや、ボイドそのものに、拡大の原因があるのだよ」

 佐藤は無意識のうちに、部屋の中をあちこちを歩き回っていた。

「何もない空間が拡大してるってのは、おかしくないですか」

「可能性はある」

 佐藤は立ち止まって、いった。

「ダークエネルギーだよ」

「ダークエネルギーって、あの……」

 この宇宙に存在する物質とエネルギーの2/3は未だに正体の分からない、ダークエネルギーでできている。残りの1/3の大部分は未だ観測にかからない物質であるダークマター、我々の知る物質やエネルギーは、全体のわずか4%にすぎない。

 この宇宙が加速しつつ膨張しているのは、そのダークエネルギーのためだという。空間にあるダークエネルギーが強くなっているから。ボイドの部分は、そこだけダークエネルギーが強くて、シャボンの泡を拡げているのかもしれない」

「なんだって?」

「うまくすれば、そのエネルギーを利用することが可能になるかも知れない。核エネルギーだの、太陽エネルギーだの、そんなものがばかばかしいくらいの巨大なエネルギー源だ。なにせ、宇宙そのものをエネルギーに変えているんだからな」

 林田は、はっとなった。

「それが目的だったんですか……道理で、おかしいと思いましたよ。そんなところに探査機を飛ばすなんて」

 佐藤はにやり、と笑った。

「ああ、賭けだった。しかし、勝てば大きい。この宇宙と他の宇宙の落差からエネルギーをくみ上げ、ショートカットを通してここまで供給すれば、宇宙が終わるまで人類はエネルギーに不自由しない」

「……宇宙が終わるまで?」

 その言葉は林田に、不思議な違和感をもたらした。

 話を変えた。

「しかし、星が存在するのは、想定外じゃなかったのですか……」

「あの星が、自然のものだと思うか。不自然じゃないか」

 佐藤は思わぬことを言った。

「最初からダミーだったのだよ。なにものかが、虚空に物質を固定させ、惑星を作った。そして信号を送って、エトピリカを呼び出したのだよ」

「ボイドは、局所的にダークエネルギーが強い箇所だったんだ。ダークエネルギーの反発力で、空間が広がる。その結果として銀河団は押しやられて、壁のような構造を作る。中心部のダークエネルギーが臨界を超えると、物質に変化する」

「空間から物質が涌いてくる? 似たような説を聞いたことがありますが、それは、今では否定されている定常宇宙論じゃないのですか……」

 林田は怪訝そうに問う。

 定常宇宙論は、宇宙には始まりも終わりもなく、過去も未来も永遠に続きつづけるという学説である。「過去に発生した現象は現在観測されている現象と一緒だろう」というベーシックな科学の考え方、そして日常的な感覚と合致するため、かつては有力だった。「宇宙があるとき突然始まった」というビッグバン宇宙論の方が、道理に合わない珍奇な仮説扱いされていた時代があったのだ。

 しかし、天文観測技術が進歩するにつれ、ビッグバン宇宙論でなければ説明が困難な観測結果が次々に報告された。遠方の天体の赤方偏移、宇宙のあらゆる方向から均等に放射されている3Kの背景輻射。そして背景輻射の揺らぎ。かくしてビッグバン宇宙論は定説の座に揺るぎないものとなった。

 その後も定常宇宙論を唱える学者はいたが、20世紀末には、異端の学説として葬り去られることとなった。

 佐藤は続ける。

「いや、かつてフレッド・ホイルが唱えたような、宇宙空間でごくごくまれな頻度ながら常時物質が創成されているという仮説は否定された。しかし、宇宙空間に占めるダークエネルギーがある閾値に達すると、空間の位相が変わってしまうというものなら、ありえるかもしれない」

 林田は言った。

「そこで物質になる、ということですか。じゃあ、あの惑星は」

「ダークエネルギーが物質化したもの、かもしれない」

「そんな……!」

 絶句する林田。

「そんなことが、自然に起こると言うんですか?」

「いや。生物が」

「有機物のないあの惑星に、なにかいるというのですか」

「いるよ……惑星の上じゃない。宇宙空間さ」

 佐藤はいった。

 林田の顔が青ざめる。

「……まさか! じゃあ、空気も水も……」

「囮だよ。われわれを誘い込む……」

 つばを飲む音が聞こえる。

「そう、空間がダークエネルギーで満たされて、エネルギーが『飽和』すると、ダークエネルギーが新たな「物質」となってこの世界に析出するのだ。濃い食塩水に木の枝をつけておくと、やがてその周りが塩の結晶で覆われのを見たことがあるだろう。あれを思い浮かべればいい」

「ダークエネルギーが、物質になると?」

「E=mc2だよ。アインシュタインの有名な式で示されている。物質とエネルギーが等価なら、ダークエネルギーが物質に変わってもおかしくない。なんてったって、ダークエネルギーは宇宙の2/3を占めているのだ。物質化しても膨大な量になったって不思議ではない」

「理論的には、そうかもしれないですがね……」

 考え込む林田をよそに、佐藤は言った。

「宇宙探査機を作る生物がいるのは、酸素と液体の水を持つ惑星に興味を持つことは考えられる。かれらが興味を持つものを作れば、寄ってくるかも知れない……そう考えたのさ。水素、酸素、窒素……ありふれているからね」

 言葉を続ける。

「おそらく、おれたちのように化学エネルギーを使っているのではない。別の宇宙と通常の宇宙空間との落差から、ダークエネルギーを取り出しているようだな。進化の過程で、そんなものを身につけたのか。あるいは。他の宇宙からきた……」

「まさか」

「他の宇宙と、この宇宙の差をエネルギー源にする」

「ということは」

「『宇宙』を食っている、生物……?」

 佐藤は頷いた。

「そうだ。ダークエネルギーを食っているんだ。そう考えた方が、つじつまが合う……」

 まさかその生物が、「エトピリカ」が採集してきたサンプルに紛れ込んで、太陽系に入り込んでしまったのか?

「可能性は、否定できない」

 佐藤は言った。

「それがこの世界の物質に影響を及ぼすとは、にわかには考えがたいが……とりあえず、あのカプセルに入っていた物質を分析し、精査してみないことには、なんとも言えないな」

 エトピリカが持ち帰った、異星のサンプルを詰め込んだカプセルは、高真空状態を保ったまま、磁力によって外壁に接触しない状態で固定されている。この世界とは何重にも絶縁されているのだ。

「過剰な心配はしなくていいんじゃないですか?」

「しかし、『空間』なら、わけが違う。物質を対象にした遮蔽は無意味だ。なにもないはずの『空間』が変わってしまうんだからな」

 この宇宙でダークエネルギーが増大している。それは観測的な事実だ。

 宇宙の膨張がこのまま加速していった、としたら。

 宇宙はどんどん希薄になる。銀河と銀河のあいだ、星と星とのあいだの距離は開き続ける。

 それだけなら、いい。

 空間の膨張は果てしもなく続き、ついには「ビッグリップ」という状態になる。エネルギーによる膨張力が原子や素粒子をつなぎ止めている力よりも強くなるんだ。銀河から星、砂粒に至るまで宇宙にあるすべての物は引き裂かれる。物質は原子に、原子は素粒子に、素粒子はクォークに……。そんな学説がある。

「数百億年も後の話じゃないのか」

「宇宙全体ではね……しかし、局所的にダークエネルギーの強い場所があるとしたら」

「どういうことだ」

「エネルギーというものは、別の形に100パーセント変換することは出来ない。かならず無駄が出る。ダークエネルギーは漏れ続ける。つまり、だ。こいつらの食べ残しが、宇宙のインフレーションを発生させているのかも知れない」

「……ついて行けませんねえ」

 林田は嘆息した。

「想像を膨らませるだけでは、誰でも出来ますよ。証拠がないと」

「これから出てくるさ」

 佐藤は飄々と答えた。

「……」

 白昼夢のようなとりとめのない空想にふけっていると、正午を告げるチャイムが鳴った。

「とりあえず、ランチにしようか。今日もあの店に行こう」

 食堂への道を歩いていると、

 こつん。

 青空からなにかが落ちてきて、頭に当たった。

 なにかは林田の掌に落ち、一瞬、水晶のようなきらめきが見えた。しかし次の瞬間、蒸発するように手の中で消えてしまった。

 見上げると、何もない。ただどこまでも透き通った、雲ひとつない空があるだけだった。

(どこから降ってきたんだ)

 その輝きは、「エトピリカ」に付着していたものと、同じもののような気がした

 ダークエネルギーは、すでに太陽系に侵入してしまったというのか――よく考えてみれば、膨張する宇宙の中心は、つねに「ここ」なのだ。いちばん希薄な空間――

「……」

 嫌な予感がしたが、無理矢理に押し殺した。今更気にしても仕方がないからだ。

 食堂はまだ人が少なかった。

 今日のAランチは、生姜焼きとハムカツセットだった。セルフサービスでライスと味噌汁をとり、会計を済ませる。

「いただきます」

 まずはハムカツを箸で取り、口に運ぶ。

 じゃりっ。

 砂を噛んだような感触がした。

 ハムカツを口から離して、噛んだところを見た。歯形のついたところに、あのきらめきがあった。

「……!」

 光の粒は見る間にカツの表面を覆い、同じ皿の生姜焼きも千切りのキャベツも、同じきらめきで彩られた。きらめきは見る間にご飯や味噌汁やテーブルにおよび、対面の佐藤も。注文を取っていたおばちゃんも覆っていった。そして、窓の向こうの景色も……。(了)

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