第20話

 そのとき。

 つけっぱなしのテレビの画面が変わった。

 街ゆくひとびとのスマホや、電柱に据え付けられた防災無線のスピーカー。あちらこちらから一斉にアラートが鳴り響き、モニターがミサイル発射を告げる画面に変わった。

「ただいま入りましたニュースを申し上げます」

 アナウンサーが、緊張した面持ちで告げた。

 公海上を遊弋中の原潜から弾道ミサイルが、この国をめがけて発射されたというのだ。まず間違いなく、核弾頭が搭載されている。

 どこの国が撃ったかは、定かではない。

 独裁的なリーダーが恐慌を来したのか、それとも、綿密で冷徹な計算のもとに下した命令なのか。想定外のアクシデントなのか……あるいは「神」がかれらの深層心理に細工をしていった末の沙汰であったのか。

「ミサイルは推定高度3000キロを飛行中。ロフテット軌道に乗っていると推測されます!」

 アナウンサーが告げる。

(これはEMP攻撃じゃないか)

 ミサイルは迎撃システムでも撃ち落とせない高空で爆発するだろう。攻撃手段は熱線や爆風、放射線ではなく、核爆発に伴って起きる電磁パルスである。

 高高度から降り注ぐ電磁波のパルスは、送電線をスパークさせ、電子回路を焼き切る。送電網は崩壊し全ての電子機器は使用不能になる。

 核攻撃という言葉で想起される、高熱の光が地上を焼き尽くし、放射線がひとびとを蝕む惨禍は現出しない。そのかわりに、電力網やエレクトロニクスに依存する「文明」が根こそぎ破壊される。

 スパコンどころか、スマホもネットも金融のシステムも使えなくなる。放送も通信もストップし、全ての電気製品は機能を停止する。物流は麻痺し、工場での生産も、現在のハイテクを駆使した農業や漁業も不可能になる。

 間もなく、この国は石器時代に戻る、はずだった。

 しかし――

「どうした?」

 瑠奈は冷静だった。

「だいじょうぶだよ」

 それだけ言った。

 そして、数分後。

「ミサイルが近海に落下したとのことです。核爆発は、確認されませんでした」

 ニュースキャスターは戸惑った口調で「不発」を報じた。

 弾頭の火薬は爆発したが、プルトニウムの核爆発は起きなかった。そして、それをトリガーにした核融合反応も発生していない、とのことだ。

 停電もない。電子回路はすべて正常だ。電磁パルスは発生しなかった。

「何故なんでしょう?」

 ニュースに急遽呼ばれた解説者は、アナウンサーに問われて、訝しげに状況を語った。

「トラブルによる不発が起こった、と考えてよろしいのでしょうか?」

「あるいは、過早爆発が起きたのではないか、ということも考えられますが……」

「どういうことですか?」

「核弾頭のプルトニウムにニュートリノビームを照射することによって、小規模な核反応を起こし、弾頭を無力化することができる。かつて構想されていたことです」

「では密かに、そのような兵器が開発されていたということですか」

「しかし、過早爆発なら小規模ではあるが核反応が発生しているのです。どうもその痕跡はないようですね」

 それでは説明の出来ない現象が起きていたようだった。

「何故なのか、今の段階では皆目見当がつきません」

「識者」はディスプレイの向こうで、要領の得ない会話を続けていた。


 あとで分かったことだが、

 その余禄なのか、奇妙な現象が起こっていた。

 国内の原子炉はすべて反応を停止した。プールに沈めていた使用済み核燃料などの放射性廃棄物は、崩壊をしない――放射能を持たない物質になった。

 原子力を巡る長年の難題に一気に片がついてしまった。核分裂はもはや、用済みだ。


 河田は起こったことが信じられなかった。

「どういうことなんだ」

 瑠奈は言った。

「量子スパコンによる量子計算により、一般相対論の別解を見つけて一帯の核力を変えることに成功したわ。ウランやプルトニウムは安定した物質になり、崩壊や核分裂をすることはない」

「どういうことなんだ」

 河田は驚愕するだけだった。

「……人間原理というのを知ってるよね。この宇宙は人間を生み出すためにあるのだ、という」

「ああ。それがどうしたんだ」

「その呼び方は正確ではない。ほんとうは人間原理じゃなくて、神原理だったのよ」

「神原理だって?」

 河田は戸惑った。

「この世界がこうなっているのは、神さまが観測して宇宙の値を決めているから……ううん、逆ね。観測して決めることが出来たから『神』になった。逆に、『神』を超える計算が可能になれば、この宇宙を規定する諸々の値も変えられる」

 この世界はあまりに不自由だ。

 なぜ、この宇宙に存在する物質は真空中の光の速度、秒速299792458mを超えることができないのか。

 なぜ、円周率もネイピア数も無理数なのか。

 なぜ、無矛盾なのに証明も反証も出来ない問題が存在するのか。

 この世界を決めている法則、定理は、誰のためなのか。

「それは、『神』が決めたことよ」

 この宇宙に存在する量子的計算の総体が神ならば、「神」は量子のゆらぎの中に身を隠している。

 量子状態を全て確定すれば、この宇宙に「神」の居場所はなくなるはずなのだ。 量子の有り様は、観測されることによって決定される。観測すなわち計算。

「そうよ、量子スパコンのほんとうの機能は、この宇宙の理(ことわり)を変えることなのよ」

「……」

 量子スパコンの周囲数百キロに及ぶ区域の法則が、書き換えられたことになる。

 大学に設置されていた量子スパコン「ケツァール」は、ひたすら計算を続けていた。


 核ミサイルを搭載している原潜を運用している国は限られる。今回の件ではいくつかの具体的な国名が取り沙汰されたが、結局は某常任理事国が名乗り出た。「指揮系統の事故」と強弁し、責任追及もうやむやになったようだ。

 しかし、茶番の代償は高くついたようだ。ステータスの失墜に続いて、プロジェクトに多額の拠出を約束させられたのだ。自国第一主義を説く政権には大打撃だった。

 計画に平行して、同じ原理の量子スパコンは各国に建設された。

「神の言葉」を理解できるものも、世界各国に現れた。強引な手段を使って「覚醒」させようとした国にも出現した。

 しかし、かれらは政府のもくろみとは違った方向に動いた。量子スパコンと意識が融和してしまったのである。瑠奈の脳に合わせたアーキテクチャとプログラムで動く量子スパコンは、結局瑠奈の巨大な脳のクローンになるしかないのだ。みなは瑠奈と同じ思考をした。

 宗教。イデオロギー。歴史認識。「言葉」という人間を瞞着まんちゃくする道具によって作られた、それら偽りの大伽藍は、全てを圧倒する計算速度の前に破壊される運命にあった。

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