第18話

  量子スパコンが各国で稼働を始めるとともに、奇妙な現象が世界各地で起こっていた。

 中央アジアでは、旧ソ連時代に干上がった塩湖、アラル海が急速に復活しつつあるという。

 湧き水や流れ込む川の流量が急速に増えたのだ。長期的な気候変動のためだと思われていたが、それでは説明できない現象が起こっていた。

 東アジアでは深刻な問題だった大気汚染が、急速に改善した。しじゅう薄曇りだった大都会の空は、澄んだ晴天を取り戻した。

 そしてこの国でも、例外ではなかった。

 駿河湾から日向灘までの南海トラフの全域で「スロー地震」と呼ばれる現象が発生したのを、気象庁の観測網はキャッチしていた。

 プレート境界のひずみがゆるやかに発散し、徐々に動くことによって、地震のようなカタストロフィックな現象を起こさずにエネルギーを解放する。

 そのエネルギーは、マグニチュード8,5の地震が発生したのと同等と推定された。およそ100年周期で発生し、西日本を壊滅させ最悪の場合数十万人の死者を出すと試算された「西日本大震災」を引き起こすエネルギーが消失したことになる。

「どういうことなんだ、これは」

 それは、この宇宙の構造に関わっていた。

 高次元では、あらゆる「世界」は繋がっている。

 しかし、人間が使える論理構造は低次元でしかない。

 人間の脳の構造、そして使っている言語では、通常「高次元」を認識することが出来ないが、ごくまれに存在する――瑠奈のような――脳の構造を持ったものが、「神の言語」を用いることが出来れば、高次元を正しく認識することが出来る。

 巨大なデータを計算し「座標」を正しくセッティングすることが可能なら、あらゆる物理法則を超越した高みからすべてを見渡し、操作することが出来る。

 脳の計算能力だけでは不可能なことだった。しかし、量子スパコンが実用化された現在はどうだろう。

 平行世界。可能性世界から、望ましい「現実」を選び取る機能。

 ひとつの量子ユニットが無数の多世界とつながり、それらがさらに並列計算を行う。計算を行っている「世界」は指数関数的に増えていった。

 量子スパコンから見れば、もはやこれまで世界屈指のスパコンだった「ひばり」でさえ、そろばんと五十歩百歩だ。

 そしてアップデートによって、別の「機能」を手に入れたのだ。

 瑠奈のアルゴリズムで、量子プロセッサに混入するノイズが極端に少なくなった理由も、判明した。

 平行世界の計算結果から望ましい「未来」を先取りして、ノイズを排除しているからだ。これならばどんな状況でも理想の量子計算が出来ることになる。

 極微の世界のみで可能だったことが、現実の世界にあふれ出してくる。

 現実を自由自在に変えられる機能。

 量子スパコンの、「現実創造機」といっていい用途が明らかになると、科学技術のブレークスルーがあちこちで起きた。

 例えば、VNM――フォン・ノイマン・マシン。自ら複製を作り、増殖する機械である。

 量子スパコンの進展で、分子一つ一つの計算が可能になり、これまで「出来ない」とされてきたものが作られるようになったのだ。

 瑠奈が世界を飛び回って構想したものが、やがて、ひとつの計画となって結実することになった。

 プレスリリースが流れた

 全面的にバックアップすると表明したのは、このプロジェクトの発起人であるトーマス・シュテルマンをはじめ、中東の産油国の王子、革新的な電気自動車、自動運転システムの開発者。そしてフォン・ノイマン・マシンを開発した会社のCEO。いずれもこの地球上で最も富裕なものたちである。

 ラスベガスのホテルで、計画発表の記者会見が行われた。

 世界中から集まった報道陣が囲み、ネットで全世界に同時中継されている。

 ずらりと並ぶ世界的著名人の中でも、10代の少女である瑠奈はひときわ目立っている。 皆の注目は、瑠奈に向かっているように思える。

「レディ・ルナ・カワダ。説明してみてくれないか」

 シュテルマンは瑠奈に話を振った。

 どよめく会場。

「じゃあ、説明しちゃいまーす!」

 ギャル口調そのままの説明が流れた。

どうやって翻訳したんだ……

「まず、こちらをご覧くださ~い」

 レーザーポインタがスクリーンを指す。

 ロケットがスクリーンに映し出された。

「ヘビーリフターを打ち上げて、まず月軌道に工場を作ります」

 次々に説明されていく事象に、息を呑むばかりだった。

 それは人類史上空前の超国家プロジェクトである。

 息をのむ聴衆をよそに、瑠奈は砕けた調子で説明を続ける。

「そして月と太陽、そして地球の重力が釣り合うラグランジュポイントに、量子スパコンを建造します。重力や大気の影響を受けない環境で、量子スパコンは最高のパフォーマンスを発揮するってわけ。すごいでしょ、いぇい!」

 Vサイン。

 河田は同時通訳がまともな言葉に直してくれることを、ただ願った。

「さらにVNMの「種」を太陽に最も近い惑星である水星に打ち込み、表面に工場を建造する。そして水星の資源を使って太陽電池パネルを生産します。制御は、量子スパコンで行います」

「水星は月よりも鉱物資源が豊富で、重力も小さいので工場を作るのに最適です。

それに水星軌道は地球軌道よりはるかに太陽光線が強力。地球軌道のおよそ10倍。マジやばいくらい電気が作れちゃいます」

その電気をレーザーで地球軌道に送信して、マイクロ波に変換して地上に送信します。マイクロ波のエネルギーは薄められますから、地上での危険性は低いです」

 大げさな話でなく、人類が「火」を得て「文明」を作り始めて以来、最大にして最強のプロジェクトであろう。

 実現すれば、世界の様相は一変する。

 全てが終わると、会場から嵐のような拍手が巻き起こった。


 それからは、トントン拍子だった。

 VNMの「種」を載せたヘビーリフト・ロケットが水星軌道へ打ち上げられ、

 水星の表面に着陸する。資源を利用して「工場」が作られ、太陽電池パネルの材質が製造され、軌道上に打ち上げられる。

 太陽電池の構造は基本的に、2種類の半導体を接合させただけのものでしかない。原理はいまや照明に広く使われているLED――発光ダイオードと同じものなのだ。発電機とモーターのように、電気をかけて光を作ればLEDだし、光を当てて電気を作れば太陽電池である。

 受けるエネルギーが膨大なので、多少の効率の悪さをカバーしてあまりある電力が作れる。

 原材料の精製に必要な炉、自動工場では製作が困難な電子部品は、別途打ち上げられて組み込まれる。

 ケープカナベラルだけではない。ヴァンデンバーグ、ギアナ、酒泉、種子島など、世界のロケット打ち上げ施設からは、プロジェクトに参加するロケットが続々と打ち上げられた。

 ラグランジュポイントで、量子スパコンが組み立てられる。

 水星表面に自動運転の「工場」が設置され、太陽電池パネルが製造される。組み上がった太陽電池パネルは、水星軌道へ運ばれる。

 地球軌道よりはるかに強力な太陽光を受けて生成された電力は、レーザーで地球軌道に送信され、

 軌道上でレーザー光をマイクロ波に変換するステーションや、地球上でマイクロ波を受信するアンテナも完成に近づいていた。

 人類文明は潤沢なエネルギーを享受することになる。もはや化石燃料を燃やすことも原発事故の影におびえることもなく、安定性を欠く地球上での再生可能エネルギーに頼ることもない。

 地球上のひとびとにあまねく配分されるエネルギーによって、エネルギー危機も貧困や格差も過去のものになる。

 量子スパコンによって適切に計算された値は、無限の用途があるだろう。

 天気予報は正確になり、今まで不可能だった地震の予知も可能になるかもしれない。為替や株相場の介入により世界経済も安定する。

 分子単位のシミュレーションはいままでになかった物質を作り出す手がかりになる。材料工学は飛躍的に進歩し、根治が難しい難病の特効薬が作られる。

そして政治家や民衆にとっては、より正確な意思決定の材料を与えるだろう。

 エネルギー問題と食糧問題。人類を悩ませる二大問題が解決する

 働くこともなくなる。経済は人間を悩ませることは

食べ物も全てが無料で配布されるのだ。

そして医療の飛躍的な発達は、生物としてのヒトの諸問題の、究極的な解決をももたらすだろう。全ての病苦からの解放。肉体の滅亡――「死」の回避。

 太陽から得られる無尽蔵のエネルギーと量子スパコンの計算リソースで、人類は黄金時代を迎えるのだ……。


 発表を受けて、世界中は騒然となった。

 石油価格は暴落し、産油国は青ざめた。そして資金協力を申し出た。

 エネルギー革命時代には、化石燃料は不要になる。ならば今のうちに蓄えた富を次世代のエネルギー源開発に運用すれば、来たるべき時代にはその分有利になるはずだ。アラブの王族は数千億ドルの資金を、ポンと出した。

 さらに国の借款やベンチャーキャピタルの融資などで、資金は無尽蔵に投入された。

 その総額は国家予算に匹敵するほどになった。先端科学技術のプロジェクトにこれほど大量の資金が投じられたのは、第二次大戦中のマンハッタン計画や冷戦時のアポロ計画以来だろう。

 ついに人類は未曾有のエネルギー、そして計算量を手に入れるのだ。





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