第11話

 瑠奈は学生生活に慣れていった。ソースコードを書くタイピングの速度も上がった。

 その効果があったのか。

 相本の量子コンピュータプロジェクトに参加しても、瑠奈の能力が際立っていた。あっという間に、瑠奈はプロジェクトのリーダーになった。もはや研究内容を理解できるのはそのチームのメンバーと、「ひばり」だけになっていた。

 開発の手順は、まず量子コンピュータのモデルを作り、スパコン「ひばり」でシミュレーションを行う。瑠奈の書いたプログラムで、シミュレーションの効率はさらに上がったのだ。

 ためしに、5量子ビットでシミュレーションを行ってみる。

「これは……」

 スパコン上で量子コンピュータをエミュレーションすると、今までにない計算速度が出ることが判明した。

 研究員はあっけにとられていた。

 できあがったものは いままでの常識を超越したものだった。

「なんですか、これは」

 アーキテクチャの図解を一瞥して、技術者は怪訝な声を出した。

「どういうことなんですか。論理演算が2種類しかないじゃないか。これで動くのか」

 通常のコンピュータには、4種類の論理演算がある。「AND演算」、「OR演算」、「XOR演算」、「NOT演算」。どれを欠いても、動くことはないはずなのだが……。

「大丈夫。量子コンピュータなら、動く」

 瑠奈は即断した。それは河田には全く理解できないことだった。

 コンピュータは、アルゴリズムがなければただの箱だ。 そのアルゴリズムを実装するのは、数学の力である。

 量子コンピュータは、アダマールゲート(H)、回転ゲート(π/8)、制御NOTゲート(CNOT)という3種類のゲートを使っている。

 これら3種類だけで、どんな量子計算も行うことができる。

 理論的には判明していたことだが、じっさいに見せつけられると、衝撃もひとしおだった。

 相本は感慨深げに言った。

「量子コンピュータは、この世界の論理に従っていない、ということか……」


 さらに研究を進めたいが、気になるのは資金のことだ。

 科研費は申請してから、審査を経て採択されるまで時間がかかるし、民間の基金もこのご時世、選択と集中が極まっている。当てにするわけにはいかない。

「クラウドファンディングはどうだ」

 不特定多数のひとびとからネット経由で資金を募るクラウドファンディングは、ポピュラーな手法になりつつあるが、過当競争になりつつあるのも事実だ。目立つポイントが必要だ。

 必然的に、広告塔は瑠奈になる。

「この間まで女子高生だった若き天才が主導する最先端研究」

 これほどキャッチーなフレーズがあるだろうか。

「行きましょうよ、これ。絶対成功しますよ!」

「そうだなあ……」

 気乗りはしなかったが、賛成した。

「出資者へのリターンはどうする?」

 院生のひとりが口に出した。

「それは重要な課題だな」

 会議を行うと、たちまちにしてアイデアがいくつも出たが、そのすべてが瑠奈絡みだった。

「瑠奈ちゃんとツーショット撮れるとか」

「握手券とか」

「一日デート券とか……」

「おいおい、まじめにやってくれよ」

 ぼやく河田をよそに、瑠奈はまんざらでもなかった。

「意外に面白いかも」

「こら!」

 河田はたしなめた。瑠奈との絡みで、彼も量子コンピュータプロジェクトに関わることになったのだ。

 とりあえず、「瑠奈直筆のお礼状と生写真」「瑠奈が案内する『ひばり』&量子スパコンプロジェクト見学ツアー」などのリターンを設定し、クラウドファンディングを立ち上げた。

 宣伝動画を撮ってサイトにアップすると、前例のない反響があった。

 なにせ、現役ギャルの天才科学者である。

 ネットではすさまじい勢いでバズった。ランキングの上位になり、たちまちにして目標額をクリアした。

 瑠奈の存在はSNSなどで大評判になり、

 そしてメディアも、次々に取材にやってきた。研究成果なんかは二の次で、ひたすら瑠奈のルックスを追っかけたのだ。

 さらに。

 クラウドファンディングの評判を聞いたあるIT企業が接触を図ってきた。

 河田と瑠奈は本社へ出向いて、レクチャーを行った。

 まだ30代の社長は、その内容を聞くなり叫んだ。

「おもしろい!」

 彼の鶴の一声で、数百億円もの融資がその場で決まった。

「これで、実証機が作れる」

 河田と瑠奈は手を叩いて喜び合った。


 「ひばり」が据え付けられている計算機センター棟の隣、テニスコートだった敷地が立ち入り禁止になり、工事車両が出入りを始めた。

 程なくして、体育館のような建物が建ち上がった。エントランスには「量子脳科学研究所 量子コンピュータ研究棟」と看板が設置された。

 内装はまだ工事中である。骨組みが剥き出しで、作業員がとりついて空調機の取り付け作業を行っている。

「こちらです」

 瑠奈と河田は現場に案内される。

 瑠奈はヘルメットをあみだにかぶっていた。

 それをめざとく見つけた作業員に注意される。

「ヘルメットはちゃんとかぶって下さい。あご紐も忘れずに」

「はーい」

 注意されて、かぶり直す。

「ヘアスタイルが乱れちゃう」

「我慢しなさい」

 河田がたしなめる。

 機器を据え付けるラックが搬入されてきた。大きさは家庭用の大型冷蔵庫と同じくらいだ。

 これが量子スパコン実証機の、本体である。

 いくつかある量子コンピュータの方式の中でも、「量子ゲート方式」を採用している。従来型のノイマン型の延長線上にあるアーキテクチャだが、違うのは量子状態を使うため並列計算が出来ると言うことである。

 従来型のコンピュータと同じ用途に使える汎用機が実用化されたときのメリットは計り知れなかったが、開発は困難で、壁に突き当たっていたのだ。

 たとえば、ノイズの問題が解消困難だった。ノイズが多すぎて有用な情報を取り出すことが難しいのが、この方式の欠陥だったのだ。

 ノイズは外部から侵入した粒子や電子で、計算に必要な量子もつれ状態を破壊してしまう。原理的に発生は避けられないはずだった。

 しかし、瑠奈の提唱したアーキテクチャでは、ノイズを大幅に低減させることが可能になった。

 量子コンピュータが、従来型コンピュータでは実現不可能な計算能力を備えていることを「量子超越性」と呼ぶ。

 実証機には、レーザーを使用して量子状態を作り出す方式を採用した。シリコンチップで量子効果を得るためには極低温にまで冷却する必要があるのだが、この方式は電力消費量を大幅に下げることが出来るのだ。

 落成式が行われた。

 学長や来賓が居並ぶ中、量子スパコン実証機にスイッチが入れられる。

 量子スパコンは隣の計算機センターにある「ひばり」に接続され、コンソールはパソコンから行われる。

 机上には6枚の液晶ディスプレイと2台のキーボード。まるでデイトレーダーの部屋のようだ。

 しかし瑠奈はヘッドマウントディスプレイをかぶり、指にキャップ型の入力デバイスを装着した。

「こっちの方がいい」

「新しいネイルアート?」

「そう見える?」

 瑠奈は口元を緩めた。

 キーボードやマウスより効率的に入力できる次世代の入力方式だ。将来的には視線や顔の筋肉の動きだけで、入力が可能になる。

「じゃあ、いくよ」

 宙にかざして、指を動かした。

 量子スパコンに素因数分解を実行させる。通常型のスパコンでは容易に計算できないほど巨大な数字を

 しばらくして、表示が次々とディスプレイに出力される

「やった!」

 実証機は見事に、従来型のコンピュータを凌駕する「量子超越性」を実現したのだ。

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