第89話 優しい時間

 イーリスの発言でリンが帝国とセントアメリアの戦争に介入した事が露呈してしまったが、リンとしてはそろそろ話しておこうと思っていた。


「本当はもう少し落ち着いて話したかったんだけどな」


 とは言え、ここまで話す機会が無かったわけではない。

 だが、今抱えている問題を考え、話すのをためらっていた。


 しかしイーリスの指摘通り、リンの周りを頼らない性格が現在の、一人では対応が難しい状況を作ってしまった事もリン自身自覚し始めていたので、いい加減話さなければと思っていた。


「少し長くなるからな、最後まで話す時間があるか分からないが、とりあえず聞いてくれ」


 それからリンは自身がこの世界に来てからの事を遊里に話し始めた。

 なるべく包み隠さず、しかし、死んでも生き返る事や実際何度も死んでいる事は伏せておいた。


 理由としてはメグミやイーリス、セーラに話していいものか躊躇したのもあるが、なにより、間違いなく泣いて怒られるのが目に見えたので話すことが出来なかった。

 内心、申し訳ない気持ちもあったが、この件が無事片付いたら覚悟を決めて話すつもりではいた。


 カプトの襲撃やウェイン達の動向に注意を払いながらも、リンは出来るだけ分かりやすく要点をまとめて遊里にこれまでの事を話す。

 一通りの話が済むころには、外は夜の帳が下りていた。


「と、まぁ……そんな訳でこうして攫われた人たちを助けに来たわけだが――」

「はぁぁぁぁ…………」


 そう話を締めくくろうとしたリンの言葉を遊里の盛大なため息でもって遮られた。

 見れば、遊里は文字通り頭を抱え俯いており、その表情はうかがい知れない。


 リンが、何を言われるかと緊張していると、不意に遊里が顔を上げた。

 その表情は嬉しさと困惑が入り混じったような顔だった。


「ホント、どこが無茶はしてないよ……無茶しかしてないじゃん」


「いやぁ、噂話程度には聞いていたが、本当に無茶をしたんだね」


「よく無事だったわねぇ」


 遊里だけでなく、メグミやイーリスにもそんな事を言われてしまう始末だった。


「まぁ、何となく予想はしてたけど、ちょっと予想の斜め上をいってたなぁ……」


「悪かったな黙ってて」


「別にいいけどね、らしいっちゃらしいよ」


 遊里はそれだけ言うと、その場で立ち上がると大きく身体を伸ばした。

 そして何も言わずに、テラスへと出て行ってしまった。

 その後ろ姿を無言で見送るリンだったが、突如後頭部に衝撃が走った。

 驚いて振り返ると、目に飛び込んできたのはルナだった。


「なにボーっとしてるのよ」


 ルナはそれだけ言うと、無言でテラスに視線を送った。

 そこでようやく理解すると、リンは慌てて遊里がいるテラスへと向かった。


「まったく、ホント鈍感ね」


「仕方ないわよ、男の子ってそういうものですもの」


 背後から聞こえる女性の言葉に耳が痛かった。

 メグミも「あはは……」とだけ呟きながら複雑そうな表情を浮かべていた。


 ――――――


 テラスに出ると、手すりに寄りかかりながら夜空を見上げる遊里の後ろ姿が目に入った。

 ルナに言われて出てきたが、なんと声を掛けたらいいか分からず立ちすくんでいると、遊里がチラリと振り返ると、またすぐに夜空を見上げてしまった。


「あー……星がきれいだな」

「っぶふ!」


 リンの言葉に遊里が思わず吹き出した。


「なにそのセリフ」


「やめろよ、言って自分でもバカっぽいと思ったんだから」


「別にそういう意味じゃないけどね」


 思わず恥ずかしいセリフを言ってしまったが、おかげで自然に遊里の隣に並ぶことが出来た。

 とは言え、それ以上何を言えばいいか分からないリンに遊里は夜空を見上げたまま呟いた。


「ねぇ」


「ん?」


「怖くないの?」


 何が? と返そうとしたリンに遊里が言葉をつづけた。


「人間と戦うの」


 その言葉にリンは咄嗟に返事が出来なかった。

 その言葉がどういう意味を持つのか理解できたからだった。


「…………そう、だな」


 リンの頭の中に色々な考えや思いが浮かんでは消えていく。

 そうして残ったものを素直に口にした。


「怖くない、と言えば嘘になるな」


 それは偽りのない言葉だった。

 以前、ルナに人と戦う事の意味を問われた時に躊躇いがあったのは事実だ。


「でも俺は多分、人と戦える――いや、綺麗な言い方はするべきじゃないな、俺は人を殺せる」


 その言葉に遊里はわずかに動揺を見せた。

 だが、それは本当にわずかで、それもすぐに消えた。


「そっか、私は怖いよ、すっごく怖い考えただけで手が震えるくらい」


「それが、普通だ。 俺がおかしいんだよ、自覚もしている。 多分俺はそういった感覚が鈍くなってるんだと思う」


 両親が死んだ、いや、あの日以来、リンは自身の感情が鈍くなっている事を自覚している。

 だが、良心が無くなったわけではない。


「とは言え、別に好き好んで殺したくはないぞ、どうしても必要な時が来たら俺はそうするってだけだ」


「うん」


 コツンと、リンの胸に遊里の額が触れた。

 特になにか考えた訳ではない、ごく自然に、優しく抱きしめた。


 ゆっくりとした優しい時間が二人の間に流れる――


 それは、誰も知らない異界の地に飛ばされ、心の奥底に隠した寂しさや不安を溶かす――


 そんな時間だった――


「……ありがとう、ちょっとだけ楽になった」


 遊里はそれだけ言うとそそくさと部屋の中へと戻っていった。


「…………」


 リンはその後ろ姿を見送ると、見覚えのない星空を見上げ、少しだけ熱くなった顔を夜風で冷ます。

 久しぶりに感じた穏やかな気持ちだった。


 だが、そんな時間は長くは続かなかった。


 ウェインがまっすぐ宿に向かって動き始めたのだ。


 リンの長い夜が始まる。

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