第87話 悲痛な思い

 今から数ヶ月程前の事でした。

 その日も私は騎士団の詰所で職務にあたっていました。

 最近、帝国に動きが見られるとの情報もあり警戒を強めていたのです。

 ドールの北エリア、その秩序を守るのが北方騎士団団長たる私の使命であり誇りでした。


 そんな私に一通の手紙が届きました。

 差出人の名は無く、私は不審に思いつつも無視する訳にもいかず手紙を確認しました。


 そこにはこう書かれていました。


『家族は預かった-- 無事再会したければこちらの指示に従え、指示は今後も手紙で行う。 分かっているとは思うが、この事は誰にも話さない事だ、監視の目は常にある』


 最初は信じられませんでした。

 信じたくなかったと言った方が正しいでしょう。


 私は直ぐに自宅へ戻りました。

 妻は普段なら家で子どもと一緒にいる時間です。

 しかし、自宅に妻と子どもの姿はありませんした。


 何者かも分からない連中に家族を人質に取られ、助けようにもどうする事も出来ない無力感の中、家族と誇り、そのどちらかを選ばなければならなかったのです。


 そして、私は家族を選びました。

 いつか、機を見て家族を助け出すために、そう自分に言い聞かせて――


 それから私は奴らの傀儡へとなったのです。


 と言ってもそれほど頻繁に指示があった訳ではありません。

 所属不明の者を密かに入出国させたり、警邏に穴をあけるなど事を時折命じられる程度でした。


 しかし、先日新たに送られてきた指示はそれまでと少し異なりました。


『近日、セントアメリア王国の人間が入国する可能性がある、監視せよ』


 そして指示通り、翌日二人が現れました。

 身分を隠し、入国しようとしましたが、見落とす事はありませんでした。


 何しろ提示されたICに記載されたステータスは普通の冒険者とは次元が違った。

 何より、その名前が最近耳にする救国の英雄だったのですから。


 ------


「なるほどな」


 リンは重苦しい空気の中、そう静かに口にした。

 その声から感情は読み取れない。


 遊里は内心ハラハラしていた。

 リンは基本的に温厚な性格だ。

 だが、一度スイッチが入ればその人格は豹変する。

 その事を遊里は

 そして、先程その片鱗を見せた。


「それで? テリーさんはそれを信じろと?」


 リンは淡々とそう告げる。

 先ほどからリンの態度は極めて冷淡なものだった。

 確かにそうさせるだけの理由はある。

 テリーはリンの射貫くような視線に耐える事しか出来ずにいた。


「確かに、リン様の言う通り貴方の言葉を簡単に信じる事は出来ませんね」


 ウェインも同じようにそう冷たく突き放した。

 そんな二人に意外なところから待ったをかける声が上がる。


「二人とも、少し落ち着きなさい」


 二人を制したのはルナだった。

 ルナはテリーを一瞥すると遊里に向き直ると唐突に尋ねた。


「ユーリ、貴女はどう思う? この男の言葉が信じるに値するか、貴女ならわかるんじゃない?」


 その言葉に遊里はハッキリと断言する。


「信じていいと思う、嘘は言ってないと私は思うよ」


「という事らしいわよ」


 ルナはそう言って、リンを見つめた。

 瞑目し、考えるそぶりを見せるリンが、ゆっくりと口を開いた。


「……分かった、だが遊里を疑う訳じゃないが全面的に信じる訳にはいかない」


「今はそれでいいんじゃないかしら?」


 ウェインは何も言わず、静かにうなずく。


 再びテリーに視線を向けるリンだが、その瞳には先ほどまでの剣呑さは無かった。

 その意味を察したテリーは深々と頭を下げ、再び話を始めた。


「最初のうちは、奴らが何者なのか分かりませんでしたが、手先として働くうちに何らかの密売組織であろう事は見えてきました」


 その理由として、主な命令が密売組織にとって面倒な部分ばかりだったからだと言う。

 だが、確証を得る事は出来ず、監視の目も見つけるには至らなかった。


「しかし、先日閣下のお話を聞いて確信しました。 私の妻と子どもを攫ったのは閣下の追う違法奴隷組織に間違い無いと」


 確かに、状況的に見てもその可能性は極めて高い。

 テリーにリンの監視を命じたことから考えても、同一の組織と考えた方が無理が無い。


「これまで姿も見せず、正体をひた隠しにしてきた奴らが、何故そんな尻尾を出すような真似をしたのか不振にも思いました。 ですが、今ならわかります、奴らにとって閣下はそれだけ脅威なのでしょう」


 テリーの瞳は確信に満ちていた。

 テリーは一個大隊を任される程度の実力も経験もあると自負している。

 その自分が、リンに敵意を向けられて身体が動かなくなった。

 圧倒的なまでの力の差を思い知らされた。

 それは、奴らにとっても同じことなのだと確信したのだ。


「そして、先ほど私を監視していた者もようやく分かりました」


「警邏隊長、か」


 リンの言葉にテリーは頷いた。


「ウェイン殿が襲われ、傷を負った事を知らなければあのような発言も、動きも取れません。 ゆえに私はあの後奴を尾行しました」


 その発言にリンは驚いた。

 何しろ警邏隊長が何故あんな分かりやすいボロを出したのか分からないからだ。

 罠の可能性も十分にある、それにテリーが気が付かなかったとは思えなかったのだ。


「ご推察の通り、危険は承知の上でした。 しかし、私はそれ以上に家族が本当に無事なのか、それだけが気がかりでならなかったのです」


 危険な賭けだった。

 しかし、テリーはその賭けに勝った。


 警邏隊長を尾行した結果、テリーは重要な情報を手に入れる事に成功した。

 奴らのアジトを見つけ、さらには自分と同じように脅されている者がいる事も分かった。


 そして何より重要なのが――


「奴らは明朝、この国から逃亡を図るつもりです。 その為、今晩奴らの仲間が全員アジトに集まると言っていました。 そして――」


 テリーは見てわかるほど強く拳を握りしめた。


「奴らは逃走の邪魔になるからと、残された奴隷や人質をすべて始末するつもりです」


 テリーは怒りを抑えきれない様に唇を強く噛み締めた。

 そしてそれはその場にいた者たちも同じだった。


「許せない、人質を取って脅しておいて、用済みになったら約束すら守らないなんて」


「まさに小悪党って感じね」


『ウソはダメ』


「逃がす訳にはいかないですね」


 各々が怒りを滲ませ、思いを口にする。

 メグミとイーリスは事情を知らないから口を挟むことをしなかったが、その瞳には確かに怒りの色が見て取れた。


 リンは瞑目したまま静かに口を開いた。


「外道には相応の報いを与えてやらなければな」


 静かだが、その声には確かな怒りを帯びていた。


「テリーさん、貴方にも協力をお願いしますよ」


 気が付けば、既に日は傾きつつある。


 テリーの情報すべてを鵜呑みにする訳にはいかない。

 偽の情報という可能性も少なからずあるのだ。


「テリーさんは奴らのアジトを知っていると言っていましたね、念のため夜まで見張りをお願いします」


 リンの言葉にウェインが声を上げた。


「リン様、私も彼と共に行きます」


 その言葉にリンはすぐに言葉が出なかった。

 いくら傷が塞がり、血も戻ったとは言え、無理をさせていい状態とは思えなかったからだ。

 そしてそれはイーリスも同じだった。

 それまで、部外者だからと遠慮して話に入ってこなかった彼女だったが、ウェインの言葉に反対の声を上げたのだ。


 だが、ウェインは首を横に振った。


「私に出来る事は限られています。 だからこそ、その限られた仕事ぐらいは全うしたいんです!」


 そう、はっきりと口にした。

 その意思ははた目から見ても固く、頑として譲らないだろう事は容易に想像できた。


「――無理はしないでくれ、なにかあったらすぐに知らせるんだぞ」


 リンの言葉にウェインは無言で頷いた。


「閣下ご安心下さい、ウェイン殿は私が命に代えても守ります。 ですから、どうか――」


 ――どうか妻と子どもを――口にはしないが、テリーの悲痛なまでの思いが溢れていた。


「任せてくれ」


 リンはそう即答していた。


 本来なら、約束など出来ない。

 考えたくは無いが、既に助けられない状態かもしれないのだ。

 不確かな約束ほど不誠実な事は無い。


 だが、テリーの思いに答えたいという思いから、そんな言葉が口をついてしまった。


 リンの言葉にテリーは深く頭を下げると、ウェインと共に奴らのアジトへと向かった。


 二人を見送ったリンは、遊里へと向き直ると遊里とセーラ、そしてメグミ達に座るよう促した。


「さて、一息つきたいところだが、あまり時間が無いからな」


 そう言って、遊里に自分と別れてから何があったのか聞くことにしたのだった。

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