第8話 神様お願いします


 少年から借りた力のお陰で、迷いなく小屋まで来れて目的のモノも獲得し、後はサキを取り戻してカクマを封印するだけ。たったのそれだけなんだけど、何時間も寒くて暗い闇の中に1人でいるとどんどん気分が落ち込んできて、不安が押し寄せてくる。最初気晴らしにスマホを見たりもしたけど、ずっと圏外だからたいしたことは出来ないし、電池ももったいないのでアラームだけ設定してポシェットにしまった。

 鞄の中のお札がぼんやりと光ってはいるが、それだけだと心許ないので懐中電灯を立てて床に置き、目の前にワラを敷いてそこに座って身をかがめ目を閉じる。室内とは言え、11月の山奥で暖房なしはさすがに寒く、手に息を吐きかけたり、全身を何度もさすったりして暖をとっていた。強風が時折小屋の壁を揺さぶって戸がガタガタと震えたり、隙間風が下手くそな口笛みたいな音を鳴らす度に私はおびえた。

 暗くて、寒くて、独りぼっち…少年やサキも似たような気分を味わったのだろうか。そしてその不安で心細い気持ちを、カクマに利用された…確かにこんな状況で優しく甘い言葉をかけられたら、ほとんどの人は従ってしまうだろう。

 『友達作り』を実行させられたサキや他の亡くなった子、山で事故や自殺に見立てて殺された沢山の犠牲者。井川さんのように、行方不明者の帰りを待ち続ける家族も大勢いるのだろう。それを考えただけで私はカクマのことが絶対に許せない。そう考えると手が自然と堅い握り拳を作っていた。

 体育座りをして膝小僧に顔を埋めた状態が一番しっくりきて、その姿勢のまましばらく頭の中でカクマに対する怒りを反復させていると、ポシェットにしまったスマホが鳴り響く。カバンからスマホを取り出しアラームを止める。『午前2時』いよいよ決戦の時だ。

 立ち上がってから心を落ち着かせようと3回深呼吸し、意を決して着信履歴からサキの電話番号にリダイヤルをかける。


「麻弓…そこにいたのね」


 繋がった、と思った瞬間に向こうからサキの声が聞こえてきた。あまりの早さに一瞬声を失う。


「あなたに…嬉しいお知らせがあるの。もうすぐつくから、そのまま待っていてね…」


 一方的にそのまま電話は切れた。完全に出鼻をくじかれて、何も言えなかった。もうすぐつくということは、連絡しただけでこちらの居場所がわかったのか。それに関してはもうあまり驚かないけど、あっちから向かってくるというのは予想外で、どうしようかと少し焦ってしまった。

 風の音に混じって2回、ゆっくりと戸が叩かれた。間髪入れず音もなく戸が開かれると、色白で透き通った肌をした少女が現れる。吹きすさぶ闇夜に溶けこむように黒髪が舞い踊り、薄ら笑いを浮かべる顔やブラウスの白が宙に浮かんでいるように見えた。


「探したわ…いなくなっちゃうなんてひどいじゃない」


 言いながら一歩、また一歩と近づいてくる。足音は聞こえない。


「……………サキ、あなたは………」


 ぬいぐるみを見せて、少年に教わった言葉を言う。たったそれだけだ。でもその前に首を捕まれて殺されたらたまらない。それを警戒して、サキが一歩近づく度に私も同じように一歩ずつ後ずさりした。


「安心して。もう麻弓は関係ないから」


 意外な言葉が飛び込んできた。


「どういうこと…?なにが…『関係ない』の?」


 恐怖でうわずりそうになる声を抑えようと、わざとゆっくりと話す。


「私が麻弓に会いたかったのは、うれしいお知らせがあるからなの…カクマ様との約束をついに果たせた、その祝福をして欲しかったの」


(まさか、そんな馬鹿な…それってつまり、その…)


 上手く言葉が出てこない。思考をまとめようと頭を働かせていると、サキが嬉しそうにそのまま続ける。


「麻弓のおかげで、友達を100人作ることが出来たわ。本当に、ありがとう…」


 サキは口角を不気味に持ち上げ、深々とお辞儀をした。100人殺しを止めることが出来なかったのは悔しいけど、その上『私のおかげ』っていったいどういうこと?


「あなたは逃げちゃったけど…代わりに近くにいたおじさんに、友達になって貰ったから」


 聞いた瞬間、血の気が引き、全身の毛が逆立つ。頭の中が真っ白になって彼女が何を言っているのか理解できなかった。いや、本当は理解していたが、認めたくなかっただけかも知れない。


「…あの人、麻弓が連れてきてくれたのよね?」


 やめて。


「手伝ってくれて、ありがとう…」


 やめて。お願いだから、それ以上言わないで。


「あなたは本当に私の…大切な『トモダチ』よ」


「やめてっ!!」


 もう聞きたくない。頭を抱え、髪をかき乱して思い切り叫んだ。私のせいで浅山さんが死んでしまったなんて、認められるわけがないよ。


「…………なんで?なんでなの?」


 もう落ち着くとかそんな事を考える余裕はなかった。震えたって、うわずったって構わないから、気持ちをはき出さないと気が済まない。


「サキも、カクマってやつもおかしいよ!どうしてそんな簡単に人を殺せるの!?」


「私、友達を作っているだけよ。それがいけないことなの?」


 サキは少しも悪びれる様子なく小首をかしげ、そのまま話し続けた。


「私は、私と同じ立場の友達を作っているだけ。どん底から救い上げてくださったカクマ様との約束は、絶対に果たさなくちゃいけないの」


 その約束を果たした先に、自分がどうなるのか彼女はわかっているのだろうか。


「もうすぐ、カクマ様がこの神社にやってくるわ。そうしたら、私は友達を100人作ることが出来たご褒美をいただくの」


 言いながら、嬉しそうに体を右へ左へ揺する。


「でも、100人殺してしまった魂は…」


 私が言い切らないうちに、サキは体を斜めにしたまま急に硬直し


「カクマ様に食べられちゃうんでしょ」


 光のない瞳で見つめて私の話を遮った。


「知っているなら、なぜ逃げないの?」


「だって逃げる必要なんかないもの。カクマ様と永遠に一つになれるなら、これ以上の幸せはないわ」


 不適に笑うサキを見て、私はうろたえた。まさかここまでカクマのことだけを考えているとは思わなかった。


「だから、カクマ様にお伝えする前に、麻弓に会っておきたかったのよ」


 自分がこれから食べられてしまう事を知っていたから、私に会いに来たというの?これが永遠の別れになるってそう言いたいの?それを聞いて、これはもしかしたら僅かに残された本当のサキからの救難信号のような気がした。


(今なら、まだ間に合うかも…)


 ダメ元で私はくまのぬいぐるみを差し出した。


「……?なぁに?それは……」


 サキは不思議そうにくまのぬいぐるみを見つめる。まさか覚えていないのか?いや、まだ諦めるのは早い、次は少年から教えて貰った呪文を唱えてみよう。彼のいうとおり、サキが元の姿に戻って欲しいと願いながら思い出すと、頭に言葉がスラスラと浮かんできた。


「アマチ・タナヒ・コタマチミセラ…」


 言い切らないうちに、突然凄まじい悪寒が体中を駆け巡った。


(この感覚……まさか…!)


 思わず呪文を止め、迫り来る嫌な感じへ神経を研ぎ澄ませる。


「ああ……いらっしゃったのね…!カクマ様っ…!」


 サキは振り返り、飛び跳ねるように小屋の外へ出て行く。私はぬいぐるみをポシェットの中にしまい、後を追って小屋を出た。外は目を開けるのも困難なほど暴風が吹き荒れ、草木がざわざわと騒がしい。まるでこれから現れる者へ歓迎の拍手をしているみたいに感じられた。辺り一面凄まじい風が吹いていたのが、だんだんと小屋の前に集まってきて竜巻のような状態になり、それが収まって来たら今度は風が人の形に見えてきて、完全に収まると夜の闇を更に暗くしたような漆黒の袴を纏った男が現れた。


「カクマ様………お待ちしておりました」


 サキが土下座の格好で丁寧にあいさつをしている。


「…サキ…ドウシタンダイ?」


 切れ長の瞳をサキの背中に向け、男は彼女に語りかけた。見た目からは想像できない優しい声だ。サキは頭を上げ、


「私、ついに友達を100人作る事が出来ました!やっとカクマ様との約束が果たせたのでお知らせしたかったんです!」


 と今まで聞いたこともないような可愛らしい声でハキハキと答えた。


「ソレハ…ヨクガンバッタネ。ホメテアゲルカラ、タチナサイ」


「えへへ…ありがとうございます」


 頬を赤らめながら、ゆっくりと立ち上がる。その時、カクマが一瞬私の方を見た。


「アノムスメハ…タシカ…」


 反射的に身構えた。いつでもお札を出す準備は出来ている。


「あの子は私の友人の麻弓です。とっても良い子なのよ」


「ナゼマダイキテイル?ハヤク、トモダチニシナサイ…」


 サキは首を横に振った。


「私が約束したのは100人までですよ。麻弓を入れなくても達成しているんですから良いじゃないですか。それよりも、早くご褒美くださいよ。ねっ?」


 胸の前で手を合わせ、おねだりするサキ。今までとのギャップに少々混乱するが、どうやらサキは私を殺したくは無いようだ。そしてサキの意見を聞いて、カクマの目の色が少し変わった…ような気がした。


「ソウカ…ワカッタ。デハ、アタマヲダシナサイ……」


 サキはカクマに近づき、目を閉じて小さくお辞儀をするような格好になる。丁度子供が親に頭を撫でて欲しい時の姿勢に似ていた。カクマは腕を伸ばしてサキの頭に左手をかざし、自分の顔の前に右手を中指と人差し指だけを立てた状態で持ってくると、小さな声でボソボソ何かを呟き始める。するとサキの体から黒いもやが出始めて、私は(ああ、これがサキの黒くなってしまった魂なんだな)と悟った。

 このまま黙ってサキが食べられてしまう所を見ているわけにはいかない。何とかして彼女を助けて、カクマを祠に封印しなければ…でも、体が言うことを聞かない。今すぐ走り出して2人の間に入ってサキが食べられちゃうのを止めたいのに、頭の中は何度も「動け!」って命令してくるのに、地面から足に釘を打たれちゃったみたいにその場から一歩も動けない。カクマから漂う不穏なオーラに、恐怖心を抱いてしまった心が飲まれかけていた。


「…………タリナイ」


 どうしようか考えていると、カクマがそうぼやいたのが耳に入った。その直後、サキの体に黒いもやがじわじわと戻っていく。


「どうしたのですか?」言いながらサキは不安そうにカクマを見上げた。


「サキ…ウソハヨクナイナァ……アトヒトリ…『トモダチガタリナイ』ヨ」


 カクマは目をカッと見開く。たったそれだけでサキの体が2mくらい吹っ飛び、背中を地面に強打した。


「そ、そんなはずはありません!たしかにさっき、最後の1人を吊り橋から突き落としてきたんですから…!」


 たぶん浅山さんのことだろう。恐らく戻ってこなかった私を探して、危険を承知で別ルートで崖下に向かおうとしたのだ。その途中、サキと出会ってしまったということか…でも『タリナイ』ってことはつまり……『生きている』ってこと?


「ハシノシタハカワダ…ウンガヨケレバ、タスカッテシマウ……ダメダネェ…チャントサイゴマデカクニンシナイト…ワルイクセダ」


 目を細めて、足下で惚ける少女を見つめるカクマ。


「あ…あ……も、申し訳ございません…」


 サキは歯をガチガチ鳴らし、身震いしながら許しを請う。それを見下ろすカクマの冷徹なまなざしは、何の感情も示していないように見えた。


「………ソウダ…ココニイルジャナイカ……サイゴノヒトリガ」


 その鋭い目は、今度は私に向けられた。車内で寝ている時に襲ってきた黒い影と、同じ目をしていた。


「サキ…イマココデ、アノムスメヲトモダチニシナサイ。ソウスレバ、サッキノシッパイハユルシテアゲルカラ…」


「麻弓を、友達に………………」


 サキは一瞬、私の方を見てすぐ下を見た。しばらく沈黙が続く。


「ドウシタ?デキナイノカ…?」


 大げさに首をかしげたカクマは「チカラヲカソウカ」と続ける。サキは


「大丈夫です。やってみせます」


 そう言って一歩ずつゆっくりと私の方へ近づいてきた。近づきつつスカートのポケットに手を入れ、中から大型のサバイバルナイフをとりだして右手で構える。登山家の持ち物から奪ったのだろうか?


「前は首を絞めるなんて、じれったいことしたせいで逃げられちゃったけど、今度は確実に心臓を貫いて、私と同じ『友達』にしてあげる…」


 家でゴキブリを仕留めるときのように、じりじりと私との距離を詰めてくる。私はサキから目を離さないまま、ポシェットを漁った。作戦は既に固まっている。後は、とっさに動く勇気とタイミングだけ失敗しなければ…。


「さあ!私とカクマ様のために、その命捧げなさい!!」


 後3mくらいのところで、サキは走って距離を詰めてきてその勢いのままナイフを私の心臓に突き立てようと振りかかった。鋭利な切っ先が眼前に迫るその時、私はくまのぬいぐるみを彼女の前に差し出した。


「!?」


 サキが一瞬ひるんだ隙を見て、逆に間合いを詰めてサキの華奢な体を腕ごと抱きしめた。こうすれば、ナイフは使えなくなるなと思っていた。カクマの力を借りていないサキなら力は普通の少女と同じだから、抑え込める自信はあった。もっとも、抱きしめた理由はこれだけじゃ無かったんだけどね。


「麻弓…!?離せっ……!離せぇ!!」


 腕の中でもがくサキの耳元に、そっとくちびるを近付ける。そして願いを込めて、ゆっくりと言葉を囁いた。


「アマチ・タナヒ…」


 サキ…あなたは本当は優しい子なんだよね…?


「コタマチミセラ…」


 公園で遊んだときの楽しそうな笑顔…ずっと覚えてるよ…


「ワ・ロト…」


 井川さん…いやお母さんも、あなたの帰りをずっと待っているから…


「イマケ」


 だから、お願い、元に戻って。

 呪文を言い終わった瞬間、サキの体が真っ白な光に包まれた。腕を離して距離をとり様子を見る。サキの体の中からあふれ出す黒いもやを、光が吸い取っているように見えた。


「ウ…ク…アアァァ……イ…イイィィイィ……」


 サキは頭を抱えて、身をよじらせている。彼女自身も、自分の中の邪悪に取り込まれた部分を追い出そうともがいているのだろうか。しばらく身もだえた後、天を貫く大絶叫が真夜中の山に響き渡り、光が闇を連れて宙に舞い上がり消え去ったとき、少女はその場に力なく倒れ込んだ。


「サキ!」


 私は大切な友達に駆け寄り、腕の中に抱きかかえ、何度か名前を呼びかけ、体を揺する。


「………………ま、ゆ、み……?」


 薄目を開け、弱々しい口調で私の名前を呼んだその表情は、年相応の無垢な少女の姿そのものだった。それをみて安心したのからなのか、取り戻せた達成感からなのかはわからないけど、自然と私の目から止めることの出来ない涙が溢れてきて、サキの白くて柔らかい頬に当たって弾けた。


「サキ…サキ…本当に良かったぁ……!」


 私は力一杯、大切な友達の体を抱きしめる。サキがこの状況を理解しているかどうかはわからないけど、少しずつ感覚が戻ってきたのか、私の体を強く抱きしめ返してくれた。それが何よりも嬉しかった。




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