第3話 人捜しは大変


 電話をしてから5日後、私は井川さんの家の前に来ていた。ますます真相が知りたくなった私は「サキについてどうしても話が聞きたい」と何度も頼み込み、次の土曜日に井川さんの家に行く約束を取りつけたのだ。

 教えて貰った住所は、地元の駅から電車、バス、徒歩で合計1時間30分ほど移動したところにあった。思い返すと、サキに「どこからきたの?」と聞いたときに彼女が指で指し示した方角に近い気がする。

 外観は古風な日本家屋の大きな一軒家で、立派な門構えが私を威圧する。家の前までついたのは良いけど、緊張してなかなかインターホンを押す勇気が沸かず、家の周りをしばらくうろついて決心が固まるのを待った。再び門の前に立ち深呼吸を3回して気合い一発、インターホンを押す。


「…………はい?」


 電話で聞いた、あのしわがれ声だ。


「すみません。今日会う約束をした篠原です」


「ああ、どうぞ中へ……」


「お邪魔します」


 門をくぐり、玄関まで続く石畳の道を歩く。教室がまるまる1つ入りそうなくらいの広い庭、隅の方で立派な松が1本生えているのが見える。しかし、庭全体は長い間手入れされて無さそうで、雑草があちこちで背を伸ばしていた。庭を見回しながら歩いていると、家から腰が曲がって小さくなったお婆さんが出てくるのが見えた。私が軽く会釈すると、お婆さんもゆっくりと頭を下げる。


「初めまして。篠原です」


 家の前まで着いて改めて私が挨拶すると、お婆さんは深々とお辞儀をし


「初めまして…井川きぬえと申します…ようこそいらっしゃいました…」


 こちらを見てうっすらと微笑んだ。目の下が深く窪んでいて、疲れが溜まっている印象を受けた。


「どうぞお入りください…」


 そういって井川さんは家の中に私を招き入れた。


「お邪魔します」


 靴を脱いで、用意してくれていたスリッパには履き替える。大人が横になっても余裕で収まる広さの玄関に、私の靴が寂しそうに孤立していた。井川さんの後ろをついていき長い廊下の突き当たりの左側に面した部屋に案内される。部屋の一番奥には縁側があり、外にはししおどし付きの池が見える。この部屋だけでも私の家より広そう。想像以上の豪邸っぷりに戸惑い立ち尽くしていると、ちゃぶ台の前に座布団が敷かれた。


「こちらへお座りください…今お茶を出しますので…」


 そう言いながら井川さんはのそのそと部屋を出て行った。しばらく部屋にかけられた掛け軸や彫刻をぼーっと眺めていると、麦茶がたっぷり入ったポットとコップを乗せたお盆を持って、井川さんが戻ってきた。麦茶をそそいだコップを私の前に置いた後、続けて


「お菓子もあるから…良かったらどうぞ…」


 と大きくてふっくらとしたおいしそうな大福も用意してくれた。甘い物は大好きなので内心テンションが上がる。


「ありがとうございます、いただきます」


 お茶を一息のみ、大福を一口かじると、程良い甘さとモチモチとした食感が口の中で広がってとてもおいしい。思わず顔が少しにやけてしまう…そんな私を見て井川さんは優しく微笑んでいる。なんだか恥ずかしくなってお茶を飲んで表情をリセットしようとするも、焦って飲んだせいで気管に入ってむせた。あわてて井川さんは布巾を持って来てくれた。


「す…すみません、なんか…」


 口を拭きながら、謝る。


「いいのよ…あの子も慌てん坊だったから…なんだか懐かしくて嬉しいわ…」


 井川さんはそこに遠い昔が見えているように目を細める。こんな流れになってしまったが、早速本題に入ることにした。


「あの…サキの事、詳しく教えて貰って良いですか…?」


 わかっていますよ、とでも言うように井川さんはゆったりと首を縦に振った。


「…でもその前に、篠原さんのお話が聞きたいわ。サキと会った時のこと」


 私は自分が体験した事を話し始めた。こんな嘘みたいな話を井川さんは話の腰も折らず、否定もせず、時折相づちまで打ってくれたのでとても話しやすかった。全てを話した後、井川さんはゆっくり目を閉じて頭を垂れた。


「………そう、やっぱりあの子は………」


 閉じた目から、一筋の涙が零れている。


「大丈夫ですか……?」


 心配になった私は、井川さんの顔をのぞき込む。


「あら、ごめんなさい。フフ、この年になると涙もろくなるわね…」


 指先で涙を拭うと、改めて私の顔を見つめる。


「じゃあそろそろ、私が知っている紗希の話をしましょうか……」


 私は息を飲み、小さく頷いた。


「私が40歳手前の時にようやく授かった一人娘、紗希は30年前のある日の朝、いつものように学校に行ったきり…そのまま帰ってこなかった……。家族みんなで大騒ぎして、誘拐されたんじゃないかって警察に捜索依頼を出して、自分たちでも思い当たるところは毎日探したわ。でもどれだけ手を尽くしても結局見つからないし、何の手がかりも掴めないまま捜査は打ち切り。それから私は、今日まであの子の帰りをずっと待っているの」


 井川さんは縁側の方を見て、目を細めた。


「あの…この家に他の家族の方は?」


 ふと気になったので質問してみる。井川さんの視線が、縁側から天井の蛍光灯へ静かに移動し、天井をぼんやりと眺めながら深い息を1つ吐いた。


「…もう私以外、誰もいないわ。紗希の帰りを待ち続けて、私の夫も、父も母も皆亡くなりました。……私だけが残って、紗希がいつ帰って来ても良いように、家の状態はなるべく昔の状態を維持するようにしているの」


 私は、かける言葉が思い浮かばなかった。自分の人生より3倍近い時間も、1人娘が帰ってくるのをずっと待っているなんて…。待っている内に順番に身内が亡くなって、ついには独りきりになってしまったその寂しさ、悲しさ、苦しさを共感出来るような経験を私はまだ持ち合わせていない。


「30年前に事件があったときはね、結構大きなニュースになって、全国的に報道されたの。その影響でいたずら電話もすごくて…だから篠原さんの最初の電話を受けたときも、当時うんざりするほどかかって来てたから、最初は「またか…」って思っていたの…ごめんなさいね」


井川さんは私の目を見て頭を下げた。どう答えようか考えていると、


「あ、そうだわ。ちょっと待ってね」


 そう言って井川さんは不意に立ち上がり、部屋を出た。5分ほど待っていると、1枚の紙を持って戻ってくる。


「これ…当時作られた捜索願い何だけど…」


 座りながら、私に紙を見せる。薄茶色に色あせた古紙はなんとも言えない匂いがした。一番上に大きな赤字で『探しています!』の文字、真ん中に白いブラウスと赤いプリーツスカートの女の子がはにかんだ笑顔で右腕にくまのぬいぐるみを抱え、左手でピースサインをしている写真が貼られている。私の知っているサキの姿とそっくりだ。ただ、くまのぬいぐるみは持っていなかったはずだ。


「このぬいぐるみは?」


 写真を指さして、井川さんに尋ねる。


「これはサキが7歳になった誕生日に買ってあげた物で、とても気に入ってくれていつも肌 身離さず持っていたわ。この写真も誕生日に庭で撮ったのよ」


「ちなみに、失踪した当日もぬいぐるみは持っていましたか?」


「ええ、ランドセルに隠して持って行ってたみたいね。あの子内気な性格で友達作るのが上手くなかったから…いつも一緒にいるだけで安心だったんでしょうね」


 私はあごに手を当ててしばらく考える。私が会った時のサキは、ぬいぐるみを持っていなかった。これはどういうことだろう……沈黙していると、井川さんが深呼吸をするようにゆっくりと声を出した。


「……でも篠原さんのお話を聞いて、私ようやく決心がついたわ……もうあの子を待つ事は……諦めます」


 そっと目を閉じて俯く。


「………何でですか?」


 分かっている。今までの話や体験で井川さんが何を悟ったのかは本当は分かっている。でも認めたくなかった。


「だって…あの子は……紗希はもう………」


 顔を上げて私の方を見つめる。両目が充血しているのを見て、つられてこっちも泣けてきた。頭では分かっているけど、認めたくなかった。サキは死んだ当時の姿で、山をさまよっていることを。そうするとあの時花畑を見せて飛び込むように誘ったのは、私をあの世へ連れて行くつもりだったのか…でも、電話では「助けて」とも言っていた。

 知りたい。彼女の本心を。


「………………探しましょう」


 私はほほを伝う涙を拭うと、井川さんに強く言った。


「探すって何を……?だって紗希は」


 うろたえる井川さんの言葉尻を遮って私は続ける。


「多分だけど………自分の事を見つけて欲しいから、私の前に現れて、あの崖までつれて行ったんだと思います。電話がかかってきたときも、あの子「助けて」って言ってました。だからきっと、サキは見つけて貰えるのを待っています。」


「でも、手がかりがないでしょう……?警察が大人数で毎日探しても何も見つからなかったのに……どうやって見つけるの?」


「もう一度あの崖に行きます。サキがあそこから落ちたとすれば、崖下にきっと、あの子はいます」


 どうやってたどり着いたのかは覚えていないし、目が覚めたときは病院だったのでもう一度いける自信は正直全くない。でも私は何かしたかった。目の前で悲しんでいる井川さんと、誰にも見つけて貰えずにさまようサキの事をほっとけなかった。


「………そうね……私も………あの子の事、ちゃんと供養してあげたい………」


 井川さんは顔の前で両手を合わせて、祈るような格好で大粒の涙を流している。その全身は小刻みに震えていた。


「サキの遺体は私が必ず見つけます。だから、待っていてください」


私は目の前で震える小さな背中をそっと撫でた。


 カラスが西の空を見て鳴くころ、家に帰った私はさっそく動き始める。まずは飛び降りるのを止めてくれた登山者を探そうと思っていた。あの人に会うことが出来れば、普段から山に登っている人なら崖の場所まですぐ案内してくれるだろうし、何よりあの時助けてくれたお礼がしたいと思ったからだ。


「ねえ、私を病院まで運んでくれた人って知ってる?」


 私はキッチンで晩ご飯を作っている母に聞いてみた。


「どうしたの急に?」


「ちょっと会ってお礼がしたいな、って思っただけ」


 目的はそれだけじゃ無いんだけど…念のため秘密にしておく。


「名前だけ知ってるわ。麻弓が入院しているって病院から連絡があった日に、お医者さんに誰が発見したのか聞いたのよ。確か…浅山さんっていう地元の登山家の人らしいわ」


 キャベツを切りながら答える母は、切り終わったキャベツをボウルに移していく。


「でも、会うのはちょっと難しいんじゃないかな」


「なんで?」


「直接会ったわけじゃないし、病院でも住所までは教えてくれないと思うよ」


 水気たっぷりの野菜たちがフライパンに入っていき、パチパチと油が弾ける音が響く。


「そっか………」


 なんとかして浅山さんに会う方法はないものか…。あごに手を当て考える。


「でも偉いよ。あんたがお礼したいなんて言うと思わなかったわ。ちょっと前は誰かに挨拶する事すら恥ずかしがって出来なかったのに…入院してからちょっと変わった?」


 言われてみれば、最近自分から色んな事に積極的に行動しているような気がする。サキと会ったせいかな?


「もしかしたら、地元の登山クラブや同好会のメンバーだったりしてね」


 母からのアドバイスを聞いて、私ははっとした。


「ありがとう、探してみるね!」


 早速スマホで登山関連の記事の検索を始める。しばらく夢中で探していたけど、晩ご飯が出来たので食べる準備をするのに一時中断する。


 毎日暇な時間を見つけては、地元周辺で活動している登山グループのホームページの記事をしらみつぶしにチェックする。田舎町だからすぐに見つかるだろうとたかをくくっていたら思った以上に活動している団体が多くてブックマークが数日で10個以上増えてしまった。

 検索を開始して1ヶ月ほど経ったとき、あるサイトで気になる記事を発見した。


 【投稿日】2018.8.22

 【タイトル】『やめよう!命のポイ捨て!』

    

  どーも!登山大好きノボルです(^o^)/


  先週末1人で山に登ったら、珍しく道に迷ってしまいました…(^_^;)

  コンパスもGPSも効かないし、はてさて困ったなぁ~と歩きまわって


  ようやく自分が知っている道に出たときの安堵感はそれはもう凄かったですよ!


  何年登山を経験しても、油断は出来ないですね。


  ちょっとここから真面目なお話になるんですが、知った道に出て


  安心していたら、ガードレールの際に立って崖を見つめる小学生くらいの


  女の子を見かけました。

  

  そこは地元の登山家では有名な自殺スポットで、嫌な予感がするので近づいて


  いくと、ガードレールに足をかけ始めたではありませんか!!(゜∀゜;ノ)ノ


  思わず大声で止めてしまいました。


  私は「自殺は良くない」とつい説教してしまったのですが、

  女の子は「友達と花畑に遊びに来ただけ」みたいなことを言っていました。

  話がどうにも噛み合わないなぁと思っていたら、急に女の子が震えだして

  その場に倒れてしまった!Σ( ̄□ ̄;)


  すぐに自分の車に乗せて、病院へ連れて行きましたが…大丈夫かなぁ~。


  小学生の女の子が1人でどうやってあんな山奥まで辿り着いたのかは


  わかりませんが、せっかくの命を自ら断つことは非常に辛く悲しい事


  だと思います。

  

  山で空き缶をポイ捨てするように、自分の命も捨てないで欲しいです。


  私が山登りの楽しさを教えれば、死にたい気持ちなんて吹き飛ぶかも


  しれません。



  みなさんも決して自殺目的ではなく、健康管理やストレス解消の為、


  どんどん山登っていきましょう!


  それではまた!\(^o^)/



 これは自分の事だと確信した私は、思い切って『私は浅山さんに助けられた小学生で、篠原麻弓と言います。直接お礼がしたいのと、お話したいことがあります。いつかどこかで会えませんか?』とメールを送ってみた。

 3日後に返信が来た。『浅山登です。まさか本当にあの時の女の子?あの時は叩いたりしてすみませんでした。お礼だなんて、そんなにたいそうなことはしていませんので、お気持ちだけちょうだいします』と断られてしまった。

 それでも諦めずにメールを送り続けて数日が経ち、ついに私の熱意に根負けしたのか、来週の日曜日の正午に隣の町の駅前にある喫茶店『イエスタディ』で母を含めた3人で会う約束をした。記事を発見してからもう1ヶ月が経とうとしていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る