第45話 憧憬・1
第四十五話 憧憬・1
「むう。ここもダメですわ」
薄暗い格納庫の隅。機械油やホコリ、鉄粉でうっすらと汚れている場所に、ひと際目立つ深い赤をしたデイドレスを着た少女の姿が見える。その目鼻立ちは年相応に幼い雰囲気を残しつつもどこか大人びた印象も感じられる。強い意志の感じられる大きな目、綺麗な形の鼻、少々厚めの唇はツヤツヤとしていて、おそらく異性はもとより同性すら見惚れさせてしまうほどだろう。
ドレスと同系色の明るい赤をしている髪を白いリボンでツインテールにしていて、その姿は可憐な少女像そのものだ。ただしこの格納庫にたどり着くまでに多くの障害があったのだろう、見るからに高価そうなドレスはあちこちはホコリにまみれ、裾のフリルはどこかに引っかけたのか少し破れている。美しい髪には蜘蛛の巣がはり付き、鼻の頭は黒く汚れてしまっていた。
少女は何かの部品が入った大きな木箱の陰から頭を少しだけ出し、周囲の様子を伺う。広い格納庫の向こうには待機中、または整備の途中であろう理力甲冑が鎮座している。その周りで整備士の格好をした者たちが忙しそうに作業をしている中、グレイブ王国の兵士が数人うろついていた。これでは少女が理力甲冑を強奪することは難しいだろう。
(……これで手近な理力甲冑は全て押さえられてしまいましたわ……残るは軍が直接管理する格納庫くらいしか……いえ、それこそ無理な話です。こうなってはいよいよ打つ手が無くなってしまいましたわ)
毎日の豪勢な食事から一流の職人に仕立てさせた服を用意し、快適に過ごせるよう豪華な調度品や家具を集めさせた。多くの使用人を雇い、様々な身の回りの世話をさせるのは当たり前の光景。帝国内でもそれぞれトップクラスの教師を何人も招いて様々な分野について学ばせた。生来、素直な性格のネーナは父親から与えられるそれらのものが当たり前だったし、同世代の子供なら嫌気がさすような英才教育もそれが当然のものと進んで勉強していった。
ネーナにとっては、豪華な生活や厳しい稽古事の練習、多くの使用人が自分の一言で動く事、広大な敷地の屋敷それらが当たり前の事でそれが全てだった。
父親はなるべく危険なことには触れさせまいと、ネーナが屋敷の外から出ることを酷く嫌った。せいぜいが屋敷の周囲に広がる庭園の中くらいなもので、何かしらの用事で外出しなければいけない時は大仰なほどの護衛がつき、ゆっくりと外の景色を眺める事すらできない。
その為、ネーナは屋敷の外の世界というものをほとんど知らず、あるのは本で学んだ知識だけ。アムリア大陸がどのような形をしており、その大陸には大小様々な国があり多くの人間が暮らしていることは知っていたが、ただそれだけだった。
おそらく、彼女はそれが普通で当たり前の事だと、この先ずっと信じて生きていくはずだった。時がくれば社交界にデビューし、自分と似た境遇の貴族の子女と語らい、そして父親が決めた結婚相手の下へ嫁ぐ。世継ぎを産み、夫とその家を守っていくのだろう。そう考えるのが普通で当たり前だった。
そんな普通で当たり前の事が打ち破られたのは、彼女が十四回目の誕生日を迎えた日だった。
(さて、いつまでもここに居ても仕方ないですわね。一度、自室に戻って作戦を練り直した方がいいかしら……)
ネーナは今後の行動について思案する。周囲に彼女を探す兵士や使用人の姿や声が無いのでグレイブ城からこっそり抜け出した事はまだバレていないようだ。しかしそれも時間の問題だし、戻るなら急いだほうが良いだろう。そう思って来た道無き道を戻ろうとすると、近くに人の気配がするのを感じた。
(マズいですわ! 息を潜めてやり過ごさなくては!)
身を縮こませ、息を殺す。ドレスの裾をゆっくりと引っ張り、隠れている木箱から覗かないようにする。
足音からすると、どうやら一人のようだ。パタパタと軽快な足音は兵士や整備士のような大人のものではない様だが、かといって
「おっ、こんな所に保管していたんデスね。こんな隅っこに置いてたら誰も気づかないデス」
妙なしゃべり方をする女の子のようだ。しかし、このしゃべり方と声はどこかで聞いたような気がすると感じ、ネーナは自身の記憶を辿っていく。確か最近の事だったはずだと思い出そうとするが、それが命取りとなった。
その女の子は木箱の大きなフタを力任せに開けようとするも、その小柄な体格では無理だったのだろう。フタは僅かに持ち上がったものの、すぐに重力へ引かれてしまい大きな音を立てて閉じてしまった。声の主を思い出すことに集中していたネーナはその音に驚いてしまい、思わず口から一瞬、ほんの少しだが悲鳴が漏れてしまう。
「ん? 誰かそこにいるんデスか? って、オマエは……」
「オ、オホホホ……」
二人は思わず見つめ合い、奇妙な時間が流れる。
「よし、ここなら誰にも見つからないデス。今からフタを開けてやるデスよ」
先ほどの
全身を使って何とか木箱のフタをずらすと、その中にはネーナが小さくうずくまっていた。
「ふう、助かりましたわ。えーと。先生……様でよろしかったかしら?」
「様はいらねーデス。気軽に、でも
「分かりましたわ。それで先生、ここはどこですの? 見たところ理力甲冑の格納庫のようですけれど」
辺りを見渡すと、格納庫にしては少し狭いが三機の理力甲冑が見える。そのうちの一機はステッドランドだが、白色のは見た事が無い機体だ。水色のはどこかで似たような機体を見た気がする。あれは色違いだっただろうか。
ちなみに夜間迷彩として暗い青色に塗られていたレフィオーネはクレアの
「ここはホワイトスワンの中デス。今の時間はみんな昼食に行っているから当分は誰も来ないデス」
「まぁ、そうでしたの。皆さんが
そう言いながらネーナは興味深そうに辺りを見渡している。特に初めて見た
「ところでネーナ、オマエ、なんであんな格納庫の隅になんか隠れていたデス?」
「おっと、その話をします? それでは長いのと短いの、どちらがよろしくて?」
「じゃあ手短に話すデス」
「私、理力甲冑を強奪して王国からオサラバしようとしたんですけれど、ここ最近はどこの格納庫も警備の兵士が急に増えてしまって。綿密な計画が破綻してしまい、どうしようかと悩んでいた所なんですの」
「オマエはアンポンタンなんデスか。あんなに毎日毎日、理力甲冑を強奪してりゃ誰だって警備を増やすに決まってるデス」
「ムッ、アンポンタンとは失礼ですね。ま、まぁ? 確かにちょっと理力甲冑強奪計画に固執してしまったのは認めますけど」
両手を組んでふんぞり返ってはいるが、少し視線を逸らす。ネーナも自分で思う所はあったらしい。先生はふぅとため息をつくと一つ質問をした。
「いい機会だから聞いてもいいデスか? どうしてネーナは貴族の贅沢な暮らしを捨てて自由とやらを求めるんデス?」
「……私は幼い頃から屋敷を殆ど出た事がありませんでしたわ。知っている世界の全ては屋敷とお庭、あの別荘くらい。でも、ある事がきっかけで私が知る世界は物凄く狭いものだということを知りましたわ。だから私は見てみたいのです。世界中のあちこちを旅してまわり、沢山の人たちと話して、多くの風景を見てまわりたいのです」
その真剣な語りと眼差しに先生は腕を組み、静かに聞いている。何度も失敗し、連れ戻されるにも関わらず諦めずに脱走を繰り返す理由。
「最初はきちんとお父様に相談しましたわ。帝都の外が無理でもせめて屋敷の周りくらいは、と。でも、お父様はそれすらも許して下さらなかった。そこで私はある結論に思い至りました」
ネーナは一度、息を大きく吐き、そして吸い込む。
「もうこうなったら家出でもなんでもして世界を巡ってやると! お父様には悪いですけど、可愛い子には旅をさせよというでしょう?! だから私は私を縛る家を飛び出し、自由な空へと羽ばたくのです!」
「それで本音は?」
「お父様の馬鹿っ! 私だってもう十六ですのよ?! いつまでも子供扱いして! まっ、お父様になんて酷い言葉を。でもここにはいらっしゃらないから良しとしましょう」
「うむ。よく言ったデス、ネーナ。よっく分かりました。これから私はオマエの味方をしてやるデス!」
先生はネーナのなにかに共感したのだろうか、突然の協力を申し出る。しかし、その表情はいたって真面目なもので、いつものイタズラや、面白そうだからという思い付きではなさそうだ。
「あら、それはありがとうございます。しかし、先生。味方といっても何をして下さるのかしら?」
「まあまあ、そう慌てるなデス。いま、私とオマエがいる
「どこって…………あ!」
先生はニヤリと笑う。
「
「先生……貴女、体はちっちゃいのに頼もしいですわ……!」
「フッフッフッ、もっと敬うがいいデス。あと私はちっちゃくないデス。みんなより少し背が低くてスレンダー美人なだけデス」
「それはちっちゃいのとどう違いますの?」
「フッフッフッ……!」
「フッフッフッ……?」
他には誰もいないホワイトスワンの格納庫に、先生とネーナの笑い声が響く。ユウ達はこの先起きる波乱に、いつの間にか巻き込まれてしまっていたのであった。
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