第17話 甘味

第十七話 甘味


「うぅ、頭が痛い……」


 クレアはズキズキする頭を持ち上げる。二日酔いになるまで飲んだのは久しぶりだ。頭痛を我慢し、ベッドから立ち上がる。と思ったら少しの間、ベッドに腰掛けたまま動かない。ぼーっとする頭が多少はマシになってくる。顔でも洗おう。手櫛で軽く髪を整え、動きやすい普段着に着替える。


 化粧品の入ったポーチと手拭いを持ち、洗面所へと向かう。艦内のスペースは限られているため、こうした設備はほとんど共同だが贅沢は言っていられない。個室があるだけマシとしよう。

 洗面所で顔を洗い、髪をすく。だいぶ眠気が覚めてきたクレアは薄く化粧をしてから食堂へと向かった。


「ユウ、おはよう」


 厨房ではユウが食器を洗っていた。どうやら他のみんなはとっくに食べ終わっているようだ。今日に限って、みんな起きるのが早いわね?


「あ、おはよう。クレアの分はそこに出してるよ」


 ユウと挨拶を交わし、いつもの席に座る。そこにはユウが用意してくれている朝食が並んでいた。今日はパンとカリカリに焼いたベーコン、付け合わせにトマトとレタス。塩と豆のスープ。それに……。


「今日は卵があるじゃない! どうしたの?」


 朝食の皿にはオムレツがあった。卵の黄色とケチャップの赤いコントラストが食卓を彩る。クレアは以前、ユウが作ってくれたオムレツを初めて食べたことがあり、それ以来すっかり好物のひとつとなった。


「ああ、ついさっき街の人がくれたんだ。産みたてだからって」


 鶏の卵はけっこう貴重だ。鶏を飼っている農家などはともかく、こういう街では少々値が張るため、あまり口にする機会がない。しかも産みたてとは。


「僕はいいって言ったんだけど、どうしてもって言われてね。街を守ってくれたお礼だってさ」


「ふーん?」


 街を守った? なんの事だろう。いや、それよりも今はオムレツだ。クレアは早速フォークとナイフを手にし、朝食を食べ始めた。フワフワのオムレツを口に入れると卵の味とバターの香りが広がっていくのを感じる。


「美味しい!」


 ユウが軽い舌触りにするには空気を含ませるようにかき混ぜると言っていたが、とてもふかふかで柔らかい。それに卵の甘味とケチャップの酸味がよくあっている。美味しさのあまり、二日酔いの頭痛も気にならなくなる。


「クレアはオムレツが好きだよね? 卵がたくさんあったらいつでも作れるのにな」


「そうね、ここホワイトスワンで鶏でも飼う?」


「白鳥なのに鶏?」


 二人は小さく笑う。





クレアは朝食を食べ終わったあと、食堂を出て格納庫へと向かう。自分の機体を点検するのと補給の確認をするためだ。格納庫ではすでに先生とボルツ、ヨハンが作業を行っている。クレアに気付いたヨハンが手を止めて立ち上がる。


「あ、姐さん! おはようございますっ!」


「おはよう、ヨハン。今日は朝から早いわね」


「? そうっすか? そんなに早くないっていうか、むしろ遅……」


「あああ!!」


 ヨハンの声が先生の叫び声でかき消された。少し残る頭痛に響いてくる。一体何があったんだろうか。


「どうしたのよ、そんな素っ頓狂な声を上げて? まだ、二日酔いで頭が痛いのよ」


「ああ、クレアデスか。素っ頓狂もクソもないデスよ。これを見てください」


 先生はそう言ってアルヴァリスの脚部装甲を取り外したところを指さす。理力甲冑の人工筋肉と各種配線がむき出しになっているが、クレアにはさっぱり分からない。


「理力甲冑の人工筋肉? これがどうしたのよ」


 先生の代わりに何かの装置を持ったボルツが答える。


「ああ、クレアさんおはようございます。いや、アルヴァリスの脚部に使われている人工筋肉なんですけどね、そろそろ耐用限界なんですよ」


「耐用限界? そんなに早く消耗するものなの?」


 理力甲冑の各部が駆動するには人工的に製造された筋肉が用いられている。魔物の筋肉を特殊な処理を施して作られるそれは理力によって収縮と膨張をする。そのため、理力甲冑を動かすには操縦士に理力の素質が求められるのだが、理力の強さによってその収縮力が大きくなることが知られている。また、収縮の速さや細かい動きも理力に比例して向上するため、理力が強い=理力甲冑の操縦が上手い・強いに直結する理由である。


 ところでこの人工筋肉だが、もとは魔物の体の一部なので使えば使うほど消耗するし、長期間の使用で劣化もする。開発が始まった頃の人工筋肉は一週間程度で腐ってしまったらしいが、さすがに現在は保存液や防腐処理が向上しているので、すぐに交換という事は無くなった。それでもこうして定期的に点検をして人工筋肉の劣化具合や交換時期を確かめなければならない。生きた動物なら傷ついた筋肉は代謝によって再生するが、理力甲冑の人工筋肉はそうもいかないのだ。


「うーん、このアルヴァリスの人工筋肉はけっこういい物を使っているので、そうそう劣化することはないように設計したんデスけど。それが予定の半分も来ない使用期間でボロボロになるなんて……」


「それって、つまりユウが無茶しすぎってこと?」


 クレアはユウとアルヴァリスが戦闘中に見せる驚異的な跳躍や回避運動を思い浮かべる。確かにあんな動き、ほかの操縦士では到底出来ないような機動をしていたらすぐに人工筋肉も劣化するというものだろう。


「……やっぱり、それが原因デスかねぇ……」


 先生は深くため息をつく。どこか落ち込んでいるようだが。


「先生、どうしちゃったんです?」


「なに、簡単なことですよ。もともとアルヴァリスは量産を前提に開発が行われてきました。現状、ただでさえまともに操縦できる人間が限られているうえに、人工筋肉の消耗が激しくて頻繁に交換しなきゃいけないとなったら、軍のお偉方の覚えも悪くなるでしょう?」


 趣味的に理力甲冑を作っているように見えた先生だが、ちゃんと費用や整備性についても考えていたのか。クレアは少し驚いてしまう。


「うむむ、当面は予備の人工筋肉を多めに貯蔵しておかないと……それと機体の方からリミッターを設け……でも根本的な解決にはならないデスね……」


 先生は顔を険しくしながらブツブツ独り言を言っている。対策案をいくつか考えているが、どうやら問題の根っこに到達するものは無いらしい。


「ユウの理力に耐えられないなら、もっと強い人工筋肉を作ったらいいんじゃないの?」


 クレアはなんとなく言ってみる。もちろん、ただの思い付きなので具体的にどうすれば強い人工筋肉を作れるかは知らないし、そもそもどうやって作るかも知らない。


「いやいや、クレアさん。簡単に言いますけどね。今の人工筋肉の強度と耐久性を得るまでに、偉大な先人たちの並々ならぬ努力がどれほどあったか……」


「いや、そうデス。無いなら作ればいいんデスよ。従来よりものよりもっと強く、もっと強力に、もっと強靭な人工筋肉を開発して、ついでに量産体制も確立しちゃいましょう!」


 先生は急にやる気になったようだ。しかし、発言した本人が言うのもなんだが、そんなに簡単に開発できるものなのだろうか? ボルツなんかは今後の展開を悟ったのか肩をうなだれている。おそらく、無茶な研究に付き合わされるのだろう。


「ま、なんでもいいですけど。先生、ボルツさん、そろそろ休憩にしましょうよ。」


「もう休憩するの? そんなに時間は経ってないんでしょ?」


「何言ってるんデスか、クレアは。酒の飲み過ぎで頭がバグっちゃったんデスか? 今は10時くらいデスよ」


 ん? 10時? え? 朝、起きて、顔を洗ってご飯を食べて……いまは7時か8時くらいじゃないの?


「クレア姐さん、今日は寝坊しちゃったから時間の間隔がズレちゃってるんですよ、きっと」


 クレアは急いで格納庫を飛び出す。ホワイトスワンのすぐ向こうにある城門へと続く街道には多くの人が往来している。空を見上げると太陽はすでに高くなっている。……まさか、本当に寝坊?


 クレアは突然、その場にうずくまってしまう。つまり、ユウは自分の事を寝坊しても何気ない顔で遅い朝食を食べる女に見えたっていうこと? そんなだらしない人間だと思われた? というか、そんなに飲んだっけ私? だんだんと自分の顔が熱くなっていくのが分かる。おそらく、耳まで赤くなっているのだろう。周囲に人がいなければ大声で叫びたい気分だ。


 後ろからついてきたヨハンが心配する。突然、外に向かって走り始めたと思ったら、急にしゃがみこんだのだ。無理もない。


「姐さん、大丈夫ですか? 昨日、飲み過ぎたんじゃ?」


 クレアはキッとヨハンを睨む。


「ヨハン、私、決めたわ。もうお酒を止める! これから飲まない!」


 その紅い瞳には強い決意の炎が宿って見える。よほどの覚悟なのだろう。理由は聞かないでおこう。なんか昔も似たような事を言っていた気がするが、ヨハンは黙っていることにする。


 そのとき、外から大柄な男性が大きな声で呼びかける。シンだ。


「よぉ! おはようさん! いや、もうこんにちは、か? まあ、どっちでもいいや! お、クレア! 昨日飲んでたビールだけどよ、お前気に入ってただろ。店長に仕入先聞いといたから補給品のなかに入れといたぜ!」


 なんて間の悪い。ヨハンはクレアの方を見ると、小さく肩がひくついている。あ、これは断酒を決意した矢先にビールが飲める嬉しさと怒りが混ざり合っていると直感的に理解する。クレアはすっくと立ちあがり、いまの状況を知らないシンがノコノコと近づいてくる。ヨハンがヤバい、と思った瞬間、クレアはシンに向かって飛び蹴りをかましていた。


「お酒は飲まないの!!」


「グホァ!?」


 クレアの右足は綺麗にみぞおちに入ってしまい、シンは苦しみ悶えている。ヨハンはクレアの断酒が今回も長続きしないと予想し、静かに合掌する。シンさん、あなたは悪くない。ただ、タイミングが悪かっただけです。


「まったく、何をやっているんデスか。シンを殺しちゃ駄目デスよ? 昨夜みたいにいつ敵襲があるか分からないんだから」


 先生がトテトテと歩いていくる。クレアは興奮した頭を大きく深呼吸しながら落ち着ける。ん? 昨夜に襲撃なんかあったのだろうか?


「なんかユウも言っていたけど、どういうこと? 敵襲って?」


「クレアはぐっすり眠っていたから知らないでしょうけど、みんなでスワンまで帰ったあとに敵の攻撃があったんですよ。お酒を飲まなかったユウは出撃できたんデスが、ヨハンはふらふらで操縦できないし、そもそもクレアは起きてこなかったので論外デスけど」


 クレアは絶句する。まさか自分の寝ているときにそんなことがあったとは。お酒を飲み過ぎて潰れてしまい、ユウを一人で戦わせてしまったなんて。酷い自己嫌悪で頭が痛くなってきた。いや、これは二日酔いの頭痛だ。それよりユウはそんな素振りを見せなかったが、もしかして自分のために気遣ってくれたのか? うう、その気遣いが余計に私の心を抉る……。


「もうユウと顔合わせられない……」


 クレアは顔を手で覆う。あーもうやだ。部屋に引きこもりたい。


「なに馬鹿なこと言ってるデスか。いいからちょっと調べものするからついて来いデス」


 先生はクレアの腕をとって外へ向かって歩き出す。なんだ、一体どこへ行くというのだ。


「こんだけ大きな街デスからね、図書館や軍の資料館も充実してるでしょう!」


「何か調べものですか? というか、痛いから手を離してくださいよ!」


「いいからついてくるデス! これからとある魔物について調べるんデス!」







「あれ? クレアと先生は?」


 ユウは昼食の用意ができたのでみんなを呼びに格納庫まで来たのだが、そこで整備していたのはボルツとヨハン、それになぜかシンだけだった。


「ああ、先生とクレアさんなら街の方に行きましたよ。ちょっと調べものがありましてね」


 ボルツは整備の手を休めずに答える。アルヴァリスの人工筋肉を一人で張り替えている途中だ。


「まったく、お昼時に出掛けなくてもいいのに」


 ユウは仕方ない、といった表情で外に向かう。調べものといったら街の図書館か軍の資料館か?


「あ、ボルツさん、ヨハンと先にご飯食べててください。僕は二人を迎えに行ってきます」


 ユウは街へと走っていく。


「ユウ君、早く帰ってきてくださいね! アルヴァリスの試験しますからね!」








 クレアと先生は丁寧に綴じられた冊子をパラパラとめくっている。二人は軍の資料館でとある魔物に関する資料を漁っていた。図書館でも調べてみたが、生態に関する情報はあったが、生息域は大まかにしか記述されていなかった。


「お、これデスこれデス!」


 先生はその魔物が最近目撃された、あるいは討伐された記録を探していた。クレアがそのページを覗き見る。


「えっと、ここから近いのは……クレメンテの北西、沼沢地域か。すぐそこじゃない」


「ちょうど良かったデス。これで材料は目途が立ちましたね。クレア、ちょっと軍の人から捕獲装置か何か借りてきてくれませんか?」


 先生は目撃情報をさらさらとメモ用紙に書き写す。


「ちょっと、て。そんな簡単に言ってくれるわね。私は別にそういった権限も階級も無いのよ?」


「それならアルトスにいたバルドーのオッサンと私の名前を出せばなんとかなるんじゃないデスか?」


 バルドーさん、結構偉い人なんだけどなぁ。まあ、理力甲冑や理力エンジンの開発を推進しているのはバルドーさんと先生なのだから、その辺りから交渉していけばなんとかなるか?


「とりあえずこれから聞いてみるわ。先生はどうする?」


「私は工廠の方へ行ってみるデス。新型の人工筋肉開発はスワンじゃ出来ませんからね」


 二人は資料を仕舞い、資料室を出る。と、その時、出入口でユウとばったり遭遇してしまった。


「二人とも探したよ。はやく昼食にしよう」


「うっ、ユウ……」


 クレアはなんでここに、と狼狽える。さっきよりは落ち着いたが、当の本人を前にしてはまだ冷静に対処できない。無意識のうちに先生の後ろに隠れようとするが、クレアは女性にしては長身な方なので全く隠れていない。先生はよけようとするが、クレアはがっちりと肩をつかんでいて動けない。


「あー。もうそんな時間デスか。いったんスワンでご飯にしましょう」


「ところで先生、なんでクレアは先生の後ろにぴったりとくっついて、顔を逸らしているんです?」


「……ある意味、お前のせいデスよ。ユウ」


 先生はすたすた歩いていく。その後ろにピッタリとついていくクレア。それに首を傾げながら追いかけるユウの奇妙な三人組は街中を進んでいく。








 ホワイトスワンの食堂に入るとすでには昼食を平らげた後だった。


「よぉ。美味かったぜ」


 なぜかシンも同席している。シンの分はご飯は作っていなかったのだが、もしかして……?


 ユウは机の皿を数える。ヨハンとボルツそれぞれの皿、そしてシンの前には三人分の皿。合計五人分。


「え? もしかして食べちゃダメだったか?」


「ちょっとシン! なに私の分まで食べてるんデスか! ユウの作るご飯はとても美味しいでしょうが!」


 先生はシンに詰め寄る。


「あの、ユウさん。すみません。気が付いたら三人の分を食べちゃってて……」


 ヨハンがすまなさそうに謝る。なんとなくその時の光景が頭に浮かんでくる。大方、腹が減ったからと二人の制止も聞かずに食べ始めたのだろう。


「いや、いいよ。ヨハン。……さて、どうしようか」


 今から作ってもいいが、ちょっと時間が掛かってしまう。


「むー。仕方ないデス。街の方で何か食べましょう。ホラ、行くデスよ。ユウ、クレア」


 先生は再び先頭を切って歩き出す。相変わらずクレアはユウと顔を合わせないよう、先生の後ろにピッタリとついている。


「ユウさん、クレア姐さんの事をお願いしますよ? 半分くらいユウさんのせいなんだから」


 ヨハンも先生も同じことを言うが、僕が何をしたのだろうか。







 三人は昼どきで人がごった返す街の大通りを歩く。この辺は飲食店が多いので何を食べようか目移りする。


「さて。何を食べますか?」


「んー、あの店とかどうデスか? なんか珍しそうなものが食べられそうデス!」


 先生が指さしたのは独特な雰囲気の店構えをしている。どこか別の国か地方の料理を出す店か。……なんとなく中華、というかアジアっぽい雰囲気だが、こっちの世界にもこういう国があるのか。

 三人は店に入り、店員に案内された席に着く。店は殆ど満員で繁盛しているようだ。壁に貼られている料理の一覧を眺める。見たことがない漢字で読めない。……中国語にもこんな漢字は無い、と思う。一部には漢字とアルファベットが混ざったような字もあり、見れば見るほどユウはおかしな感覚に襲われる。


「あ、店員さん! これとこれ、あとこれを三人分頼むデス!」


 先生はテキパキと注文する。どういう料理か知っているのだろうか。


「いや? 適当に注文しただけデス。わかんないデスよ、初めて来たお店だしメニュー読めないし」


 結構、豪胆なところがあるな。先生。クレアは……まだ顔を逸らしている。


 運ばれてきた料理は意外とまともだった。料理名が読めないので分からないが、蒸した鶏肉に何かのソースが掛かったもの、何種類かの野菜と魚の炒め物、それにエビ?の揚げ物の三種類だ。


「おお、適当に頼んだけど、おいしそうな料理デスね!」


 大きな皿からそれぞれ子皿に料理を取り分ける。見た目通り、味の方もまともだった。この辺りの地域の味付けとは異なり、何かの香辛料だろうか、少し辛めのソースが使われている。こういう中華っぽい料理は結構久しぶりに食べた。


 クレアは黙々と食べているが、どうもぎこちないのは何故だろう?


「このハシはどうも使いにくいわね。なんでユウと先生はそんなにハシが上手なのよ」


 言われて気付いたが、この店では普通に箸で料理を食べている。他の客もそうだ。日本人であるユウは箸を出されても特に疑問に思わなかった。そういえばもう一か月以上、箸を握ってなかったっけ?


「僕の住んでた所じゃ、箸でご飯を食べるんだ。多分、先生もそうだよ」


「私の事はどうでもいいデス。それよりさっさと食べるデスよ。午後からも忙しいんデスから」


「そういえば、二人して何を調べていたの? 軍の資料館で調べるような事って?」


「ああ、魔物の生息地を調べていたんデスよ。ちょっと捕獲しなきゃいけなくなったデス」


「え? 魔物を? どうしてまたそんな事を」


「実はアルヴァリスの人工筋肉がデスね……」


 先生は人工筋肉を改良する件の事を話す。専門的なところは簡単に補足していくか省略していく。


「うーん、あんまり無茶なことをした覚えはないんだけど……」


「実際、人工筋肉が劣化しているんだからしょうがないデス」


 ユウはあまり実感が湧いてない様子だ。クレアは目の前の料理を食べながら、あれだけの機動してれば……と、心の中で呟く。








 三人はちょっと遅い昼食を食べ終え、店を出る。その時、ユウはとある店が目に入る。


(あのお店は……)


「ユウ! なにボサッとしてるデスか!」


 クレアはまだ先生の後ろでモゾモゾしている。ここならクレアの機嫌も治るかな?


「クレア、先生、ちょっとあそこに寄っていきましょう?」


 ユウがクレアと先生の返事を聞かずに行ってしまうので、二人はあわてて走る。


「ちょっと、ユウ! どこ行くんデスか!」


 先生とクレアの歩幅が違うのでとても走りにくそうだ。ユウはとある店の前で立ち止まっている。


「ここ、入りましょう。食後には甘いものですよ」


 ユウがそう言って入った店は茶屋の一種で、甘い菓子や珍しい果物を絞った飲み物を出す所だった。


 ユウは適当な席に座るので、二人もそれに続く。お腹は膨れているが、甘いものが欲しくないと言えば嘘になる。


「これにしましょう。みんなも同じやつでいい?」


 しばらくして、店員が持ってきたのは焼き菓子とお茶だった。


「うわぁ、美味しいそう……」


 クレアは目を輝かせる。焼き菓子は固めに焼いた生地に砂糖や干した果物がのっており、この世界でのフルーツケーキのようなものだ。ユウのいた世界と違い、冷蔵庫のようなものが一部を除きほとんど普及してしないこの世界ではドライフルーツを使ったり、生地を固めに焼くことで水分を飛ばした保存性の良いお菓子が多い。


 クレアはフォークで丁寧に焼き菓子を小さく切り分ける。口に運ぶと、砂糖の甘さと干した果物の甘酸っぱさが口いっぱいに広がっていく。生地の中にも干した果物と砕いたナッツが入っており、とても香ばしい。


 お茶も紅茶のような良い香りがする。ほんのりと感じる渋みが焼き菓子の甘味をほどよく中和する。


「クレアはこういうお菓子も好きなの?」


 突然の質問にクレアは少し戸惑う。まだ今朝の事が頭から離れず、ユウの顔をまともに見られない。


「う……。なんだっていいじゃない」


 つい、ぶっきらぼうに言ってしまう。ユウはただの好みを聞いているだけなのだ、ちゃんと会話すればいいのに。少し自分が嫌になる。


 先生は二人のやりとりを見て何故かため息をつく。


「あー、ユウ。女性に甘いもの食べさせりゃすぐに機嫌が良くなるなんて思わない事デスよ? そんなのこのお菓子より甘い考えデス」


「え? いや、何の事か分からないですね……」


 ユウの視線が不自然に揺らぐ。図星のようだ。クレアはユウの顔をじっと見るが、ユウはあたふたしている。


(もしかして、ユウは私の事を気遣ってここに入ったのかしら……)


 そう思うとクレアは急に自分が子供っぽいと感じてしまい、余計に恥ずかしくなる。


「あの、ユウ……。そのゴメンね。昨夜、襲撃があったんだって? 私、全然気がつかなくて……それに今朝は寝坊したのに……」


「いや、いいんだよ。結果的になんとかなったし、街もスワンも特に被害は出てなかったからね」


「……でも、私は隊長なのに……」


 クレアは俯いてしまう。


「まぁ、確かに少しはお酒を控えてくれると助かるかな?」


「……」


 その事を言われると何も返せない。うう、頑張ってお酒は当分飲まないようにするから。


「でも、クレアの意外な一面が見れたから良かったかな? 普段は冷静に判断を下せる隊長さんなのに、今日はなんか女の子っぽかった」


 ん? 今日は? それはつまり、普段はどういう風に見えているんだ?


「クレアって結構、色んな所に気が回るでしょ。だから気にしなくていいことも気にしちゃうんだよ。もっと雑でいいんだよ、普段通りで」


 ユウの言葉には深い意味はない。ないと分かっているのだが。


「ねえ、ユウ。それは普段、私は雑で女性らしくないってことかしら?」


 ユウの顔がしまった、という表情になるまで一瞬だった。クレアは笑顔でもう一度尋ねる。


「ユウ? 一体、普段の私はどんな人間に見えるの?」


「え? あ、いや、その、クレアはとっても女性らしくて……ッ!!」


 ユウはその後の言葉を続けることは出来なかった。スネにクレアの強烈な蹴りを食らってしまったのだ。


「ふん! 先生、さっさと行きましょ!」


 クレアは残りの焼き菓子を口に頬張ると席を立った。


「あー、ユウ。もうちょっと女性のフォローの仕方を勉強するデスよ」


 クレアと先生は先に店を出ていってしまった。痛みに悶絶するユウは一人、残されてしまったままである。


「いってて……うーん。まぁ、いつも通りのクレアにもどったかな?」


 ユウはジンジンと痛む足をさすりながら呟く。クレアがいつもの調子に戻るなら、足の痛みくらいは平気だ。……いや、今回の蹴りは強烈過ぎる。もうちょっと痛みが引いてから帰ろう。








 結局、ユウがホワイトスワンに帰れたのは夕方前で、点検後の試験をすると待っていたボルツに怒られ、夕食の支度が遅くなったことで皆からブーイングを浴びせられてしまった。


「クレアがいつも通りに戻ったから、結果的にはいいよね?」


 ユウはそう自分に言い聞かせ続けながら夕食の準備をするのであった。

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