第8話 邂逅

第八話 邂逅


 とある一室。男が何かの書類を読んでいる。


 部屋は落ち着いた雰囲気の家具で統一されており、よく整理整頓が行き届いている。扉の近くには古いが目立った傷もない外套掛けがあり、深い黒をした本棚は質素だが重厚な存在感を醸し出している。そこには様々な装丁の本と書類ががっちりと並ぶ。中央には応接用の机と椅子が四脚あり、柔らかい色合いの革はよく手入れされている。


 そしてこの部屋の主、書類を読んでいる男は事務机に向かっている。机の上にはいくつかの資料が広がっていた。机の前には部屋の印象とは対照的に緊張した様子の若い男が直立不動でいる。……部屋の主は書類を読み終わったのか、パサッと机に放った。


「そうか、捕らえられなかった、か……」


 彼はオーバルディア帝国の将軍、グレイ・ドーキンス。年は五十と少し。顔のシワが深くなり老いた印象を与えるが、その眼光はまだ鋭く光っている。短めに整えられた口ひげを撫でながら、彼は今、逃亡者と強奪された装備品についての報告書を読んでいたのだ。


「はっ、誠に申し訳ありません!」


 落ち着かない様子の男は緊張した声で答える。無理もない、彼の部下達は命じられた任務を何一つ果たせなかったのだ。この男はクリス・シンプソン。帝国の理力甲冑部隊をいくつか率いている隊長だ。薄い金色の髪を肩のあたりで束ね、整った中性的な顔立ちもあって遠目に見れば女性と見間違える。


「部下の話によれば例の理力甲冑アルヴァリスが動いたそうで……」


「それは報告書にも書いてある。アレは試作品でまともに操縦できないと聞いていたが?」


「は、私もそのように聞き及んでいました。性能は従来機を遥かに越えるものの、調整不足か何かで制御が非常に難しい、と」


「この短期間に完成したのか、それともじゃじゃ馬を乗りこなせる操縦士が現れたのか……」


 グレイはふむ、と考える。この理力甲冑アルヴァリス試作母艦ホワイトスワンが連合の手に渡った所で大きく戦力に影響することはない。問題なのはそれを作った者が連合に渡ったということだ。放っておくと連合の戦力増強に寄与するのは間違いないだろう。


「どちらにせよ、過ぎたことはしょうがない。試作機のデータ自体は残っとるのだろう? そちらは別の開発部隊に引き継がせる事になるな。それよりも彼女先生の処置だ」


「……交戦した場所から考えると、彼女らは最も近いアルトスの街に向かったと考えられます。そうなると、今ここに配備されている戦力では少し厳しいものがあるかと」


 帝国の保有する戦力のおよそ半分は西方のシナイトスとの戦争に駆り出されている。東方に位置する連合との国境線付近には戦時中とはいえ、満足な数の部隊は配備されていない。ましてや、先の追撃戦でアルヴァリスに計16機、四つの部隊が全滅させられた。いや、一機は無事に帰還したのだったか。


「何も街一つ、丸ごと相手にする必要はない。ただ、彼女が連合に与する可能性がある以上、もらうほかあるまい。……嫌な手段だがこれも帝国にとっては必要なことだ」


 クリスはグレイがこのような作戦暗殺を嫌っている事に共感する。軍に協力していたとはいえ、彼女は只の研究者だ。しかもかなり強引に協力を要請していたと聞く。一人の人間を生かすも殺すも、軍の都合次第という身勝手さに彼も辟易しているのだろう。


 本来は帝国でもそれなりの地位にあるというのに、質素な執務室を好んで使う実直な人間だ。元は地方貴族の三男で軍に入ったそうだが、偉ぶることなく下士官にも丁寧に接するので、部下からの評判はすこぶる良い。それに貴族や平民といった出身に拘らず、各人の持つ能力を評価する、少し珍しいタイプの人だった。


 それゆえ、軍の上層部からはあまり良い印象がないのか、現在は主な戦線から遠く離れた連合との国境線近くにある砦の一つを任されている。建前上は「都市国家連合に対する抑止と警戒に最適な人物」らしいが、いざ連合との戦争が本格的に始まると内地に呼び戻されるのだろう。それとも今回の逃亡について、グレイに何か難癖を付けてくる可能性もあるかもしれない。全く、自らの地位と武勲に拘る連中という奴は。


「将軍、私に行かせてください。アルトスならば以前、滞在していた事があります。それにあの周辺の地理はある程度把握しています」


 クリスは今回の汚名を雪ぐ意味もあるが、それ以上に上官であるグレイの立場を悪くしたくなかった。


「ふむ……やってくれるか? だが、無理はするな。彼女が生き延びたとして、本格的な脅威になるのはまだ先の話だ。貴様はまだ若く、理力甲冑の腕も立つ。こんな汚れ仕事でよりも、戦場で武勲を挙げろ」


「はっ! 肝に命じます!」









 ユウ達が先生とボルツをアルトスの街に連れ帰ってから数日。


「ふぁ~。眠い……」


 昨夜、床についたのは深夜になった。オバディアとの夜間行軍訓練で疲れていたはずだが、いつもと同じ時間帯に目が覚めてしまった。




 あの日、先生とボルツを助けた後、本部へ出頭し事の顛末を報告しなければならなかった。特に二人の処遇についてだ。バルドーをはじめとした本部の人間は戸惑いながらも報告を聞くうちに、これが戦争を左右しかねない重要な案件だと理解した。しかし、事が事だけにすぐに何かが決まる事はなかった。




 今日もクレアが本部で聴取することになっていて、もちろん、先生とボルツもそれに参加する。ヨハンは何か自分の用件があるとかで早朝から出掛けている。訓練も任務も今日一日、何も予定がないユウは手持ち無沙汰に街をぷらぷら歩いてみることにした。


「そういえば街のなかをちゃんと見て回るのは始めてだったっけ?」


 そろそろアルトスの街に住んで1ヶ月は経つ頃か。これまでに何度かクレアやヨハンに街の中を案内をしてもらったり、買い出しなどで回ったことはある。しかし、こうやって一人で目的もなく散策するのはこれまでなかった。


 とりあえず商店街、いや、市場か? に向かってみる。アルトスの街は大きな円形をしており、中心は議会場や役所、教会、軍の本部といった行政や公共施設が集まっている中央区。それを取り囲むように大小様々な商店やギルド、市場が広がる商業区、さらにその回りを住宅が広がる住宅区と輪のように重なっている。以前、街の地図を見せてもらったが、道路が放射状に広がっているので丸いクモの巣のようだった。


 ユウは現在、中央区と商業区の間にある軍の詰所に寝泊まりしている。詰所といっても、寮がメインの施設なので生活には不便しない。ちなみにヨハンもここに住んでいる。クレアは住宅区に実家があるらしいが、詳しくは聞いていない。


「今日も賑やかだなぁ」


 市場は朝早くから多くの人が行き交い、活気で溢れている。ここは日曜日の休み以外は毎日人で賑わっている。朝食を寮で食べて来たため、特にお腹は空いていない。人と人の間をすり抜けながら市場を冷やかす。

 市場に並んでいる商品は様々だ。この一帯は広大な農地なので新鮮な野菜や畜産品が多く並ぶ。キャベツにタマネギ、トマト、ジャガイモ……。向こうを見ればニワトリの肉が売っている。ほとんど元の世界日本と変わらない品揃えだったが、魚介類は少なかった。これは街が地理的に海や大きな河川から離れているかららしい。


(そういえばコメは無いんだよなぁ)


 よく長期間、海外に滞在していると白米や醤油が恋しくなると聞く。ユウはまさか自分がそんなことになるとは思いもしなかったが、実際問題、無性に白米を食べたくなる時がある。

 ある時、ダメ元でこの世界にコメが無いか聞いてみたことがある。すると意外や意外、コメはあった。過去形だ。何でも大昔はいくらか作られていたそうだが、気候が合わなかったのと労力の割に収穫量が伸びなかったのが原因でだんだん作られなくなったそうだ。


「まぁ、醤油……もどきはあるから、良しとしよう」


 正確には魚醤、ナンプラーみたいな物だ。聞くところによるとここより南方の海沿いの地域で多く作られているとか。


 故郷の味を脳内で懐かしんでいると市場を抜け、商店が並ぶ通りに出た。この辺りはあまり来たことがなく、最初にヨハンと生活用品を買いに来ただけだ。どんな店があるのかと眺めながら歩く。さすがに市場ほどではないにしても、それでも人の往来は激しい。


(へぇー。金物屋に……こっちは服屋か。お? アレは剣? 普通に店先で売ってるもんなんだ……)


 するとユウの肩に何かが当たった。見るとどうも向こうから来た人とぶつかってしまったようだ。


「すみません! ちょっとよそ見をしてて……」


「いや、大丈夫だ。こちらこそ済まない。久しぶりにこの街へ訪れたものでね。懐かしくて私もよそ見をしていた」


 ぶつかられた男は気にするな、という風に笑みを返す。外套を羽織り、背中には大きなリュックを背負っている。旅の人だろうか。すると後ろから似たような格好の男が二人現れた。この男の仲間のようだ。


「どうかしましたか?」


「いやなに、ちょっと道を聞こうとしたんだ。ああ、君、確か宿屋がこの通りにあったと思うんだが、場所はわかるかい?」


「ごめんなさい、僕はこのせか……街に来て日が浅くて……」


「そうか、それは仕方ない。もう少し歩いて思い出すとしよう」


 男は後ろの二人に肩をすくめてみせた。


「なんか、すみません……」


 ユウはさっきから謝ってばかりだ。そんなユウを見て男は笑いながら、


「気にしないでくれ。これも何かの縁だ。私たちは数日はこの街に滞在する予定だから、何処かで見かけたら一緒に飯でも食べよう」


「はい! その時はよろしくお願いいたします!」


「ははっ、ではそろそろ行くよ」


 ユウは三人が見えなくなるまでその場で見送った。







「隊長、本当に何も無かったのですか?」


「ああ、問題ない。……あんまりしかめっ面をするな。それから口調に気を付けろ、隊長もやめとけ。我々はただの旅人なんだぞ?」


「ハッ。あっ、いや、そうだな。


「所で例の先生がいそうな場所はどうだ? 街の外にハクチョウがいるということは、まだここを離れていないはずだが」


「いくつか目星はついた。もう少し調べて候補を絞るつもりだ」


「そうか、ならこのまま宿に行くぞ。そこで詳しく聞く」


 三人はそのまま雑踏に消えていった。







 その後のユウは当初の予定を切り上げ、寮に戻ることにした。遠くから11時を知らせる教会の鐘の音が聞こえたからである。今から帰ればちょうど昼食の時間だ。


(最近はスマホで時間を確認しなくても、あんまり気にならなくなったな。良い意味で時間にルーズというか。……まぁ、スマホは初日から充電が切れたままなんだけど)


 今度は人にぶつからないよう気を付け、寮への道を歩く。あともう少し、という所で急に声を掛けられた。


「ユウ? どこか出掛けていたの?」


「? ああ、クレア。ちょっと商業区を歩いてた」


 先ほどの旅人とぶつかった事は伏せておいた。自分の不注意のせいなので、ちょっと恥ずかしい。


「ふーん。あ、そうそう。お昼の後で良いんだけど、本部に来てくれる? 例の理力甲冑の事で話があるの」


「あの理力甲冑? アルヴァリスの事?」


 あれからアルヴァリスには搭乗していない。何か問題でもあったのだろうか? 


「多分なんだけどね、ユウをアルヴァリスに乗せて実戦でデータを取るつもりなのよ。あの機体、今のところユウ以外に動かせた人間がいないの。私やきょうか……オバディアさんも含めて皆」


 そういえばボルツがそんな事を言っていた。アルヴァリスに搭載されている理力エンジンだか何だかの調整が難しく、出力が安定しないらしい。なので歩くだけでも常人には一苦労するのだとか。しかしユウの場合は召喚された理由の一つ、理力甲冑の高い適正と操縦技能で無理矢理、機体を制御しているのだろう、と。

 実はボルツは専門用語を混ぜて解説するのでよく分からなかったが先生が横から、


「ようは普通の自動車にF1マシンのエンジンを追加でのっけるようなもんデス。そのままの設定ではピーキー過ぎるんデス。でもユウは元々強力な理力エンジンを持っているようなもんなので、暴走気味のエンジンが一つ増えたところでそんなに苦労しないんデス」


 という妙に分かりやすい? 説明をしてくれた。というか、暴走気味って言わなかったか? というツッコミは上手くはぐらかされた。




「そうか、またアルヴァリスに乗れるのか……」


「頑張ってよ。アンタが動かしてデータを沢山集めれば、理力エンジンってのが完成して連合の理力甲冑が強くなるんだから」


「? どういう事?」


「詳しくは知らないのよ。そう力説してたチビッ子先生にでも聞いてみて」


 これ以上は仕方ないので、取り敢えず昼食を取ることにした。何故かクレアも寮の食堂へ一緒についてくるので訪ねると、


「私もついでにここで食べるわ。別に良いんじゃない?」


 と、あっけらかんとしている。まぁ、いいか。





 午後。アルトスの街、軍本部。その施設の一室にユウとクレアはいる。本当ならばヨハンも呼ぶ手筈だったのだが、出掛けたままで捕まらなかったのだ。非番なので仕方ないが、クレアが後で説明することになるのだろう。


 程なくして扉を叩く音がする。入ってきたのはバルドー、オバディア、ボルツ、そしてチビッ子先生の四人だ。


「お、ユウ! 久しぶりデスね! ちゃんと寝てますか? 目の下にクマが出来てるデスよ」


「どうも、先生。これは昨日の夜間訓練の成果です」


 オバディアがいる手前、迂闊なことは喋れない。と、ここでバルドーがオホンと咳払いし話し出した。


「ユウ殿、クレア。あとこの場には居ないがヨハンに特別な任務を命じる。ここにいる先生とボルツ氏をある場所まで移送し、とある設備の受領を行う。その後、設備と先生らを無事に連合まで連れ戻るのだ」


「はっ! 了解しました。それで、その場所とは?」


 クレアの質問にバルドーは少し言うのを躊躇った。


「……グレイブ王国だ」


 この大陸の地図がまだ把握出来ていないユウは何処か分からない。クレアは目を丸くしている。


「クレア? グレイブ王国ってどこ?」


 小さい声で聞いてみる。しかし、代わりにオバディアが答えた。


「グレイブ王国はここから北西にある。ルートはこうだ」


 机の上に大きな地図を取り出し、説明する。


「ここが出発点のアルトス。まずここから帝国との国境を平行して北上する。そして北の海岸近くまで来たら次は西


 オバディアの指は帝国の領内をズズズッと横切る。


「……あの教官、それじゃあ帝国の中に入ってるんですが……」


「おう、そうだ。。海岸戦を伝って、ホレ、ここがグレイブ王国だ」


 ユウは絶句した。確かにクレアが驚くのは無理もない。ユウもこれはかなりヤバイと分かる。


「驚いて声も出ないか? まあ、ある意味安全なルートなんだよ、これは」


「教官! そもそも、何故グレイブ王国に行くんです? !」


 クレアの素朴な疑問に今度はバルドーが答える。


「理力エンジンの量産を確立する為です。アルヴァリスとホワイトスワンにも搭載されている理力エンジンは、完成すれば従来の理力甲冑を越えた性能を与えてくれるそうなのですよ。我々、連合の各都市も理力甲冑に関連する技術を研鑽しているのですが……。如何せん、この分野に関しては後塵を拝しているのです」


「そこで理力甲冑に詳しくて設備の整っている所へ協力を頼むって寸法さ。一番なのは工業国家のシナイトスだが、さすがに今はそれどころじゃない。だから次点のグレイブに白羽の矢って事だ」


「なるほど……。でもそんなに理力エンジンって凄いんですか?」


「何を言うんデスか! ユウもアルヴァリスに乗って体感したはずデスよ! 私の開発した理力エンジンは周囲の物質から理力をどんどんかき集めるのデス! なので理力の弱いこの世界の住人でもユウ並みの強さにバフ特盛りしてくれるのデスよ!」


「まだ完成してないんですけどね……」


 ボルツが水を差す。そんなことは聞こえないとばかりに先生は理力エンジンの原理を語りだす。ユウとクレアには理解できないので放っておく。


「それで、いつ出発するんですか?」


「昨日からホワイトスワンに物資を搬入している。予定通りなら明日の昼頃には終わるから、それからだな。お前達も早くヨハンに知らせて準備しろよ?」


「あ、そうデス。ユウ、夕方頃でいいから理力甲冑の整備場に来るデス」


 ふと、思い出したかのように先生は切り出す。


「? アルヴァリスの事ですか?」


「んっふっふっ~♪ それは今は言えません。見てからのお楽しみデス~!」


 先生はニタリと笑っている。あれは何かを企んでいる顔だ。一抹の不安を抱えながら、ユウはクレアと出発の準備を始めるのだった。

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