写真狂時代

大和麻也

ある写真家の郷愁

Prologue

 シャッターを切った瞬間、被写体が跳ねて逃げた。

 船の上を渡る黒猫を見つけたので、船体の白色と、空の青色とともにフレームに収めたいと思った。シャッターチャンスを狙ってはみたが、普段は風景写真ばかりを撮る私には、活き活きとした動物を相手にするのは少々難儀だった。結果は、尾と片足だけしか捉えられず情けない一枚になった。

「慣れないことはしないほうがいいな」

 身体を起こす。つい可愛らしい生き物を見つけて追いかけてしまったが、私の写真は元来風景を切り取るものだ。展望台に上ってみようか。そのほうが私らしい写真を残せることだろう。

 階段を形作る丸太は朽ちていて、足をかけるとがたがた揺れて心もとない。苔むしていて、ときに茸など生えているものも見かける。幼いころはもっと段差がしっかりとしていた。疲れも知らずよく駆け上ったものだ。

 足を止める。じわじわと土踏まずから爪先にかけて勢いよく血が流れているのを感じる。子どもの時分より身体は確かに大きくなったはずだが、どうしたものか、現在のほうがこの道のりを長く感じる。

 麓の集落の屋根がすでに小さくなりはじめている。かつてよりめっきり寂しくなった。戸数が減り、船も減った。波止場の近くには何件か店が並び、小学生のころは駄菓子屋に、中学生のころには本屋に足を運んで遊んだものだ。高校生になったころにはそのいずれも店を閉めてしまい、街はつまらなくなった。

 そうして若者たちは島を出ていった。寂れた離島に仕事を求めるより、本土や都会に出たほうが質、量ともによいからだ。私もそのひとりだった。

 再び集落に背を向け、階段を上った。

 頂上の展望台までそう時間はかからなかった。

 ここに来ると必ず子どもが遊んでいるものだったが、現在は人っ子ひとり見当たらない。できることなら、子どもが駆け回っている姿をこの島の美しい木々や海原とともに収めたいと思っていたのだが。

 とりあえず四阿に腰を下ろして、構図を考えた。

 見下ろす格好だから、海と船、そして家々を写してみたい。しかし、岬の灯台も捨てがたいし、そこへと続く尾根の緑もまた絵になるに違いない。手前に伸びている木の枝は少々邪魔かもしれないが、かえってそれを利用して立体的な写真を撮れたら面白いだろう。

 幸い天候に恵まれていたので、ひとまず、思いつく限りの構図すべてを試してみた。しかし、どれも満足とはいえないものだった。モノが映り込みすぎているのかと思い、要素を減らして撮り直してみたが、それでもやはり納得できるものにはならない。

 最初に考えた構図を捨ててみても、どうにもうまくいかない。場所のせいにはしたくないが、ここで何枚撮っても結果は似たようなもの。何を撮っても、何も撮っていないかのように感じられる。どのように切り取ってみても、主役がいないのだ。ぼんやり、のっぺりとした、面白みのない写真。

「何が悪いのかがわからないな。これは重症だ」

 写真で飯を食っている身としては、これほど悔しいものはなく、また、不安になるものだ。きょうは調子が悪いのだ、と開き直って出直してもいいのだが、この地が故郷であるだけに諦められない。長く親しんだこの風景を、美しく撮れないはずがない。

 …………。

 そうか。

 故郷だからだ。

 故郷だから、うまく撮れないのだ。


 私はよく知るこの地を、切り取ることを知らないのだ。

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