さらば、僕らの流星群

七町藍路

ユキカゼ 一

「星屑症候群という病がある」

 窓の外を眺める僕の後ろから、ユキカゼが言った。強化ガラスの向こうには宇宙が広がり、大小さまざまな星たちが、正しい軌道を描きながら瞬いている。そんな散りばめられた星のうち、ここから最も近い星が、黒い空間にぽかんと浮かんでいる。太陽の光を浴びて輝くその青い星は、僕たちが生まれた星だ。

「星屑症候群。なあ、ハナテも知っているだろう?」

 僕はユキを見た。ユキは僕の隣にあるベッドに腰掛けて、僕のことを見ていた。

 ユキカゼ。黒い短髪に、黒い瞳、程よく鍛えられた健康的な体。僕とは正反対だ。だけど、僕の親友、ユキカゼ。病名を繰り返して言ったユキの顔は不機嫌そうだった。

「知っているよ」

 ユキの視線を感じながら、僕は窓際から移動して、ベッドの正面にある椅子に座った。バイオプラスチックの椅子はひんやりとしていた。

「スターダスト・シンドローム。正式には侵食崩壊性宇宙症候群。宇宙病のひとつ。肉体が硬化し、徐々に崩れて、砂のような粒子状になっていく病気だ。末期症状の患者が宇宙空間に出ると、無風の宇宙で何かになびきながら消えていく。その姿がまるで尾を引いて流れる彗星のようだから、壊れゆくその病を、星屑症候群と呼んだ」

 一呼吸おいてから、僕は続けた。

「原因は不明、発症する条件も分からない。治療法も特効薬もない。一度でも発症すれば、助かる見込みはない。進行を止める方法もない。ただひとつの救いは、人から人へは感染しないということだけ」

 僕は迷うことなく模範解答を述べた。学校で何度も習った。嫌になるほど繰り返した。星屑症候群は今でも不治の病である宇宙症候群のひとつだから。ユキはどこか満足そうな表情を浮かべていた。ユキが着ている真っ白なパジャマが、部屋の中で妙に浮いていた。僕は尋ねた。

「まだ初期症状だろう? どこも、崩れていない」

 ユキは両腕を勢いよく広げてみせた。真面目にトレーニングを行っている腕だ。

「そう。だから、あと半年は大丈夫らしい。職業柄、定期健診だけは怠らないから。発見が早かったんだ」

「さすが、ヒーラーは良い職場環境だな」

 僕がそう言うとユキは肩をすくめた。ヒーラーとは医療系職業の総称だ。普段から怪我や病気と関わっているため、他の職業よりも定期健診が多い。

 十歳、十五歳、そして二十歳の時に行われる三回の適性試験で僕たちの職業、それも一生の職業が決まる。この職業は五つの技能で分けられる。学術研究の「リサーチャー」、医療の「ヒーラー」、技術の「シップマスター」、生産の「フィールダー」、そして芸術の「レコーダー」だ。教育期間を終えた二十歳以上の人類は例外なくこの五つの職業の内一つに就労する。中でもリサーチャーは三回の試験全てにおいて優秀な成績を収めた者にしかなれない、エリートと呼ばれている職業だ。

 僕はシップマスターに合格した。機械の扱いに長けていたからだ。自分の能力に適した職業に就けるということは、聞こえは良いだろう。しかし、望む職業を自由に選ぶことの出来ない窮屈な制度だ。けれども、人類には、もはや選択の余地などなかった。

 二十三年前、人類は地球を捨てた。

 今では月のコロニーで身を寄せ合って暮らし、火星を開拓して未来に縋っている。

「ハナテ」

 ユキは僕の名前を呼んだ。僕はユキを見た。ユキは気まずそうな表情をしていた。こういう顔をしているときは、何か頼みごとをするときだ。生まれてからの付き合いだから、それくらい分かる。ユキだってもちろん、僕が頼みごとを断りきれないと分かっている。分かっていて、話を切り出すのだ。

「ルリちゃんには、うまく伝えておいてくれないか」

 その言葉に僕は顔をしかめた。

「自分で言えよ」

「火星へは通信費が高いから」

「そうだけど、おばさんには自分で伝えるんだろう?」

 ユキの母親は火星で、兄のミチ君は宇宙ステーションで働いている。二人にはユキ自身が連絡するのに、おばさんと同じ火星にいる幼馴染のルリちゃんには僕が伝えなければならないなんて。僕は不満を込めてユキを見た。

「家族には検査結果が自動的に送られるんだよ。だから俺が伝えなくてもいいんだ」

「よくない」

「頼むよ、ハナテ」

 僕は溜息を吐いた。それを了承と受け取ったのか、途端にユキの表情は輝いた。持つべきものは親友だと言って笑うユキは、ベッドの上に横になった。数週間前に会った時より、少し痩せた。病気のせいだろう。

「……仕方がない。だけど、ルリちゃんだけだから。ヒロナには自分で伝えろよ」

 僕がそう言うと、寝転んだままのユキは軽く手を挙げた。

 ユキカゼ、ルリちゃん、ヒロナ、そして僕。僕たち幼馴染四人は、地球で生まれた最後の人類だった。だけど、僕は生まれた星のことを知らない。かつてはジャパンと呼ばれた地球のコロニーで生まれてすぐに、月へ移住したからだ。記憶はない。仕事で何度も訪れてはいるけれど、地球の景色はどれも故郷の思い出と呼ぶものには程遠い。地球人だという実感が、僕にはない。

 学校を卒業してそれぞれ別の道を進んだ僕たち四人は、みんなバラバラになった。ルリちゃんは火星、ユキは月、ヒロナは地球、そして僕は宇宙船。今でも連絡を取り合っていて、そのほとんどは僕が担っている。僕は星間飛行士だ。シップマスターの中で、最も多く宇宙を飛び回る飛行職だ。

「ルリちゃん、きっと怒るぞ」

「怒るだろうなぁ」

 ベッドの上のユキは息を吐いた。僕はテーブルの上に置かれたフォトスタンドに触れた。卒業式の時の写真だ。四人で仲良く並んだ僕たちが、小さなホログラムになって笑っている。全員が揃ったのは、この時が最後だ。

 会いたくても会えないのだと、そのことを思い知ったのは、随分と後になってからだった。星の間を簡単に行き来できるのは、ほんの一握り、シップマスターでも飛行職に就いている人だけだ。飛行職だって決められたルートと日程で航海するのだから、自由なわけではないけれど、それでも、他の職業に比べれば、僕たちは会いたい人に会いに行ける職業なのだ。

 僕はフォトスタンドの電源を切った。

「次に月へ来るのは何週間後?」

 いつのまにかユキはベッドから立ち上がり、窓の外を眺めていた。強化ガラスに部屋の中が反射している。

「早ければ、五週間。この後は火星に行って、月に戻って、それから地球」

「そっか。じゃあ、月に戻ってきたら、また俺のところに顔を出してよ。その時までにはヒロナへの手紙を書いておくから」

「それじゃ遅いだろ。どれだけ待たせるんだ」

 ユキの後姿が頼りなくフラフラと揺れる。迷っている証拠だ。僕が言わなくても、ユキだって分かっているはずだ。残された時間は少ない。日帰りで行ける地球にいるヒロナを五週間も待たせるなんて、馬鹿げている。

「だってさぁ、言えないだろ?」

 振り返らずにユキは言った。

「ヒロナ、絶対に泣くから。どんな顔して伝えればいいのか分からないよ」

 ユキは弱音を吐いた。僕はユキの背中を見ながら、ヒロナのことを考えた。

 泣き虫で、のんびりしていて、だけど頑固なところがあって、ちょっとドジ。ヒロナはいつもルリちゃんやユキの背中を追いかけていた。その後ろに僕が付いて行く。僕たち四人はそんな関係だった。

 ヒロナはレコーダーになりたいと言って聞かなかった。人類が地球に残してきた書物や芸術品を記録して保存していくレコーダーという仕事は、最近になって確立された。それまでは、文化や芸術を残していこうという余裕が人類にはなかった。とても大切な仕事だと思う。だけど、僕たちは反対した。地球は、あまりにも過酷な環境だからだ。

 地球の大気は汚染され、空気清浄機がなければ活動できない。酸性の雨が降る場所もあれば、氷に閉ざされた大地もある。治安だって悪い。とても人が住める土地じゃない。だから人類は地球を捨てて宇宙に飛び出した。その地球で働くということは、リスクがある。

 それでもヒロナは譲らなかった。

「なあ、ハナテ」

 ユキは窓にそっと手を触れた。その手があまりにも青白くて、僕の心は一瞬だけ凍った。

「俺、死ぬんだ」

「うん」

「悪いけどさ、その時が来たら、看取ってくれないか?」

「……嫌だよ」

「だよな」

「でも、看取らないのも、嫌だから」

 ユキは僕を振り返った。泣いてはいなかった。どこか安心したような表情だった。うん、と僕は頷いた。ユキは笑ったけれど、僕は笑えなかった。

 それからしばらく他愛もない話をした。ユキはヒーラーの仕事に対する情熱を語り、僕は黙ってそれを聞いていた。出てくる専門用語は分からない。けれど、僕は分かっている。ユキは本当にヒーラーの仕事を誇りに思っている。勉強が苦手で、血も苦手だったのに、それでも諦めなかったユキを知っている。みんな、そうだ。たった三回の試験で一生涯の職業が決まる。やり直すことは出来ない。だから、本気で目指す。死に物狂いで、しがみ付いて。

 きっと、僕だって、そうだったのだ。

「ハナテ」

 どこか楽しそうな笑みを浮かべながら、ユキは僕の名前を呼んだ。僕はユキを見る。

「今度の大会、出ろよ」

 見に行くから、とユキは付け足した。僕は肩をすくめた。

 大会というのは、定期的に開催されている、シップマスターの競技会だ。技術職であるシップマスターは、その能力の向上を目的に、様々な専門分野での技術を競う大会を行っている。特に、飛行技術を競う部門は大会のメイン種目であり、数少ない娯楽として多くの人が期待を寄せている。ユキはその大会に、僕も出ろと言っているのだ。

「いいじゃん、別に。減るものでもないしさ。いつもと違うルートを飛ぶことだって必要だろ」

 僕が渋った顔をすると、ユキは口を尖らせた。

「ハナテが出るのなら、俺だって見に行くよ」

「出ない」

「ルリちゃんとヒロナも誘ってさ」

「出ない」

「その頃には俺、もう車イスかな。三人並んで、ハナテの宇宙船を見上げるんだ。そして、手を振る。コックピットのハナテは俺たちに気が付くけれど、照れ臭いから小さく手を振るだけだ。発射台にセットされて、その時を待つ」

 そこまで言うと、ユキは窓の外に目をやった。

「歓声の中で、俺の体は風圧に耐え切れずに壊れるんだろうな。振り上げる手は、まだ残っているだろうか」

 ユキの湿った瞳が、真っ直ぐ宇宙を見つめていた。ユキの声は、溜息にも似ていたし、独り言のようにも聞こえた。ポケットの中の端末が震え、僕の出発時刻が迫っていることを伝えてくる。

「ユキが手紙を書いたら、大会に出てもいい」

 僕の交換条件に、ユキは笑顔で僕を見て、大きく頷いた。ユキは絶対に手紙を出すし、僕も必ず大会に出場する。僕たちの約束はいつも確かで、破られることはない。そういう関係なのだ。

 また五週間後に。そう言って僕たちは別れた。

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