すべての生き物を幸福へと導くために

ンヲン・ルー

すべての生き物を幸福へと導くために

 神よ、あなたは何故こんなにも残酷な世界をお作りになられたのですか?

 今日もまた罪なき子供が、誰にも看取られることなく息を引き取りました。

 決して不治の病ではありませんでした。

 ちゃんと栄養を摂って病院で治療を受けていれば助かっていたのです。

 その子だけではありません。

 この荒んだスラムの街では、毎日のように多くの命が失われていきます。

 寿命ではなく、感染症や栄養失調、あるいは暴力によって、力の弱い者から次々と。

 生き残るのは力の強い者と非情な者です。

 奪うこと、殺すこと、見捨てることをためらわない者が生き残り、正直で清らかな心の持ち主ほど早く死んでいきます。

 神よ、どうかお答えください。

 何故こんなにも残酷な世界をお作りになられたのですか?



 ある日、スラムの街に大勢の軍隊が押し寄せてきました。

 彼らはスラムの住人に銃を突き付け、速やかにこの場所から退去するよう命じてきます。

 あまりにも突然で理不尽な要求に、怒って抗議する男性がいました。

 軍人たちは、その男性を容赦なく撃ち殺しました。

 恐れをなした住人たちは慌てて逃げていきます。

 スラムの街では強者だった人たちも、武装した軍隊が相手では手も足も出ません。

 自力で動けない者は、その場で射殺されました。

 いったい何故、このような仕打ちを受けなければならないのでしょうか?

 スラムの街から住人がすっかり消えた後、わたくしたちは報道によってそれを知ります。

 どうやら近々、スラム近郊の都市で国際会議が開かれるようです。

 その際、各国の首脳に荒んだ街の様子を見られては国家の名誉に関わるということで、急ぎ撤去作業が行われたのです。

 今頃、住人たちの住処であるバラック(手作り小屋)は取り壊され、二度と帰れない場所と化しているに違いありません。

 当然、多くの住人には行く当てなどなく、近くの街や農村で生き延びるためにやむを得ず犯罪に手を染めます。

 被害者だった人々が加害者となり、そこに新たな悲しみが生まれるのです。

 このような有り様で国家の名誉を守ったと言えるのでしょうか?



 政府が横暴を繰り返せば必然的に反乱の芽が育っていきます。

 偶然わたくしが身を寄せた街にも、報復を目論む人たちがいました。

 軍隊を持つ政府と正面からぶつかっても勝ち目はありません。

 そこで彼らは、子供を使った自爆テロを企てました。

 子供なら警戒されることなく標的である議員に近付けるからです。

 わたくしは断固反対しました。

 しかし、一部の子供たちが「ぜひ自分にやらせてほしい」と名乗り出るのです。

 理由を尋ねると、「これで天国へ行ける」と悲しい言葉が返ってきました。

 その子たちは、もはや現世には一片の希望も抱いていませんでした。

 結局、わたくしには子供たちを救うことはできず、自爆テロは実行されてしまいました。

 ですが、大人たちが勝利に酔うのも束の間、この街に軍隊が派遣されてきます。

 軍は何の通告もなく、街に砲撃を開始しました。

 テロとは無関係な一般住民への被害にも構わず……。

 街に火の手が上がっていきます。

 罪なき人たちが次々と焼かれていきます。

 そして、子供たちと共に教会に逃げ込んだわたくしも、真っ赤な炎に包まれて――



 気が付けば、わたくしは白い階段の下に座っていました。

 周囲は霞がかっており、よく見えません。

 ここはどこでしょう? もしやこれが話に聞く、天国へと続く階段でしょうか? 

 服がありません。生まれたままの姿です。

 でも不思議と寒くありません。むしろ、暖かいくらい。

 見上げれば、階段の先には綺麗な青空。風もなく音もない、神秘的な空間。

 現世とは思えません。

 ああ、ついにわたくしも天に召されるのですね。

 でも、天国とはどんなところでしょう?

 子供たちもそこにいるのでしょうか?

 今度こそ幸せな生活を送れるのでしょうか?

 確かめるためには、行ってみるしかありません。

 わたくしはゆっくりと立ち上がります。

 すると、階段を降りてくる人影が目に入りました。

 お迎えでしょうか?

 だとすれば、天使様? 

 人影は歩くのではなく、ふわふわと滑るように階段を降りてきます。

 そして、わたくしの前で止まりました。

 その姿は薄ぼんやりとした人影のままでした。

 どう見ても、わたくしの知る天使様ではありません。

「あの、失礼ですが、どなた様でしょうか?」

 わたくしは恐る恐る聞きました。

『わたしは人間界で言うところの神のような者だ』

 男性と女性が二人同時にしゃべったような声でした。

 まさか天使様ではなく神様が直々にお迎えくださるとは驚きです。

 しかし、わたくしの中から涌き上がる感情は、畏れではなく怒りでした。

 わたくしは真っ先に聞きます。

「では、お答えください。あなたは何故、あのような残酷な世界をお作りになられたのですか? 人々が争わなくてもいい、もっと平穏な世界は作れなかったのですか?」

『作ろうと思えば作れる』

 淡々とした声が返ってきました。

 その物言いに、わたくしの怒りは沸騰します。

「では何故です? 何故このような無慈悲な世界を? あなたのせいで、どれだけの人が苦しんでいるとお思いですか?」

『勘違いしてもらっては困る』

 またも淡々とした声。

「わたくしが何を勘違いしているのでしょうか?」

『わたしはこの宇宙のすべてを創造した者だ。この広大な宇宙において、地球など砂漠の砂一粒のごとき小さな存在に過ぎない。その地球に住む、人間というたった一種の生き物だけが神の恩恵を受けようなど、思い上がりも甚だしい』

「そ、それは……」

 そのとおりなのかもしれません。

 だからといって、あのような惨状を延々と放置するなど許せるはずがありません。

 わたくしは地獄行きになることを覚悟で、神に訴えます。

「では、せめて今からでも変えられないのでしょうか? あなた様のお力で、地球をもっと優しい世界に」

『わたしにそのつもりはない』

「では、何故わたくしの前に現れたのです? あなたにとっては小さな小さな地球の、たった一人の人間でしかないわたくしの前に」

 神を名乗る人影は、少し寂しげな声で告げます。

『実は、君に託したいものがあってきたのだ。わたしにはもう必要のないものでね。わたしはもう疲れたのだ。だから、あとのことは君に託したい』

「え……」

 予想外に言葉に、わたくしは眉を潜めました。

『そんな顔をするな。君の願いが叶うかもしれないのだぞ?』

「わたくしの願い? いったい何を託していただけるのでしょうか?」

『なんでもできる力だ』

「なんでも……?」

『なんでもだ』

「すると、生き返ることもできるのでしょうか?」

『できる』

「あの悲惨な世界を変えることもできるのでしょうか?」

『できる』

「まさか、そんな……」

 信じられません。

 子供たちを救うことさえできなかった無力なわたくしに、そのような力を託していただけるとは……。

「あ、あの、どうしてわたくしなのでしょうか?」

『偶然だ』

「偶然……ですか」

『それから、君が知的生命体の中では稀に見る利他的な存在だからだ』

 利他的というのは、自分の利益よりも他者の利益を優先的に考える思想です。

 聖職者にとっては当然のことであり、わたくしだけが特別優れているわけではありません。

 だというのに、神はわたくしを選んでくださったのです。

 これほど喜ばしいことが他にありましょうか。

 しかし、一抹の不安はあります。

「では仮にその力をいただくとして、何か代償のようなものはあるのでしょうか?」

『ない』

「では、わたくしがわたくしの意思で自由に使っても良いということでしょうか?」

『すべて君の自由だ。わたしは一切関知しない』

 それでは、わたくしが神そのものになってしまいます。

 無力な人間に過ぎなかったわたくしが、神に……。

『無論、断るのも自由だ。強制はしない。どうする?』

「もしも断ったら、わたくしはどうなるのでしょう?」

『何も。この階段を登って天国へ行ってもらうだけだ』

「天国とはどういうところなのですか?」

『わからない。もう何万年も関知していないのでな』

 どこまでも無関心な神様です。

 やはり、この方に世界を任せてはおけません。

「決心しました。その力、受け継がせていただきます」

『承知した』

 返事の後、人影の胸の辺りから、白く輝く小さな玉のようなものが出てきました。

 光の玉はプカプカとわたくしの胸に飛来し、体内に収まります。特に感触や暖かさといったものはありませんでした。

『これで力の受け渡しは済んだ。君はもう自由だ。あとは頼んだぞ』

 人影は霧の中に消えていきました。

 ひとまず、生き返るとしましょう。



 気が付けば草むらで仰向けになっていました。

 上体を起こして周囲を確認してみます。

 どこかの街の外れのようですが、知らない場所です。

 あれは夢だったのでしょうか?

 確かわたくしは、教会で炎に包まれたはず……。

 服がありません。生まれたままの姿です。

 寒い……。それに恥ずかしい……。

 とにかく、まずは着るものを探さなくては。

 立ち上ろうとしたところで、わたくしはハッと気が付きます。

 探さなくても、自分で作り出すことができるのでは?

 ものは試しです。

 つい先ほど神様からいただいた『なんでもできる力』を使ってみましょう。

 夢か現か、嘘か真か、これでわかります。

 わたくしは念じました。

 瞬間、わたくしは修道服を身に付けていました。ベールも靴もロザリオもあります。

 すべて、生前わたくしが身に付けていたものです。

 どうやら、この力は本物のようです。夢ではなかったようです。

 でも、これからどうしましょう?

 やるべきことが多すぎて考えがまとまりません。

 と、その時。

 見覚えのある男性が必死の形相で走る姿が目に入りました。

 自爆テロを計画したグループの一人です。

 見つかって追われているに違いありません。

 案の定、銃を持った軍人たちが同じ方角から走ってきました。

 走る速度がずいぶん違います。追われている方の男性は、ここへ至るまでに体力を使い果たしているようです。

 このままではすぐに追い付かれてしまいます。

 どちらに正義があるかなんてどうでもいい。

 わたくしの目の前で人殺しはさせません!

 わたくしは軍人たちの武器をすべて消しました。

 それから、軍人たちの記憶から男性を消しました。



 いったいどうすれば皆が争うことなく幸福に生きていけるのでしょう?

 長々と考えている時間はありません。

 今この瞬間にも苦しんでいる人たちがいるのです。

 理不尽に命を落とす子供たちがいるのです。

 とにかく、戦争と犯罪と飢餓だけは今すぐなくさなければ。

 わたくしは胸の前で手を組み、祈ります。

 世界中の皆さん。

 不毛な争いはおやめなさい。

 人に優しくしなさい。

 物を盗むことはやめなさい。

 貧しい者に富を分け与えなさい。

 自分だけが幸せになろうとしてはいけません。

 皆で幸せを分かち合うのです。



 わたくしは世界中の不条理を探す旅に出ました。

 そして、皆が幸福に生きられるよう祈り続けます。

 争いの火種を消し、差別を消し、病魔を消し、災害を消し。

 環境汚染のひどい地域は浄化します。交通事故が起きないよう、すべての自動車を自動運転化します。

 この世界に存在する、ありとあらゆる害悪を取り除いていきます。

 すると、新たな問題が発生しました。

 犯罪と事故がなくなったことで警察は仕事を失い、病気がなくなったことで医師は仕事を失ってしまったのです。

 他にも、軍隊、消防士、薬屋、運転手、保険屋など、多くの人たちが職を失いました。

 経済にも大きな影響を及ぼし、世界中が大混乱です。

 わたくしは自分の教養のなさを恥じました。世界は優しさだけで救えるほど単純ではなかったのです。

 では、また元の世界に戻してしまっても良いのでしょうか?

 良いはずがありません。

 目の眩むような財産を持つ者がいる一方で、今日の食べ物にも困る子供たちがいる世界など絶対に間違っています。



 この『なんでもできる力』をもってすれば経済の混乱など問題ではありません。

 その気になれば、働かなくてもすべてが手に入る楽園を作ることすらできるのです。

 でも、それでは人間は堕落してしまいます。生まれてから死ぬまで退屈しのぎをするだけの世界になってしまいます。

 それを幸福と言えるのでしょうか?

 そもそも、幸福とはいったいなんなのでしょうか?

 わたくしの思い浮かべる幸福は、平和で平穏な日常の連続です。過度な贅沢は求めません。愛する家族や仲間たちと共に、健やかに、時に苦労をしながらも笑顔で支え合い、天寿を真っ当することが望みです。

 ですが、それはわたくしの望みです。

 すべての人間に共通する幸福などあり得ません。

 もちろん、『なんでもできる力』を使えば、すべての人間に幸福を感じさせることもできるでしょう。でもそれでは、人類はわたくしの操り人形です。

 わたくしは人類を支配したいわけではありません。ただ、不条理な不幸をなくしたいだけなのです。

 そのためにはどうすれば良いのでしょうか?

 幸福の定義は人それぞれです。あまり干渉し過ぎるのは良くありません。だからといって、前の神様のように完全に放置してしまってはダメなのです。

 このわたくしが最低限の制約を作らなければ。



 人間社会がこれほどまでに不平等である最大の理由は、過剰なまでの競争原理にあります。

 よって、わたくしはこの社会から競争という概念を消しました。

 それから、すべての人たちに同額の財産を割り振り、すべての労働者の報酬を同額としました。

 すると、人々は無気力になってしまいました。

 よくよく考えてみれば当然のことでした。がんばってもがんばらなくても同じ報酬なら、いったい誰ががんばるというのでしょう。

 競争は人ががんばるための原動力でもあったのです。

 しかし、過熱した競争は多大な格差を生みます。

 要は匙加減が大事なのです。

 ある程度の競争原理は必要。されど、勝者と敗者が極端に分かれてしまってもいけない。

 そこでわたくしは、すべての人間に健康で文化的な最低限度の生活を保証した上で、競争によって上を目指すことのできる社会を作りました。

 ただし上限は設けます。

 そうでなければ、一人で千億ドルなどという無用なまでの資産を所持する者が現れてしまうからです。

 では上限はいくらにしましょう?

 百億ドル? 十億ドル?

 いえいえ、いくらなんでも一億ドルあれば充分過ぎるほど贅沢な一生を送れるでしょう。

 一人の人間が所持できる資産は一億ドルが上限。

 個人がそれ以上の資産を持つことは害悪以外の何物でもなし。

 わたくしはそう判断しました。

 もちろん、お金の価値は国や地域や時代によって異なりますから、そのあたりは自動的に調整されるようにしておきました。



 ひとまず、社会は安定しました。

 細かな問題はあるものの、以前のような飢餓や戦争や搾取はなくなり、人が人らしく生きられる社会となりました。

 ですが、平穏な日々は長く続きませんでした。

 寿命以外で人が亡くならなくなったため、すさまじい勢いで人口が増えていくのです。

 人口爆発をも超えた人口大爆発です。

 当然の如く食料不足は深刻なものとなり、動物や魚介類が次々と消滅していきます。

 地球上の資源が急速に失われていきます。

 もちろん、『なんでもできる力』を使って食料や資源を無限に供給することはできます。

 地球を大きくして住み家を増やすこともできます。

 でも、それだけで良いのでしょうか?

 人間だけ幸せな世界で良いのでしょうか?

 わたくしはこの時になって、ようやく気付きました。

 この世界で理不尽な思いをしているのは人間だけではないのだと。

 苦しいのは動物も魚も虫も同じはずです。

 強者が弱者を食さなければ生きていけない大自然の摂理。食物連鎖。

 これを断ち切ることこそが、わたくしの使命ではないのでしょうか?



 神様は何故こんなにも無慈悲な世界をお作りになられたのでしょうか?

 何か糸口が見つかればと、わたくしは神様のお言葉を思い出してみます。

 神様は、ご自分のことを宇宙の創造主とおっしゃっていました。地球ではなく、宇宙の。

 ――そうでした。

 地球が世界のすべてではないのです。

 この広い宇宙には、他にも苦しんでいる生き物がいるかもしれません。

 だとしたら、そのすべてを神の代行者であるわたくしが救わなければなりません。

 でもどうやって?

 いかに『なんでもできる力』を持っていようとも、それを操るのはわたくしの思考です。

 わたくしの思考が及ばないことには力も及びません。

 現に、ついさっきまでわたくしは地球のことしか考えていませんでした。その前は人類のことしか考えていませんでした。

 やはり、わたくしのような教養のない人間が世界を改変すべきではなかったのでしょうか?  

 自然の成り行きに任せてしまった方が良いのではないでしょうか?

 神様のお気持ちが少しだけわかった気がしました。

 ですが、それでも、この世界で起こる無数の悲劇を放ってはおけません。

 なんでもできるのであれば、すべてを良い方向へと導くことだってできるはずですから。



 わたくしは時を一旦止めました。

 そして考えます。

 この世界のすべての生き物が幸福になる方法を。

『みんな幸福になってください!』

 そう祈れば皆を幸福にすることはできましょう。

 なんでもできるのですから、一瞬のうちに、無条件で。

 でも、そこには自我が介在しません。

 ただ幸福と思わされているだけの、死の楽園です。

 自我を奪ってしまっては元も子もないのです。

 だから神様は生き物に自我を与えた上で解き放ったのではないでしょうか?

 でも、その結果があの混沌とした世界では、あまりに救いがありません。

 いくら考えても、わたくしには正解を導き出すことができません。

 神様に聞いてみましょうか?

 わたくしにこの力を与えてくださった神様であれば、何か良い助言を聞かせてくれるかもしれません。

 そういえばあの後、神様はどこへ行ってしまわれたのでしょう?

 もうどこにもいらっしゃらないのでしょうか?

『なんでもできる力』を使えばお会いすることは可能ですが、「もう疲れた」とおっしゃっていたことですし、無理に呼び出すのは気が引けます。

 でも、もし仮に神様を呼び出したとしたらどうなるのでしょうか?

 神様にはもう『なんでもできる力』はありません。

 ですが、わたくしの『なんでもできる力』をもってすれば、再び神様に『なんでもできる力』を付与することができます。

 そう考えたところで、わたくしはピンときました。

 それなら相手が神様でなくとも、『なんでもできる力』を付与することできるのでは?



 幸福の形は一つではありません。

 幸福の形は生き物の数だけ存在します。

 それなのに、わたくし一人で世界を幸福に導こうとしたのが、そもそもの間違いでした。

 自分の幸福は自分で決めるべきなのです。

 わたくしは、すべての生き物に一つずつ宇宙を与えました。

 そして、その宇宙の中に限り、『なんでもできる力』を行使できるようにしました。

 これなら『なんでもできる力』が互いにぶつかることはありませんし、すべての生き物が自分の幸福を自由に決められます。

 自分のいる宇宙の外には干渉できないという一点を除き、すべてが自由なのです。



 この力を授かってから、どれほどの年月が過ぎたでしょうか?

 思い出すのは簡単ですが、やめておきましょう。

 今のわたくしに人間的な時間の概念など何の意味もありませんから。

 わたくしは成し遂げたのです。

 すべてを。

 これからどうしましょう?

 わたくしのしたいことをすべきでしょうか?

 でも、一番したかったことは既に終えてしまいましたし、欲に溺れるようなことはしたくありません。いかに咎める者がいなくとも、聖職者としての矜持は守りたいのです。

 そうでなければ、わたくしは再び世界を変えてしまうかもしれません。

 ちょっとした気まぐれで。

 遊びのように。

 客観的に見て、今のわたくしは非常に危険な存在です。

 すべてがうまくいっているこの世界を一瞬にして壊すことのできる、唯一無二の存在なのですから。

 わたくしだけが。

 ならば、わたくしが『なんでもできる力』を使って最後にすることは――

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