僕らに秋は来ない

白川 夏樹

夏を連れ去るあいつ


「私、今度の秋に引っ越すの」


 そう告げられたのは、高校三年生の七月。 僕の人生初めての彼女であるサキからであった。

 サキが引っ越すのは、この街から電車を使ってもかなりの時間がかかってしまうほど遠くの街だった。

 もちろん僕らの関係は遠距離になってしまう。だから僕はサキが遠くに行っても僕を思い出せるように、僕がサキを忘れないように精一杯思い出を作ろうと奮起したのだ。

 秋が彼女を連れ去ってしまう前に。


 サキから引越しのことを告げられてから一ヶ月。その日は学校での残り少ない夏休み中の補習を終え、写真部での活動があるというサキを教室で待っていた。

 あの頃から思い出作りに奮闘してはいるものの、芳しい結果は得られないでいた。

 重苦しい気分で外を眺める。

 三階にあるこの教室からは、声を出しながら走るサッカー部員や、雑談をしながら歩いているであろうバレー部員が良く見えた。

 校舎には吹奏楽部のトランペットの音が響いていた。


 カシャッ


 不意に後ろからシャッター音がした。

「うわっ」

 驚いて後ろを振り返ると、してやったり顔をしてカメラを構えたサキだった。

「あははっ、何その顔」

「そっちがいきなり驚かすから……」

 まったく、何故こうも彼女はいたずら好きなのだろうか。

 呆れすぎて、笑いがこみ上げてきた。

「やっと笑った」

「え?」

「アキト、ここんとこずっと難しい顔してたらさ」

「……気づいてたのか」

「一応彼女ですから!」

 と、胸を張って彼女は答える。

 悟られていたのは驚きだが、僕のことを理解してくれる人がいる。それがどんなに嬉しいことか。


「どうせ、私の引越しのことで悩んでるんでしょ」

「まぁ……ね」

 こればっかりは隠していても無駄だろう。

 再び暗い顔をした僕を見かねて、彼女は僕の席の隣に腰掛ける。

「アキトは気にしなくてもいいよ」

「そういう訳には行かない、サキが遠くに行くのなんて本当は耐えられないんだ」

「そうじゃなくて」

「なんでそんな平気な顔してるんだよ!」

「っ……」

 言ってしまってはっと気づいた。

 サキの悲しそうな顔を見て、心が握りつぶされるような感覚を覚える。なんてことを言ってしまったんだろう。

 いつの間にか外には雨が降っていて、トランペットの音も校舎から消えていた。


「……ごめん」

 最低だ……俺。

「いいよ、許す」

 彼女が小さく呟く。

「その代わり、キスしてください」

「……へ?」

「聞こえなかった?キスをしてください」

 そうやって、サキは僕の顔に自分の顔を近づけた。

 僕達はまだ付き合って一ヶ月しか経っていない。だからそういうことは一度もしていなかった。恥ずかしくて必死に言い訳を探したが、覚悟のこもった彼女の目を見て、ついに観念した。

 僕も顔を近づける。2人の顔の距離がゼロ距離になる寸前、彼女が口を開いた。

「このあと、話あるから」

 ん?話?

 その言葉に僕が気を取られている間に彼女は僕のファーストキスを奪った。


 その初めての感覚は、僕とサキ以外の時間が止まったような、そんな幸せな時間だった。その時僕は、彼女を連れ去ってしまうくらいなら、いっそ秋なんて来なければいいのに。

 と思ってしまった。


 ふと雨音が止まるのを感じた。

「雨、止んだのかな」

 そう言って彼女の手をつかもうとするが、僕の手が空を切る。

「ん?」

 不思議に思って僕の顔を引いて見てみる。

 彼女は目を瞑ったまま動かない。

「サキ?どうしたんだ?」

 返事がない。

 もう一度、触ろうとした手が彼女の体をすり抜ける。

 何が起こったか分からずに窓の外を見てみると、驚くべきことに雨が空中で止まっていた。ここまででようやく、僕以外の時間が止まったのだと理解出来た。


 世界の時間が止まったのを知って僕が最初に思ったのは、元に戻る方法とか、この現象の利用方法とかより先に、美しい。この一言だった。

 外に静止している雨粒が、雲の切れ間から覗く太陽に照らされて、ダイヤモンドのように白色光を乱反射していたからだ。

 しばらくはその光景に見とれていたが、このあとはどうすれば良いか、考えてみることにした。


 不思議なことに、この世界では僕は空腹も眠気も感じないらしい。そして、僕があの瞬間に持っていたもの以外、時が止まってその上すり抜けて触れないということが分かった。

 そこで僕は、この現象を目いっぱい楽しむことに決めた。元に戻る方法は後々考えればいいだろう。

「サキ、しばらくの間待っててくれ」

 目を閉じて動かない彼女にしばしの別れを告げて、僕は日本一周の旅に出かけたのだ。


 最初は東京に向かって歩いた。

 幸い時が止まった空間で、空腹も疲労感も感じない体になったから、あの時持ってたスマートフォンで地図を見たり、音楽を聴きながら東京へと着くことが出来た。

 そこで僕は、テレビでしか見れなかった有名人。とてつもない高さのスカイツリー。人で溢れかえった交差点などを見て満喫した。

 観光中興奮しっぱなしで、興味が尽きることがなかった。体感で一ヶ月くらい堪能して、惜しみながらこの街を後にした。

 その後も行きたいところを転々と変えながら時が止まった世界を見て回った。

 その途中スマートフォンのバッテリーが切れてしまったが、移動は基本線路の上で迷うことがないので大した問題ではなかった。

 問題があるとすれば、この世界について僕がだ。


 この世界は僕が思ってたよりも黒い部分や汚い部分があるらしい。目を背けたくような現実が、静止画として僕に突き刺さった。

 違う。僕が綺麗な部分しか目を向けてこなかったのだ。そう思った。

 時が止まった世界は、綺麗なことも汚いこともごちゃ混ぜにして僕に与えようとしてくる。



 退屈だ。

 そう思ったのはちょうど最後の街をめぐり終えてからのことだった。

 疲労感はないはずだが、腹の奥に重いガスのように不快感が溜まっている。この感情はなんていうんだろう?話相手もいない全てが静止して目新しさもない世界にうんざりしていた。

 沈んだ心を落ち着けるようにスマートフォンを持つ。しかし、電源はつかず画面は黒いままだ。

「充電、切れてるんだった……」

 深いため息をつく。もういっそ、何も考えずにこのまま僕も静止してしまえば……。

 そう思いかけた時、袖から何かが落ちた。

 カサッ。

 なんだろうと思いつつ拾ってみると、それは頬ずえをつきながら外を眺める僕の写真だった。


「あいつ、いつの間に……」

 その写真は、僕が見てきたどんな一瞬よりも輝いていて、どんな静止画よりも躍動していた。


「帰らなきゃ」

 そう思うのに、さほど時間はかからなかった。

僕は精一杯駆け出した。最愛のあの人が待つ場所へ。


一緒にいたい人がいる。

話したい人がいる。

笑顔にしたい人がいる。


……大好きな人がいる。


 辿ってきた道の逆戻りを終えて、あの時飛び出した学校に着き、急いで階段を駆け上がる。


 在りし日と変わらず目をつぶって静止している彼女を見つけて、僕は何年経ったか分からないほど昔の今日この瞬間、彼女が僕にしてくれたように、今度は僕からキスをした。


 ……程なくして、僕の耳に久々に雨の音が入り込んできた。

「ちょっと、キスが長い!」

サキが赤い顔をして顔を離す。

 僕はそれを気にもせずに、彼女を強く抱き締めた。

「ちょっと!?どうしたの?」

「ごめん、しばらくこのままでいさせて」

 涙声の僕の頼みに、少し戸惑ったようだが何も言わずに抱き締め返してきてくれた。




「あ!それで話があるって言うのはね、引越しのことなの」

 僕が落ち着いたあと、気を取り直して彼女は切り出した。そう言えばそんなこと言ってたな、と今になって思い出した。

 あの時のサキはとても深刻な顔をしていた。もしかして、悲報だったりするんだろうか。

「まさか、予定が早まったとか!?」

「あはは、違う違う。その逆」

 絶望した僕の顔を面白がりながら否定する。

「私がお願いしておばあちゃんの家に住むことにしたの。まだこの街にいたいって毎日お父さん達を説得して」

 その報告を聞いた時、飛び上がりたいくらい嬉しかったのを覚えている。

「それに」

 サキはひと呼吸おいて、

「私がいないと何も出来なさそうな人もいるからね!」

 とはにかんで言う。

「そうだな、サキは僕の支えだ」

 あの退屈な世界から救い出してくれた彼女は、僕のかけがえのない大切な人だ。

「な、、、照れるからやめて……」

 突然僕の態度が変わったことに驚いたのか、彼女は赤面して机に突っ伏した。


 このなんでもない瞬間が、いつまでも続けばいいのに。あの時とは逆のことを思ってしまったことに苦笑しながら、サキに頼む。

「なぁ、記念にツーショット撮ろうよ」

「ツーショット!撮る撮る!」

 サキはまだ赤みがかった顔を輝かせてカメラを持つ。


 カシャッ


「もうちょっとしかないけどさ、夏休み中にどこか行かない?」

 撮影を終えたあと、僕はサキにこう提案した。

「いいよ、アキトはどこに行きたいの?」

「日本一周」

 彼女の問いに聞こえないほど小さく答える。

「え?なんて言ったの?」

「ううん、サキとならどこへでも」

「あはは、なにそれ」

 二人で思わず笑ってしまう。

 やっぱり彼女とは退屈しない。





 もう少しで秋が来るだろう。誰にも等しく時間は流れ、冬が来て、春が来て、一年は巡っていく。

 等しく変化をしていく。だけどいつまでも変わらずに言えることがある。それは、




 僕らに飽きは来ないだろう。ということだ。
































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