第32話 食べ物を残すことは悪いことなの?

〈登場人物〉

サヤカ……小学5年生の女の子。

ウサ……サヤカが3歳の誕生日にもらった人語を解するヌイグルミ。



サヤカ「ねえ、ウサ、食べ物を残すことは悪いことなのかな。今日ね、学校の給食の時間に、どうしても給食を食べ切れない子がいて、先生に怒られてたの。でも、わたし、食べ物を残すことが絶対に悪いとは思えないんだ。だってさ、体調が良くなかったり、量が多かったり、嫌いなものがあったりして、食べられないことってあるもん。そういうときでも残しちゃダメだなんて、おかしいと思う」


ウサ「食べ物を残すことは悪いと思われているけど、どうしてそうなっているのかな。逆に言うと、食べ物を残さず食べることがいいことなのは、どうしてなんだろう」


サヤカ「うーんと……食べ物を残さず食べると、健康でいられるから?」


ウサ「健康でいるために食べ物を残さず食べることがいいことなんだとすると、健康でいることがより大事なことであって、食べ物を残さず食べることそれ自体は健康でいることよりは大事なことじゃないってことになるね」


サヤカ「……じゃあ、食べ物を残さず食べることによって、もし、不健康になっちゃうときは、食べ物を残してもいいんだ!」


ウサ「残してもいいと言うよりは、残さないといけないことになるね。健康の方が大事なものなわけだから。さっき、サヤカちゃんが例に挙げてくれたけど、たとえば、体調が良くなくて食欲が無いとき、無理に食べると気持ち悪くなっちゃって、健康を損なうようなときは、残さないといけないね」


サヤカ「量が多すぎて食べきれない場合も同じだよね。無理に食べたら、お腹痛くなっちゃうもん。……でも、ウサ、嫌いなものがあるっていう場合はどうかな。嫌いなものがある場合は、残していいことにはならないんじゃない? だって、嫌いなものっていうのは、その子の気持ち次第でさ、食べようと思えば食べられるわけでしょ? アレルギーとかじゃない限りはさ。嫌いなものでも食べた方が健康にはいいんだから、残していいことにならないんじゃない?」


ウサ「サヤカちゃんは、グリーンピースが嫌いだったよね」


サヤカ「うん」


ウサ「給食でグリーンピース出たら、どうしてるの?」


サヤカ「無理に食べてるよ……気持ち悪くなるけど」


ウサ「気持ち悪く感じるものって、本当に健康にいいのかな?」


サヤカ「えっ!?」


ウサ「気持ち悪くなるってことは、体があんまり受け付けないってことだよね。食べてみて体があんまり受け付けないってことは、自分の体には必要無いものだっていうことじゃないのかな?」


サヤカ「……そんな考え方、初めて聞いたよ」


ウサ「実際にね、そういう風に主張する人もいるのよ。仮にそうじゃなかったとしてもね、グリーンピースを食べることが健康のためだとしたら、グリーンピースに代わるもので健康を維持すればいいわけだから、嫌いなものであるグリーンピースをどうしても食べなくちゃいけないってことにはならないんじゃないかな」


サヤカ「……じゃあ、嫌いなものって食べなくていいんだ」


ウサ「うん。でも、嫌いなものに関しては、気をつけておかないといけないことがあるの」


サヤカ「なあに?」


ウサ「その嫌いなものがただ嫌いなだけなのか、それとも、本当は好きなのに嫌いに感じているのか、そこをちゃんと確かめてみることね」


サヤカ「本当は好きなのに嫌いに感じているってどういうこと? そんなことあるかなあ」


ウサ「たとえばね、お菓子ばっかり食べている子がいるとするね。その子は、お菓子のことが好きで、お魚とかお野菜とか大嫌いなの。でも、それはお菓子の味に慣れちゃったせいで、お菓子をやめれば、本当はお魚やお野菜をおいしく感じるかもしれない。本当は好きなのに、体がお菓子モードになっちゃっているせいで、嫌いに感じているだけかもしれない。そういうことがあるのよ」


サヤカ「『偏食』って言うんでしょ?」


ウサ「うん、サヤカちゃんはそうなっていない?」


サヤカ「わたしは……偏食はしていないと思う。お菓子は好きだけど、いつも食べているわけじゃないし、野菜は、グリーンピースと……あと、ナスくらいは嫌いだけど、あとは普通に食べるし、トマトなんか好きなくらいだもん。魚もお肉も食べているよ」


ウサ「じゃあ、グリーンピースは無理に食べなくてもいいんじゃないかな」


サヤカ「そうなんだ……なんか、ホッとしたあ。食べられないと、先生に怒られるから、食べられないことって悪いのかなって思ってたんだ。……ねえ、ウサ。先生はさ、『食べ物っていうのは動物や植物の命を犠牲にして作られたんだから、それに感謝するために食べ残しをしちゃいけない』って言って、昨日、その食べきれなかった子を怒っていたんだけど、これってどうなんだろう」


ウサ「食べ物が動植物の命を犠牲にして作られたっていうことは、本当のことだけど、じゃあ、だからって、どうして動植物の命に感謝しないといけないことになるの?」


サヤカ「えっ……どうしてって、だって、命って大事なものでしょ?」


ウサ「動植物の命が大事だから、動植物の命を犠牲にして作られた食べ物が大事だっていうことになるなら、その動植物の命を殺さないでおいて、食べ物にしない方がいいんじゃない? その方が動植物の命を大事にしていることになるんじゃないの?」


サヤカ「でも、そんなことしたら、食べ物がなくなって、人間が生きていけなくなるよ」


ウサ「ということは、人間は、動植物の命よりも人間の命の方を大事にしているっていうことになるよね?」


サヤカ「うん」


ウサ「だとしたら、その動植物の命で作られた食べ物よりも、人間の命をきちんと維持すること、健康の方が大事だっていうことにならないかな?」


サヤカ「あっ、ホントだ!」


ウサ「食べ物になる動植物の命が大事だっていうのはね、それは、人間の食べ物になって、人間の役に立ってくれるから大事だっていうことなの。動植物それ自体の命が大事だっていうことじゃないのよ。これは、食べ物にならない動植物の命でも同じことで、たとえば、ペットになる動物や観葉植物になる植物は、人間を癒やしてくれて、人間の役に立ってくれるから、その命が大事なんだし、食べ物にもならないし癒やしになることもない動植物でも、人間が住む生態系を守ってくれて、人間の役に立ってくれるから、その命が大事だっていうことになるの」


サヤカ「人間は、動植物それ自体の命を大事にするってことは、できないんだ……」


ウサ「そうだよ」


サヤカ「わたし、そういう考え方、あんまり好きじゃないなあ……だって、そしたらさ、人間には全然、動植物に対して思いやりがないことになるもん」


ウサ「だからこそ、動植物それ自体の命が大事だっていう言い方がされるのよ。動植物それ自体の命が大事だっていう言い方はね、本当は動植物の命はそれ自体が大事なんじゃなくて、人間の役に立つから大事なんだっていう真実を覆い隠すためのウソなの。そのウソを信じている方が気が楽だから、まるで本当のことのように考えられてしまうようになったのね」

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