父の死

「例えば今君がここで死んだとしても、私がそのことを言わずにそのまま捨て置いたら、君はみんなの中では生きているってことになるんじゃないか?」


 友人が作ったような言葉遣いで唐突に言い出した。まだそれほどアルコールは入っていないはずだが。


「……でも死体が見つかったらそれまでじゃ?」

「えー、じゃあ、目の前にいる人が急に燃え出して骨一つ残らず灰になって、全部風で飛んでっちゃったら、『目の前の人が死んだ。』という言葉を証明するものないんじゃないかって思うのよ。だから誰もその人が死んだって思わないわけ。」


 右手にもったグラスをくるくると回し、友人は残りの酒をあおった。


「捜索願が出されて数年たっても見つからなかったら死んだことになるんじゃなかったけ? 詳しくは覚えてないけどさ。」

「んーでも、その人に近い人は信じないと思うんだよね。」

「でも記憶は薄れるんじゃない?」

「すべてに記憶からきれいさっぱりなくなったら、ようやくその人は死んだことになるとかさ。」

「記憶の中で生き続けるの派生? 忘れられたら死であるって?」


 友人はそうそう、と適当な相槌を返す。


「だからさ、もし、目の前で君が唐突に死んじゃったとしても、誰にも言わなければ君が死んだことにはならないんじゃないかって。で、その死を観測した人間がその場からいなくなれば、死んだことがなくなる。観測者がこの居酒屋を出てしばらくたって、死んだことがなくなった君はごく普通に立ち上がって会計をすまし、ごく普通に大学の授業に出席する。」


 友人は目を細めた。


「そういう話、面白くない?」

「飛躍しすぎじゃ?」


 そうかもね、と目の前の友人は笑った。




 日付が変わる直前、ようやく家にたどり着いた。まだリビングの灯りがついている。母がまだ起きているのだろうか。


「ただいまぁ……」


 一階に住む祖母を起こさないように静かにドアを閉めた。

 リビングを覗けば、ソファに父がいた。寝ているようで、背もたれに体を預け、微動だにしない。


「上で寝なよ……」


 父に近づき起こそうとしてようやく気付いた。ひどく白い顔をしていた。血の気のない、とはこのことだろう。胸も動いていない。

 声にならない声がのどに詰まる。父の友人が近ごろ亡くなったということを唐突に思い出す。もう結構歳だから。


『観測した人間がその場からいなくなれば』


 友人の言葉を思い出す。すがるように震える足で自室に帰った。






 今日も父はいつものように母のいれたコーヒーを飲んで、朝のニュースを確認している。昨日の会社の健康診断は異常なしだそうだ。

 なにも言わなければきっとこのまま。父の脈がないことを今日も確認して、口を閉じて、笑った。

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